dj hondaとは|NYでの制作から日本の共作へ
dj hondaは、日本と米国のヒップホップをまたいで活動してきたDJ・プロデューサー。1992年にニューヨークへ渡り、アルバム『h』『h II』やMos Defとの「Travellin’ Man」などを発表した。HIPHOPCsでは、米国での制作経験と、その後の作品づくりを本人に聞いている。[1][2]
dj hondaの経歴
| 時期 | 活動の節目 |
|---|---|
| 1980年代半ば〜 | クラブやイベントでDJとして経験を積む。[1] |
| 1992年 | 渡米。同年の「DJ Battle For World Supremacy」で準優勝。[1] |
| 1995年/1997年 | 公式プロフィールにおける『h』/『h II』の発表年。[1] |
| 2009年 | 『h IV』を発表し、日本に帰国して国内での制作・活動を開始。[1] |
| 2025年 | 『hV』『hV -Japan Edition-』を発表。[1] |
作品からたどる日米のつながり
米国時代の入口には、Mos Defを迎えた「Travellin’ Man」と、De La Soulとの「Trouble in the Water」がある。前編の取材では、Mos Defがビートを選びに来た時のことや、De La Soulと日本で出会った経緯を本人が回想している。完成した楽曲だけでなく、その前後の人の行き来を知るための取材だ。[2]
帰国後の活動は、B.I.G.JOEとの『Unfinished Connection』(2015年)、紅桜との『DARK SIDE』(2019年)、ill-bosstinoとの『KINGS CROSS』(2021年)へとつながる。米国での活動だけで区切らず、国内のラッパーとの作品も続けて聴きたい。[1]
後編では、紅桜と制作を始めた経緯や『h V』について語っている。本人は、音を作ることを日々続け、その時の自分を作品に刻むという考え方を説明した。取材で触れた今後の計画は、当時の構想として読む必要がある。[3]
HIPHOPCsの本人インタビュー
前編の対話から、制作と活動の理由を3つの問いで読む。以下は掲載済み取材に基づく編集部の要約で、本人の回想として紹介する。
- どこでDJに出会ったのか。上京後、ギターを続ける資金を稼ぐために見つけた住み込みの仕事がディスコだったと振り返る。ロックからDJへ進んだ経緯を読む。
- Mos DefやDe La Soulと、どう曲を作ったのか。Mos Defが自宅へビートを選びに来たこと、De La Soulとは日本でのライブをきっかけに出会ったことを語った。出会いと録音の話を読む。
- なぜアパレルも作ったのか。本人は、音楽のプロモーションとしてTシャツやキャップを作ったと説明する。アパレルを始めた理由を読む。
- 前編|北海道からNYへ、Mos Def・De La Soulとの制作を語る — 米国での活動と出会いを読む。
- 後編|『h V』と紅桜との出会い — 制作を続ける姿勢と国内でのつながりを読む。
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出典・確認日
最終確認:。経歴・作品名・発表年はdj honda公式プロフィールを参照し、制作の経緯や考え方はHIPHOPCsの掲載済み本人インタビューをもとに記載しています。取材時の回想や構想は、その時点の発言として記載しています。
2026年10月3日:本人取材を読む3つの問いと、該当発言へのリンクを追加。公式プロフィールの経歴を再確認。