2Pac殺害裁判──本誌が選ぶ、事件を動かした11人。うち5人はもう死んでいる
本誌が選んだ2Pac殺害裁判の関係者11人のうち、5人はもう死んでいる。
デュエイン・”キーフ・D”・デイビスの裁判が、ラスベガスで動き始めた。8月10日に始まった陪審員選考は13日に完了し、12人の陪審員と4人の補充陪審員──女性10人、男性6人──が選任された(AP/PBS News)。冒頭陳述は8月17日(月)に始まる予定だ(8月10日の開廷から陪審選定までの経緯はこちら)。1996年9月7日の銃撃から、ほぼ30年。デイビスは、この事件で起訴された最初で唯一の人物だ。
ここから先、法廷では耳慣れない名前が次々に出てくる。撃たれた車にいた者。隣の車にいた者。すでに死んでいる者。証言を拒む者。誰が誰かを知らないまま報道を追っても、この裁判は読めない。
先に断っておく。この11人は、公式な区分でも裁判関係者の全員でもない。クラーク郡検察が8月4日に提出した補充証人リストには200人を超える名前が並んでいる(USA TODAY)。200人という母数とは別に、検察が実際に呼ぶ予定は35〜45人と報じられている。ここに挙げる11人は、その中から本誌が選んだ顔ぶれだ。ただし、この顔ぶれ自体はAP通信が開廷前に配信した関係者整理をはじめ、海外の裁判報道でも繰り返し挙げられてきた名前である。本誌の仕事は人選ではない。11人を「事件当夜どこにいたか」と「いま証言できるか」という2つの軸で読み直すことにある。
そして11人を並べて最初に見えるのは、事件の中身ではない。誰がもう口を開けないかだ。
撃ったとされてきた甥のアンダーソン。もう1人の射手候補スミス。キャデラックを運転していたとされるブラウン。犯人の顔を見たかもしれないカダフィ。トゥパックのボディガードだったアレクサンダー。5人とも、この裁判の前に死んだ。生きている6人も一枚岩ではない。証人リストに名前が載る者、証言を公に拒む者、リストに名前のない者、被告席に座る者に分かれる。
11人の現在地
- 死亡(5人)──オーランド・アンダーソン(キーフ・Dの甥で長年の射手候補、1998年)/ヤキ・カダフィ(後方車両にいたアウトローズの一員、1996年)/デアンドレイ・スミス(後部座席にいたとされるもう一人、2004年)/テリー・ブラウン(キャデラックの運転手とされる男、2015年)/フランク・アレクサンダー(トゥパックのボディガード、2013年)
- 生存・証人リストに掲載(3人)──E.D.I.・ミーン(後方車両にいたトゥパックの幼馴染)/デンヴォンタ・リー(大陪審で別の射手を語った男)/レジー・ライト・ジュニア(元デス・ロウ警備部門長)。3人とも出廷が見込まれると報じられている(AP/PBS News)
- 生存・リスト掲載だが証言を公に拒否(1人)──シュグ・ナイト(トゥパックの隣で被弾した元デス・ロウ総帥。リスト掲載はUSA TODAY報道)
- 生存・証人リスト外(1人)──ショーン・”ディディ”・コムズ(100万ドル説を向けられた側)。APによれば、どの証人リストにも名前は載っていない
- 被告(1人)──キーフ・D(キャデラック唯一の生存乗員)。証言台に立つかは未定
主要な当事者の多くが亡くなったあとに開かれる裁判は、事件当夜を完全には再現できない。できるのは、生き残った言葉の出所を検分することだけだ。そこで以下では11人を、もうひとつの軸——事件当夜、銃撃に対してどこにいたか——で3つに分けて並べる。撃った側とされる車。撃たれた側の車列。そして、そのどちらにもいなかった場所からこの裁判に関わることになった者たちだ。
その夜、ラスベガスで何が起きたか
1996年9月7日。トゥパックはデス・ロウ・レコード共同創設者のマリオン・”シュグ”・ナイトとともに、MGMグランドでマイク・タイソン対ブルース・セルドンの試合を観戦していた。
試合後、カジノ内でデス・ロウ関係者らがオーランド・「ベイビーレーン」・アンダーソンを襲撃する様子が、監視カメラに記録されている。
