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【HIPHOPCs独占インタビュー】日本と台湾、そしてアジアのシーンを繋ぐキーパーソン、Finesse’Boyの現在とこれから

ますます盛り上がりを見せているヒップホップシーン。特に本場であるアメリカのヒップホップ業界の成長は止まる事を知らず、新たなラッパーが毎日のように誕生し、入れ替わりの激しい実力主義の世界で熾烈な競争を繰り広げているのだ。 しかし、ヒップホップという文化が発展を遂げているのは、危険なイメージと結び付けられがちなアメリカだけではない。 近年、アジアのヒップホップは確実に存在感を高めている。日本ではオーディション番組『Rapstar』にATL JacobやZaytovenといった海外のビッグネームがビートを提供するなど、シーンはすでに国境を越えた動きを見せている。そして、この流れは今に生まれたものではない。 2015年に公開されたKeith Ape、JayAllDay、Loota、Okasian、Kohh(千葉雄喜)による日本と韓国のラッパーのクロスオーバー楽曲「It G Ma」は、現在までに約9000万再生を記録。 https://youtu.be/DPC9erC5WqU?si=xpyFbX0vAD-U5TLF この大ヒットをきっかけに、A$AP FergやWaka Flocka Flameが参加したリミックス版が公開されるなど、アジア発の楽曲が世界的バイラルヒットを記録し、USリスナーの注目を集めることに成功した。 https://youtu.be/aISZPYznhgA?si=WKTiXi2twfu3pHQW その後、コロナ禍に88risingから公開されたRich Brianによる「Tokyo Drift Freestyle」がバイラルとなったことで、アジアのヒップホップは一過性のブームではなく、カルチャーとして認識されるようになる。 https://youtu.be/VnSWx5_3W7M?si=UBbfuH6omqHOfYAj そして現在、その潮流を巧みに乗りこなした千葉雄喜がMegan Thee Stallionのアルバム『MEGAN』収録楽曲「Mamushi」に参加。グラミー賞でノミネートを果たすなど、アジアのヒップホップ業界における影響力は、もはや無視できないものとなってきている。 https://youtu.be/pxTCJUuorKc?si=VuU659dn175CLjMq 明確な文化としての輪郭を獲得し始めたアジアヒップホップシーン。この大きな流れの中で、自国の文化により力を与えようと奮闘する1人のラッパーがいる。 彼の名はFinesse’Boy。親日国としても知られる台湾出身の彼は、日本や韓国のラッパーと積極的に交流を重ねる、クロスボーダー世代の代表格だ。 日本にも頻繁に足を運び、JP THE WAVY、Showy、PETZ、DJ JAMなど、数多くの日本アーティストとコラボレーションを果たしてきた。そのため、すでに彼の存在を知っている読者も少なくないだろう。 また、彼のInstagramには千葉雄貴の姿が度々登場するなど、日本のヒップホップシーンとの強いコネクションも見て取れる。 今回は、言語の壁もあり日本ではなかなか触れられる機会の少ない台湾のヒップホップシーンにおいて、ひときわ異彩を放つFinesse’Boyにインタビューすることに成功。イベントでのパフォーマンス直後という多忙なタイミングの中、貴重な話を聞かせてもらった。 音楽との出会い、改心を経ての現在 Lucie:JP THE WAVY、Showy、PETZ、DJ JAMといった日本のアーティストとの楽曲をきっかけに、あなたの存在を知った日本のリスナーも多いと思います。Finnese’ Boyさんを初めて知る人に向けて、どんなラッパーなのか、簡単に自己紹介をお願い致します! Finesse’Boy:俺はとにかく、夢を見続けているラッパーだ。ただ好きなことをやって、音楽を作り続けている。日々変わっていく感情を映し出すように、日記をつける感覚で作品を生み出しているんだ。 Lucie:では、最初にヒップホップに出会ったきっかけは何だったのでしょうか。音楽やカルチャーのどんな部分に惹かれて、本気で向き合おうと思ったのかも聞かせてください。 Finesse’Boy:俺がヒップホップに出会ったのは10歳の頃。偶然見つけたEminemとかを聴き始めて、そのままのめり込んでいった。若い時にはいろいろ悪いこともしてたから、気づけば周りにいたのはヒップホップシーンに関わる人間ばかりだった。その後、仕事も昔の生活も全部捨てて、ちゃんとした人間になろうと努力し始めた。それからは音楽一本で、真剣に向き合うようになった。 特にここ2年は、自身がようやく“本物“になり始めた感覚があるよ。3年か4年くらいはまとまった作品を出していなかったんだけど、今年はいよいよ新しいミックステープをリリースするつもりさ。 Lucie:なるほど!本腰を入れて再び動き出すわけですね。 それでは、過去の代表曲についても触れさせて頂きたいのですが、中国発のクルーHigher Brothersとの「BENZ Remix」は、Finesse’Boyさんの名前を世間に知らしめた1曲だと思います。このコラボはどんな流れで実現したのでしょうか。また、あの楽曲があなた自身に与えた影響も教えてください。 Finesse’Boy:元々、彼らのことは音楽を始める前から知っていたよ。その曲を作っていた時はウィードを吸っていて、正直かなりイカれてた気がする。当時は人をリスペクトするっていう精神性が自分には無かったし、エゴを剥き出しにして書いていたんだ。 でも、結果的に「BENZ Remix」は俺にとって全ての始まりになった曲だし、自分を大きく変えるきっかけになったよ。 「ヒップホップは“ライフスタイル“であって“宿題”ではない」 Lucie:続いて、台湾という国、そしてそこに根付くヒップホップシーンについて詳しく教えて頂ければと思います! 日本と台湾は文化的にも近く、親日的な国として知られていますよね。日本には台湾に親しみを感じている人も多いですが、Finesse’Boyさんから見た今の台湾はどんな場所でしょうか? Finesse’Boy:台湾の人々はいろんな文化や人に対してとてもオープンなんだ。どこから来た人に対しても親切にするし、情熱に溢れている国だね。俺にとって台湾は生まれた場所で、ルーツそのもの。どこにいても誇りを持ってシャウトアウトしているし、今の自分を作り上げたかけがえのない故郷だと思っているよ。 