DJ KAORIとの出会いからDodger Stadiumへ―広島からLAへ渡り、フロアを沸かし続けるDJ Yuko【HIPHOPCsインタビュー】
人のキャリアの始まりには、時にまるで導かれたかのような、象徴的な出会いがある。
DJ Yukoが初めてクラブのDJブースに立ったのは、DJ KAORIの初広島公演だった。
1992年に単身ニューヨークへ渡り、日本人女性DJの先駆者として道を切り開いたDJ KAORI。その姿に大きな影響を受けたYuko氏もまた、「アメリカの曲をかけてDJをしているなら、アメリカでやらないとダメだ」という思いを胸に、2011年、西海岸・ロサンゼルスへと渡った。
約20年の時を隔てて、ニューヨークからロサンゼルスへ。
もちろん、二人が意図してつないだものではない。それでも振り返ってみれば、日本人女性DJがアメリカのHIP-HOPシーンへ挑んできた歴史の中で、どこか世代のバトンが渡されたようにも見える。
しかし、ここから先はDJ Yuko自身の物語だ。
ほとんど知り合いのいないLAで、毎週金曜日のレジデンシーを足掛かりにキャリアを築いた。機材を自ら運び込み、出演のチャンスを求めて直談判。時にはクラブの開場わずか1時間前に連絡が来ても、迷わずDJブースへ向かった。
その行動力と度胸で、ハリウッドのクラブからNetflixのイベント、Dodger Stadiumへと活動の場を広げていった。
取材当日、待ち合わせたのはCoronaにある一軒のカフェ。
そこに現れたYuko氏は、小柄ながらも目を引くほど美しく、凛としたオーラを纏っていた。
ところが、話し始めると、その印象が少し変わる。
物腰は驚くほど柔らかく、気さくで、よく笑う。初対面とは思えないほど会話のテンポが合い、気がつけば昔からの友人とHIP-HOP談義をしているような感覚になっていた。
HIP-HOPの力強いビートから、R&Bのメロウなグルーヴへ。
フロアを自在に操る彼女の素顔は、驚くほど柔らかい。しかし、その穏やかな笑顔の奥には、チャンスが来たら決して逃さない芯の強さがある。
今回のインタビューでは、広島のクラブシーンからLAへの挑戦、日本人女性DJとして直面した壁、現場で磨いた選曲術、そして今なおDJ業を「セラピー」と語る理由まで、じっくり話を聞いた。
DJ Yukoがフロアの向こうに見てきた景色を、一緒に眺めてみよう。
「クラブって何?」|広島でHIP-HOPに出会う
SEI:まず知らない読者さんもいるかもしれないので、DJ Yukoさん自己紹介を簡単にお願いします。
Yuko:DJ Yukoです。えっと、広島出身です。2011年に飛んで今 LA 拠点でDJやってます。
SEI:なるほど。DJ始めたきっかけって何だったんですか?
Yuko:めっちゃ長くなるんですけど。いいですか(笑)? DJ 始めたきっかけは、その当時年上の友達がすごい多くて、一緒に遊ぶ機会がめっちゃ多くて。で、みんな車とか運転してて、そこでみんな HIP-HOPやR&Bなどの洋楽を聴いてたんですよ。
SEI:何歳ぐらいの頃ですか?
Yuko:それ私は高3ぐらいかな。大学行く前ぐらい。で、何この音楽みたいになって。何これ、めっちゃかっこいいみたいな。それがHIP-HOPだったんです、それで興味示し始めたんです。それで当時タワーレコードとか HMV とかあったじゃないですか。CDショップ、あったんですよ、広島にも。で、そこでいつも学校帰りにジャケ買いみたいな。
HIP-HOPって何なの? どれなんだろうみたいな感じで。そんでまあ、そこからなんかいろいろ聞くようになって。
SEI:ご家族は洋楽とか聞いてたんですか?