数時間後。ラスベガス・ストリップ近くで、ナイトが運転するBMWの助手席に白いキャデラックが並んだ。車内から銃声。トゥパックは4発の弾を浴びた。ナイトは頭部をかすめる傷で生還し、トゥパックは6日後の9月13日に25歳で亡くなった。
以来30年、捜査は両車両と周囲の人物を追い続けてきた。目撃証言、警察への供述、自白とされる内容。誰が撃ったのかをめぐる証言は、いまも食い違ったままだ。
断っておく。以下で「〜とされる」と書いた部分は、ほぼすべて検察側の主張か、証人が語った内容である。裁判所が認定した事実ではない。デイビスは無罪を主張している。
第1部──白いキャデラックにいた4人
検察の主張する車内配置はこうだ。運転席にテリー・ブラウン、助手席にキーフ・D、後部座席にアンダーソンとスミス。この4人のうち3人はすでに死に、生きているのは被告席の1人だけである。
デュエイン・”キーフ・D”・デイビス──裁判にかけられた男
キーフ・Dは、自分が白いキャデラックの車内にいたことを、何十年も自分から公言してきた。それが今、検察の立証の中心にある。
罪名は、ギャング活動を助長する意図を伴う凶器使用殺人。検察側は、元サウスサイド・コンプトン・クリップスの指導者だった彼が、MGMグランドで甥のアンダーソンが暴行を受けたことへの報復として襲撃を計画したと主張している。
デイビス自身は、トゥパックに直接発砲したとは一度も言っていない。ただし過去の供述では、助手席にいたこと、使われた銃を手に入れたこと、その銃を後部座席に渡したことに触れている。ネバダ州法では、引き金を引いたのが別人でも、犯行を助けた者に殺人罪を問える(AP/PBS News)。
彼に不利な証拠の大半は、事件から何年も経ってから彼自身が語った内容だ。柱は2つ。2008年の捜査機関へのインタビューと、2019年の回顧録『Compton Street Legend』である。
いまデイビスは、その両方を否定している。誇張だった、事実ではなかった、と。弁護側は2つとも証拠から排除しようと試みたが、カーリー・キエルニー判事はどちらの使用も認めた。
デイビスは無罪を主張している。キャデラックに乗っていたとされる人物のうち、現在も生存しているのは彼だけだ。他の乗員が証言できない状況下で、彼自身の過去の発言が極めて大きな意味を持つことになった。
オーランド・「ベイビーレーン」・アンダーソン──長年の容疑者
何十年もの間、トゥパックを撃った人物として最も頻繁に名前が挙がってきたのがオーランド・アンダーソンだった。キーフ・Dの甥であり、サウスサイド・コンプトン・クリップスのメンバーでもあった彼は、検察が事件の発端と位置づける対立の中心にいた。銃撃の数時間前、トゥパックとデス・ロウの随行員たちがMGMグランドで彼を襲撃したことは、ラスベガス警察が報復のきっかけと説明してきた事実だ。
検察は、アンダーソンがキーフ・D、テリー・ブラウン、デアンドレイ・スミスとともに白いキャデラックに乗っていたと主張している。キーフ・Dが2008年の警察聴取で彼を銃撃犯と名指ししたことも、疑いを決定づけた。
だがアンダーソン本人は生前、関与を否定し続け、起訴されないまま死んだ。1998年5月29日、コンプトンの洗車場で起きた本件とは無関係の銃撃戦で撃たれ、23歳。トゥパックの死から1年8か月後だった。
本誌の観測では、日本語圏でこの事件が語られるとき、30年間、名前が出るのはほぼ必ずアンダーソンだった。だが彼はすでにいない。この裁判では、彼が射手だったと特定すること自体は、デイビスを有罪とするための必須条件ではない——APも、法廷が「誰が撃ったか」を確定しないまま進む可能性が高いと整理している。
しかも射手の特定は、もう一段ややこしい——次のスミスの章で見る通り、大陪審には別の男を指す証言が持ち込まれている。だからこの裁判は、「アンダーソンが撃った」ことを証明しなくても成立する。
デアンドレイ・”フリーキー”・スミス──もう一人の射手候補
誰が引き金を引いたのか。その問いを不確定にしているのが、デアンドレイ・スミスだ。彼はアンダーソンとともにキャデラックの後部座席にいたとされ、車がトゥパックとナイトのBMWに並んだとき、2人とも撃てる位置にいたとされる。