Lucie:現在の台湾のヒップホップシーンをどのように捉えていますでしょうか?数年前と比べて変わった部分、逆に今も変わらない部分があれば教えてください。 Finesse’Boy:今は台湾でもヒップホップという文化がどんどん大きくなって、ヒップホップを始める若い子達もどんどん増え始めているよ。それは良いことだ。良いことなんだけど…。もっと彼らは旅をして、世界を見て、ヒップホップを知るべきなんだ。 俺にとってヒップホップは“ライフスタイル“であって“宿題”じゃない。というのも、シーンが成長していくにつれて、この文化に宿題をこなすみたいに取り組んでいる人が増えてきていると感じるってことなんだ。何度も言うけど、これはライフスタイル。技術の有無は問題じゃないんだ。 ヒップホップの捉え方は人それぞれ違っていいものだとは思うし、誰でもそれぞれのヒップホップがある。ただ、俺が惹かれるのはリアルでオリジナルなもの。ハッスルしてトラップして、生きるために必死に働いて、音楽を作り続ける。そういう物語こそに意味があると思ってる。 簡単に手に取って、簡単に手放せるほど軽い文化じゃないってことさ。 Lucie:言葉の重みがヤバいです。本物のリスペクトを感じる答えを聞けて、こちらまで嬉しい気持ちになってしまいました。 Finesse’Boyさんは過去のインタビューで、台湾のヒップホップシーンの課題として「国際的な視野」と「個人のセンス不足」を挙げていましたね。 先ほどの「ヒップホップを宿題のように捉えている」という発言は、知識不足とはまた別の問題が生じている、という意味にも聞こえます。そうした状況の中で、シーンが正しく成長していくためには、何が必要だと考えていますか? Finesse’Boy:最近になって、ようやくメインストリームのマーケットや業界の形態が、実はまだ何も変わっていないことにみんなが気づき始めてきていると思うんだ。ここがアジアである以上、変化には絶対時間が必要にはなるはずだ。でも、シーンに加わる仲間は確実に増えている。 だからこそ、今俺らがやらないとね。誰かがやるのを待ってなんていられない。次の世代に「夢を持ち続けろ、やり続けるんだ」っていう姿勢を見せるつもりだよ。 “偽らない姿勢“、アジアが世界に挑むために Lucie:そうですよね。僕もまだまだ時間はかかると思います。アメリカを基準に考えるとアジアのマーケットはまだまだ小さいですし…。やはり、そうした環境の中でヒップホップをキャリアとして選ぶのは、中々勇気のいる決断でしたよね。 Finesse’Boy:確かに。でも後はタイミングの問題だと思うよ。だから才能云々の話ではなく、続けることが大事になってくる。アジアにはまだ強いヒップホップ文化が根付いていないから、時間が必要になる。けど、そのうちみんなも理解し始めるはずだと思っているよ。 Lucie:なるほど、後はタイミングだと。実際、アジア全体のヒップホップシーンは確実に盛り上がっていますからね。 ただ、アメリカを含めたグローバルな舞台に本格的に入り込むのは、まだ簡単ではありません。アジアのアーティストが“世界を取る”ために、最も重要だと思うことは何でしょうか? Finesse’Boy:みんなが自分を偽らず、自分自身でいること。それに尽きると思う。 今のシーンにいる人達は才能に溢れているけど、やっぱりアメリカの焼き増しに聞こえてしまうことが多い。俺たちは俺たちのやり方で、俺たちのスタイルで、俺たちの色を出さなきゃいけない。これが大きな課題になってくる。 台湾にも良い音楽を作る若い子たちはいっぱいいるけど、全部同じような音に聴こえて記憶に残らないんだ。だったら「同じ曲を聴けばいい」って思ってしまう。 これから大事なのは戦略どうこうじゃない。自分自身であり続けることだ。嘘をつかずに続けていれば、きっと人々は感じ取ってくれるはずだからね。 日本を愛する理由、千葉雄喜との関係性 Lucie:Finesse’Boyさんは日本を頻繁に訪れていますが、あなたにとって日本はどんな国ですか?音楽的に、そしてパーソナリティ的な面においても、日本から受けている影響があれば教えてください。 Finesse’Boy:俺は“職人”をリスペクトしてるんだ。日本の人たちは得意分野を極めていて、とにかく仕事が細かいよね。 アジアの中でも特にアメリカからの影響を受けている国ではあるんだけど、それらをオリジナルな形に作り変えて自国の文化や歴史に落とし込んでいる。日本はいろんな国の文化を受け入れることができる国だ。だから好きなんだよね。 Lucie:そして、Finesse’BoyさんのSNSでは、Kohh(現・千葉雄喜)さんが時折姿を見せていたり、過去のインタビューではKohhさんのことを「親友」と表現していました。2人はどのように出会い、今はどんな関係性なのでしょうか? Finesse’Boy:Kohhは日本でできた最初の友達なんだ。初めて会ったのは10年前で、まだ俺は音楽を始めていなかったな。ライブで一緒に日本や台湾を行き来する中で仲良くなって、それからずっと彼は俺のメンター的な存在になってくれている。感情とどう向き合っていくべきかを教えてくれたよ。 俺たちは友達以上の関係性、家族や兄弟みたいなものだ。夢を見続けて、動き続けるためのモチベーションをいつも俺にくれる。彼は実際に夢を叶えているし、やり遂げた。彼を誇りに思うよ。 Finesse'Boyが見据える先は Lucie:では、今の台湾のヒップホップシーンで「このラッパーはチェックしてほしい」という存在がいれば教えてください。 Finesse’Boy:俺。 Lucie:Dammmmnn. 間違いない!最高ですね。 そして最後に、これから先にどんな動きを考えていますか?今後のリリースやビジョンがあれば、ぜひ聞かせてください。 Finesse’Boy:今年はミックステープをリリースする予定だ。全ての準備は整っているよ。 ライフスタイルはライフスタイルとして、制作はまた別の勝負になる。ここ数年は時々シングルを出すに留めていたけど、今年は俺自身の物語を作品として共有したいんだ。だから、ミックステープという形をとった。みんなも期待してると思うし、ワクワクしてほしいからね。 Lucie:ミックステープマジで楽しみにしています!この度はお忙しいところインタビューに応じて頂き、ありがとうございました! Finesse’Boy:全然!こちらこそありがとう。 インタビューを終えて 〜アジアという大陸の可能性〜 国境を越えて縦横無尽に活動するFinesse’...

