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沖縄のラッパー・誠(ex. JAFEM)が死去 那覇のNEWFUNK STOREはCDを若いヘッズに無料で配ると発表

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沖縄のラッパー、誠(まこと、旧名JAFEM)が亡くなった。2026年9月17日、同じ那覇出身のラッパーD.D.S(ディー・ディー・エス)がXに追悼の言葉を投稿し、翌18日には那覇のストリートショップNEWFUNK STOREがInstagramで「誠のご両親と話しをさせてもらって」と前置きしたうえで、店に残る彼のCDを沖縄の若いヒップホップヘッズに無料で配ると発表した。死去の日付と死因は、2026年9月22日昼の時点で公表されていない。

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北谷から出てきた、UMB沖縄予選の2度の王者

誠は1984年に那覇市で生まれ、米軍基地に接する北谷町で育った。『神魂』を配信するULTRA-VYBEのプロフィールによれば、16歳でヒップホップと出会い、18歳で初めてステージに立っている。

2008年、JAFEM名義でULTIMATE MC BATTLE(UMB)の沖縄予選を制した。大阪・なんばHatchで開かれた本戦に沖縄代表として出場し、GOTITと対戦している。

その後はバトルから距離を置き、曲づくりに専念する。2014年、JAFEMとして1stアルバム『NEW WORLD ORDER』を発表。トラックは北谷出身のSASHINやSHINNY、那覇のDJ 244が手がけ、沖縄のインディレーベルAZINAWA RECORDZから出た。

その後、名前を誠に改める。2020年9月、その名で2ndアルバム『神魂』を出した。ビートはDON SUNDAYが全曲を担当している。2021年には誠の名でUMB沖縄予選を制した。JAFEMとしての2008年から13年後のことだ。

2022年には3rdアルバム『尊』を発表。「愛息子」「子守唄」「尊へ」などを収め、父親としての目線を持ち込んだ作品だった。

D.D.S「また北谷砂辺の海岸で会おう」

D.D.Sの追悼文は、故人を美化しない。「見た事ないぐらい口が悪くて比例する様に見た目も”WORST”」と書き、そのうえで「誰にもない音楽の解釈と尖った色気が有って」と続ける。「面と向き合わないと”優しさや鋭角な和”が解らないのがまじ面倒だけど”JAFEM”らしくて」。

投稿に添えられた画像には、続きの文章がある。W-OKIのステージに乱入したのは後にも先にも彼だけだったこと。TOKONA-Xとバーカウンターの横で皆で過ごした夜のこと。壁に「五十九式」と書いて事件になりかけたこと。D.D.Sも誠も、1984(昭和59)年に那覇で生まれた同世代だ。文章は「また北谷砂辺の海岸で会おう JAFEM」で終わる。写真は、iPod classicの画面に映る4人の若者だった。D.D.Sは「多分写真20歳」と添えている。

D.D.Sは2010年と2020年にUMB沖縄予選を制した人物でもある。

「正しいかどうかはわからないですが、自分の心に従おうかなと思うよ」

NEWFUNK STOREは那覇・国際通りの裏手にあるヒップホップ系の店で、服とともにCDも扱い、誠の『尊』も置いてきた。9月18日の投稿はこう書く。

「誠のご両親と話しをさせてもらって、彼が残した作品(CD)を沖縄のHIPHOPヘッズたちに無料配布する事にしました。できれば若いヘッズたちにもらって欲しい」

在庫は店に残る分だけで数は限られる、と断ったうえで、「魂を言葉に変えた作品を無料で配る事が正しいかどうかはわからないですが、自分の心に従おうかなと思うよ」と続けている。

イベントの動きもある。MC RETROは9月17日、年内に誠の楽曲だけを流す入場無料のDJイベントを主催すると告知した。フライヤーには「追悼の為のものではなく」と明記されている。生前に本人が吹き込んだ曲を流す、という趣旨だ。日時と場所は未定で、決まり次第伝えるとしている。

雑感

筆者が引かれるのは、D.D.Sの追悼文に、誠のとっつきにくさと、それでも惹かれた理由が一緒に残っていることだ。口が悪い、見た目がWORST、面倒。D.D.Sはそう書いてから、彼にしかない音楽の解釈があったと言う。店は、無料で配ることが正しいかは分からないと迷いを残したまま、店に来てほしいと呼びかける。MC RETROは追悼イベントとは呼ばない。

沖縄のラップは、Awich(エイウィッチ)やOZworld(オズワールド)の名前で語られることが多い。だが2008年にUMBの本戦へ沖縄代表として出ていったのは、北谷の言葉でまくし立てるJAFEMだった。誠の曲を若いヘッズに届けようとする店があり、その曲だけを流す場をつくろうとする人がいる。

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