長年アンダーソンが有力視されてきたが、大陪審で別の筋書きが持ち込まれた。KTNVが入手したクラーク郡大陪審の証言録によれば、デンヴォンタ・リーは「アンダーソンは狙える角度になく、代わりにスミスが銃を取って撃った」と述べている。キーフ・Dが甥を銃撃犯としてきた供述とは、正面から食い違う。
スミスはこの事件で起訴されないまま、2004年に病死した。つまりこの話は、本人の口からは一度も出ていない。リーという別の人物を経由してしか法廷に届かない伝聞だ。
テリー(テレンス)・”Bubble Up”・ブラウン──キャデラックを運転していたとされる男
検察が白いキャデラックに乗っていたと主張する四人のうち、最も一般に知られていないのがテリー・ブラウンだ。名前の表記自体が資料によって揺れる人物でもある。APによれば、ロサンゼルス郡検視局の記録上の氏名はTerry Tyrone Brown。一方、捜査記録ではTerrence/Terranceの表記が混在してきた。彼はハンドルを握り、キーフ・Dが助手席、アンダーソンとスミスが後部座席に座る配置だったとされている。
キーフ・Dの回顧録にはこうある。ラスベガス・ブールバードを走行中、トゥパックがナイトのBMWから身を乗り出すのが見えた。デイビスはブラウンに、車を回してトゥパックの車列に並べと指示した。検察はこの記述を、「あの遭遇は偶然ではなかった」と主張する根拠の一つに使っている。
ブラウンは一度も起訴されていない。2015年9月23日、コンプトンの医療用マリファナ販売店で射殺された。53歳。同じ店でもう1人が死亡しており、この二重殺人はいまも未解決だ。
彼の死によって、キャデラックに乗っていたとされる4人のうち、生きているのはキーフ・Dひとりになった。
第2部──隣と後続の車から銃撃を見た4人
撃たれたBMWと、そのすぐ後ろを走っていた随行車。銃撃を最も近くで見た4人のうち、2人は数か月から17年のうちに死に、1人は証言を拒み、法廷に届く見込みがあるのは1人だけだ。
シュグ・ナイト──トゥパックの隣にいた目撃者
発砲の瞬間、トゥパックの隣に座っていたのはシュグ・ナイトだけだった。彼は黒いBMWを運転しており、キャデラックが横に並んだときに銃撃を受けた。トゥパックは4発の弾を浴び、ナイトは頭部を負傷しながらも、警察と救急隊が到着する前に数ブロック走行することができた。
元デス・ロウのボスである彼は、最も重要な生存目撃者の一人だ。MGMグランドでの乱闘にも同席しており、銃撃前後の数時間を直接知っている。ただし、キャデラックから誰が撃ったかを見分けられたかは別の話だ。
そのナイトは、証言することを公に拒んでいる。彼はカリフォルニア州で、2015年に起きた本件とは無関係の死亡ひき逃げ事件(voluntary manslaughter)により28年の刑に服している。検察の証人リストに名前は載っている(USA TODAY)が、リストに載ることと法廷に立つことは別だ。
E.D.I.・ミーン──後方車両からの眺め
マルコム・グリーニッジ──アウトローズのE.D.I.・ミーンは、トゥパックの幼馴染で、その夜はトゥパックとナイトのすぐ後ろの車にいた。キーフ・Dを起訴した大陪審で証言した一人であり(AP)、後方の随行車から銃撃を見た者のうち、法廷に立てる見込みがあるのはいま彼だけだ。
ちなみに当夜の警察聴取で「射手を特定できるか」と問われた彼の答えは、アレクサンダー同様「Nope」だった(キャシー・スコット『The Killing of Tupac Shakur』。聴取の転記は11ページ分)。顔は見ていない。それでも位置の証言は効く。「発砲はキャデラックの後部座席側から行われた」という検察の構図を、リーの伝聞とは別系統の直接目撃として、車外から支えうるからだ。アンダーソンかスミスかは、彼の証言でも決まらない。
グリーニッジは本裁判の証人リストにも名前が載っており、出廷が見込まれると報じられている(FOX5 Vegas)。
ヤキ・カダフィ──身元確認が完了しなかった目撃者
ヤフェウ・フラ(ヤキ・カダフィ)は、キャデラックの乗員を特定できたかもしれない唯一の人物だった。アウトローズのラッパーである彼も、銃撃の瞬間はトゥパックの後方車両にいた。