【HIPHOPCs独占インタビュー】現LAの大門弥生が4SHOOTERSへ|ICE SPICE,Sexyy Redと同列に立てた理由と今後

スターになるために生まれてきた人っているんだなぁ、というのが大門弥生さんと初めて会って話をした時の筆者の印象である。本人もこの仕事以外したことが無いと言っていたように、自分の魅せ方も、表現の仕方も、恐らく全て知り尽くしている。笑顔になる度に覗く、歯のグリルズ。口調はゆっくりでも、好きな話題になるとキラリと輝く瞳が印象的で、人を惹きつける魅力に溢れている。恐らく生粋のアーティスト、とは彼女のような人を指すのだろう。 ロサンゼルス1月土曜日の昼下がり。大門さんが指定したコリアタウンのタイ料理屋で待っていると、すらりと背の高い美しい女性が、可愛い娘さんを乗せたベビーカーを押して現れた。筆者も6歳児を連れて来たので、業界でもなかなか無い、子連れ同士のインタビューが始まった。ちなみに今回は、弊社の記事でもお馴染み、自他ともに認める大門弥生ファンのCook Oliver記者も日本からリモートでインタビューに参加してくれた。後半部分の、大門ファンならではの視点で切り込んだ彼の質問にも、大注目して欲しい。 大門弥生が大門弥生を語る! Sei:じゃあ、えっと、もうね、日本でブレイクしてヒップホップ界で知らない人はいないと思いますが、ヒップホップ若葉マークの読者さんのために簡単な自己紹介をお願いします。 大門:自己紹介。えーっと。歌を歌ってます。大門弥生です。歌とラップをしていますが、一応、シンガーソングライターです。 Sei:自分でも書いてるんですよね。 大門:はい。今は2024年からロサンゼルス在住です。 Sei:デビューは何年ですか? 大門:めちゃくちゃ遡ると、 2010年にガールズユニットでデビューしてて。rhythmicっていう今のK-POPアイドルの超初期ぐらいの時代にガールズユニットでデビューして、そっから三年ぐらいアイドルを経て、ソロに変更した感じです。 Sei:その時は歌って踊って? 大門:その時は歌って踊ってたけど、メインはダンス。で、そのもっと前は大阪のアンダーグラウンドのシーンでヒップホップダンサーをしてたんですけど。 Sei:それは何歳の時ですか? 大門:まあ、ほんと 16、17ぐらい。で、子供だったけど、大人に混じって夜のクラブでやってました(笑) Sei:夜のクラブで (笑)。なるほど。じゃあヒップホップにハマったきっかけって、元々はダンスから入ったってことですか? 大門 : そうですね。13歳の時にリアーナがデビューで日本に来日しに来て、確か大阪の難波Hatchだったかな?1000人ぐらいのベニューなんですよ。オールスタンディングで。13歳だったんで、ちょっと身長もちっちゃいじゃないですか。一番前行ったろーと思って、他のお客さんを掻き分けて一番前に行って、くらったことから入ってます。 Sei:生リアーナを。 大門:生リアーナを。一番前で。初、生黒人を体感した経験でしたね、その時。 Sei:リアーナやはり綺麗でした?可愛かったですか? 大門:もちろんですが、私はその時リアーナのダンサーがかっこよすぎて。 Sei:あー、なるほどね。 大門:一番前のステージでダンサーに触れれるかどうか。絶対やったらあかんけど。絶対やったらあかんけどって(笑)。 Sei:(笑)すごい!なるほど。そこからじゃあヒップホップというか、ダンスにはまって。 大門:はい。 Sei:シンガーソングライターっていうことなんですが、自分で書き始めたのはいつなんですか? 大門:本格的に書き始めたのはガールズグループの活動が終わってからで、でも本当にそれより前はダンスがメインだったんで、歌詞を聞くっていうよりかは、リズムを重視に音楽を聴いてきたんですよね。なので、結構書くのはもう、右も左もわからぬままって感じでした。 Sei:当時メンターみたいな人はいなかったんですか? 大門:一人出会った人がテクノを作ってる方で。その人にビートを教えてもらったりとかしたけど、歌詞は独学です。 Sei:独学なんですね。自己流で頑張ってたんですね。あの、歌の歌詞とラップのリリックスって全然違うじゃないですか。自分のバースもご自身で書いてるんですよね。 大門:はい 『ヒールで任王立ち』後のスランプ期 Sei:ラップを始めようと思ったきっかけは?歌から? 大門:うーん。もともとヒップホップ好きだったんで。なんか歌とラップとダンスの境界線は私の中であんまりなくて。いろんな曲をやってみたかった中、『ヒールで仁王立ち』って曲。 Sei:超有名ですよね。かっこよかったし、セクシーでしたよね。 大門:ありがとうございます。あの楽曲は、SHINGO★西成さんにプロデュースしてもらって、もちろん皆さんご存知だと思いますが、大阪の大先輩ラッパーで。私が書いた歌詞を、SHINGOさんがほぼほぼ添削してくださったんです。 Sei:私あの曲めっちゃ大好きで。しかもあの、関西弁ですよね。関西弁でラップっていうのがもう斬新でしたね。大ショックでした。