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2026年1月第2週|今週のヒップホップニュースを総まとめ

「物差しが壊れ、作品が戻った」──チャートの地殻変動と創作の帰還が交錯した1月第2週 HIPHOPCs Intelligence Unit|2026年1月16日更新 via @realcoleworld @asaprocky instagram 2026年1月第1週 | 今週のヒップホップニュースを総まとめ この記事でわかること YouTubeがBillboard集計から離脱(1/16施行)──チャートの"物差し"が変わる歴史的転換 J. Cole『The Fall-Off』が2月6日リリース確定──8年越しの待望作、ダブルアルバムの可能性 A$AP Rocky『Don't Be Dumb』本日リリース──8年ぶり復帰、Tim Burtonコラボ、Spotify史上最多プリセーブ Rolling Loud 2026がマイアミからオーランドへ移転──"聖地"の概念が更新された週 KING OF KINGS 2025でT-TANGGが日本一のMCに──賞金300万円、延長戦の激闘を制す RIP SLYME×Creepy Nuts対バン決定──活動休止前最後の世代横断イベント 今週の地図──5秒で掴む 領域今週のキーワード注目度Industry(業界構造)YouTubeがBillboard集計から離脱(1/16施行)★★★★★Release(リリース)J. Cole『The Fall-Off』2/6、A$AP Rocky『Don't...

