Tay Keith急逝、29歳「SICKO MODE」を作った男が遺した、プロデューサーの取り分問題

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「Sicko Mode」を作った男は、自分のビートがいくら稼いだのか、その帳簿を見せてほしいと、亡くなる直前まで続いていた裁判で求めていた。

2026年6月18日、Tay Keith(本名Brytavious Chambers)が、ナッシュビルの自室で死亡しているのが見つかった。29歳だった。

安否確認に向かった警察官が発見し、事件性はないとされる。ストリーミング時代のサウンドそのものを規定した作り手の一人が、あまりに早く逝った。

彼が遺したのは、未完のヒット曲だけではない。「自分が作った曲の取り分を、自分は受け取れていたのか」という、プロデューサーという仕事の根幹に触れる問いだった。

本稿は、訃報の事実を確認したうえで、その問いの構造を読み解く。

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何が確認されているのか

ナッシュビル都市圏警察(MNPD)によれば、Tay Keithは安否確認に向かった警察官によって、自室で反応のない状態で発見された。事件性は認められていない。

死因は司法解剖の結果待ちで、本稿執筆時点では確定していない。公の追悼式の日程も、まだ発表されていない。

家族は「深い悲しみとともに」彼の死を認め、その功績が音楽を通じて生き続けることに慰めを見出す、と声明を出した。確実に語れるのは、ここまでである。死因をめぐる憶測は、半歩引いて差し控える。

一世代の音を作った男

Brytavious Chambersは1996年9月、メンフィスのサウス地区に生まれた。14歳でビートを作り始め、ミドルテネシー州立大学(MTSU)在学中に、Travis Scott「Sicko Mode」を共同プロデュースする。

この曲が2019年、グラミー賞最優秀ラップ・ソング部門にノミネートされた。学生のままヒットを当て、それでも中退せず学位を取った経歴は、彼の出発点としてよく語られる。

その後の仕事は、ストリーミング時代の主要曲のクレジットを横断する。Drake「Nonstop」「First Person Shooter」「Circo Loco」、Eminem「Not Alike」、BlocBoy JB「Look Alive」、Beyoncé「Homecoming」収録のボーナス曲。

2024年にはDrake & 21 Savage「Rich Flex」で二度目のグラミー・ノミネートを受けた。Billboard Hot 100で全米1位に達した楽曲を複数手がけ(「Sicko Mode」「First Person Shooter」など)、BMIの年間最優秀プロデューサーには三度選ばれている。

Forbesの「30 Under 30(音楽部門)」にも、自身のレーベルDrumatizedの活動とともに名を連ねた。自身の名を冠したプロデューサー・タグは、サウスの音を象徴する合図として広く知られた。

この死は、同じ週に届いた華やかな数字の隣に置かれた。2026年6月第3週、DrakeはSpotify月間リスナーで一時1億人に到達している。栄える数字と、それを支えた作り手の不在が、同じ一週間に並んだ。

広がる哀悼

訃報が伝わると、ヒップホップの内側から追悼が相次いだ。メンフィス時代からの盟友BlocBoy JBは、二人の通話履歴を投稿し、「毎日話していたのに、逝くなんて一言も言わなかった」と呼びかけた。

同郷のプロデューサーHitkiddは「2010年から一緒にやってきた」と言葉を絞り出した。DrakeとTravis Scott、メンフィス市長のPaul Youngも追悼を寄せている。

遺された裁判――「取り分」をめぐる訴え

追悼と並行して、もう一つの話題が浮上した。Tay Keithは、近年の最重要のパートナーの一人Sexyy Red(本名Janae Wherry)と、そのレーベルRebel Musicを相手取り、訴訟を起こしていた。しかも、彼の死の時点で決着していなかった。

Sexyy Redはセントルイス出身のラッパーで、2023年「Pound Town」で一躍スターダムに駆け上がった。そのトラックを手がけたのがTay Keithであり、二人は以後、彼女の代表曲を連発する黄金タッグだった。

TMZが入手した法廷文書によれば、訴訟は2026年3月にマイアミで提起された。対象は、Tayがプロデュースした13曲だ。

「Pound Town」のほか、「Get It Sexyy」「SkeeYee」、Drakeが客演した「U My Everything」、「Pound Town 2」など、二人の歩みそのものといえる顔ぶれが並ぶ。

Tay側の主張では、これらの楽曲はストリーミング・印税・ライブ・ライセンスで数百万ドル規模の収益を生んだとされる。だが彼は、その対価を受け取れていなかったという。

さらに踏み込んでいたのは、会計報告(アカウンティング)の点だ。レーベルが収益の内訳を開示しないため、自分の取り分がいくらなのか確認すらできない――そう訴えていた。彼は裁判所に、財務記録の開示、債務の確定、損害賠償を求めた。

いずれもTayの訴状にもとづく主張であり、報じているのも一次資料そのものではなくTMZである点は、押さえておきたい。

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訴訟は「ほとんど動いていなかった」

ここで、もう一つの事実に触れておきたい。報道によれば、この訴訟は彼の死までほとんど前に進んでいなかった。

Tay側の弁護士は春のあいだ、相手方Rebel Musicへの送達に手間取った。5月の送達は不調に終わり、数週間後にあらためて召喚状が出された。レーベルの正式な答弁はまだ提出されておらず、審理の期日も決まっていない。