素晴らしいとしか言いようがなかったです。 大門:ありがとうございます。私も大好きで。本当に素晴らしい歌詞だったからこそ、SHINGOさんに書いてもらったっていうのが。次何書けるねんっていうプレッシャーがでかすぎて。 Sei:ああ、そうなっちゃいますよね。 大門:で、ちょっとライターブロック(スランプ)みたいなのにかかってしまって、すごい書くのが難しい時期があったんですけど、その『ヒールで仁王立ち』の次に『NO BRA!』って曲を出して、そんときにちょうどライターズブロックにかかってて。 Sei:あらら。 大門:その時は収録も入って、もうレコーディングで収録されるから全部書かないといけない。でもどんだけ徹夜しても、全く思い浮かばない。 Sei:完全にスランプですね。 大門:はい。というのが続いて。で、もう結構ヤケになって、収録中に書き上げたのをプロデューサーのXLIIさんに見せたら「めっちゃいいじゃん」って言ってくれて。でも私はもうあのSHINGOさんの歌詞が凄すぎたことによって、自分から出てくる歌詞がもう全部最低ぐらいに思えちゃって。プレッシャーになってたんです。 Sei:そうなんですね…。大門さんにもそんな時期があったんですね。 大門:なんで、その時はそのプロデューサーの一言で救われたっていうか。救われて楽曲になって、ありがたいことに皆に愛される曲になったんですけど。それが一番結構ライターズブロックかかったかもしれない。最初の頃ですね。 Sei:最初の頃ですか。なるほど。じゃあもうそれがやっぱラッパーとして苦労した点というか、つらかった点の一つですか? 大門:そうですね。私その時本当に自分の中ではリリックス初心者だったんで、急に大先輩のアドバイスが出てきて、自分でも書けないような表現も書かせてもらって。もしかしたら日本のシーンの皆さんが私に注目してくれ出してた時期が、一番なんか書くのが辛かった時期と合致してたかもしれないです。 Sei:逆になんかこう、アーティストで良かったなって思う瞬間とかありますか? 大門:もう全部です。結構ちっちゃい頃から音楽やってたんで、むしろこの職業しかやったことがなくて。 高校卒業でデビューしたから。 なんか本当に音楽の仕事とダンスを教える仕事しかしてないんで、他の人生をあんまり想像できないんですけど。  でもやっぱライブが一番好きです。 Sei:もうアーティストになるために生まれてきたようなもんですね。 大門:(笑)ありがとうございます。そうだと嬉しいです。今はLA在住なので、やっぱ日本にいた時みたいに毎週毎週ライブがあってファンが来てくれてっていうことが一旦なくなってるから。 Sei:うんうんうん。でもそれはそれで、なんか人生の中の違う大事な時間を過ごしてるわけじゃないですか。 大門:なんか今、次のフェーズに行くための孤独みたいな。準備みたいな感じです。 https://youtu.be/WtBAsKYDApA?si=eriGO4iLkE-WVVbE 女性ラッパーとして感じること Sei:次のフェーズですか。なるほど。あの『ヒールで任王立ち』出ましたけど。あの強い女性像みたいな感じ。あれは自分で作ったキャラですか?それともリアルな大門さん? 大門:あれは正直、当時は憧れてた女性像だったんです。自分がなりたかった像。今は結構あれぐらいのモチベーションにはなってると思います(笑)。 Sei:(笑)ああ、そうですよね。なんかアメリカ住んでると強くなりますよね。 大門:なりますよね。あと、子供が出来て母になったのもあるし。 Sei:そっかそっか。あの、女性のつながりの質問なんですけど、日本もね、アメリカもそうなんですけど、HIPHOPって男性が強い業界じゃないですか。で、その中でも女性ラッパーって結構風当たりが強いじゃないですか。例えば男性ラッパーがエッチな歌を歌っても何にも言われないけど、女性ラッパーが歌うとなんか卑猥とかね。男性からも女性からも色々言われちゃうじゃないですか。なんかそういうことって日本にいて感じたことありますか? 大門:うん、昔はもうめっちゃありました。それこそダンサーは女の子が多かったけど、私、レゲエの界隈でもやらせてもらったんですよね。レゲエとHIPHOPは特にこの何年かは女の子がいっぱい増えてますし、自立してしっかりやってる子もめっちゃ多いけど、私がめっちゃ若い頃ってほぼいなかったんで。 Sei:そうですね。結構先駆者的な立ち位置でしたもんね。 大門:だから、うーん、なんか。差別まではいかないけど、不利に感じたりとかすることはすごくあって。だから多分...『ヒールで仁王立ち』みたいなちょっと強い像になりたかった、ていうのはめっちゃありました。 大門弥生が注目するアーティスト達 Sei:ありがとうございます。 リスペクトとか、好きなアーティストやラッパーいますか? 今注目してる方とかでもいいんですけど。 大門:注目してる人ですか?今 アメリカでやっぱアジア人として、ってなってきたらKHANTRAST っていう、中国人で移民で- ニューヨークでやってる方なんですけど。