Yuko:家族は聞いてなかったけど、伯父ちゃんがMariah Carey(マライア・キャリー)聞いてたんですよ。マライアの超大ファンで。伯父ちゃん隣に住んでて。私のお母さんのお兄ちゃんですね。いつもマライアキャリーの新しいCDが出たらわざわざ持ってきてくれたりして(笑)当時クラブに行きたかったけど、クラブに一緒に行く友達がいなかったから。
SEI:結構あんまりHIP-HOP聴いてる女子って少なかったですよね。
Yuko:そうそう、当時周りに全然いなくて。そんでクラブ行きたいなって思いながら毎日過ごしてて。それで街歩いてたら、お兄さんがクラブに遊びに来てくださいみたいなフライヤーを渡してきて。で、「ブラックマジック」っていうイベントだったんですよ。
SEI:広島で?
Yuko:広島のイベントで、トッキンさんって人が声をかけてきて。そんで、まあでも私友達いないからって言ったら、なら手伝う?みたいな感じで言われて。あ、手伝うんだったら行けるみたいな感じになって。じゃあ手伝いますみたいな感じでクラブのキャッシャー始めたんですよ。そうそう、そこから友達作って、ガンガンクラブとかにも行くようになって。そのコミュニティーでM氏って方に知り合い。
その人、私の人生のキーパーソンのひとりなんですけど、私にDJ をするきっかけをくれたのがM氏なんです。私早い時から車を運転してて、車内にもうすごいCDがバラバラだし大量にあって、それ見かねたM氏が「そんなに音楽好きなんだったら MIX CD 作ればいいじゃん」みたいに言い出して。当時は「MIX って何?」みたいな。何をどうやって作るの?みたいな感じでした。で、M氏もターンテーブル買えば作れるよみたいな風になって。
SEI:M氏はDJだったの?
Yuko:M氏も興味あったんですよ。だから、半分ずつ出し合って買わないみたいな。そうなって買ったんですよ、ターンテーブル。でめっちゃ練習しましたね、バイナルで。彼はバーで働いてたのもあって、うちオープンデックだから練習してもいいよ、みたいな話になって。
SEI:環境整ってたんだ。
Yuko:そうですね。M氏のおかげで環境がすごい良かったです。そこから結構バーとか行って、できる時は練習とかさせてもらったりとかして。そういう感じで噂が広まって。
当時全然female DJいなかったんですよ、広島に。同世代はDJ NAHOMYちゃん、CLUB Gのオーナーヨウヘイ君からの提案で2006年に毎週木曜日に「Crazy Sexy Cool 」ていうFemale DJのパーティーを始めたんですよ。そこからDJ Snoopy Mimiさん, DJ SAEMIさんと、色々繋がっていきました。
SEI:HIP-HOPのDJ?
Yuko:HIP-HOP、そうですね。HIP-HOP、R&B。
SEI:DJ始めたのは何年ぐらいですか?2000年ぐらい?