【HIPHOPCs独占インタビュー】現LAの大門弥生が4SHOOTERSへ|ICE SPICE,Sexyy Redと同列に立てた理由と今後

スターになるために生まれてきた人っているんだなぁ、というのが大門弥生さんと初めて会って話をした時の筆者の印象である。本人もこの仕事以外したことが無いと言っていたように、自分の魅せ方も、表現の仕方も、恐らく全て知り尽くしている。笑顔になる度に覗く、歯のグリルズ。口調はゆっくりでも、好きな話題になるとキラリと輝く瞳が印象的で、人を惹きつける魅力に溢れている。恐らく生粋のアーティスト、とは彼女のような人を指すのだろう。 ロサンゼルス1月土曜日の昼下がり。大門さんが指定したコリアタウンのタイ料理屋で待っていると、すらりと背の高い美しい女性が、可愛い娘さんを乗せたベビーカーを押して現れた。筆者も6歳児を連れて来たので、業界でもなかなか無い、子連れ同士のインタビューが始まった。ちなみに今回は、弊社の記事でもお馴染み、自他ともに認める大門弥生ファンのCook Oliver記者も日本からリモートでインタビューに参加してくれた。後半部分の、大門ファンならではの視点で切り込んだ彼の質問にも、大注目して欲しい。 大門弥生が大門弥生を語る! Sei:じゃあ、えっと、もうね、日本でブレイクしてヒップホップ界で知らない人はいないと思いますが、ヒップホップ若葉マークの読者さんのために簡単な自己紹介をお願いします。 大門:自己紹介。えーっと。歌を歌ってます。大門弥生です。歌とラップをしていますが、一応、シンガーソングライターです。 Sei:自分でも書いてるんですよね。 大門:はい。今は2024年からロサンゼルス在住です。 Sei:デビューは何年ですか? 大門:めちゃくちゃ遡ると、 2010年にガールズユニットでデビューしてて。rhythmicっていう今のK-POPアイドルの超初期ぐらいの時代にガールズユニットでデビューして、そっから三年ぐらいアイドルを経て、ソロに変更した感じです。 Sei:その時は歌って踊って? 大門:その時は歌って踊ってたけど、メインはダンス。で、そのもっと前は大阪のアンダーグラウンドのシーンでヒップホップダンサーをしてたんですけど。 Sei:それは何歳の時ですか? 大門:まあ、ほんと 16、17ぐらい。で、子供だったけど、大人に混じって夜のクラブでやってました(笑) Sei:夜のクラブで (笑)。なるほど。じゃあヒップホップにハマったきっかけって、元々はダンスから入ったってことですか? 大門 : そうですね。13歳の時にリアーナがデビューで日本に来日しに来て、確か大阪の難波Hatchだったかな?1000人ぐらいのベニューなんですよ。オールスタンディングで。13歳だったんで、ちょっと身長もちっちゃいじゃないですか。一番前行ったろーと思って、他のお客さんを掻き分けて一番前に行って、くらったことから入ってます。 Sei:生リアーナを。 大門:生リアーナを。一番前で。初、生黒人を体感した経験でしたね、その時。 Sei:リアーナやはり綺麗でした?可愛かったですか? 大門:もちろんですが、私はその時リアーナのダンサーがかっこよすぎて。 Sei:あー、なるほどね。 大門:一番前のステージでダンサーに触れれるかどうか。絶対やったらあかんけど。絶対やったらあかんけどって(笑)。 Sei:(笑)すごい!なるほど。そこからじゃあヒップホップというか、ダンスにはまって。 大門:はい。 Sei:シンガーソングライターっていうことなんですが、自分で書き始めたのはいつなんですか? 大門:本格的に書き始めたのはガールズグループの活動が終わってからで、でも本当にそれより前はダンスがメインだったんで、歌詞を聞くっていうよりかは、リズムを重視に音楽を聴いてきたんですよね。なので、結構書くのはもう、右も左もわからぬままって感じでした。 Sei:当時メンターみたいな人はいなかったんですか? 大門:一人出会った人がテクノを作ってる方で。その人にビートを教えてもらったりとかしたけど、歌詞は独学です。 Sei:独学なんですね。自己流で頑張ってたんですね。あの、歌の歌詞とラップのリリックスって全然違うじゃないですか。自分のバースもご自身で書いてるんですよね。 大門:はい 『ヒールで任王立ち』後のスランプ期 Sei:ラップを始めようと思ったきっかけは?歌から? 大門:うーん。もともとヒップホップ好きだったんで。なんか歌とラップとダンスの境界線は私の中であんまりなくて。いろんな曲をやってみたかった中、『ヒールで仁王立ち』って曲。 Sei:超有名ですよね。かっこよかったし、セクシーでしたよね。 大門:ありがとうございます。あの楽曲は、SHINGO★西成さんにプロデュースしてもらって、もちろん皆さんご存知だと思いますが、大阪の大先輩ラッパーで。私が書いた歌詞を、SHINGOさんがほぼほぼ添削してくださったんです。 Sei:私あの曲めっちゃ大好きで。しかもあの、関西弁ですよね。関西弁でラップっていうのがもう斬新でしたね。大ショックでした。素晴らしいとしか言いようがなかったです。 大門:ありがとうございます。私も大好きで。本当に素晴らしい歌詞だったからこそ、SHINGOさんに書いてもらったっていうのが。次何書けるねんっていうプレッシャーがでかすぎて。 Sei:ああ、そうなっちゃいますよね。 大門:で、ちょっとライターブロック(スランプ)みたいなのにかかってしまって、すごい書くのが難しい時期があったんですけど、その『ヒールで仁王立ち』の次に『NO BRA!』って曲を出して、そんときにちょうどライターズブロックにかかってて。 Sei:あらら。 大門:その時は収録も入って、もうレコーディングで収録されるから全部書かないといけない。でもどんだけ徹夜しても、全く思い浮かばない。 Sei:完全にスランプですね。 大門:はい。というのが続いて。で、もう結構ヤケになって、収録中に書き上げたのをプロデューサーのXLIIさんに見せたら「めっちゃいいじゃん」って言ってくれて。でも私はもうあのSHINGOさんの歌詞が凄すぎたことによって、自分から出てくる歌詞がもう全部最低ぐらいに思えちゃって。プレッシャーになってたんです。 Sei:そうなんですね…。大門さんにもそんな時期があったんですね。 大門:なんで、その時はそのプロデューサーの一言で救われたっていうか。救われて楽曲になって、ありがたいことに皆に愛される曲になったんですけど。それが一番結構ライターズブロックかかったかもしれない。最初の頃ですね。 Sei:最初の頃ですか。なるほど。じゃあもうそれがやっぱラッパーとして苦労した点というか、つらかった点の一つですか? 大門:そうですね。私その時本当に自分の中ではリリックス初心者だったんで、急に大先輩のアドバイスが出てきて、自分でも書けないような表現も書かせてもらって。もしかしたら日本のシーンの皆さんが私に注目してくれ出してた時期が、一番なんか書くのが辛かった時期と合致してたかもしれないです。 Sei:逆になんかこう、アーティストで良かったなって思う瞬間とかありますか? 大門:もう全部です。結構ちっちゃい頃から音楽やってたんで、むしろこの職業しかやったことがなくて。 高校卒業でデビューしたから。 なんか本当に音楽の仕事とダンスを教える仕事しかしてないんで、他の人生をあんまり想像できないんですけど。  でもやっぱライブが一番好きです。 Sei:もうアーティストになるために生まれてきたようなもんですね。 大門:(笑)ありがとうございます。そうだと嬉しいです。