彼は移民としてアメリカに来たけど、いわゆる富裕層のリッチチャイニーズ、お金持ちのアジアンとして来たわけじゃなくて。ブロックリンで一から移民として成り上がってきたんだ、っていうのを歌詞にしてて。やっぱLAにみんな来るアーティストって、各国で成功した人が多いじゃないですか。だけど私は、やっぱりアメリカの音楽が好きで、こっちに基盤を移したくてやってきた。日本で自分が思った地位になってからアメリカに来たわけじゃなくて。(例えば他のアーティストみたいに)大勢のチームを連れて、派手にダーンってできるような感じで来たわけではなかったから。KHANTRASTの、移民の苦労とかストラグルというか……はめっちゃ共感するし。やっぱ今アメリカでもすごいK-POP が出てきてるけれど。 https://youtu.be/Hre1L9hFDvg?si=uHZeaq0QVQRjnEN_ Sei:そうですね、ここら辺(インタビューはコリアタウンで行われた)、LAにいっぱいいますもんね。韓国系アメリカ人ラッパーとかもね。 大門:その中で彼は結構、ほんと黒人のファンの方が多いぐらいと思います。それもめっちゃなんかアジア人として誇りというか。インスピレーションだし。女性だったらSAILORRは、やっぱ...彼女はベトナム系アメリカ人だけどアジアのカルチャーをしっかり出して。 https://youtu.be/st74boNsmEs?si=jMJ23RnzeUI658vb Sei:うん、うん、うん。 大門:彼女も多分ファンベースは黒人が多いと思うんですよ。R&Bなんで。だから、ああ、このジャンルでもアジア人が出てきたんだっていう驚きと嬉しさと。 Sei:アメリカも最近はアジア系のラッパーも多いですからね。 大門:やっぱちょっと前までって考えられなかったじゃないですか。  ちょっと先輩の世代になったら、アメリカに住んでるけど日本をベースにしないといけない、ぐらいの考えの人が多かったかもしれないけど。なんか、その枠すら今もう変わってきてる先駆者が出始めてるっていうのはかなりインスピレーションや希望にもなってますし、この時代にアメリカに住めていることが本当に光栄です。 Sei:大門さんがこっちでラップをするとしたら英語ですか?日本語ですか? 大門:今結構出してない曲たちは9割英語です。 Sei:9割英語なんだ。なるほど。楽しみです。でもなんか日本語と英語を混ぜてもなんかカッコ良さそうですよね。 大門:そうですね。混ぜても面白いですね。でもやっぱ一発で聴いてアメリカ人にも分かるようなスキルは身につけたいなと思って。 Sei:なるほど。楽しみにしてます。ここからは大門さんの大ファン、HiphopCsきってのイケメンライター、日本のCook Oliver記者と繋げますね。 原点、ジャパレゲの記憶 Cook:大門弥生さんは昔、ジャパレゲのイメージがすごく強くて。自分が中学生の時代に友達の家でジャパレゲが流れてて、シャッフルで絶対I-VANさんとコラボしていた時の楽曲が流れていたのが大門さんの初めての楽曲だったの覚えています。あの頃の大門さんにとって、音楽活動はどんな位置づけでしたか? 大門:ボンボクラー!!ありがとうございます。位置づけ。音楽活動はLife、仕事。うーん。あぁ、あの時は本当にソロでデビュー、ほんとデビュー作ぐらいなんです。そのやってもらってたI-VANさんとの楽曲が。『BAD JAPANESE』って曲なんですけど。いや、もう結構がむしゃらでした。 https://youtu.be/Xr5ZbPV_7KY?si=2OB9eXmiTzWe1aPQ Cook:がむしゃらだったんですね。次の質問です。ジャパレゲ全盛期に影響を受けたアーティスト、セレクター、サウンド、プロデューサーや(CHEHONさんとのSpicyも含めて)できれば当時の現場でのエピソードとか、大門さんのルーツなどに添えていただけるととてもありがたいです! 大門:私はめちゃくちゃジャパニーズレゲエの界隈で育ったわけではないんですけど、やっぱ大阪出身なんで、私がちっちゃい時はずっとジャパレゲが街で流れてました。一番最初の記憶は三木道三さんの『LIFETIME RESPECT』です。なんか、小学校のプールとか市民プールの時間にかかってて。めちゃくちゃ毎日流れてて、それが最初の出会いだけど、さっき言った通り、リアーナのコンサートに最初に行った時の衝撃がでかくて。その時なんかリアーナとかショーン・ポールとか、ポップのアーティストがダンスホールのインフルエンスを受けてる曲発売してるのがめっちゃ大きかったから。それは結構自分のベースかもしれない。なんかジャパレゲは自分が大人になってから完全に、その、界隈とコミュニティとして絡ませてもらえるようになって。一番尊敬してるのはMighty Crownさんです。 Cook:Mighty Crownさん。 大門:はい。みんなそうですかもしれないんですけどね。世界でバリバリやられてて。 転換点、シンガー、ラッパーの大門弥生 Cook:なるほど。 ありがとうございます。 ...