事件直後、彼は自分から警察に申し出たと伝えられている。写真を見れば乗員が分かるかもしれない、と。当時の報道では、随行団の中でそう申し出たのは彼だけだったとされる。
だが正式な面通しは行われないまま終わった。事件直後の聴取が短時間だったことは、彼の死亡を伝えた1996年11月13日のLas Vegas Sunの記事が「刑事たちは銃撃後、彼を短時間聴取した」と報じている。ただし「警察が彼の話を聞こうとしなかった」というのは、随行団側とその後の検証報道による主張だ。警察側の説明は違う。同記事で捜査担当のケビン・マニング巡査部長は、銃撃以来フラの弁護士と連絡を取り、2度目の聴取のためにラスベガスへ呼び戻そうとしていたと述べている。どちらの言い分が正しいかを判定する材料は、公開されていない。
カダフィは1996年11月10日、ニュージャージー州オレンジの集合住宅の階段で射殺された。19歳。トゥパックの死からわずか2か月後だ。彼の目に何が映っていたかは、ついに記録されなかった。
フランク・アレクサンダー──トゥパックのボディガード
トゥパックとナイトのすぐ後ろを運転していたフランク・アレクサンダーは、発砲の瞬間、射手を一瞬だけ捉えられる距離にいた。事件当夜、彼はベッカー刑事の車内で30〜45分の録音聴取を受けている(キャシー・スコット『The Killing of Tupac Shakur』によれば、転記で13ページ分)。ただし「犯人を特定できるか」という問いへの当夜の答えは、「絶対に無理だ(Absolutely not)」だった——と、捜査を率いたマニング巡査部長は後にジャーナリストのキャシー・スコットに語っている。
それでもアレクサンダーは、ラスベガス警察の初動を最も強く批判した人物の一人になった。事件から半年近く経った1997年2月末、彼はLA Timesの取材(Las Vegas Sun掲載)で、「ラスベガス市警は、射手の写真を見せようとすらしなかった」と語り、その後の追加確認の連絡がなかったと訴えた。警察側は「彼らは当夜、特定できると一度も言っていない」と反発し、双方の言い分は正面から食い違った。
この応酬には続きがある。捜査記録を追ったキャシー・スコットの『The Killing of Tupac Shakur』によれば、LA Times報道を受けてベッカー、フランクスの両刑事はカリフォルニアまで出向き、オレンジ郡のレストランでアレクサンダーを再聴取した。彼はそこで記事を「誇張だ」と言い、容疑者の写真面割り(フォト・ラインナップ)を見た——だが、犯人を選び出すことはできなかった。つまり「警察が動かなかった」は物語の半分で、残りの半分は「動いた末に、特定に至らなかった」である。30年後の法廷が目撃証言に頼れない理由は、この1997年の時点ですでに固まっていた。
アレクサンダーも、この法廷にはいない。2013年4月28日、カリフォルニア州マリエータ(Murrieta、リバーサイド郡)の自宅で死亡しているのが見つかった。54歳。当時の報道は頭部の銃創と自殺の可能性を伝えている。現場で犯人の顔を見た可能性のあった2人の結末は対照的だ。カダフィは写真を見る機会が来る前に殺され、アレクサンダーは写真を見たが選び出せないまま死んだ。どちらの目も、法廷には届かなかった。
第3部──30年後の法廷へ、別の筋書きを持ち込む3人
最後の3人は、どちらの車列にもいなかった。それでも伝聞と名指しと撤回によって、この裁判の行方を左右する位置にいる。
デンヴォンタ・「ダートロック」・リー──射手の物語を変えた男
射手についての第二の筋書きは、デンヴォンタ・リーを通じて入ってきた。彼はどちらの車にも乗っていない。それでもその大陪審証言は、「アンダーソンが撃った」という30年の通説を正面から崩しにいくものだった。
証言の中身はスミスの章で見た通りだ——アンダーソンは狙える角度になく、スミスが撃った。この一言は検察の保険になる。キーフ・Dの「甥が引き金を引いた」という供述が崩れても、事件の説明が残るからだ。
