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PFG「Mighty Mouse」J. Coleが全曲プロデュース。

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text by.HIPHOPCs編集部

7月10日、ノースカロライナ州FayettevilleのラッパーPFGがアルバム『NEVER SAY DIE』をリリースした。全10曲、全曲をJ. Coleがプロデュースし、Coleは3曲でラッパーとしても参加している。

だが、これを「大物が後輩にビートを提供した」という話として処理すると、本質を丸ごと取り逃がす。Cole自身が自身のブログ「The Algorithm」にこう書いている——これは、自分以外のアーティストのために自分がプロデュースした初めてのアルバムだと。20年近いキャリアで、彼が他人の作品を1枚まるごと作ったことは一度もなかった。その最初の相手が、なぜPFGだったのか。答えは、Coleが10代で初めて立った街のステージと、一軒の家にある。

何が起きたのか

PFG(Prettyface Gangsta)は、Fayetteville──通称”Fayettenam”、Fort Braggを抱える軍人の街──で長く活動してきたラッパーである。数か月前、Conductor Williamsがプロデュースした「RED STRIPE」をColeがブログで取り上げ、「prolific rapper(多作なラッパー)」と評したうえで、今年はThe Ville(Fayetteville)にとって大きな年になると予告していた。その答え合わせが『NEVER SAY DIE』だ。

Coleはブログで、PFGについてこう書いている。夢が思うように叶わないとき、多くのアーティストは筆を折る。その気持ちは自分にも分かる。だがPFGは、どれだけ回り道をしても、技術と情熱を手放さなかった──それが「NEVER SAY DIE」という言葉の意味だ、と。そして、これが最初の一枚で終わらないことを願う、と付け加えている。

リリース日は7月10日。同日、Coleの『The Fall-Off Tour』がシャーロットのSpectrum Centerで開幕している。8年越しの『The Fall-Off』を引っさげたツアーの初日に、自分の名前ではなく地元の後輩のアルバムを立たせた。そしてこのツアーの米国日程は、9月23日、FayettevilleのCrown Coliseumで終わる。始点と終点の両方が、街に向いている。

The Sheltuh──Coleを世に出した家の名

ここからが、この件の中心だ。以下の経緯は、Super EmptyとThe Assemblyが2026年3月に共同公開したDash Lewisによる長編取材に多くを負っている。

2000年前後のFayettevilleで最も勢いのあったラップ・デュオが、Nervous Reck(Brion Unger)とFilthe Ritch(Carlos Brown)によるBomm Sheltuhである。彼らはNervの実家を改造したホームスタジオを拠点にしていた。その家の名が「The Sheltuh」だ。

2000年2月25日、Duh Skatezoneでのライブ。Bomm Sheltuhの二人はステージに、当時10代で、Blazaという名で活動していた無名の少年を上げた。Jermaine Cole──のちのJ. Coleである。ColeがThe Fall-Offのロールアウトで明かしたところによれば、彼が生涯で最初にレコーディングをした場所も、この家だった。Coleを最初期のステージへ上げたのがBomm Sheltuhの二人であり、最初の録音環境を与えたのが、彼らの拠点「The Sheltuh」だった。

その後の話が重い。

Filthe Ritchは2023年5月、Fayettevilleの民家のポーチで射殺された。空き巣被害で家財を失い、車中生活を送っていた最中の出来事だった。犯人のJoshua Tashun Joyceは2026年2月に有罪判決を受け、20〜25年の実刑が言い渡されている。Nervous Reckは検察側の証人として法廷に立った。その公判が行われたのは、J. Coleの『The Fall-Off』がリリースされた、まさにその週である。街にはColeのアルバムの広告看板が立っていた。

そのNervは、2023年にColeから受けた一本の電話をきっかけに音楽の現場に戻り、家の名を継ぐレーベル「The Sheltuh」を立ち上げた。そして、Fayettevilleのラッパーと契約した。それがPFGだ。

整理すると、こうなる。Coleを最初期の舞台へ上げた男たちと、最初の録音環境を与えた家。その名を継ぐレーベルに所属する男の作品が、Coleが人生で初めて他人のために作ったアルバムである。そしてタイトルは『NEVER SAY DIE』──死んでも終わらない、だ。

Cole本人もPFGも、この作品とFilthe Ritchの死を直接結びつける発言はしていない。ブログでのCole自身の説明は、あくまでPFGの粘り強さについてのものだ。だから断定はしない。ただ、この家の歴史を知ってこのタイトルを見る者と、知らずに見る者とでは、聴こえてくるものが違う。

PFGとは誰か

PFGは、バイラルで浮上した新人ではない。2020年の『Black Christmas』EPから2026年の『DOPEBOY UNIVERSITY』まで、リリースが途切れていない。Coleが使った「prolific」という言葉には、実体がある。

