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音か、歌詞か。ヒップホップを言葉で聴くということ

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音で聴くか、歌詞で聴くか。皆さんはどうですか?

そう聞かれたら、自分は間違いなく、歌詞で聴く人間です。

もちろん、ビートがかっこいいとか、フロウが気持ちいいとか、そういう感覚もあります。でも、歌詞が自分の中に入ってこなければ、心の底からその曲にハマることはできません。ビートだけを何時間も聴き続けることもできないし、英語がまったく聞き取れないまま、雰囲気だけでUSヒップホップを好きになることもできませんでした。

自分がUSヒップホップに本当の意味でハマれるようになったのは、2Pacの「Dear Mama」や「Life Goes On」が何を歌っているのかを知ってからです。Juice WRLDがドラッグや精神的な苦しみについて、どんな言葉を残していたのかを理解できるようになってからです。

歌詞の中にその人の怒りだったり、悲しみだったり、本当に全ての感情があると思ってます。特にヒップホップは、怒りも喜怒哀楽の中で表現していい音楽だからこそ、過激に捉えられがちだと思いますが、自分にとってはそれが一番リアルなんじゃないかなと思ってます。

それが分かったとき、外国の音楽だったUSヒップホップが、自分のことを歌っている音楽のように聞こえ始めました。

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ヒップホップが好きな自分を、かっこいいと思えた

自分がヒップホップに救われたと感じる理由は、少し変かもしれません。

「これだけヒップホップを好きな自分は、一番かっこいい」

ずっと、そう信じてきたからです。

意味の分からない価値観だと思われるかもしれません。でも、自分にとってはかなり大事なことでした。

ヒップホップを愛している自分だけは、かっこいいと思ってます。

ヒップホップ以外はなし。ヒップホップだけがかっこいい。

そこまで言ってしまえば、ほとんど宗教みたいなものです。でも、自分はそれを信じていました。今も、どこかで信じています。

だから、ヒップホップを馬鹿にされたときに黙っていることはできません。なぜこんなにも好きなのか、自分でも完全には説明できません。

結局、ヒップホップが好きなんです。

ほんまに、ただそれだけです。

救われたことと、ドラッグを肯定することは別だと思う。

ただし、ヒップホップに救われたことと、ヒップホップの中にあるすべてを肯定することは違うと思ってて、これが一番の負の側面じゃないかなと感じています。。

実体験として言えるのは、ドラッグは良くない。

ドラッグによる苦しみを歌った作品に救われることはあります。その痛みを知ることで、アーティストの言葉が深く理解できることもあります。でも、それはドラッグそのものが人を救うという意味ではありません。

作品が伝える苦しみと、現実で自分の身体や人生に起きることは別です。

Juice WRLDとか、マック・ミラーのようなアーティストが残した言葉から痛みを理解することと、その痛みを自分で再現することは違います。

ヒップホップを愛しているからこそ、そこは混同したくありません。

身を削ってラップする人たちを、取り上げたい

今のヒップホップ業界には、「色物」と呼ばれる人もいます。

本当にかっこいい活動を続けているのに、なかなか日の目を浴びない人もいます。作品を出し続けても数字にならない。ライブに立ち続けても、大きなメディアには取り上げられない。それでも、自分の生活や過去や傷を削りながら、ラップしている人がいます。

自分は、そういう人たちの力になりたいです。

ラッパーが身を削って言葉にする行為は、自分には一種の社会貢献のようにも見えます。自己犠牲とまでは言わなくても、本来なら隠しておきたい痛みや恥や弱さを作品に変えて、誰かに渡している。

その言葉によって、自分のように救われる人間がいます。

ならば、救われた側が、その活動を支える番があってもいいと思っています。

自分にできるのは、作品を作ることではないし、ステージに立つことでもないです。

でも、その人が何を表現しているのかを読み取り、言葉にして、今まで届かなかった人へ伝えることはできます。

それが、HIPHOPCsで自分にできることだと思っています。

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音だけではなく、言葉を聴くから見えるもの

音だけでヒップホップを聴く人がいることを知ったとき、正直、結構驚きました。周りの人で音で聞いてるだけの人、または歌詞を聞いてる人の割合は、皆さんの周りでどんな感じなんでしょうか?