Yuko:2000年半ばぐらい…うーん、2004ぐらいかな。5ぐらいかな。DJ KAMACHIさんっていう人が広島にいるんですけど。 広島で一番最初にDJ を始めたっていう、伝説のDJ KAMACHI さんがDJ やるんだったら、クラブで回せばいいじゃんみたいな。バーじゃなくてクラブで回せばいいじゃんって言ってくれて。でもすごいその時は、「え? 」みたいな。私DJになるつもりなかったのに…みたいな。でも、怖いけど挑戦したいみたいな、って思って。でもそれがDJ KAORIさんの初めての広島公演で。
DJ KAORIとの出会い|最初のDJブースで受け取ったもの
SEI:そうなんだ。DJ KAORIさんのこともちょっと後で聞こうと思ってたんですけど。
Yuko:あ、そうそう。その初めて私がDJさせて頂いたイベントが、DJ KAORIさんの初めての広島公演だったんですよ。で、かまち君って方がセットアップしてくれて、オープン回すことになって。それがきっかけでいろいろ他のイベントにも挑戦していきたいなっていう気持ちが芽生えて、そこからもうガンガンやって行ったって感じですね。
SEI:この時に影響されたアーティストってやっぱりDJ KAORIさんとか。
Yuko:DJ KAORIさんはもう本当に影響はめちゃくちゃ受けましたね。あとDJ Junkoさん、ミックスはよく聞いてました。こんな人がいるんだ~、みたいな。女の人でこんなガンガンスクラッチをやって、かっこいいな~、みたいな。
SEI:DJ KAORIさんは1992年にニューヨークへ、Yukoさんはちょうどその20年後ぐらいに2011年にLAに渡米されましたよね。
Yuko:そうですね。DJ KAORIさん世代が開けた扉によって、自分たちの世代の女性DJの進出が可能になった。もうみんなめちゃくちゃインスピレーション受けたと思います。やっぱり、DJ KAORIさんはすごいと思う。
NY仕込みとWest Coast|広島で育ったDJ Yukoの土台
SEI:私も昔憧れてましたし、すごい方だと思います。ありがとうございます。その時の広島のHIP-HOPとかクラブシーンってどんな雰囲気だったんですか?
Yuko:HIP-HOP系インポートストアとかも何軒かありましたし、広島はLow riderも盛り上がっていましたよ。
DJ COUZさんが、広島Low rider のシーンのトップにいる「Lefties Car Club」のヒロシさんと繋がっていたので、2000年代初頭から中盤にかけて一世を風靡した伝説的な日本ツアー「Big Boy & DJ E-Man Presents Mickey Fickey Mix Japan Tour」を広島で実現したりしたので、地方にいても刺激はたくさん受けれましたね。
West Coast RapだけでなくSouth HIP-HOP、New York HIP-HOPにも興味をもちはじめて色々なクラブやレコードストア出入りしていろんな曲をリサーチするようになって。岩国に米軍基地があるからインターナショナルなVibeを感じに岩国にも行くようにもなって。岩国のクラブでDJ PLANETが盛り上げてたレジデンシーEventに毎週末参加して、どっぷりSouth HIP-HOPにハマりましたね。
数年後岩国のクラブは改装をきっかけにイベントは終了したんですが、2009年に広島のRampageというエンターテイメント/目dぃア事務所にお世話になっていたんです。その事務所を通してTEE君のLIVE DJとしても活動しました。その時はアーティストとのライブコラボレーションを学ばせてもらい、とても良い経験させてもらいました。
その後DJ SUPAHIRO君っていう方がニューヨークから広島に帰ってきて、広島でまたDJをやり始めてて。次はそこのイベントに毎週金曜日参加させてもらって。そこからも超影響受けて。結構色々私もトレーニングして頂いて、ケーブルのつなぎ方とか、「ちゃんと全部ケーブルも自分でセッティング出来るようになれ」と。今思えばすごくありがたい事です!
SEI:そういうテクニカルな面とかも鍛えられちゃったんですね。
Yuko:そうなんですよ。SUPAHIRO君がそういうのをいろいろやってくれて。で、あのPower 97のDJミックスとか当時(日本では)聴けなかったじゃないですか。だから、SUPAHIRO君がそのニューヨークのありとあらゆる手段とコネを使って録音してくれて、 CDに焼いてみんなに渡してて。「これがニューヨークのDJだ!」みたいな感じで。「これ聞いて、お前らも練習しろ~」みたいな。彼がいろいろそういうのやってくれて、みんな毎週金曜日そこでいろいろ鍛えられて、キャリア積んでった感じですかね。
SEI:ニューヨークと西海岸って全然違いますよね。
Yuko:そう。で、私も結構最初影響受けたのがやっぱ2PACとか。当時隣に住んでた近所のお兄ちゃんがLowriderだったんですよ。で、なんかガンガンHIP-HOP大音量で2PACとかめっちゃ流してて。で、聴こえるじゃないですか、隣だから。「何これ、めっちゃかっこいい」みたいな。だから私も結構WestsideのHIP-HOPの方がちょっと興奮してたんです。
SEI:ノリに合ってたんですね。
Yuko:DJ始める前はWest CoastのEventレジ会計も手伝ってたんですよ。当時広島のHIP-HOP clothing storeもやっててWest coast style Rapperとしても最先端に発信してた黒羽Krow君、日本初のChicano Rap Onlyで活動してるDJ Santana君もメンバーにいて、毎週末DOPEなWest coast rapを聞かせてもらいました(笑)。
名前全部は出せませんが、DJメンバーはかなり豪華でみんなバイナルでかけてたし、いま思えばすごい時代でしたね。
SEI:さっきも仰っていましたが、Yukoさんはバイナルもやられるんですね。
Yuko:私バイナルから始めました。そうです。2000年あたりかな。
SEI:ずっとPCでやっているのかと思っていました。最近のDJはみんなパソコン使いこなしている印象なんですよね。バイナルは、今も集めているんですか?