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2026年2月第2週|今週のヒップホップニュース総まとめ:般若「卒業」と¥ellow Bucks「Zepp問題」、日本のヒップホップが直面する壁

文責:Rei Kamiya via @hannyaofficial/@yellowbucks instagram 対象期間:2026年2月6日〜2月13日 今週の日本──般若が「卒業」で内的な決断を迫られ、¥ellow Bucksは「Zeppも借りれん」で制度の壁を可視化、Number_iはWME契約でジャンルと市場の境界を拡張した。海外──J. Cole『The Fall-Off』初週約30万ユニットで最終章の重みを証明、Bad Bunnyはハーフタイムショー1.28億人(Nielsen確定値)で越境の最大規模を更新。論点──壁の種類が違えば、議論も分岐する。今週はその多層性が一斉に露呈した。 イントロダクション:越境の先にあった壁 先週、日本のヒップホップは3方向に同時に国境を越えた。Number_iはWME契約で、NillNico・Red Eyeは韓国のオーディションで、Creepy Nutsは2曲目のRIAAゴールドとコーチェラ出演で。越境の方法論が問われた1週間だった。 今週、シーンは全く異なる角度から揺れた。テーマは境界線だ。 般若が卒業を宣言し、キャリアの内側にある線と向き合った。¥ellow Bucksのリリックが、大規模会場を借りられないという制度的な壁を可視化した。Number_iのWME契約の裏側では、滝沢秀明社長の1年以上に及ぶ水面下の交渉プロセスがFRIDAYによって明らかになり、企業越境の設計図が見えた──同時に、ヒップホップか否かという文化的議論は世界市場へ拡張された。 海外では、J. Cole『The Fall-Off』が初週約30万ユニットで最終作の価値を数字で証明し、Bad Bunnyのハーフタイムショーが1.28億人の目に焼きついた。 越境するためには、まず壁が見えなければならない。今週は、その輪郭が一斉に浮かび上がった。 今週の結論 今週の核心は、日本で同時多発的に顕在化したヒップホップの定義をめぐる多角的な問いにある。 般若と¥ellow Bucksはリアルと社会規範の衝突──内側の壁を、Number_iはWME契約を通じてジャンルと市場──外側の壁を浮き彫りにした。FRIDAYの報道は、その外側の壁を越えるために滝沢社長が2024年12月から1年以上かけて交渉を重ねていた事実を明らかにした。 壁の種類は一つではない。般若は個人の、¥ellow Bucksは制度の、Number_iはジャンルと市場の壁に直面している。日本のシーンが成熟し多様化する中で避けては通れない成長痛だ。 〖0〗今週の地図(最初の10秒で掴む) 主要トピック核心重要度般若「卒業」宣言約1年ぶり新曲「卒業 (feat. 柊人)」リリース。何を卒業するのか──ラスボスの真意にSNSが沸騰。★★★★★→読む¥ellow Bucks Zepp問題「Zeppも借りれん生憎」──楽曲「What The Fuck」でZeppを名指し。過去の逮捕歴と会場利用の見えない壁。★★★★★→読むNumber_i WME契約の"裏側"滝沢社長が'24年12月に渡米、1年以上の交渉。「3XL」で国内5曲目の首位も、ジャンル論争は新局面へ。★★★★★→読むJ....

2026年2月第1週|今週のヒップホップニュース総まとめ – Number_iはWME契約で、Red Eyeはマイクで超境

対象期間:2026年1月30日〜2月6日 via @_redeyeofficial_ @number_i.official instagram 文責:Rei Kamiya 2026年2月第1週。ヒップホップ史の教科書に太字で刻まれる1週間が、終わろうとしている。 日本では、Number_iが世界最大手タレントエージェンシーWME(William Morris Endeavor)との契約を発表し、グローバル展開を本格化させた。同時に「3XL」でBillboard Japan Hot 100首位を獲得し、チャートでの存在感を一段と強めている。だが、まさにそのチャート支配に対して、日本のヒップホップコミュニティからは「覚悟を決めてきていただいた方がいい」(Zeebra)、「チャート荒らし」(BabyWoodRose)という声が先週から噴出し続けている。 一方、同じ「越境」でもまったく異なるルートを選んだ者たちがいる。日本のラッパーNillNicoとRed Eyeが、韓国のラッパー発掘オーディション番組に参戦し、審査を通過した。企業契約による「上からの越境」と、実力一本で異国のステージに立つ「下からの越境」──今週、日本のヒップホップは3つの方向に同時に境界線を越えた。 海外では、日曜日のグラミーと金曜日の「伝説的リリース」が交差した。Kendrick Lamarがグラミー賞で5冠を達成し、通算受賞数は**「主要メディアの集計(受賞歴データベースを参照)」で27とされ**、ラッパー最多受賞クラスに到達した。J. Coleは10年越しの最終作『The Fall-Off』を24曲ダブルアルバムとしてリリース──朝からSNSはリリックの解読でパンク状態だ。**Ye(Kanye West)**は『Bully』をまたも延期したが、反ユダヤ主義への公式謝罪とGammaとの流通契約で「贖罪と再出発」を宣言。そしてA$AP Rockyの8年ぶりの新作『Don't Be Dumb』がBillboard 200首位を走り続けている。 今週の出来事は、単なる個別のトピックではない。「越境の方法は一つではない」「記録は誰のものか」「最終章はどう刻まれるか」「贖罪は音楽で可能か」「ジャンルの境界線は誰が引くのか」──この問いが、国内外を横断していた。 今週の結論 今週の中心は越境と清算だ。 日本のヒップホップが3つの異なるルートで同時に海を渡った──Number_iはWMEとのエージェント契約で企業インフラによるグローバル展開を宣言し、NillNicoとRed Eyeは実力一本で韓国のラップオーディションを突破し、Creepy Nutsは2曲目のRIAAゴールドとコーチェラ出演で「持続的な越境」を証明した。これは前例のない1週間だ。 同時に、北米シーンでは歴史の塗り替えと清算が並走した。Kendrick Lamarがグラミー受賞数でラッパー最多クラスに到達し、J. Coleが10年間の沈黙を破って「最終作」を世に出した。2010年代の"Big...

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Lil Poppa(25歳)急逝─ジャクソンビルが失った才能、ドラッグ、メンタルヘルス課題