今はLA在住なので、やっぱ日本にいた時みたいに毎週毎週ライブがあってファンが来てくれてっていうことが一旦なくなってるから。 Sei:うんうんうん。でもそれはそれで、なんか人生の中の違う大事な時間を過ごしてるわけじゃないですか。 大門:なんか今、次のフェーズに行くための孤独みたいな。準備みたいな感じです。 https://youtu.be/WtBAsKYDApA?si=eriGO4iLkE-WVVbE 女性ラッパーとして感じること Sei:次のフェーズですか。なるほど。あの『ヒールで任王立ち』出ましたけど。あの強い女性像みたいな感じ。あれは自分で作ったキャラですか?それともリアルな大門さん? 大門:あれは正直、当時は憧れてた女性像だったんです。自分がなりたかった像。今は結構あれぐらいのモチベーションにはなってると思います(笑)。 Sei:(笑)ああ、そうですよね。なんかアメリカ住んでると強くなりますよね。 大門:なりますよね。あと、子供が出来て母になったのもあるし。 Sei:そっかそっか。あの、女性のつながりの質問なんですけど、日本もね、アメリカもそうなんですけど、HIPHOPって男性が強い業界じゃないですか。で、その中でも女性ラッパーって結構風当たりが強いじゃないですか。例えば男性ラッパーがエッチな歌を歌っても何にも言われないけど、女性ラッパーが歌うとなんか卑猥とかね。男性からも女性からも色々言われちゃうじゃないですか。なんかそういうことって日本にいて感じたことありますか? 大門:うん、昔はもうめっちゃありました。それこそダンサーは女の子が多かったけど、私、レゲエの界隈でもやらせてもらったんですよね。レゲエとHIPHOPは特にこの何年かは女の子がいっぱい増えてますし、自立してしっかりやってる子もめっちゃ多いけど、私がめっちゃ若い頃ってほぼいなかったんで。 Sei:そうですね。結構先駆者的な立ち位置でしたもんね。 大門:だから、うーん、なんか。差別まではいかないけど、不利に感じたりとかすることはすごくあって。だから多分...『ヒールで仁王立ち』みたいなちょっと強い像になりたかった、ていうのはめっちゃありました。 大門弥生が注目するアーティスト達 Sei:ありがとうございます。 リスペクトとか、好きなアーティストやラッパーいますか? 今注目してる方とかでもいいんですけど。 大門:注目してる人ですか?今 アメリカでやっぱアジア人として、ってなってきたらKHANTRAST っていう、中国人で移民で- ニューヨークでやってる方なんですけど。彼は移民としてアメリカに来たけど、いわゆる富裕層のリッチチャイニーズ、お金持ちのアジアンとして来たわけじゃなくて。ブロックリンで一から移民として成り上がってきたんだ、っていうのを歌詞にしてて。やっぱLAにみんな来るアーティストって、各国で成功した人が多いじゃないですか。だけど私は、やっぱりアメリカの音楽が好きで、こっちに基盤を移したくてやってきた。日本で自分が思った地位になってからアメリカに来たわけじゃなくて。(例えば他のアーティストみたいに)大勢のチームを連れて、派手にダーンってできるような感じで来たわけではなかったから。KHANTRASTの、移民の苦労とかストラグルというか……はめっちゃ共感するし。やっぱ今アメリカでもすごいK-POP が出てきてるけれど。 https://youtu.be/Hre1L9hFDvg?si=uHZeaq0QVQRjnEN_ Sei:そうですね、ここら辺(インタビューはコリアタウンで行われた)、LAにいっぱいいますもんね。韓国系アメリカ人ラッパーとかもね。 大門:その中で彼は結構、ほんと黒人のファンの方が多いぐらいと思います。それもめっちゃなんかアジア人として誇りというか。インスピレーションだし。女性だったらSAILORRは、やっぱ...彼女はベトナム系アメリカ人だけどアジアのカルチャーをしっかり出して。 https://youtu.be/st74boNsmEs?si=jMJ23RnzeUI658vb Sei:うん、うん、うん。 大門:彼女も多分ファンベースは黒人が多いと思うんですよ。R&Bなんで。だから、ああ、このジャンルでもアジア人が出てきたんだっていう驚きと嬉しさと。 Sei:アメリカも最近はアジア系のラッパーも多いですからね。 大門:やっぱちょっと前までって考えられなかったじゃないですか。  ちょっと先輩の世代になったら、アメリカに住んでるけど日本をベースにしないといけない、ぐらいの考えの人が多かったかもしれないけど。なんか、その枠すら今もう変わってきてる先駆者が出始めてるっていうのはかなりインスピレーションや希望にもなってますし、この時代にアメリカに住めていることが本当に光栄です。 Sei:大門さんがこっちでラップをするとしたら英語ですか?日本語ですか? 大門:今結構出してない曲たちは9割英語です。 Sei:9割英語なんだ。なるほど。楽しみです。でもなんか日本語と英語を混ぜてもなんかカッコ良さそうですよね。 大門:そうですね。混ぜても面白いですね。でもやっぱ一発で聴いてアメリカ人にも分かるようなスキルは身につけたいなと思って。 Sei:なるほど。楽しみにしてます。ここからは大門さんの大ファン、HiphopCsきってのイケメンライター、日本のCook Oliver記者と繋げますね。 原点、ジャパレゲの記憶 Cook:大門弥生さんは昔、ジャパレゲのイメージがすごく強くて。自分が中学生の時代に友達の家でジャパレゲが流れてて、シャッフルで絶対I-VANさんとコラボしていた時の楽曲が流れていたのが大門さんの初めての楽曲だったの覚えています。あの頃の大門さんにとって、音楽活動はどんな位置づけでしたか? 大門:ボンボクラー!!ありがとうございます。位置づけ。音楽活動はLife、仕事。うーん。あぁ、あの時は本当にソロでデビュー、ほんとデビュー作ぐらいなんです。そのやってもらってたI-VANさんとの楽曲が。『BAD JAPANESE』って曲なんですけど。いや、もう結構がむしゃらでした。 https://youtu.be/Xr5ZbPV_7KY?si=2OB9eXmiTzWe1aPQ Cook:がむしゃらだったんですね。次の質問です。ジャパレゲ全盛期に影響を受けたアーティスト、セレクター、サウンド、プロデューサーや(CHEHONさんとのSpicyも含めて)できれば当時の現場でのエピソードとか、大門さんのルーツなどに添えていただけるととてもありがたいです! 大門:私はめちゃくちゃジャパニーズレゲエの界隈で育ったわけではないんですけど、やっぱ大阪出身なんで、私がちっちゃい時はずっとジャパレゲが街で流れてました。一番最初の記憶は三木道三さんの『LIFETIME RESPECT』です。なんか、小学校のプールとか市民プールの時間にかかってて。めちゃくちゃ毎日流れてて、それが最初の出会いだけど、さっき言った通り、リアーナのコンサートに最初に行った時の衝撃がでかくて。その時なんかリアーナとかショーン・ポールとか、ポップのアーティストがダンスホールのインフルエンスを受けてる曲発売してるのがめっちゃ大きかったから。それは結構自分のベースかもしれない。なんかジャパレゲは自分が大人になってから完全に、その、界隈とコミュニティとして絡ませてもらえるようになって。一番尊敬してるのはMighty Crownさんです。 Cook:Mighty Crownさん。 大門:はい。みんなそうですかもしれないんですけどね。世界でバリバリやられてて。 転換点、シンガー、ラッパーの大門弥生 Cook:なるほど。 ありがとうございます。 ...

