via @yzerr_breath on instagram
2026年4月28日、豊洲PITで開催されたYZERR初のソロワンマンライブ「ROD III Concert」。本誌が確認した現場の会場で、YZERRはステージMCとしてForce Festival 2026の開催日と開催地を明確に告知している。日程は2026年10月24日(土)、開催地は神奈川県川崎市。本人がライブ映像内で直接発言した内容であり、現時点で確認できる一次情報として信頼度の高い発表である。BAD HOP発祥の地への凱旋公演となるこの決定は、延べ30,000人を動員した2025年初開催の横浜アリーナからの会場移行を意味する。さらに翌4月29日、FORCE...
少年時代とロックからの出発
北海道留萌市。雪に包まれた地方都市で育った少年が、のちに世界のヒップホップシーンで名を馳せることになる。彼の名は dj honda(本名:本田勝裕)。日本から海を渡り、ニューヨークで数々のラッパーやプロデューサーと肩を並べた数少ない日本人だ。
しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。今回は、この偉大なるヒップホップの巨匠へぶつけた質疑応答を交えつつ、その軌跡を振り返る。
逆境を超え、ロック少年→ターンテーブリストへ
幼いころの honda 氏はヒップホップとは無縁。夢中になったのはギターとロックバンドだった。仲間と音を鳴らしながら「いつか大舞台に立ちたい」と願っていた。しかし東京に出てから、1980年代後半に日本へ届いたアメリカ発の新しいカルチャー――ヒップホップと出会う。クラブに鳴り響くビートとスクラッチの音が、彼の人生を大きく変えた。
Sei:少年時代は、どんな子どもだったのでしょうか?
dj honda: 9歳の頃にギターを手にして、12歳には本気で弾き始めた。中学ではバンドを組んでライブにも出て、当時は完全にロック一筋。音楽がすべてだった。
Sei:幼少期、または上京した際の小話エピソードがあれば。
dj honda :11歳で耳を悪くして、左耳の手術を13回受け、鼓膜を除去したこと。17歳で東京に出た時は、金も伝手もなく、ゼロからのスタートだった。
Sei :ロック少年からヒップホップDJになった経緯は?
dj honda:音楽をやるために東京に出たけど半年くらいで行き詰まって、住み込みの仕事を見つけた。その行き先がディスコだった。ギターを続ける資金を稼ぐつもりが、そこでDJと出会ったのが転機になった。
Sei:音楽的な世代間の溝(マンブルラップやトラップ)をどう見ますか?
dj honda:音楽は音楽でしかない。マンブルだろうがトラップだろうが、オールドもニューも関係ない。結局は良いか悪いか、それだけ。
Sei:10〜20代前半へのアドバイスは?
dj honda:遊びでも仕事でも本気でやってみること。中途半端にやったことは残らない。若い時はとにかく、“やらない理由”を探さないこと。結局、経験したことが全部武器になる。
Sei:他に何か若者へメッセージ、アドバイス等があれば。
dj honda:夢は簡単に叶わない。でも諦めず追い続ければ、必ず形になる。若いうちの挑戦も失敗も、全部が力になって未来を作る。
東京でのDJ活動とNYへの挑戦
1980年代後半、17歳で東京に上京。クラブでスクラッチやターンテーブルのスキルを磨き、クラブシーンで名を馳せる。1990年代初頭にはDJバトルで注目を浴び、アンダーグラウンドで確固たる地位を築く。
「日本で認められるだけじゃ本物じゃない。ヒップホップの本場で勝負したい」
1992年、英語もままならないまま活動の場をアメリカへ。ニューヨークでゼロからの挑戦を始める。MCやプロデューサー達とセッションを繰り返す中で、独自のハードなビートメイクで頭角を現し、現地ラッパー達の心を掴んでいった。
Sei:1992年 Battle for World Supremacy のために西海岸に住んだと聞きますが?
dj honda:最初に挑戦したのは1990年。1回戦で負けて日本に戻った。本格的に住み始めたのは92年のバトル後。ロサンゼルスに渡って、そこから拠点を移した。
世界を驚かせた『h』
1995年、デビューアルバム 『h』 をリリース。Fat Joe、Redman、Common、The Beatnuts らを迎え、NYヒップホップ黄金期を凝縮。日本人プロデューサーがここまで豪華な布陣でアルバムを作ることなど誰も想像していなかった。批評家も驚き、ファンは honda のビートに熱狂。彼は本場で認められたのだ。
『hV』2曲目に収録されている『Respect...
via @yzerr_breath on instagram
2026年4月28日、豊洲PITで開催されたYZERR初のソロワンマンライブ「ROD III Concert」。本誌が確認した現場の会場で、YZERRはステージMCとしてForce Festival 2026の開催日と開催地を明確に告知している。日程は2026年10月24日(土)、開催地は神奈川県川崎市。本人がライブ映像内で直接発言した内容であり、現時点で確認できる一次情報として信頼度の高い発表である。BAD HOP発祥の地への凱旋公演となるこの決定は、延べ30,000人を動員した2025年初開催の横浜アリーナからの会場移行を意味する。さらに翌4月29日、FORCE MAGAZINE公式Instagram(@force_magazine_)が「Force Festival 2026で誰が見たい?」と読者にコメントを募集する投稿を公開、YZERR本人もストーリーで再投稿した。
4月19日のYZERR連続発信から始まった一連の流れは、4月28日のステージ上での開催発表、4月29日の公式読者参加型ブッキング投稿で、Force Festival 2026公式始動の3軸を完成させた。Force Festivalというトピックを2025年9月の企画構造分析から半年以上にわたって連続追跡してきたHIPHOPCsの視点で、4月28日〜29日の動きが立ち上がっている地盤を整理する。
4月28日、豊洲PITのステージから「10月24日、川崎」が宣告された
「Forceのフェス、10月に開催するんで。10月24日かな。川崎でやるよ今回は。」
──YZERR、ROD III Concert(2026年4月28日/豊洲PIT・ステージMCより/本誌が現場から文字起こし
4月28日のROD III Concertは、ABEMAで生配信された。YZERRはステージ上のMCとしてForce Festival 2026について上記の通り告知している。日付について「10月24日かな」というやや口語的なトーンは含むものの、ライブMCという即興性の高い場で月日と地域を具体的に発言した事実は、運営側でこの方向性が固まっていることを強く示唆している。むしろ注目すべきは「今回は」という表現である。初開催の横浜アリーナを「前回」として扱い、2年目を「川崎」と本人の口で位置づけたこの一言が、横浜での実証から地元への凱旋というシークエンスを本人の認識レベルで裏付けた。
SNS投稿でもInstagramキャプションでもなく、ライブ会場のステージから観客と配信視聴者に向けて直接発した本人発言であり、解釈の余地のない一次情報である。会場の具体的な施設名は同配信内では言及されず、本稿執筆時点でFORCE MAGAZINE公式チャンネルからの会場名発表もない。ただし「川崎」という地域指定だけで、Force Festivalの会場選定としては極めて意味のある選択である。2025年初開催は横浜アリーナ(神奈川県横浜市港北区)で行われ、約17,000人キャパシティの同会場で2日間延べ30,000人を動員した。BAD HOPは2014年から2024年まで活動した神奈川県川崎市発のヒップホップクルーであり、メンバーの大半が川崎を拠点とする出自を持つ。本誌が4月5日に速報したROD...