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【HIPHOPCs独占インタビュー】大門弥生|LAで研ぎ澄まされた現在。「Circulation」に刻んだリアル

「この曲はアンセムにはならないよね」──周囲にそう言われた楽曲に、大門弥生は一番の自信を持っていた。LAで出産を経て母になり、3年間キープした髪をバサッと自分で切り、全編英語のメロウな新曲「Circulation」をリリース。ペルソナは「全然ない」と言い切る彼女の現在地を、Cook OliverがHIPHOPCs独占インタビューで聞いた。

【HIPHOPCs独占インタビュー前編】北海道からNYへ:巨匠dj hondaが切り開いたヒップホップ〜Mos Defとの制作秘話〜

少年時代とロックからの出発 北海道留萌市。雪に包まれた地方都市で育った少年が、のちに世界のヒップホップシーンで名を馳せることになる。彼の名は dj honda(本名:本田勝裕)。日本から海を渡り、ニューヨークで数々のラッパーやプロデューサーと肩を並べた数少ない日本人だ。 しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。今回は、この偉大なるヒップホップの巨匠へぶつけた質疑応答を交えつつ、その軌跡を振り返る。 逆境を超え、ロック少年→ターンテーブリストへ 幼いころの honda 氏はヒップホップとは無縁。夢中になったのはギターとロックバンドだった。仲間と音を鳴らしながら「いつか大舞台に立ちたい」と願っていた。しかし東京に出てから、1980年代後半に日本へ届いたアメリカ発の新しいカルチャー――ヒップホップと出会う。クラブに鳴り響くビートとスクラッチの音が、彼の人生を大きく変えた。 Sei:少年時代は、どんな子どもだったのでしょうか? dj honda: 9歳の頃にギターを手にして、12歳には本気で弾き始めた。中学ではバンドを組んでライブにも出て、当時は完全にロック一筋。音楽がすべてだった。 Sei:幼少期、または上京した際の小話エピソードがあれば。 dj honda :11歳で耳を悪くして、左耳の手術を13回受け、鼓膜を除去したこと。17歳で東京に出た時は、金も伝手もなく、ゼロからのスタートだった。 Sei :ロック少年からヒップホップDJになった経緯は? dj honda:音楽をやるために東京に出たけど半年くらいで行き詰まって、住み込みの仕事を見つけた。その行き先がディスコだった。ギターを続ける資金を稼ぐつもりが、そこでDJと出会ったのが転機になった。 Sei:音楽的な世代間の溝(マンブルラップやトラップ)をどう見ますか? dj honda:音楽は音楽でしかない。マンブルだろうがトラップだろうが、オールドもニューも関係ない。結局は良いか悪いか、それだけ。 Sei:10〜20代前半へのアドバイスは? dj honda:遊びでも仕事でも本気でやってみること。中途半端にやったことは残らない。若い時はとにかく、“やらない理由”を探さないこと。結局、経験したことが全部武器になる。 Sei:他に何か若者へメッセージ、アドバイス等があれば。 dj honda:夢は簡単に叶わない。でも諦めず追い続ければ、必ず形になる。若いうちの挑戦も失敗も、全部が力になって未来を作る。 東京でのDJ活動とNYへの挑戦 1980年代後半、17歳で東京に上京。クラブでスクラッチやターンテーブルのスキルを磨き、クラブシーンで名を馳せる。1990年代初頭にはDJバトルで注目を浴び、アンダーグラウンドで確固たる地位を築く。 「日本で認められるだけじゃ本物じゃない。ヒップホップの本場で勝負したい」 1992年、英語もままならないまま活動の場をアメリカへ。ニューヨークでゼロからの挑戦を始める。MCやプロデューサー達とセッションを繰り返す中で、独自のハードなビートメイクで頭角を現し、現地ラッパー達の心を掴んでいった。 Sei:1992年 Battle for World Supremacy のために西海岸に住んだと聞きますが? dj honda:最初に挑戦したのは1990年。1回戦で負けて日本に戻った。本格的に住み始めたのは92年のバトル後。ロサンゼルスに渡って、そこから拠点を移した。 世界を驚かせた『h』 1995年、デビューアルバム 『h』 をリリース。Fat Joe、Redman、Common、The Beatnuts らを迎え、NYヒップホップ黄金期を凝縮。日本人プロデューサーがここまで豪華な布陣でアルバムを作ることなど誰も想像していなかった。批評家も驚き、ファンは honda のビートに熱狂。彼は本場で認められたのだ。 『hV』2曲目に収録されている『Respect...