via @lilpoppa instagram 2026年2月18日、ヒップホップシーンに衝撃が走りました。 ジャクソンビル出身のラッパーLil Poppa(リル・ポッパ)が、わずか25歳でこの世を去りました。本名はJanarious Mykel Wheeler。フルトン郡医療検査局は、彼が同日午前11時23分に死亡したことを確認しています。その後の検視により、死因は銃による自傷と断定され、自殺と判定されました。 報道によれば、Lil Poppaはジョージア州ヘイプヴィル近くのI-85で単独の交通事故を起こした後、マネージャーに電話をかけたそうです。近くのヒルトンホテルの駐車場で合流し、車内で会話をしていた最中に自ら命を絶ちました。遺書は見つかっていません。 この突然の訃報は、多くのファンや音楽業界の仲間たち、そして家族に深い悲しみをもたらしました。 追悼の声が続々と 業界が失った"本物" Lil Poppaの死後、数々の著名アーティストたちがSNSを通じて彼を追悼しています。 Boosie Badazz(ブーシー・バダズ)は、こう語りました。 「Thug in peace to Lil Poppa。彼は俺の小さな弟だった」「いつも俺を支えてくれて、Boosie Bashにも毎回参加してくれた」「彼は本当に才能があったし、誠実な奴だった」 そしてYungeen Ace(ヤンジーン・エース)もInstagramに感情的な投稿を寄せています。 「6:30am、俺はKallを待っている」「君がネットの噂を信じるなと言ってくれるのを期待していた」「でもまさかこんな形で信じることになるなんて。本当に信じられない」「俺たちは同じ夢を持ち、同じ問題を抱えていたんだ」「君は伝説だ。君の平安を祈る」 さらにLil Duval(リル・デュヴァル)もXでこう追悼しています。 「このニュースは本当に心が痛い。Lil Poppaのことは本当に気にかけていた」「ジャクソンビルでは子どもの頃からみんなが彼を知っていた。俺たちは全員、彼の成功を願っていたんだ」「ドリル音楽が終わった後も、彼だけが残り続けていた。それだけの実力があったからだ」「ジャクソンビルの若手ラッパーたちが本当になりたかったのは、彼だった。敵でさえ、最初は彼のファンだったんだ」 所属するCMG(Collective Music Group)も以下のような声明を出しました。 「私たちは、愛する家族であるJanarious "Lil Poppa" Wheelerの死に衝撃を受け、深い悲しみの中にいます」「彼は単なる才能あるアーティストではなかった。年齢を超えた深みを持つ、野心的な若者でした」「彼の情熱と誠実さは、あらゆる人々の心に届きました。Poppa、私たちはあなたのレガシーを名誉と敬意を持って守り続けます」 これらの言葉が示しているのは、Lil...

2026年2月第3週:ヒップホップニュース総まとめ|ケンドリック×Baby Keem新曲!ZORN×後藤真希武道館、Red Eye無料化

{ "@context": "https://schema.org", "@type": "NewsArticle", "headline": "ZORN×後藤真希 武道館共演、Baby Keem復帰、Red Eye無料化|2026年2月第3週ヒップホップまとめ", "description": "ZORN×後藤真希「地元LOVE」武道館初披露。Baby Keem『Ca$ino』配信開始。Red Eye無料化。Lil Pump沖縄ドタキャン──2026年2月第3週ヒップホップまとめ。", "datePublished": "2026-02-20", "dateModified":...

【速報】ジャクソンビル出身ラッパーLil Poppa(リル・ポッパ)が25歳で死去|CMG所属の新鋭、キャリア最盛期での突然の訃報

via @lilpoppa instagram 2026/02/19/22:20 更新 ジャクソンビル出身ラッパーLil Poppa(リル・ポッパ)が25歳で死去|CMG所属の新鋭、キャリア最盛期での突然の訃報 2026年2月18日、フロリダ州ジャクソンビル出身のラッパーLil Poppa(本名:Janarious Mykel Wheeler)が25歳で亡くなったことが明らかになった。ジョージア州フルトン郡検死局が、同日午前11時23分(米東部時間)に死亡が確認されたと発表している。死因は現在も調査中であり、本稿執筆時点では公表されていない。 家族や所属レーベルからの公式コメントも出ていない状況であるが、SNS上ではファンや同業アーティストから追悼の声が相次いでいる。 Lil Poppaとは何者だったのか 2000年3月18日にジャクソンビルで生まれたLil Poppaは、幼少期から教会で歌い始め、12歳の頃にはクローゼットの中にノートPCとマイクだけの簡易スタジオを作り、ラップの制作を開始したとされる。クローゼットである。防音室でもガレージでもない。服の間に突っ込んだマイクに向かって、少年は言葉を紡ぎ始めた。その原体験が、彼の音楽に一貫する「飾らないストーリーテリング」の土台を形成したのである。 ブレイクのきっかけとなったのは、2018年にリリースされたミックステープシリーズ『Under Investigation』であった。中でも「Purple Hearts」は、自身の周囲で起きた銃撃事件によって友人を失った経験を赤裸々に綴った楽曲であり、サバイバーズ・ギルト(生存者の罪悪感)という重いテーマを正面から描いたことで、多くのリスナーの共感を得た。この楽曲がPolo Gの目に留まり、コラボ曲「Eternal Living」の制作、そして全米ツアーへの帯同につながっている。 2021年にはスタジオアルバム『Blessed, I Guess』をリリースし、Billboard 200にチャートイン。翌2022年4月、Yo Gottiが率いるCollective Music Group(CMG)との契約を締結した。CMGにはMoneybagg YoやEST Geeといった実力派が名を連ねており、Lil Poppaのキャリアにおいて大きな転機となった契約である。 メロディックトラップの旗手としての存在感 Lil...