ただしスミスは2004年に病死しており、裏を取る相手はもういない。リーは検察側が証人として呼ぶ見込みと報じられている(FOX5 Vegas/AP)。彼が法廷に立てば、陪審員が評価するのは事件そのものではなく、リーという人物をどこまで信じるか、になる。
レジー・ライト・ジュニア──弁護側が向ける矛先
弁護側は、かつてデス・ロウ・レコードの警備を仕切っていた男に矛先を向けようとしている。レジー・ライト・ジュニアは元コンプトン警察官で、後に同レーベルの警備部門長を務めた人物だ。
彼はキーフ・Dを起訴した大陪審で証言している。タイソン戦の後にトゥパックとナイトが向かう予定だったクラブの警備を担当していたため、銃撃の夜の大半はそこにいた、というのが本人の説明だ。
そのライトを、キーフ・Dはいま名指ししている。公判直前の8 News Nowの獄中インタビューで、誰に責任があると思うかを問われたデイビスは、検察側の証人であるライトの名を挙げ、彼は嘘と作り話を重ねてきたのだと主張した。
ただし、これはあくまでデイビスの主張である。ライトはこの事件で起訴されたことがなく、告発を一貫して否定してきた。彼の関与を裏づける証拠が公開の場に出たとの報道も、現時点では確認できていない。
ライト側の反論は単純だ。銃撃について何十年も語ってきたのはデイビス本人であり、その本人が起訴されてから急に別の名前を出し始めた——という筋である。
つまりライトが証言台に立つとき、そこでは奇妙な逆転が起きる。検察側の証人でありながら、反対尋問で弁護側が掘るのは事件ではなく、彼自身の30年になる。11人の中で、法廷での立場がこれほど二重になる人物は他にいない。
ショーン・”ディディ”・コムズ──100万ドルという「主張」
ディディがこの事件の語りに巻き込まれたのは、銃撃から10年以上あとだ。きっかけはキーフ・D自身の供述だった。
キーフ・Dの章で見た2008年の警察インタビュー——検察の柱の一つ——で、デイビスはこう語っている。バッドボーイとデス・ロウの対立が激化するなか、コムズがトゥパックとシュグ・ナイトを殺すために100万ドルを提示した、と。警察報告書によれば、その申し出は複数回あったとされる。
なお、コムズ自身はいま、本件とは無関係の連邦事件で有罪となり収監中の身だ。7月のトランプ大統領の恩赦リストにその名がなかったことは本誌も伝えた。証人リストに名前はない。APによれば、弁護士らは彼が証人に立たないことを確認している——収監がその理由かどうかは、語られていない。
コムズは一貫して否定してきた。元LAPD捜査官グレッグ・ケイディングが『Murder Rap』でこの告発を扱ったときも、コムズ側は「純粋なフィクション」「まったくばかげている」として全面的に退けている。彼は1996年の銃撃事件で一度も起訴されていない。
そして、告発した側が降りた。公判直前に行われた8 News Nowの獄中インタビューで、コムズがトゥパック殺害に関与していたと思うかと問われたデイビスは、これをはっきり否定した。まったくそうは思わない、と。
この撤回は周辺的な話ではない。デイビス自身の過去の発言を、陪審員がどこまで信用するのかという争いを象徴している。
検察が立証の柱に据えているのは、ほかならぬデイビス自身の過去の発言である。そのデイビスが、自分の語ってきたことは家族に金を残すために盛った話だった、と主張し始めている。
ディディの100万ドルは、その主張を弁護側が実演してみせる最も分かりやすい一例になる。本人が言ったことを本人が否定できるなら、回顧録も2008年の聴取も同じ扱いを受けうるからだ。
この裁判が答えを出さない問い
検察が合理的な疑いを超えて証明しなければならないのは、誰が撃ったかではない。デイビスが報復を意図的に主導し、殺害を助長したこと——報道によれば、検察はその立証に照準を合わせている。射手の特定は、この裁判の必須要件ではない。
だから、日本語圏で30年繰り返されてきた問い——本誌の観測では、その中心にあり続けた問いの多くは、ここでは決着しない。ベイビーレーンが撃ったのか。ディディが金を出したのか。デス・ロウの内部に手引きした人間がいたのか。
