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【速報】ジャクソンビル出身ラッパーLil Poppa(リル・ポッパ)が25歳で死去|CMG所属の新鋭、キャリア最盛期での突然の訃報

via @lilpoppa instagram ジャクソンビル出身ラッパーLil Poppa(リル・ポッパ)が25歳で死去|CMG所属の新鋭、キャリア最盛期での突然の訃報 2026年2月18日、フロリダ州ジャクソンビル出身のラッパーLil Poppa(本名:Janarious Mykel Wheeler)が25歳で亡くなったことが明らかになった。ジョージア州フルトン郡検死局が、同日午前11時23分(米東部時間)に死亡が確認されたと発表している。死因は現在も調査中であり、本稿執筆時点では公表されていない。 家族や所属レーベルからの公式コメントも出ていない状況であるが、SNS上ではファンや同業アーティストから追悼の声が相次いでいる。 Lil Poppaとは何者だったのか 2000年3月18日にジャクソンビルで生まれたLil Poppaは、幼少期から教会で歌い始め、12歳の頃にはクローゼットの中にノートPCとマイクだけの簡易スタジオを作り、ラップの制作を開始したとされる。クローゼットである。防音室でもガレージでもない。服の間に突っ込んだマイクに向かって、少年は言葉を紡ぎ始めた。その原体験が、彼の音楽に一貫する「飾らないストーリーテリング」の土台を形成したのである。 ブレイクのきっかけとなったのは、2018年にリリースされたミックステープシリーズ『Under...

2018年2月15日。2025年4月13日。― 二人を見送ったKID FRESINOは、何を歌ったのか。

HIPHOPCs 特集コラム この記事でわかること KID FRESINO「hikari」の歌詞から、喪失の描写・具体的な記憶・"歌う追悼"への変化を読み解きます Fla$hBackSの文脈(FEBB / JJJ / KID FRESINO)を時系列で整理します CHOICE 55の夜に起きた"意図せぬ最後の対話"の意味を考察します 正直にいうと。  KID...

ZORN × 後藤真希「地元LOVE」―なんでZORNとゴマキなのか。いや、なんでなのか。葛飾の中卒ラッパーと元モー娘。

公開20時間で36万再生、コメント欄は完全にお祭り状態。日本語ラップ史上、最もカオスなフィーチャリングが爆誕してしまったのである。 なんでZORNとゴマキなのか。いや、なんでなのか 2026年2月16日、日本武道館。ZORNとOZROSAURUSのツーマンライブ「All My Homies presents "Family Day"」のステージ上で、その曲は初披露されたのである。 https://youtu.be/H29mpVrtbCA?si=cSv04VDaVV_no2DW 「地元LOVE feat. 後藤真希」。 字面だけ見ると、何かの間違いかと思う。東京都葛飾区新小岩出身、中卒でガテン系の仕事を渡り歩いてきたストリートの詩人ZORNと、平成のアイドルシーンを根底から揺さぶったモーニング娘。の絶対的エース・後藤真希。この二人が同じ曲にいる。世界線がバグっている。 しかし、きっかけは意外とシンプルであった。ZORNが後藤真希の写真集『flos』を読んでいたら「天啓」が降りてきたのだという。天啓である。写真集を読んでいて天啓が降りてくるラッパー、日本にZORNしかいないのである。 そしてその熱いラブコールに、ゴマキは応えた。よく考えたら、後藤真希は江戸川区出身。江戸川と葛飾、下町同士のご近所コラボだったのである。 アイドルだって近所を歩く。ドンキにだって行く この楽曲の真骨頂は、「地元」というテーマの解像度が異常に高いことである。 MVを見ると、ゴマキがもんじゃを食っている。新小岩の飲み屋で、ZORNと向かい合ってもんじゃを食っている。元モー娘。のセンターが、である。「今ではゴマキともんじゃ食う」というテロップが画面に出た瞬間、全視聴者が「嘘だろ」と呟いたことは想像に難くない。 しかしこれこそが「地元LOVE」の本質なのである。アイドルだって近所を歩く。スーパーに行く。ドンキに寄る。チェーン店でみんなと飯を食う。華やかなステージの裏側にある、泥臭くて温かい日常。ZORNはずっとそれを歌ってきたラッパーであり、ゴマキもまた、デビューから25年以上を経てその「地に足のついた生活者」としての魅力を増し続けているのである。 恋愛レボリューション21を2026年にサンプリングする暴挙 楽曲のサウンドプロデュースはBACHLOGIC。そしてここに、とんでもない仕掛けが施されている。 モーニング娘。の「恋愛レボリューション21」の歌詞がサンプリングされているのである。 2000年リリース、つんく作詞・作曲。あの頃日本中の小学生から大人までが「超超超超いい感じ」と踊っていた、Y2Kの象徴的ナンバー。それを2026年に、葛飾のラッパーが引っ張り出してきた。カラオケで歌ういつかの平成ソング、やっぱりみんなと食うチェーン店——そうした2000年代のノスタルジーが、ZORNの描く下町の風景と見事に溶け合っているのである。 コメント欄では「みんな初めて聞いたはずなのに、超超超いい感じが全員で大合唱になってたのおもろかった笑」という証言が136いいねを獲得している。武道館で初披露の曲なのに全員が歌える。それは「恋レボ」のサビが日本人のDNAに刻まれているからに他ならない。恐るべしY2Kパワーである。 「中卒だらけ 職はガテン/自彫りのギャル...