もちろん、どちらが正しいという話ではありません。音から入る人もいれば、ファッションやダンスから入る人もいる。楽しみ方はそれぞれです。

ただ、自分は歌詞がなければ、ここまでヒップホップにのめり込むことはできませんでした。

アーティストが何を経験して、何に怒り、誰を愛し、何を失い、何を取り返そうとしているのか。その背景を知ったときに、初めて曲が自分の中で立体的になります。

だから自分は、話題になっているかどうかだけでアーティストを見たくありません。

数字が小さくても、言葉の中に本物の人生がある人はいます。世間から色物として扱われていても、誰よりも真剣にヒップホップと向き合っている人もいます。

それは、歌詞を聴いていれば伝わります。

自分が音と歌詞を聞き分けているというより、自分にとってヒップホップを聴くことは、その人の人生を聞くことなのだと思います。

有名になることだけでは、幸せになれない

改めて、何のためにHIPHOPCsをやっているのかを考えました。

有名になりたい気持ちがないわけではありません。もっと多くの人に読まれたいし、もっとたくさんのラッパーの人の話も聞きたいし、影響力も持ちたい。

でも、仮にHIPHOPCsがものすごく有名になったとしても、それだけでは幸せを感じられないと思います。

自分が幸せを感じているのは、ディレクターのサムさんやライターのみんなと、一緒にヒップホップを盛り上げていると時とか、それぞれの人生で新しい進歩があった時とか、そういうのを共感、共有できたり、進んでいると感じる瞬間です。

セイさんルーシーをはじめ、いろいろな人が、それぞれの視点でヒップホップについて書いている。その文章が一つの媒体に集まり、アーティストや読者へ届いていく。

その中に自分もいて、どうするか考えたり、どういうふうに動いていくかっていう思いを持ったり、話し合いをしたり。

自分にとっては、それがただただ幸せです。

勝つことよりも、好きな人たちと一緒にヒップホップのために動いている感覚の方が、ずっと大事です。

広がってほしい。でも、薄まってほしくない

ヒップホップには、もっと広がってほしいと思っています。

自分は今、人生の転機で自分のようにヒップホップに救われる人が、もっと増えてほしい。今まで届かなかった人にも、その言葉や歴史や文化が伝わってほしいです。

その一方で、大衆化しすぎることへの寂しさもあります。

ヒップホップが広がるほど、もともとの痛みや切実さが薄まり、見た目や言葉遣いだけが消費されていくこともあります。

アイドルとして活動してきた人たちがヒップホップへ入ってくる流れについても、理解はできます。ヒップホップが魅力的な文化だからこそ、人が集まってくるのだと思います。

ただ、自分自身は、それをすべて手放しで気持ちよく見られるわけではありません。

自分の中には、明確な境界線があります。

アイドルかラッパーかという肩書だけの話ではありません。この人はかっこいい。この人の動きは信じられる。この人には、それほどかっこよさを感じない。

結局は、それだけの話です。

自分がかっこいいと思うヒップホップは、かっこいい。自分がかっこよくないと思うものは、かっこよくない。

絶対的な正解ではなく、自分自身の好みであり、信念です。

自分たちが本当にかっこいいと思った動きに光を当てることです。

救ってくれた人たちへ、返していきたい

これまで、いろいろなラッパーの方と話をさせてもらいました。

話を聞けば聞くほど、その人がどれだけのものを背負って活動しているのかが見えてきます。表から見える成功だけではなく、その裏側にある孤独や葛藤や、続けることの苦しさも感じます。

自分がそのすべてを解決できるとは思っていません。

記事を一本出したからといって、誰かの人生が急に変わるわけでもありません。それでも、活動を続けるための小さな力にはなれるかもしれない。

これまで届かなかった人に作品が届くかもしれない。まだ知られていなかった言葉が、誰かの人生を助けるかもしれない。

自分自身がそうだったからです。

ヒップホップの言葉に救われて、ヒップホップを好きな自分を信じることで、何とか自分の価値を保ってきました。

だから今度は、救ってくれた人たちに返していきたいです。

誰にとってどこからが成功なのかは分かりません。でも、本当にかっこいい動きをしている人が、活動を続けられるための一つの助けになりたい。

それがHIPHOPCsでやりたいことです。

自分が本当に欲しいのは、ヒップホップを愛する人たちと一緒に、ヒップホップのために動いているという実感です。

そして、自分を助けてくれた文化に、少しずつでも恩を返していくことです。

結局、自分はヒップホップが好きなんです。

理由をすべて言葉にできなくても、その気持ちだけは疑っていません。

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