音楽的な出自も見誤らないほうがいい。Apple Musicが並べる類似アーティストは、Westside Gunn、Rome Streetz、Estee Nack。プロデューサーはConductor Williams。つまりPFGは、Griselda以降のアンダーグラウンド・ストリートラップの生態系にいる書き手だ。Coleがメロディを積まず、ミニマルでベースの重いトラックを渡したのは、趣味の問題ではなく、この文脈への正しい応答である。

そのPFGが挙げる生涯ベスト3の筆頭は、J. Coleの『2014 Forest Hills Drive』だ。彼自身が最も愛着を持つ自作曲は「Letter To The Ville」──故郷についての曲である。そしてアーティストとしての目標を問われて、彼はこう答えている。世界をツアーしたい。そして、自分の周りの人間全員を勝てる位置に立たせたい、と。

「Mighty Mouse」で鳴っているもの

米メディアShatter the Standardsのレビューは、このアルバムでのColeが、ここ数年の本人名義の楽曲よりはるかにルーズに聴こえると指摘している。実際、Coleは「Mighty Mouse」の冒頭で、これから何を言うのか自分でも分からない、と認めるところから始める。緻密に設計された”J. Coleの16小節”ではない。地元のスタジオで肩の力が抜けた声だ。

一方のPFGは、Fayettevilleの具体的な地名とともに、生き残りの記憶を淡々と積む。同レビューは、PFGが9歳のときにタバコをめぐる殺人を目撃したと記している(「In Rotation Left」のリリック内容に基づく記述であり、他媒体での裏付けは現時点で確認できていない)。「Murk Mob」では、来年の今ごろには自分は狙われているだろう、という一行を落とす。

白眉は「Whole House」だ。Coleは2ヴァース目を、名声の”向こう側”から書く。天井に吊るされた背番号、隠しようのない自分のシルエット。対してPFGは、路上の高さから応答する。ひとつのビートの上で、同じ街の出口と入口が向かい合う。co-signが「顔を貸すこと」ではなく「同じ部屋にいること」だと分かる瞬間が、ここにある。

もうひとつの軸──Coleは流通の話もしている

見落とされがちだが、Coleはこのリリースに明確な経済的主張を乗せている。

『NEVER SAY DIE』は、全ストリーミング配信の前に、EVEN上での有料購入という形で先行公開された。Coleはブログで、自分はアーティストが音楽を「売る」ことを信じている、音楽に値段を戻す流れはまだ始まったばかりだ、と書く。同時に、ストリーミングも愛しているし両者は共存できる、とも付け加えている。

これは唐突な思いつきではない。Coleは今年、『The Fall-Off』のフィジカルCDを自分の古いホンダ・シビックのトランクから手売りする「Trunk Sale Tour」を敢行した男だ。その結果が、初週フィジカル11.3万枚、うちヴァイナル8万枚という異常な比率だった。聴ければいいのではなく、所有したい。Coleはその需要が実在することを、自分の数字で証明してみせた。

彼が後輩に渡したのはビートだけではない。「音楽をどう売るか」という設計そのものを渡している。ブログ「The Algorithm」──アルゴリズムに背を向けるための場所として作られ、皮肉としてそう名付けられた個人ブログ──が、その全部の起点になっているのも、話として出来すぎている。

今後の注目点

  • PFGはNervous Reckのレーベル「The Sheltuh」に所属していると報じられている(Super Empty/The Assembly、2026年3月)。Dreamvilleとの契約関係の有無は現時点で確認できていない
  • Coleは「これが最初の一枚で終わらないことを願う」と書いた。The Fall-Off期以降、プロデューサー/キュレーターとしての稼働が継続するか
  • 9月23日のFayetteville公演(Crown Coliseum、米国ツアー最終日)でPFGがステージに立つか。現時点で出演の発表は確認できていない
  • EVEN先行販売という形式が、Cole以外のアーティストに波及するか

HIPHOPCsの視点

co-signという言葉は、「有名人が名前を貸すこと」に矮小化される。だがColeがPFGにやったのは、署名ではなく労働だ。ビートを10曲分作り、3曲でヴァースを吹き込み、流通の設計まで用意して、ツアー初日に相手のアルバムを立たせた。JIDが「Coleは仲間に分け前を渡した」と語ったことと、これは同じ回路の上にある。

co-signの経済は通常、「ブログでの言及→客演→契約」という階段を上る。Coleはその階段を飛ばした。飛ばせたのは、相手が他人ではなかったからだ。これは発掘ではない。帰郷である。

そして、その労働の宛先は後輩ではなく、債権者だった。10代のJermaine Coleをステージに上げた男たちのうち、片方は殺され、もう片方は法廷で証言し、それでもレーベルを作って街に残った。キャリアの最終章を自ら口にする男は、残り時間の使い道を、そこに決めたのだ。

ヒップホップにおける地元への忠誠は、リリックの中で誓われるより、こういう形で支払われるときにいちばん重い。「Mighty Mouse」でルーズに笑っているColeは、キャリアの終わりに向かう男の声ではない。自分を生んだ街に、次の始まりを返した男の声だ。

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