今さら聞けないヒップホップ!オールドスクールとニュースクールのラップスタイルの違いについて

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コメディアンデュオのKey & Peele(キー&ピール)のスキットで、おっさんが若めのDJに「オールドスクールの曲をかけて欲しい」ってリクエストする話があってね。DJが「Biggie(ビギー)?2Pac(トゥーパック)?Wu-Tang(ウータン)?NWA?」って聞くと「俺が子どもに見えるのか?オールドスクールだよ!」って苦情言ってて、「じゃあRun DMC(ランDMC)か?オールドスクールだよな?Grandmaster Flash(グランドマスターフラッシュ)か?Sugarhill Gang(シュガーヒルギャング)か?」ってたずねてもそうじゃない、と。でブチ切れたDJが「自分で曲を探してくれ!」って休憩に行っちゃったんだけど、そこでおっさんが見つけてかけたオールドスクールのレコードが、50年代とか60年代とか古い古い曲だった、っていうオチなんだけど。Threadsで「オールドスクールとニュースクールの違いについて教えて欲しい」というリクエストがあったので、この二つについて今回は記事を書いてみようと思う。

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オールドスクール

オールドスクールラップは、70年代後半から80年代前半にニューヨークで出現した最初のラップアーティストのスタイルを呼ぶんだ。具体的には1979年~1983年の間を指すそう。比較的シンプルなラップが特徴で、殆どのラインがほぼ同じ時間を占めて、言語のリズムが曲のビートに合わせてひねられることは滅多に無かった。通常リズムはビートに合わせて正確に変化し、そうでない場合も長時間変化することはなく、元のパターンに戻って演奏される。強調されたのはリリカルなテクニックではなくて、単に楽しい時間だった模様。ラップの視野を大きく広げたGrandmaster Frash(グランドマスターフラッシュ)のような社会意識の高かった例は別として、殆どのオールドスクールラップにはブロックパーティーやダンスの楽しい遊び心の要素を多分に含んでいたんだ。当時、グランドマスターフラッシュ、the Furious Five(ザ・フューリアスファイブ)やシュガーヒルギャングらが高い知名度を獲得していた。オールドスクールの曲の中にはディスコやファンクスタイルのトラックで演奏されるものもあれば、シンセサイズされたバッキングをフィーチャーするものもあったそう(後者のタイプはラップの有無にかかわらずエレクトロとして知られていた)。オールドスクールラップの歴史は1979年の2枚のシングル、Fatback(ファットバック)の「King Tim III(キング・ティム III)」とシュガーヒル・ギャングの「Rapper’s Delight(ラッパーズ・デライト)」から始まった。Sugarhill Records(シュガーヒルレコーズ)はすぐにオールドスクール ラップの中心地となり、Run-D.M.C.(ランD.M.C.) が登場するまで市場を独占したんだ。

ニュースクールとゴールデンエイジ(黄金時代)