Yuko:今はさすがに集めてないですけど、コレクションはまだ全部私の実家にありますよ。
SEI:結構昔のやつとかすごい値段になってるって聞きますけど。
Yuko:物によっては。
SEI:コレクターが世界中から。
Yuko:そうなんですね。そう。クラブDJする時は、毎週末大きいレコードボックス2つぐらいいつも引いて回ってましたね。それは何歳ぐらいだろう。20…24とか5ですね。
SEI:20代半ば前半ぐらい。
Yuko:体力あったから。
SEI:その年齢なら体力アリアリですよね。
Yuko:体力あったから、もうガンガン2つでも3つでも私は持っていく、みたいな感じで。
SEI:その時から「私はもうDJ一本で食べていく」って思ってたんですか?
Yuko:これで日本で食べていく、みたいなのはなかったんですけど。でも私はアメリカの曲をかけてDJしてるから、アメリカでDJしないとダメだ、みたいな感じのマインドがあったんですよ。
SEI:じゃあやっぱ海外で活動したいって気持ちは。
Yuko:ありましたね。アメリカでやらないとダメだみたいな感じなのがあって。でも「アメリカでDJって仕事として認められてんのかな?じゃあDJで生活するぞ!」みたいな、そういう感じの夢は漠然とありましたね。
「友達が一人でもできたら引っ越そう」|LAへ導いた出会い
SEI:なるほど。そうだったんだ。海外へはいつ頃行かれたんですか?
Yuko:海外に初めて行ったのは 2009年、10年かな。初めてアメリカに行きたいって漠然とした思いがあって。でもどこに行けばいいんだろうみたいな感じがあって。ロサンゼルス、ニューヨーク、どっち? どこ? みたいな。で、友達とロサンゼルスに旅行に行こう、って話が出て。あ、ロサンゼルスいいじゃん、行こう行こうみたいな。ウェストコーストのヒップホップ私好きだし。チェックしに行こうみたいな感じになって。で、ロサンゼルス来たんですよ。それで、もうすごい好きになっちゃって。
SEI:西海岸の方が性にあったんですね。
Yuko:そう。もうすごい好きになって。天気もいいし、寒いのダメなんで(笑)。
たった3日~4日だったんですけど、それでもすごかったです。当時携帯もiPhoneとかじゃなかったから、もう紙の地図広げて運転しました。
SEI:あー、昔は出かける前にマップクエスト印刷、みたいなんでしたよね。
Yuko:当時は地図を見ながら運転してました。すごい時代でしたね。で、それからLAがすごい好きになって。その時心に誓ったんですよ。「私に友達が一人でもできたら引っ越ししよう」って。
SEI:できたんですか?