普段ライターって何聴くの?オススメHipHopアルバム5選【Sei編】

今回は読者から「ライターたちが普段聴いてオススメするHipHopアルバムを教えて欲しい」とリクエストがあったので、筆者も「化石」や「浦島太郎」と言われないよう頑張って、遥かなる昔…否、我らの青春時代から最近の推しまでを紹介しようと思う。 ただ、自他共に認めるヒップホップオタクなので、ある程度好みの偏りはあるものの、好きなアーティストや歌が多すぎて選べないのだ。たった5つに絞ることなんて無理ゲーなのである。そこで思いついたのが、「一粒で2度おいしい」もどき、1枚に名アーティストと名曲が沢山詰まったおいしいトコ取りの、映画サウンドトラックの存在。著作権の関係か、最近あまり目にしなくなったものの、今回はヒップホップ系の楽曲が使用されているサントラから推しの5点を紹介しようと思う。 https://hiphopnewscs.jp/2025/12/28/普段ライターって何聴くの?オススメhiphopアルバム5/ Friday (1996) まず初めに紹介したいのが、当時横にのけ反りながら「Damn・デーム!」というジェスチャーを流行らせたIce Cube(アイスキューブ)出演の名コメディ『Friday』のサントラだ。どうやらキューブ氏は現在続編を作成中との噂だが、これはヒップホップ好きにはMUSTで聴いて欲しい逸品である。印象的なイントロ「Thank God It’s Friday(TGIF)!ブ、ブ、ブ、ブ、ブヤカッシャ~」から始まるDr. Dre(ドクター・ドレ)の『Keep Their Heads Ringin’』からアイスキューブの『Friday』、その他Cypress Hill(サイプレス・ヒル)、Scarface(スカーフェイス)、Tha Alkaholiks(ザ・アルカホリックス)らが楽曲を提供している。名サウンドトラックの1つである。 https://youtu.be/Gg5KfL-4asE?si=oYDCGCKMwQlZjjvv Space Jam: Music from and Inspired by the motion picture (1996) 90年代はサントラ黄金期で、名作が多い。もう1つ1996年からの名盤は、『Space...

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不屈の精神で挑み続ける京都発BrooklynラッパーR-Naby:紆余曲折ラッパー人生を赤裸々に語る