ニュースクールラップの定義は、実はものすごく曖昧であることが判明したよ。オールドスクールがきっちり始まりから終わりまで年代で表記できるのに対し、ニュースクールは紹介している人やサイトや文献によって、違うんだよね。もしかしたら正直きちんと「定義づけ」されていないのかもしれない。ただ、分かっていることはニュースクールの始まりで、上記の通り1983年~1984年あたりのRun-D.M.C. (ランD.M.C.)の初期のレコードから始まったんだって。サイトや文献によっては、革新的で多様性に富んだ高品質のヒップホップ音楽の波が特徴的だった1988年~1995年までを「Golden Age(黄金時代)」と呼んでいる。一応この記事ではカーネギーホールのタイムラインを参考にしようと思う。

ニュースクールは当初、ミニマリズムを中心としたドラムマシンによって特徴づけられ、時にロックの要素を帯びていたんだ。リリックの内容は、①ラップに関するからかいや自慢、または②社会政治的な論評が目立っていた。どちらのスタイルも攻撃的で自己主張のあるスタイルで行われていたそう。これらの要素は1984年以前に流行したアーティストのファンクやディスコの影響を受けた衣装、斬新なヒット曲、ライブバンド、シンセサイザー、パーティー系のライミングが特徴的なオールドスクールとははっきりと対照を成した。ニュースクールのアーティストの楽曲は、オールドスクールのアーティストよりもラジオで頻繁に流れ、よりまとまりのあるLPができる短い曲を作成した。彼らのリリースにより、1986年までにはヒップホップアルバムが市場の定番として確立され始めたんだ。ニュースクールの音はドラムマシンがサンプラーテクノロジーで強化されたから曲の制作はより高密度になり、韻を踏むようになって、ビートが速くなったんだよ。以前紹介したRakim(ラキム)はラップの芸術についての歌詞を新たな高みに引き上げて、KRS-One(KRSワン)とChuck D(チャックD)は「コンシャスラップ」や「メッセージラップ」を推し進めた。今年のグラミーで生涯業績賞を受賞したRoxanne Shante(ロクサーヌ・シャンテ)、筆者も好きなSalt-n-Pepa(ソルト・ン・ペパ)、MC Lyte(MC ライト)、Queen Latifah(クイーン・ラティファ)などの女性ラッパー達は黒人女性の視点でのラップをファンに紹介し、彼女らが男性と同じくらい熟練し商業的に成功していることを証明したんだよ。Public Enemy (パブリックエネミー) や N.W.A. の混沌としたサウンドは、ハードコアとして知られるようになった。その後、西海岸のギャングスタラップが商業的に優勢になり、特に90年代初頭までにGファンクのリラックスしたサウンドが出現する。このハードコア、ギャングスタラップが1990年代の大部分を通じてヒップホップのサウンドスケープを支配していたけど、21世紀にはこのギャングスタが引き継がれてMaster P(マスター P)、50cent(50 セント)、T.I. のスタイルに影響を与えたんだ。にもかかわらず、R&B やファンクの要素とヒップホップのビートを融合したハイブリッドな作品など、90年代はさまざまなスタイルが共存していた。Lauryn Hill(ローリン・ヒル)、De La Soul(デ・ラ・ソウル)、A Tribe Called Quest(ア・トライブ・コールド・クエスト)、Gang Starr(ギャング・スター)などのアフリカ中心の意識の高いラッパーは、ミックスにソウルやジャズのサンプルを好んで使用していたよ。で、1990年代半ばから2010年代半ばにかけて、ニュースクールからKanye West(カニエ・ウェスト)に代表される21世紀のヒップホップメインストリーム時代に移行したんだ。

上記のおっさんと若いDJのように、「オールドスクール」の定義は存在していても、その人によって何が「オールド」なのか「ニュー」なのか時間軸の捉え方が違うんだなって筆者は時々感じるんだよね。これをリサーチしていて、特にニュースクールの定義の曖昧さには驚いた。そもそも「オールドスクール」ってワード自体、スラングで「古風・古めかしい」とか「モダンではない」って意味だから解釈もますます曖昧になっているような気がする。実際、現存する90年代全盛期だったOGラッパーも自身の時代を「オールドスクール」と呼んでいたり、「オールドスクール」とラベリングされた音楽プレイリストにLudacris(リュダクリス)やKanye West(カニエ・ウェスト)が入っていたり。おいおい、どこまでがオールドなんだと突っ込みたくなる時が多々あるよ。いずれにせよ、こうやって建前上は定義しといたので、少しは理解が深まってくれると嬉しいな♪ということで、現場からは以上です。

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