11人を並べて分かるのは、それらを裁ける人間がもうほとんど生きていない、という事実だ。判決が出ても、事件の全体像は法廷の外に残る。
それでも、この4〜5週間には意味がある。噂として流通してきた話が、初めて証拠として扱われる。採用されるか排除されるかが、公開の場で決まる。回顧録も、2008年の聴取も、ディディの100万ドルも、その手続きを通される。2Pacの死をめぐる語りが、伝説から記録へ書き換えられる作業だ。
11人のうち5人は、その作業に間に合わなかった。
主要参照リンク
- Keffe D says he didn’t kill Tupac or Biggie, but knows who did(8 News Now、獄中インタビュー)
- Trial begins for man accused of orchestrating Tupac Shakur’s killing(AP/PBS News、2026年8月)
- Tupac Shakur was killed in Las Vegas in 1996. Here’s who was there that night(AP/Washington Times、2026年8月5日)
- Grand jury transcript points to different gunman in Tupac murder case(KTNV、大陪審証言録)
- Men Found Dead in Compton Medical Marijuana Shop ID’d(KTLA、2015年)
- Frank Alexander, Tupac Shakur’s Former Bodyguard, Found Dead(HuffPost、2013年)
- Tupac murder trial witnesses include Suge Knight, Diddy bodyguard(USA TODAY、2026年8月10日・8月4日付補充証人リスト)
- Las Vegas jury selection begins in the murder trial of rap icon Tupac Shakur(FOX5 Vegas/AP、2026年8月10日)
- Report: Two men say they saw rapper’s assailants(Las Vegas Sun、1997年2月28日・LA Times取材)
- Shakur shooting witness found dead in N.J.(Las Vegas Sun、1996年11月13日)
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- 2Pac殺害事件裁判、8月10日に開廷へ:キーフ・Dの「自白」と回顧録が証拠採用
HIPHOPCsの2Pac報道アーカイブ──この事件を、私たちはずっと追ってきた
2Pac殺害事件と裁判を、本誌は2024年から継続的に記録してきた。この名鑑と合わせて読むための全記録を、4つの束で置いておく。
裁判の記録(起訴から開廷まで)
- 2Pac殺害裁判、開廷から4日目──法廷がまだ「事件」を語っていない理由(2026年8月)
- キーフ・Dの「自白」と回顧録が証拠採用(2026年7月)
- 遺族がキーフ・Dらを民事提訴──30年越しの責任追及(2026年5月)
- 弁護士辞任で裁判延期の危機(2026年3月)
- 裁判が6か月延期──没後30年での決着へ(2025年12月)
- キーフ・D、初のインタビューで無罪主張「俺はやっていない」(2025年3月)
- 告訴棄却の申し立て、却下される(2025年1月)
証言と主張──誰が何を語ってきたか
- キーフ・D「ディディが100万ドルで殺害を依頼」と主張(2025年9月)
- 獄中のシュグ・ナイト、1996年の死をめぐる新主張(2025年7月)
- ディディの2Pac殺害指示疑惑をめぐる証言(2025年3月)
- シュグ・ナイト「スヌープが保釈を望んでいる」発言(2025年2月)
- シュグの息子、ディディの関与に言及(2025年3月)