Brooklynのジャイアン。このラッパーを見た時の第一印象だ。米国の、ラッパー激戦区のNYで、セルフプロデュース力と不朽の精神でここまで登り詰めた日本人ラッパーは他にいないだろう。その名も、R-Naby(アール・ネイビー)。SNSでも有名な彼が西海岸にライブに来ると聞きつけたので、早速インタビューのアポを取った。 SNSではアンチらと互角に戦い、なかなか癖のある自己顕示欲が強めのメッセージを投稿しているので、この御仁に対しかなりバイアスがかかった、偏見したイメージが先行しているのは否めなかった。筆者も若干構えていたのだが、実際に会ったR-Naby氏は、豪快な見た目も、情に脆そうな雰囲気もジャイアンそのものであった。饒舌で話術に富んでいるものの、裏表無く自身の弱みや弱点も素直に晒け出せる、正直さも持ち合わせている。なんとなく面白くなりそうな予感を胸に抱きつつ、サンフランシスコでライブをしてそのままAmtrakで南下してきた彼と、彼の華奢で美しい奥様とLAのユニオン駅で待ち合わせをし、そのまま彼らの滞在先近くのスタバでインタビューを行った。 ラッパーR-Naby(アール・ネイビー)とは? Sei(以下S):今日はありがとうございます。NYで精力的に活動していらっしゃいますが、初めてという読者さんもいると思うので簡単な自己紹介をお願いします。 R-Naby(以下R):はい。1989年、京都府京都市西京区生まれ、京都育ち、18歳のころにラップを始め、Anarchy、Ryuzo、Magma MC’sに憧れ、京都でラップをスタートさせました。そこでそこからインディーズで5枚のアルバムを22歳までに出して、全国ツアーも28か所回って、京都と東京でリリースワンマン公演ライブを行って、その後2013年にアメリカに渡米して、そっから今に至ります。 S:じゃあ、東京で活躍したのは2011年とか2012年ですか? R:あ、そうですね。2012年から2013年の1年半くらいっす。 S:ヒップホップにハマったきっかけを教えてください。差し支えなければ生い立ちとかも教えて頂けますか? R:ヒップホップのきっかけは僕は13歳のころに、当時『8マイル』というEminemの映画が出て、そのDVDを買ったらその付録にCDがついていて、そこで50CentやEminem、DreやDMXとかTLCとか聴き始めて。姉が持っていたCDボックスの中にあったのが2Pac、Dreとかで、でも当時俺はあんまりヒップホップを知らなかったので、当時エミネムが大好きで彼を聴き始めたら『Stan』が流れてやばいじゃん、ってなって、そこからどんどんのめり込んでいって。 中学校1年2年で聴いたEminemと50centが強烈で、そこからDre、Snoop Dogg、Ice Cubeそれでも圧倒的に好きだったのが2Pacで、中1で13枚のアルバムをお金貯めて買って、そこからギャングスタヒップホップにハマっちゃって、当時の2pacの服装?赤い服にバンダナ巻いて、無地のロンTとSean Jeanのダボダボの履いて、1000円くらいで売ってる金のチェーンを… S:1000円!まあ子どもでしたからね(爆笑) N:そうそう。チェーンを2個ダブルチェーンにして(爆笑)サングラスも150円くらいのDAISOで売ってそうなやつをつけて、手をポケットに突っ込んで、ローソンの前でからあげクンを食べるっていう、不良ごっこをしていたのが入りです。 S:意外ですね。NYのNabyさんの入りがWest Coastだったとは。 N:恐らく当時はNYとか西海岸とか分かってないですね。50CentがNYとか根本的にNYどこ?みたいな。中一だったんで。単純に「かっこいい」ていうファッションや筋肉とかのいかつさ。そっから入って。場所とか関係なくて人物がかっこいいな、みたいな。 S:ラッパーなろうとしたきっかけは? N:元々俺16歳くらいからクラブ活動始めてて。その当時は女の子メインだったんですけど(笑)、その当時DJがクラブでめっちゃモテててたんすよ。今でもそうだと思うんですけど、DJがすごくカッコよく見えたんすよ。で、俺もやってみたいって姉ちゃんに相談したら、ターンテーブル買うお金を半分出してくれて。レコード買うのとかも協力してくれて。とりあえず16歳でクラブDJデビューしました。 S:若いのにすごいですね~。 N:で、そっからDJ シュウマとして活動するんですけど、やっぱ難しい!俺当時R&BのDJになりたくて。DJ Komoriさんみたいな感じに。でもミックスが難しくて気づいたら1曲終わったら1曲流す、みたいな。 S:普通のつなぎ…(苦笑)。 R:そうそう!それしていた時に自分が恥ずかしくなってきて。ダサいっていうの気づいて、やめようと。全然女の子にもモテねーし。当時レゲエダンサーで可愛い子がいて、その子と喋りたいと思って喋りに行ったら、その子が当時あった「プラスダンススタジオ」で教えているから、来なよってなって。その子目当てで行って、のめり込んだんですよ。その当時俺はスマートだったんで、結構身体が動いたんですよ。で、3か月後にダンスショーケースがあるから出ない?ってなって。 S:ダンサーシュウマの誕生ですか? R:ダンサーシュウマでお願いしますってなって。『SEED』って曲でDJ Lead君が経営してるクラブで初めてダンスしたんですよ。ダンスは1年間ぐらい頑張って。 S:それは…17歳くらいの時ですか? R:そうっす。でもやっぱ不良だったんすよね。ダンスしながら不良しながら、バイトしながら、結構大変だったんすよ。で、俺の1個上の先輩に地元のラッパーいたんですよ。ダンサーってモテるんですけど、俺みたいなペーペーは全然モテなくて、そういう話を先輩にしたら「ラッパーってめっちゃモテるよ」って言われて。「ホントっすかー?」ってなって1回限りでやってみろってなって。「来月イベントやるから、お前それに1回限りで出てみ?モテるから」って。 それで1回出てモテなかったら辞めようって思ったんですよ。その時名前を決めようってなって、DJシュウマ、ダンサーシュウマで来てるからシュウマはもういらんわ、ってなって。俺出身が洛西って地域なんですけど、頭文字がRだったんですよ。ぶっちゃけ名前はどうでも良かったんすよね。そのときMagmaのRyuzoさん、Anarcheyさんとかのレーベル名が『R-Rated Radio』って名前だったんでそれも文字って「R-なんちゃらにしよう」って。それでR-Navyってなったんですけど。俺、紺て色嫌いなんすよねーってなって。当時赤が好きだったんですけど、AK-69さんってアーティストがめっちゃ売れてて、京都と名古屋近かったからよくライブに来ていたんですよ。 S:うんうん。AKさんね。 R:あ、ラッパー=赤みたいに。赤が好きで赤のバンダナしたり、赤がめっちゃ好きで「紺」は好きじゃなかったから「(紺色のNavyの)V」を「B」に変えようってなって「R-Nabyにしよう」って。こんな感じにで深い意味が無く決まったんですよ。その当時、(ライブチケットの)ノルマが30人~40人だったんですけど、当時俺不良だったんで、年下にめっちゃ売らしたんですよ。あっという間に売れて、その会場がパンパンになって。すっごいその時解放感を感じたんです。 S:あー、その一回きりのはずのパフォーマンスがね。 R:めっちゃ盛り上がったんですよ。そりゃ後輩とかだから盛り上がりますよね。その後、来月・再来月このイベントやってるから出ろよって言われて「いいんすか?」って感じで。それが始まりです。そっからのめり込んだんです。18歳。 NYに渡った理由 S:18歳。なぜ、NYを選んだんですか?入りは西海岸ですよね? R:なぜNYかというと、これは大人の話になるんですけど、Visaのスポンサーがニューヨークだったから。それだけの話なんです。でもその経緯の方が大事で、なんでアメリカに行ったかっていう話なんですけど。 S:そうですね。なんでアメリカに行ったんですか?聞かせてください。 R:結局はインディーズレーベルで、京都でずーっとやって全国ツアーも出来るようになりました。で、手売りで2000枚売ったんですよ。地元で。それは、後輩に手伝ってもらったんですけど、精力的に動かして、それでお金も稼ぎたかったんです。それを何回か繰り返して、自分の主催イベントで、有名な人が来てくれるようになったんですよ。AK君とかも俺が19歳くらいから来てくれるようになったんすよ。今では大御所になったHokutoさんとか呼べるくらいになったんですよ。やっとAnarchy君主催のイベントにも若手で3年間くらい入ってたんですよ。やっと行ける!みたいなもしかしたら俺メジャー契約できるんじゃないかな?みたいに勝手に思い込んでて。大阪のラッパーとか当時の神奈川のラッパーとかメジャーレーベルからリリースしてる人が増えていったんですよ。でも、俺だけが「あれ?」みたいな感じで。京都でもワンマンしたし、東京でもワンマンしたし。結果、なーんも声かからず。すごい「俺は大物になる!」みたいなこと言ってても現実は…。 S:それは、挫折みたいな感じですか? R:そうそう。めっちゃ偉そうなこと言ってるけどその割には結果がついて来ていない、みたいな。でもやっぱ当時21歳とか何で、悔しくて。あと、その時2チャンネルでもめっちゃディスられてたんすよ。 S:2チャンネルかぁ(笑) R:2チャンネルで3万レスくらいついて。めっちゃディスられて一時はもう家から出られないくらい落ち込んじゃったんですよ。 S:え!今の鋼のメンタルはどこに? R:その当時は豆腐メンタルというか昆虫のメンタルでして(爆笑) 今でも5千レスくらいはアーカイブ残ってるんじゃないかな?その当時Twitterが流行りだして。俺、女好きだったんで、R-NabyじゃなくてH-Naby(エッチ・ネイビー)とか言われて。それがネットで広まるんすよ。あいつは色んな女に手を出してる、みたいな噂流れてそれプラス2チャンネルで書かれて。「俺、終わった~」って感じになったんです。真面目に運送屋で働こうかとかまで思ったんですよ。でも同時に、仲間らが色んな悪いものを売るからいろいろツケが溜まるんすよね。京都のヒップホップはギャングの世界だったんで、売り切れなかったら「ヘタこく」ヘタ料金が凄かったんすよ。でも生き残るにはそうするしかなかったんですよ。俺その時クレジットカード切りまくってたんですよ。借金地獄になっちゃったんすよ。ホントの話、俺姉に「自殺する」って言ったんです。 S:それは、21歳の時? R:そうっす。借金が凄すぎて、精神的にも落ちて落ちて落ちて…ってなった時に、借金はあるし、もうこれ以上音楽は出来ない!