コラム

ハイ散歩!DJ2highさんとLA散策:Marathon Burger、Biggie〇害現場、元Death Row Recordsオフィス編

以前「ヒップホップ飯」と題するヒップホップ関連のレストランやカフェを幾つか紹介してきたが、今回はその特別編をお届けする。 本サイト歴代インタビュー記事の中でも、閲覧数が群を抜いて大人気、且つ破天荒ライフで有名なDJ2highさんに、ロサンゼルスのヒップホップスポットをご紹介頂いた。 2月の日曜日の昼下がり。待ち合わせの11時過ぎにLAはダウンタウン在住のDJ2highさんをピックアップして、まずはメルローズ・アベニューにあるMarathon Burger(マラソンバーガー)に向かった。 https://hiphopnewscs.jp/2025/05/31/hiphopcs-dj2high-15794/ Nipsey HussleのMarathon哲学とは? 食レポの前にちょっとだけ蘊蓄にお付き合いいただきたい。「The Marathon(ザ・マラソン)」とは、ニプシーが2010年にリリースしたミックステープのタイトルであり、彼の人生哲学そのものである。生前、「一時的な流行や目先の利益を追うのではなく、忍耐、規律、一貫性を持って、長期的なビジョン(コミュニティへの投資や自立)に向かって走り続けることの重要性」を説いていたニプシー。成功はスプリント(短距離走)ではなく、マラソン(長距離走)であるという考えに基づいた彼のテーマであった。だが彼自身、虚しくもマラソンを完走せず、その短い人生の幕を降ろしてしまった。 https://youtu.be/ZOewCwzukOg?si=ctyT-gPaMkzCbMRu Marathon Burgerとは? このMarathon Burgerは、かの伝説的ラッパーNipsey Hussle(ニプシー・ハッスル)のお兄さんのBlacc Sam(ブラック・サム)さんがオープンしたバーガージョイントである。ニプシーもブラック・サムさんも、昔飲食店で働いていた経験があり、いつか自分らのお店を持つことを夢見ていたらしい。 元々はアパレルブランド「The Marathon Clothing」から始まった、ニプシー兄弟のビジネス。2019年にニプシーが他界した後も、彼が生前に抱いていた「ライフスタイル・ブランドを食の世界にも広げる」というビジョンを形にし、彼の遺志を継ぐ言葉「The Marathon Continues(マラソンは続く)」というスローガンの元、スタートした。現在は、2024年にポップアップとして開始し、2025年3月に旗艦店として正式オープンしたメルローズ・アベニュー店以外に、5月にはベニスビーチにも店舗展開しており、近々ロングビーチにも新店舗が出来るとの事である。確実にビジネスは拡大している。 今回は、2highさんの家から20分弱のメルローズ・アベニュー店にお邪魔した。駐車場が無いので道路脇のコインパーキングに車を停める。活気があった昔に比べ、メルローズ・アベニューは閉店した店舗が多く、なんとなく寂れた雰囲気だ。途中、以前同じ通りにあった2highさんの元オフィスも見せてくれた。 顔が広い2highさん ショップ敷地内に入った途端、2highさんが店前に座っていた年配のおっさん警備員と話を始めた。挨拶をし、楽しそうに暫く話し込んでいた後、「あのおっちゃん、ニプシーの先輩Bubbaloc(ブバロック)さんだよ。Rollin' 60(ニプシーが属していたギャング)の上の方の有名人。とりあえず何かあった時のケツ持ちかな」と筆者に教えてくれた。 改めて、この町の2highさんの顔の広さと知識量に脱帽である。筆者は、この町のリアルを語れる案内人として彼以上の存在はいないと改めて確信した。 店内 筆者が訪れた日曜の午後は、注文まで少し並んだ。2highさん曰く、今日は観光客が多めとの事。ちなみに、店員含めこの時間帯の客層はほぼ黒人で、アジア系は筆者と2highさんの二人だけであった。 メニュー メニューはハンバーガー、バーガーにドリンクとフライドポテトがついたコンボ、ホットウィングやエビのフライなどのクラシックアイテム、サラダ、ミルクシェイク、そして簡単な朝食メニューである。 ただし、2highさんも指摘していたが、お値段はなかなかである。観光客が多い立地、Marathonというブランド名、カリフォルニアの人件費や物価高を考えるとしょうがないのかもしれないが、かなり強気なお値段である。 オーダーと試食! やはり目玉は店名の通り「Marathon Burger」だろう。と、いう事で筆者はバーガーコンボ、レモネードとストロベリーシェイクを。何度もこのお店に足を運んでいる2high氏はShrimp Basket(シュリンプバスケット)のコンボと青いレモネードをオーダーした。 さて。肝心のお味だが……美味い! まず、ブリオーシュのバンズがちょっと甘めでカリふわである。バンズの中には和牛のスマッシュパティ2枚、赤いパプリカの輪切り数枚、特製ソース、チーズ、そして大き目なピクルススライスが数枚入っていた。パプリカとバンズ、ソースの甘味、ピクルスの食感と酸味、パティの塩味とチーズのクリーミーさ。そして隠し味にハラペーニョが入っているのか、ピリッと辛味。これらが絶妙に混ざり合い、彦摩呂氏の言葉を借りると、口の中がチームワークの玉手箱~となっていた。ポテトも少しシナっていたものの、十分すぎる量である。これはお勧めの味だ。 ちなみに2highさんのシュリンプバスケットは、「コリアタウンなら5ドルで食べれる」量と味とのこと。なるほど!ハンバーガー屋ではやはり無難にハンバーガーを頼んだ方が良いのかもしれない(笑)。 ヒップホップ史において象徴的な場所として有名な、ビギ―の〇害現場 Marathon Burger後。近場の公園に場所を移し、彼にかのTLCとのかかわりについてインタビューを行い(インタビュー記事は別記事として掲載するのでお楽しみに!)、その後、車を走らせてBiggie(ビギ―)が撃たれた〇害現場へ向かった。 The Notorious B.I.G.(ビギ―)が銃撃された場所は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスのWilshire Blvd(ウィルシャー・ブールバード)とS Fairfax Ave(サウス・フェアファクス・アベニュー)の交差点である。 彼は、博物館で開催されていたパーティーを後にし、GMCサバーバンの助手席に乗っていた1997年3月9日の午前0時45分頃。写真左に映っている赤と白の縞々模様のPetersen Automotive Museum(ピーターセン自動車博物館)のすぐ外、北向きのフェアファクス・アベニューで信号待ちをしていた際に、隣に並んだ黒いインパラから銃撃を受けたのだ。 元Death Row...

2026年春、ヒップホップが渋滞している。注目アルバム7枚の発売日・全ジャケ付き考察

Via @keem(Baby Keem) / @liltjay(Lil Tjay) / @nettspend(Nettspend) / @denzelcurryph(Denzel Curry) / @jackharlow(Jack Harlow) / @mikewillmadeit(Mike WiLL Made-It) / @ye(Ye / Kanye West)instagram 皆さん、、2月後半から3月にかけて、リリースが渋滞しすぎじゃないですか。Baby Keem、Denzel...

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