【HIPHOPCs独占インタビュー】サウスにコネクションを築いた唯一の日本人ラッパー──Cz TIGERとレジェンドBun B(UGK)“Let’s Get To It”制作秘話

アメリカ南部、いわゆる“サウス”に足を踏み入れること。普通の感覚じゃ「行きたくない」と思う空気があると思う。そんな空気に、“HIPHOPファン”としてではなく“同じ目線で”飛び込みコネクションを築いた日本人が何人いるのか。 https://youtu.be/EydIfdtHODA?feature=shared 英語が通じると思ってる人は多いが実際、サウスでは「英語」ではなく「訛り(スラング)」が支配しているし、そもそも英語が通じないところもある。 他の地域なら、すでに多くのアジア系が暮らしていて、音楽カルチャーに参加する入り口は多いのも事実だろう。 https://youtu.be/NqtVgabWVkc?feature=shared King Von がATLのクラブ外で、Quando Rondo関係者との口論から銃撃戦になり、亡くなった抗争も如実に土地柄を表していると感じる。 Bun Bは、Pimp Cと共にUGKとして全米チャート1位を獲得 彼はUGK(Underground Kingz)という伝説的デュオの一人として、1980〜90年代からテキサス州ポートアーサーを拠点に、南部(サウス)のリアルを叩きつけるラップで地位を築いた。つまり、南部ヒップホップの土台を作り、Jay-Zすらもリスペクトを表明するリアルと知性を兼ね備えた南部の王者である https://youtu.be/Cgoqrgc_0cM?feature=shared https://youtu.be/CQL-IFEk6hw?feature=shared Bun B、まさにアンダーグラウンドのキング その意味の重みは関わった人間にしかわからないからこそ、Cz TIGERがBun Bやその他のラッパーと築いたとコネクションや信頼は、日本のヒップホップ史上でも極めて特殊で異質だと言える。多くのリスナーは気づいているのだろうか そしてそんなCz TIGERさんに今回は貴重なインタビューをさせていただいた。 インタビュー・Bun B(UGK)との出会いについて Cook:Bun B(UGK)といえば真のレジェンドですよね。出会いについて是非教えて頂きたいです!どんなエネルギーを感じましたか? Cz TIGER : 今までコラボした海外アーティストの人とは制作する曲の意見交換とかVibesを会うなり、どうしても会えないならビデオ通話で制作を進めてきました。 Bun B ( UGK ) に限っては当時中学の頃から聴いていてかなりのファンだったので例外で、僕のことをデビューする前から応援してくれてた DJ 3cho から電話が来て...

Weekly Top Songs

Weekly J-RAP Songs

人気急上昇中!27AM、1stシングル『Frozen Car』をレビュー

神奈川県川崎市出身の新鋭ラッパー27AM。ABEMA『RAPSTAR 2025』で話題を呼び、2026年4月に1stシングル『Frozen Car』をリリース。

YZERRがLil Baby,Young ThugをForce 2026に示唆?『SKYAMI』にLil Babyらしき姿、Atlanta接続が動き出す

Force Festival 2026をめぐる空気が動いた。YZERRがXに「横に座ってるあのラッパー 今年のForceに誘おっか?」と投稿。

Intelligence Unit

【月間ヒップホップニュース】2026年4月──ヒップホップはどう引き継がれたのか

2026年4月のヒップホップシーンは「継承」がキーワード。Kendrick LamarやDrakeといった海外の巨頭から、YZERR、Creepy Nuts、千葉雄喜ら国内のトップランナー、そしてWu-Tang Clanのレガシーまで。生演奏、法廷、決算書、殿堂入りなど、多層的な手段で同時進行する「王座の継承」の現在地を総括する。

【週刊ヒップホップニュース】2026年4月第4週:D4vd起訴、Kanye4カ国追放、SEEDAがPOP YOURSの再生数選別に激怒した理由まで

21歳スター、死刑の可能性。4カ国が彼を国境で止めた。「お前なめてんのか?」──D4vd・Kanye・SEEDAを同時に裁いた"外側"の力。5月のDrake『ICEMAN』、Diddy量刑、Latto新作まで、HIPHOPCSが12本で完全解剖。