ってなったんですよ。次は親に迷惑をかけるし苦しめることになるから、俺はあんま日本にいない方がいいんじゃないかって思いだして。でも、それを世間には言えない。借金があるとか。だから調子に乗って「NYに挑戦する!」とか言っちゃったんですよ。そしたら「あいつNY行くらしいぜ」ってそれがドンドン広まっちゃって。 S:(大爆笑)引き返せなくなっちゃった。 R:しまいには、親にも言ってなかったから姉から聞いたらしくて親も「あんたNY行くんだって?」って聞かれて。VISAとかそういう話は今弁護士としてる、とか伝えて。当時、ラッパーとしての実績もあったし、コネもあったので、色々お金を払えば大丈夫だったんです。それで上手いこと渡米出来て。 でも、内心は成功できなかった、借金があった自分を隠す理由だったんですよ。 S:そうなんですね…。こんな赤裸々に話して頂いてありがとうございます。めっちゃリアルですね。 R:今だから言えるんです。全てチャラになったから。そのまま、ここですね。それがきっかけです。 S:SNS上で見るR-Nabyさんの印象と違いますね。で、NYへ。なるほど。 R:実際はNYの1年後ロス(ロサンゼルス)に来ようと思ってたんすよ。Facebookにも書いてましたし。 S:でも結局NYに13年滞在している、と。 R:だからそろそろ…って思ってます。 NYでのラッパー生活のリアル:オープンマイクに挑戦 S:ヒップホップカルチャーに溶け込んでいくにあたって、ライブハウスに毎晩飛込みしていたとかお話し聞きましたが、苦労した点とかお話を聞かせて頂けますか? R:俺の場合はNYに先輩がいなかったんですよ。例えばDJだったら当時先輩がNYにいっぱいいて、DJは比較的しやすかったと思うんですけど、ラッパーの先輩っていなかったんですよ。当時居たのが、Omen44君ってラッパーだったんですけど彼が唯一知っている日本人ラッパーだったんですよ。その前がBuddha Brand世代だったんで。でもOmen君俺とは12歳くらい離れてるし、もうそろそろ彼もリタイアって感じだったんですよ。その時に出会ったんですよね。でも、俺は日本で上下関係とかいろいろ揉めてきたんで変なプライドがあって「日本人の力は絶対使わない!」って思ってたんですよ。日本人とはつるまないって感じで。 でもNY来た当時は英語もしゃべれない、お金もない。お金は30万しか持って来なかったんすよ。でも、その30万のうち家賃の敷金で10万引いたら20万しか残らなくって。俺アメリカ到着の次の日からキャバクラで働いたんですよ。NYに午後3時に着きました。スーツケース持ったそのまま5時に面接行ってるんですよ。俺NJに住んでいたのにそっからどうやってタイムズスクエア行くんだ?ってなって。行き方分からなかったからとりあえずタクシー乗って。よくタクシーはぼったくられるって言うけど、その時150ドルくらいかかって案の定ぼったくられて(笑)。で、それ引いたら17万くらいしかないんすよ(恐らく当時1ドル=100円くらいの為替相場と想像する)。 そのキャバクラのバイトは週250ドル、賄い付きで結構良くて3か月くらい頑張ったんすよ。でも、3か月後くらいから「俺、何しにNY来たんだろ?」って自問自答が始まって。俺、キャバクラボーイになるために来たんじゃないってなって。その時Facebook見ていたらなぜだかオープンマイクの動画が急に上がってきて。オープンマイクとは?ってなって。1曲サインアップして、並んでみんなの前で歌うってイベントがあるってのが分かって。とりあえず探しに行こうと思って。 S:おお、スゴイなぁ行動力が。 R:で、すぐ調べて次の日に色んなライブハウス…200件くらいは入って「I wanna Sing! Do you have open mic?」って聞いて。そのオープンマイクが出来る場所がやっと見つかって。『Freestyle Monday』ってイベントが毎週月曜日Brooklynにあると。で、それに俺毎週通うことになったんですよ。色んなラッパーが来るわけですよ。当時50人くらいと情報交換して、今日はここでオープンマイクしています、今日はここでやってるみなシェアを始めるんです。それがどんどん広がって行って、その時にパッと閃いたのが、これ毎日やったら面白いんじゃない?365日オープンマイクってヤバくない?ってなって。 S:やばいやばい。 R:でも、金がないと。ボーイの仕事って夜じゃないですか。 S:オープンマイク行けないですよね? R:ということは、仕事変えないとだめだねってなって。俺、辞めたんですよ。 S:はや! R:俺、「炙り焼き金之助」って飲食店の皿洗いの仕事が朝5時から午後3時まであって。賄い付きがあって。そっちの方が良いってなって。で、これみんな聞くんですけど、俺本当に毎日行ったんですよ。というか、毎日オープンマイクがあったのが、当時のニューヨークだったんですよ。多い時は一日4件はしごして。思えば俺はラッキーだったんですよね。だって今オープンマイクやってないっすから。あんまり。 一日1件は必ずどこかでやってて。毎日やってるとこもあったんですよ。 S:それはどれくら続けたんですか? R:えっとね、約2年…1年8ヶ月です。でも、そこから、だんだん自分に懐疑的になるんですよ。毎日オープンマイクやってるけど、俺はもっと上に行きたい。どうしたら次俺は、フライヤーに名前が載るのか?どうやったら黒人と共に一緒に並べてライブが出来るのか?ということを考え始めた時に、たまたまブッキングエージェントとオープンマイクで出会ったんですよ。 S:おー、運命! R:それが『More Booking Agency』ていうNYででかいブッキングエージェント会社なんです。そこでAggy(アギー)って奴が俺の担当者になったんすよ。俺めっちゃ嬉しくて。契約書も読まずに契約しちゃって(笑)。でも蓋開けたらフライヤープロモーション全てエージェントが用意する。その代わりノルマが全イベント15万以上。でもフライヤーには名前が載る。だからそこでアーティスト力をつけて、上に行けるだけのことを学んでください、みたいな感じが書いてあって。それがあればファンも聴く人も増えるから、と。でも俺はとりあえずフライヤーに名前がクレジットされかった。で、とりあえず2年やる、と。日本で言うノルマ地獄でしたよ。 S:それは何歳くらいの時だったんですか? R:NY来て丁度4年目くらいですね。25歳~26歳の頃ですね。でもね、だんだん呼べなくなってくるんですよ。じゃあたまにはチケットが20ドル。15枚売ると300ドルなんすよね。もう自腹ですよ。 S:ああ…そこで地獄が始まるんだ…。 R:でも、昼間のバイトはずっと極めていたんで、レストランのスキルが上がってきたんですよ。皿洗いからどんどん下剋上して。 S:え、調理とかも? R:めちゃめちゃしました。その時は俺ラーメン屋のセカンドシェフにまでなっていました。でも、その時は週800ドルくらいキャッシュでもらっていて、当時としては悪くない給料で稼いでいて。でも、ノルマ地獄で。且つレコーディングもしなきゃいけないし。 そこからノルマ地獄を2年間過ごしてたんですけど、ちょっと話を戻してボーイ時代にUniversalの関係者がNYのキャバクラに遊びに来たんですよ。その時俺は覚えていなかったんですけど、その人が俺に何になりたいの?って聞いたら「俺ここで有名になりたいんすよ」って目をガンガン光らせて言ったらしくて、その人となぜかFacebookを交換したんです。それからその人ずーっとおれの活動をFB通じて見てくれていて。俺の活動を知っていて2017年の2月3月くらいにFBから連絡が来て。で、どこかと契約していなければUniversal Gearの方で契約どうですか?って。それでそこで日本のメジャー(レーベル)と繋がったんです。 S:それが…27歳の時? R :そうっす。2017年の2月。そこから今に至るっていう。 S:そのNYのブッキングのアギーさんとは? R:まだ超仲良いです。たまーにイベント出るくらいですけど。でももうノルマとか一切ないので。 こうしていれば良かった談とA-Thugさんについて S:あのR-Nabyさんといえば、SNSでアンチと戦ったり、私の中で「我が道を突き進む鋼のメンタル」っていう印象が強いんですが、こうしておけば良かったな?みたいな経験はありますかね? R:こうしておけば良かった…は、プライドを捨ててもっと日本人とつるんでいれば良かったって思いますね。そうしたらもうちょっと違う景色があったんじゃないかなって。俺は黒人とつるむって道を選んだから、それはそれで間違いではないんすよ。でも、俺は日本人をシャットダウしちゃったんで、それは良くなかったかなって思います。今となれば。 S:今の周りのホームボーイズは皆非日本人ですか? R:そうっすね。ここ最近日本人コミュニティにも関わるようにしようとしてるんで。俺素直になれなかったんですよ。 S:でもそういう方、けっこう海外に住んでいる日本人に多くて。やっぱ日本人とつるまないで頑張る!みたいな方もいるんですけど。やはりセーフティネットというか、最後頼りになるのは日本人だったりすることもあるのでね。 あの日本人繋がりになりますが、NYには今A-Thugさんとか活躍されているじゃないですか? R:活躍はしてないです(大爆笑) S:活躍されてないんですか?フリースタイルバトルとか、オープンマイクとかも? R:彼は「自分音楽作ってるだけだから」って言ってて。ライブも1回だけかな?そのOmen君のイベントで。 S:A-Thugさんとコラボ予定とかないんですか? R:彼とは俺の『So Japan』をリミックスをさせてくれ、と頼まれたんですけど。それは無理なんですよ。 S:何でですか? R:いや、『So Japan』があるから今の自分がある、くらいの曲なんでこれがあるからNYで戦えてるし、色んな人と出会えてるし、そんな安い曲じゃないんですよ。今じゃない、っていうか。でも他の曲だったら是非コラボしたいですね。俺、彼に色々バイトも紹介しているし(笑) S:なるほどね。 R:でも彼からは、「R-Naby君は有名な日本人アーティストと一緒に何かやったら絶対バズるから!」とは言われましたね。 S:あー、わかるような気がします。ではこの記事を読んだ日本のアーティストさんから連絡が来ると良いですね(笑) R:もう30後半でもうプライドとかなんも無いですからね!ブレイキングダウンとか、ラップスターとか出てみたいですし。 https://youtu.be/2MhabTIZMEw?si=_wsngQ-fAaHklXIN 新アルバム『Self...