案件は宙に浮いたまま、今後の処理は彼の遺産(エステート)に引き継がれる。これほどの実績を持つ人物が、訴訟を起こすリソースを持ちながら、相手をテーブルにつかせることすら生前にできなかった。後述する構造の根深さは、すでにこの一点に表れている。

両陣営の「火消し」が、かえって示したもの

死後、訴訟が蒸し返されると、双方の陣営はそろって沈静化に動いた。その足並みのそろい方に、この件の温度がにじむ。

Tay側の代理人は、係争はあくまでレーベル間のものであり、訴状にSexyy Redの名を挙げたのは法的な形式にすぎない、と説明した。主張はRed個人に向けたものではない、と。両レーベルは協力的で、解決は間近だった。TayはRedを妹のように思い、先週もスタジオで新曲を作っていた――そう代理人は語っている。

Rebel側の弁護士Dameka Davisも声明を出した。印税交渉を扱うのはアーティストではなくレーベルであり、Tayの法務チームと協力して完全な補償の最終段階にあった、と。急逝の前に詰めを進めており、いまは遺産へ全額を支払うべく手続きを急いでいる、とした。

Sexyy Red自身も、Tayを血のつながらない兄弟と呼ぶ追悼を投稿している。

つまり、これは「アーティストがプロデューサーを踏み倒した」という単純な対立の物語ではない。少なくとも公の場では、双方が「解決間近」「個人攻撃ではない」と口をそろえる。

そして繰り返すが、死因は未確定で、訴訟と死を因果でつなぐ材料は何一つない。両者は切り離して読む必要がある。ならば取り出すべきは、個人の善悪ではなく、その手前にある構造のほうだ。

なぜプロデューサーは「取り分」で揉め続けるのか

Tayの訴状で最も本質的だったのは、「金を払え」という要求ではない。「いくら稼いだのか、その帳簿を見せろ」という要求だ。ここにこそ、プロデューサーという立場の弱さがある。

ヒット曲において、プロデューサーは音そのものの起点に立つ。だが収益の流れでは、つねに下流に置かれる。

マスター音源を保有し、配信から入金を受け、帳簿を管理するのはレーベルだ。プロデューサーは、自分が生んだ曲がどれだけ稼いだかを、レーベルが開示しない限り知ることができない。

「取り分でもめる」前に、そもそも「取り分を計算する材料を持っていない」のである。

契約の形態も、この非対称を固定する。買い切り(ワークフォーハイヤー)でビートを渡せば、その後どれだけヒットしても追加の取り分は生まれない。

プロデューサー印税(ポイント)を確保できても、算定根拠となる売上を検証する手段がなければ、数字は事実上レーベルの自己申告になる。Tayほどの人物ですら、最後は「会計報告を見せろ」という地点で、裁判所に頼るほかなかった。

これは、いま音楽業界を覆う別の論点とも地続きだ。SZAがSunoを名指しで糾弾した一件も、突き詰めれば「自分が生んだものの価値を、誰が握っているのか」という所有権の問題だった。

AIの学習データであれ、ヒット曲の帳簿であれ、作り手が自分の創造物の行方を把握できない――この一点で、二つの事件は同じ根を持つ。

Drakeが「勝利の三分裂」を体現するような数字の頂点が更新される一方で、その音を支えた作り手は、自分の取り分を見ることすらできない。繁栄と不可視は、同じ構造の表と裏である。

これは「向こうの話」ではない

同じ構造は、日本語ラップのトラックメイカーにもそのまま当てはまる。むしろ、契約や会計報告の慣行が米国ほど整備されていない分、より見えにくいかたちで存在している。

ビートの買い切りと口約束が、今なお珍しくない。自分のトラックが乗った曲がバズっても、その収益が誰にどう分配されているのか、本人が把握できない――そうした事態が起こり得る。

「会計報告を見せろ」とすら言えないまま、起点にいた人間が下流に置かれ続ける。Tay Keithの裁判が突きつけたのは、海の向こうの特殊なトラブルではない。ビートを作って渡すという行為に、普遍的につきまとう取り分の不可視性そのものだ。

遺されたもの

一世代のサウンドを規定した29歳が、自分の作った曲の対価を受け取れていたのか、その帳簿すら見られないまま世を去った。

死そのものの悲しみと、この訴訟は切り離して語られるべきだ。それでも、彼の死が結果として強い光を当てたのは、彼が亡くなる前からすでに壊れていた構造のほうだった。

「解決は間近だった」と両陣営は言う。その言葉が守られ、遺産へ正当な対価が支払われるかは、これから検証されていく。

だがそれ以上に問われるべきは、なぜ最も実績あるプロデューサーですら、生きているあいだに自分の取り分を可視化できなかったのか、という構造のほうである。

Tay Keithが遺したビートは残る。彼が遺した問いも、まだ残ったままだ。

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