LATEST NEWS

2Pac殺害事件に新展開:遺族がキーフ・Dらを提訴で「30年越しの責任追及」

HiphopCsもずっと追い続けている、ヒップホップ史上最大の未解決事件のひとつが、今日再び大きく動き出したのでお知らせする。Tupac Shakur(トゥパック・シャクール)こと2Pacの遺族が、殺害容疑者であるDuane "Keefe D" Davis(デュアン・“キーフ・D”・デイビス)に対し、新たな不法死亡訴訟を提起した。 報道によると、訴訟は義兄のMopreme Shakur(モーリス・“モプリーム”・シャクール)が、2Pacの遺産管理団体を代表して、ロサンゼルス上級裁判所に提出したもの。被告にはキーフ・Dに加え、「ジョン・ドウ1〜100」とされる未特定の共謀者たちも含まれている。 モプリームは、事件を「単なる報復ではなく、より複雑な陰謀による殺害」だったと主張。「関係者の多くはすでに亡くなり、特定が困難な者もいるが、この30年間、責任を問われていない人物が存在する」とし、「この訴訟はそれを変えるためのものだ」と訴えた。 今回の訴訟では、1997年に遺族が起こした最初の不法死亡訴訟では扱われなかった「新証拠」も提示されている。そのひとつが、Netflixのドキュメンタリー『Sean Combs The Reckoning(ショーン・コムズ: 裁きの時を観る)』だ。同作ではキーフ・Dが、ショーン・コムズことDiddyが2PacおよびSuge Knight(シュグ・ナイト)の殺害に報酬を提示した可能性に言及したとされる。ただしDiddy側は一貫して関与を否定している。 事件は1996年9月7日、ラスベガスで発生。ボクサーMike Tyson(マイク・タイソン)の試合後、シュグ・ナイトが運転するBMWに同乗していた2Pacが、並走してきた車からの銃撃を受けた。当時、襲撃車両には4人の男が乗っていたとされる。 警察は、キーフ・Dが凶器の調達に関与し、現場にも同乗していたと主張。車に乗っていた他の人物はすでに死亡しており、その中には実行犯とされる甥のOrlando Anderson(オーランド・アンダーソン)も含まれる。アンダーソン自身は1998年に銃撃戦で死亡した。 また、この殺害は事件当日、アンダーソンが2Pacらに暴行されたことへの報復だったとの見方が広く知られているが、遺族側は今回の訴訟でそれ以上に組織的な背景があった可能性を強調している。 なお、キーフ・Dは2023年9月に逮捕され、現在もラスベガスで拘束中。殺人およびギャング関連の罪で起訴されているが、本人は無罪を主張している。裁判は8月10日に開始される予定だ。 追記をすると、今回パックの遺族が起こした訴訟は、いわゆる「不法死亡訴訟(wrongful death)」にあたり、アメリカの法制度上は民事裁判に分類される。原告は義兄のモープリーム・シャクールら遺族側で、目的は刑罰ではなく、損害賠償と事件に対する法的責任の認定にある。一方で、Csも追い続けているが(下記参照)、キーフ・Dに対しては州による刑事裁判も別途進行中であり、こちらは有罪・無罪を判断し刑罰を科すためのものだ。民事と刑事は並行して進むことが可能であり、立証基準も異なるため、たとえ刑事で有罪に至らなかった場合でも、民事で責任が認められる可能性がある。 日本のリスナーにとっても無関係ではない、約30年にわたり謎に包まれてきた2Pac殺害事件。今回の民事訴訟は、進行中の刑事裁判とは異なるアプローチから「真相」にどこまで迫れるのか、そしてこれまで十分に問われてこなかった関係者の責任をどこまで可視化できるのかが大きな焦点となる。時代や世代を越えて聴き継がれる2Pacの存在を考えれば、その行方に注目が集まるのは当然だろう。HiphopCsとしても、この問題の動向を引き続き追っていく。 📋 キーフ・D裁判タイムライン|HIPHOPCsが追い続けた全記録 本サイトでは、2023年9月のキーフ・D逮捕以降、日本語メディアとして唯一この裁判を継続的に追跡してきた。以下がその全記録である。 2023年9月:デュアン・”キーフ・D”・デイビスがラスベガスで逮捕。約27年越しの容疑者特定 2025年3月:告訴棄却の申し立てを提出。デイビス側は証拠不十分を主張 2025年9月:Diddyが100万ドルの懸賞金で殺害依頼したとの主張が浮上。Diddyとの関連が再燃 2025年12月:膨大な証拠を理由に裁判が2026年8月まで延期 2026年3月:弁護人ドラスコビッチ氏が辞任。弁護団の交代はこれで3人目 2026年4月:2Pacの遺族がキーフ・Dらを民事訴訟(同記事) 2026年8月10日(予定):裁判開始。ただし弁護団再編により再延期の可能性 🔍 2Pacを深く知るためのHIPHOPCs関連記事 2Pacの人生を知る なぜ2Pacは史上最高のラッパーと呼ばれているのか?【出生〜高校編】 なぜ2Pacは史上最高のラッパーと呼ばれているのか?【ベイエリア編】 なぜ2Pacは史上最高のラッパーと呼ばれているのか?【デスロウ編】 なぜ2Pacは史上最高のラッパーと呼ばれているのか?【マキャベリ編】 事件の周辺人物と証言 シュグ・ナイト、2パックの死に関する新主張:ディディと母親の関与について シュグ・ナイトが再度爆弾発言!スヌープが殺害容疑者を保釈したがっていると述べる シュグ・ナイト、スヌープ、レイ・J、2Pacとホイットニー・ヒューストンについて爆弾発言 2Pacを語る当事者たちのインタビュー(HIPHOPCs独占) DJ Couz独占インタビュー:2Pacのミックスエンジニアから聞いた「地獄のレコーディング」 DJ 2high独占インタビュー:DPG唯一の日本人メンバーが語る2Pacの死とウエストコースト Via Via