【HIPHOPCs独占インタビュー】KIRA-窪塚洋介が託した声、クラブからマカオ、そして『Omotenashi』制作秘話

大阪・アメリカ村のクラブカルチャーからキャリアをスタートさせ、マカオのカジノステージ、ヒップホップ、R&B、レゲエというジャンルの境界を軽やかに越えながら、"KIRA" 彼女は常に“歌で生きる”という選択を更新し続けてきた方です。 華やかな経歴の裏には、声帯結節や子宮内膜症といった身体的な試練、、そして「ありのまま」をさらけ出す覚悟があった。それでも彼女が音楽を手放さなかった理由は、音楽が、彼女自身を救ってきたから。卍LINE(窪塚洋介)との共演曲「TERRY JANE」、レゲエシーンに刻まれた名曲「FANTASY」、そしてなんと12月12日にリリースされた【KIRA & MICHVEL JVMESによる新EP『Omotenashi』】 KIRAが音楽に出会った原点から、プロとして生きる覚悟、仲間や恩師との“縁”、そして今なお進化し続ける現在地まで、そして新EP、飾らない言葉でについて語ってもらいました。 https://youtu.be/1cjjAw_jmLc?si=Y6cTUVtk2rc6Wg1u 音楽活動の原点と歩みについて Cook - よろしくお願いします!KIRAさんが音楽の道を志されたきっかけや、アーティストとしての原点についてお聞かせください。 KIRA - 物心ついた時からずっと大声で歌うのが日課で、中学から当時アメ村でDJをしていた兄の影響でブラックミュージックに興味を持つようになり、イベントに遊びに行ったりして。そのうちクラブやライブハウスで歌ったり、同世代のビートメイカー達と楽曲制作するようになりました。 初めてのレギュラーは木曜日のItoIで当時お世話になってた先輩が主催してたヒップホップのイベントで、そこで出会った仲間がバックDJとして一緒にライブしてくれたりイベント開いて歌わせてくれたり。わたしも先輩に教えてもらってSAM2でイベント主催したりもしてました。 Cook - 中学から!デビュー前にマカオのカジノで日本人初の歌手としてご活躍されたという異色のご経歴をお持ちですが、そのご経験が後の音楽活動にどんな影響を与えたのでしょうか? KIRA - マカオ行く前は学校みたいにクラブ行ったり出演してただけで、歌を職業にしたいとは思ってませんでした。けど向こうで初めて歌でご飯を食べることを経験して、その時、日本帰ったら次はカバーじゃなく自分が作った曲でご飯食べれるようになりたいと思ったのを覚えてます。 マカオでのショーは1日2時間×週6日、ステージで声が枯れて全く出なくなったり誰にも見向きもされない日もあったり。プレッシャーとホームシックでめちゃきつかったけど、それ以上に得たものが多くて。 当時マカオまで来てくれた新人発掘の仲村さんという方が、大好きなプロデューサー("TERRY JANE"や"I'm So Good"のKAZUHIKO MAEDAさん)と出会わせてくれたり、その時の流れが後のレゲエとの出会いにも繋がっていくので、経験としてもご縁としても自分がプロになっていく最大のきっかけやったと思います。 Cook - 凄い。プロとしての意識がそこで培われたんですね。 楽曲制作について https://youtu.be/kl0KxBvX354?si=tYgWfTM9a1XpCkUH https://www.instagram.com/p/BX0QUO6lrJg/?igsh=Y3Jqa2dxNjVlcW5t https://open.spotify.com/track/6VSAacedU3c01cjGdRAdel?si=utPSCYjnSEiNV6phlI-8UQ Cook - ファンの方から特にご要望の多かった、卍LINE(窪塚洋介)さんと共演された「TERRY JANE」についてお伺いしたいです。どのような経緯で制作されることになったのでしょうか。また、制作過程での印象的なエピソードや、楽曲に込められた想いを是非! KIRA - デビューしてもずっと大阪在住で活動してて、ある時420RECORDZ...

コラム

なぜ2Pacは史上最高のラッパーと呼ばれているのか?レジェンドの人生大解説!【デスロウ編】

皆さま待望の、Death Row Records編に突入する。 1994年、Suge Knightはすでに2Pacとの契約に向けて動き始めていたという。当時Death RowはDr. Dre、Snoop、Tha Dogg Poundといったアーティストが所属し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、Sugeはパックこそがレーベルをさらに上のレベルに引き上げられる存在だと確信していた。 https://hiphopnewscs.jp/2025/11/22/なぜ2pacは史上最高のラッパーと呼ばれているの/ 2Pacは『Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z…』をリリースしたばかりで音楽界だけでなく、当時トップシンガーだったJanet Jackson出演の『Poetic Justice』から『Above the Rim』まで、映画界でも注目を集め引っ張りだこで、巷では彼こそが未来のスターだと囁かれていた。Sugeはパックに契約を持ちかけたが、彼はまだ自分の人気と自由を手放す準備ができていなかった。それに加え、まだInterscope Recordsとの契約が残っており、独自の計画もあったため、自分のペースで物事を進めたかった。 パックが最終的にDeath Rowと契約したのは1995年9月、ニューヨークでの銃撃事件、服役、そして『Me Against the World』のリリースを経てからのことである。300万ドルの保釈金が払えず収監されていたパックを救ったのはSugeだった。当時パックはInterscopeと契約していた。しかし、インタースコープは彼をどう扱えばいいのか分からずにいたという。SnoopからパックをDeath Rowに誘うよう提案を受けたSugeは、インタースコープの社長であるJimmy Iovineにかけあった。「2Pacを俺にくれ。彼の契約を俺に譲渡して欲しい。俺なら奴をどうすればいいか分かっている」 彼はパックをクリントン刑務所から保釈するために保釈金を支払い、その見返りとしてパックは3枚のアルバム契約にサインした。この決断はWest Coastラップの歴史を永遠に変え、そして『All Eyez...

普段ライターって何聴くの?オススメHipHopアルバム5選【Lucie編】

さて今回は、ライターとして活動している僕、Lucieが普段どのような作品を聴いているのか、アルバム単位で紹介させて頂こうというーーいわば「自分語り回」です! 僕が本格的にヒップホップを聴き始めたのは、SoundCloudラップが全盛期であった2017年前後。「昔のTrapは良かったよねぇ」なんていう老害ムーブを発揮しつつも、新しい作品に触れたら触れたでしっかりと喰らってしまうタチです。なので、5作品に絞るのは至難の業でした。 「最高のアルバム5枚!」なんてテーマにすると一生決まらなかったと思うので、今回は年代関係なく、2025年現在でも聴く頻度が多い作品を積極的に紹介できればと。 さっそく1作品目を紹介していきますっ。 『?』by XXXTENTACION  https://spotify.link/lsYz4gbzOXb https://music.apple.com/jp/album/1359292515 Xの作品は絶対に1枚紹介しようと思っていたんですが、これほど難しい選択はありませんでしたね。『17』や『BADVIBESFOREVER』、『Revenge』に『SKINS』…。「全くどうすりゃいいってんだ…。」と悩み悩んだ挙句、 結局こここなんだ…ここに戻ってきてしまう…。 このアルバムは、高校時代ヒップホップ好きの同級生に教えてもらった初めてのX作品で、当時の思い出補正も相まって、今でも聴くたびに泣きそうになります。 攻撃性を爆発させる一方で、自身の弱さをさらけ出し、時に遊び心を見せる。Xという人間そのものを映し出した、まさに“魂の記録“のようなアルバムです。 病んでいる時、僕は無意識にこのアルバムを流します。そして同時にXのスピーチ動画を見る。そのルーティンを通して自分のメンタルを落としに落とします。どん底まで落ちてしまえば後は上がるだけ、そういうことです。 このアルバムが後世に与えた影響は計り知れません。 破壊的なディストーションやLo-Fi、クラウド感のあるビート、ラテン要素の導入など、オルタナティブにジャンルを横断するスタイルはもちろんのこと。さらに世界観や曲順にこだわることで「アルバム自体に文脈を持たせる」という発想を現代に浸透させた点も大きいと思います。 一例を挙げると(あくまで個人的な考察ですが)、LEXの『LEX DAY GAMES 4』にも『?』の影響を感じます。『LEX DAY GAMES 4』は優しいギターサウンドにLEXのスムースなボーカルが溶け合う「CHOOSE」で締め括られますが、この構成は「before I close my eyes」によって幕を閉じる『?』との強いシナジーを感じることができるでしょう。 後世に残した影響、言葉にし難い魅力を考えると、後にも先にもこのアルバムを超える作品は、そう簡単に現れないのではないでしょうか。 『終末コレクション』by lilbesh ramko https://spotify.link/GEfiplIQPXb https://music.apple.com/jp/album/shumatsucollection/1702830183 「もう知らなーい!」と、叫ばずにはいられないこの作品。ジャンル?それはもう「ramko」です。これは「ramko」というジャンルです。 ramkoに関しては、僕は泣いてしまうほど好きです。SoundCloudの楽曲も聴き漁りました。何が好きなのかと言えば、「激しさの中に溢れ出す優しさと美しさ」でしょうか。少年のような無邪気さで、普遍的で美しい情景を描き出してくれる、そんなところですね…。これは言語化できているのだろうか(汗)。 そんな彼の真骨頂が最大限に発揮されているのが、このアルバム!一言で表すならば「破壊と抱擁」。破壊的に歪んだサウンドと可愛くて優しいリリックが織りなす化学反応は、言葉では説明し難い。全身で“感じるしかない”類の快感を与えてくれるはずです。 ラストナンバー「the world ends(with)you.」は圧巻。バイブス高めで突っ走ってたのに、最後の最後で「ぎゅっ」と抱きしめてくれるんだなぁこれが…。よく楽曲の宣伝において「大切な人を想いながら聴いてみてください」みたいな決まり文句を言ったりしますが、この曲を前にして同じことが言えるのか!?いえ、言えません。 言葉にできないような嫌な感情に苛まれた時、聴いてみてください。そして叫ぶのです、「もう知らなーい!」と。 はい、次っ! 『SUMMER03』by midwxst https://spotify.link/PZWtrud9PXb https://music.apple.com/jp/album/summer03/1582249727 midwxstって未だに活躍し続けているし、時代の流れに合わせながらも“彼らしさ“を残すのが上手いなって思います。最新作の『ARC HANGEL』でも長所を存分に活かしていますので、是非是非聴いて頂きたいのですが、今回は『SUMMER03』を紹介します。 この作品を知ったのは大学1年生の頃。YouTubeチャンネル「Overcast」にて投稿されていた楽曲「Trying」のMVがきっかけでした。 横のつながりを辿っていくことで、Glaiveやericdoa、brakence、aldnなど多くのHyperpopシーンの才能を知ることができたのを覚えています。アルゴリズムに感謝。 『SUMMER03』は、僕にとって初めて“Hyperpop“というジャンルの構成要素を理解することができた作品ですね。ビートに余白があること、緩急の鮮やかさが楽曲を引き立てることを教えてくれました。まだまだ古く感じない新しさがあるし、曲数も7曲を全力で駆け抜けていくので繰り返し聴ける手軽さもある。 特に5曲目「Smile(feat. Glaive)」は本当にオススメしたい。 midwxstのキャッチーなフックと、Glaiveのハスキーな歌声で繰り出されるバース、まじで“ピザとコーラ“なんですこれが。しかも、2人ともリリックが厭世的なんですよね。「人と関わりたくないし、部屋に1人で篭っていたい」と歌っている。国は違えど、ベッドルームアーティストが抱えている感情は大差ないんだろうなと、親近感が湧きますよね。 音圧高めなビートに合わせられる「人生ってクソ」テイストのリリックは、鬱屈とした感情をぶっ飛ばすには打ってつけです。 『THE GOAT TAPE 3』by Siero https://spotify.link/2FsBL4YoRXb https://music.apple.com/jp/album/the-goat-tape-3/1766887500 ラップスタアとかもうどうでもいい、衝撃与えてくれえたアーティスト。もう既にGOATだよ貴方は…。 Sieroは声からして勝ち。そして「全員ぶっ飛ばす」というギラつき。でも、恐ろしさは感じないんです。「美学があって、きっと大切な人たちのことを心から愛せる人なんだろうな」なんて勝手に想像しています。 日本でこんなに人間臭くて応援したくなるアーティストって、僕からするとあまりいません。彼に関してはもうアーティストとしてだけではなく、人としても好きですね。 問題の『THE GOAT...

Intelligence Unit

2026年1月第1週 | 今週のヒップホップニュースを総まとめ

2026年1週目のヒップホップを週報形式で総括。法廷ニュース(Drake RICO訴訟/6ix9ine/Diddy)、リリース(A$AP Rocky/¥ellow Bucks)、フェス、チャートを「重要度指標」とともに整理

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2025年 日本語ラップ年間ランキングTop10|一次ソース+再現性ある集計で総括 | HIPHOPCs :root{--accent:#e94560;--bg:#ffffff;--card:#f5f7fa;--text:#1a1a2e;--muted:#5a5a7a;--border:#e0e0e8;--gold:#d4a800;--silver:#808080;--bronze:#b87333} *{margin:0;padding:0;box-sizing:border-box} body{font-family:'Hiragino Kaku Gothic ProN','Noto Sans JP',sans-serif;background:var(--bg);color:var(--text);line-height:1.85;font-size:16px} .wrap{max-width:900px;margin:0 auto;padding:2rem 1.25rem} header{text-align:center;margin-bottom:2.5rem;padding-bottom:2rem;border-bottom:1px solid var(--border)} .kicker{color:var(--accent);font-size:.8rem;font-weight:700;letter-spacing:.15em;text-transform:uppercase;margin-bottom:1rem} h1{font-size:1.75rem;line-height:1.35;margin-bottom:1.25rem;font-weight:800} @media(min-width:768px){h1{font-size:2.25rem}} .lead{font-size:1.05rem;color:var(--muted);margin-bottom:1.5rem;line-height:1.7} .meta{list-style:none;display:flex;flex-wrap:wrap;justify-content:center;gap:.75rem 1.5rem;color:var(--muted);font-size:.8rem} .hook{background:linear-gradient(135deg,rgba(233,69,96,.15),rgba(233,69,96,.05));border:1px solid rgba(233,69,96,.3);border-radius:12px;padding:1.5rem;margin:2rem 0;text-align:center} .hook .num{font-size:3rem;font-weight:800;color:var(--accent);line-height:1} .hook .unit{font-size:1.25rem;color:var(--muted)} .hook .desc{font-size:.94rem;margin-top:.75rem} .series-nav{background:var(--card);border-radius:8px;padding:1rem 1.25rem;margin:1.5rem 0;display:flex;flex-wrap:wrap;gap:.75rem;align-items:center;justify-content:center} .series-nav span{font-size:.8rem;color:var(--muted)} .series-nav a{font-size:.8rem;color:var(--accent);text-decoration:none;padding:.25rem...

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