【月間ヒップホップニュース】2026年4月──ヒップホップはどう引き継がれたのか

2026年4月のヒップホップシーンは「継承」がキーワード。Kendrick LamarやDrakeといった海外の巨頭から、YZERR、Creepy Nuts、千葉雄喜ら国内のトップランナー、そしてWu-Tang Clanのレガシーまで。生演奏、法廷、決算書、殿堂入りなど、多層的な手段で同時進行する「王座の継承」の現在地を総括する。

FORCE Festival 2026は10月24日・川崎で開催──YZERRがROD III Concertで発表、横浜アリーナから地元・川崎への凱旋へ

via @yzerr_breath on instagram 2026年4月28日、豊洲PITで開催されたYZERR初のソロワンマンライブ「ROD III Concert」。本誌が確認した現場の会場で、YZERRはステージMCとしてForce Festival 2026の開催日と開催地を明確に告知している。日程は2026年10月24日(土)、開催地は神奈川県川崎市。本人がライブ映像内で直接発言した内容であり、現時点で確認できる一次情報として信頼度の高い発表である。BAD HOP発祥の地への凱旋公演となるこの決定は、延べ30,000人を動員した2025年初開催の横浜アリーナからの会場移行を意味する。さらに翌4月29日、FORCE MAGAZINE公式Instagram(@force_magazine_)が「Force Festival 2026で誰が見たい?」と読者にコメントを募集する投稿を公開、YZERR本人もストーリーで再投稿した。 4月19日のYZERR連続発信から始まった一連の流れは、4月28日のステージ上での開催発表、4月29日の公式読者参加型ブッキング投稿で、Force Festival 2026公式始動の3軸を完成させた。Force Festivalというトピックを2025年9月の企画構造分析から半年以上にわたって連続追跡してきたHIPHOPCsの視点で、4月28日〜29日の動きが立ち上がっている地盤を整理する。 4月28日、豊洲PITのステージから「10月24日、川崎」が宣告された 「Forceのフェス、10月に開催するんで。10月24日かな。川崎でやるよ今回は。」 ──YZERR、ROD III Concert(2026年4月28日/豊洲PIT・ステージMCより/本誌が現場から文字起こし 4月28日のROD III Concertは、ABEMAで生配信された。YZERRはステージ上のMCとしてForce Festival 2026について上記の通り告知している。日付について「10月24日かな」というやや口語的なトーンは含むものの、ライブMCという即興性の高い場で月日と地域を具体的に発言した事実は、運営側でこの方向性が固まっていることを強く示唆している。むしろ注目すべきは「今回は」という表現である。初開催の横浜アリーナを「前回」として扱い、2年目を「川崎」と本人の口で位置づけたこの一言が、横浜での実証から地元への凱旋というシークエンスを本人の認識レベルで裏付けた。 SNS投稿でもInstagramキャプションでもなく、ライブ会場のステージから観客と配信視聴者に向けて直接発した本人発言であり、解釈の余地のない一次情報である。会場の具体的な施設名は同配信内では言及されず、本稿執筆時点でFORCE MAGAZINE公式チャンネルからの会場名発表もない。ただし「川崎」という地域指定だけで、Force Festivalの会場選定としては極めて意味のある選択である。2025年初開催は横浜アリーナ(神奈川県横浜市港北区)で行われ、約17,000人キャパシティの同会場で2日間延べ30,000人を動員した。BAD HOPは2014年から2024年まで活動した神奈川県川崎市発のヒップホップクルーであり、メンバーの大半が川崎を拠点とする出自を持つ。本誌が4月5日に速報したROD...