Yuko:すごい出会いがあったんです!日本帰ってDJ活動を始めて、九州の福岡にDJ CAPITAL T君っていう友達がいて、その子にブッキングしてもらった時に、たまたまロサンゼルスでDJしてるDJ Loquito君がアメリカから地元に回しに帰ってて。そこで「彼LAでDJやってるよ」みたいな感じで紹介して頂いて。
その彼が、女友達紹介してあげるよみたいに言ってくれて。それで翌年ぐらいにまたLA行って、DJ Loquito君訪ねて、その時に紹介してもらったのが、これまたすごい私の人生のキーパーソンなんですけど、DJ Sherry Catっていう女の子。しかもその子日本人で同じ広島出身だったんですよ。私知らなくて、えー広島出身?みたいな。広島出身で、DJ やってて。もう完璧!みたいな。これはもう、神様からの…。
SEI:巡り合わせ。
Yuko:巡り合わせ。
SEI:Yukoさんの運命を決めた。
Yuko:そう、私もそう捉えちゃって(笑)。
SEI:そうなりますよね。
Yuko:広島出身でDJでしょ?もうこれは完璧だ!みたいな。この子と友達になっちゃったから、もうLA行っちゃおうみたいになって。でも、結局彼女は数年で他の国に引っ越して行っちゃったんですけど。
SEI:絶対運命ですよね。Yukoさんを導くための存在だった、的な。
Yuko:そう。それで引っ越しして、Sherry Catちゃんが、そこで色々私を紹介してくれて。彼女が毎週金曜日にやってる箱があって、そこはイーストLAの『AREA DNA』ってとこなんですけど、そこで毎週金曜日にSherry Catちゃんの後釜として、私が毎週金曜日Playするみたいな感じになって、そこでLA のキャリアを築き上げてきた感じですね。というか、そこから始まった。
でも最初はすごい時代だったんですよ。あのターンテーブルとかミキサーも全部自分で持っていかなきゃいけなくて。DJコントローラーっていうのが、まだあんまり出てなくて。で、私が全部ミキサーやターンテーブル日本から持ってくるみたいな。ミキサーと、あの当時でいえばスクラッチライブっていうものなんですけど、パソコンにつなげてそれでDJできるインターフェイス、それを持って行って。ターンテーブルも1個あればなんとかなるっしょ、みたいな感じでした。過酷ですよね(笑)。結局後から2個持ってきましたけど。そんな感じで始めて、毎週金曜日でキャリア積んでって、いろいろそこからお話もらって、クラブで DJ 始めたって感じですかね。
それと同時にすごい縁を頂いて、アヴェニューさんから2011年から2012年ドンキホーテさんにてMIXCDを販売する機会もいただきました。全部で12枚ですね。
【PARTY IN THE ANGELS MIXCD】
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日本人女性DJとしてLAへ|歌うフロアと、試された夜
SEI:間違いないです。最初にDJ Sherry Catさんと出会って、そこから人脈が広がったんですね。その後、他に現地で仕事とか人脈とかっていうのはどうやって築いたんでしょうか?
Yuko:最初のDJの仕事は、Sherry Catちゃんがくれた毎週金曜日のレジデンシーでそこから始まって、まあまあ色々行きました。アジア系のOpen format party がある『EXCHANGE LA 』とか、めっちゃ大きいベニューであるパーティーとかで回してましたね。あとは、ハリウッドのクラブのほとんど。私のウェブサイトにDJした場所が全部書いてあるんです。
SEI:読みました!では逆に、日本で DJ をされていて、その後実際にLAのフロアでプレイをされた時、一番最初に感じた違いって何でした?
Yuko:みんなすごい歌う。
SEI:歌いますね(笑)。
Yuko:やっぱなんかアメリカの曲だから、みんなすごい歌う。みんなリリック知ってるなって感じ。フック以外のバースの部分でも
SEI:すごい力入れて歌いますよね。そうかそうか。日本って結構体揺らしてるし、サビの部分は歌うけど、アメリカに比べたら…みたいな感じですよね。日本人で、しかも女性のDJとしてLAのシーンに入っていく中で、難しさとか壁を感じた経験とかあります?
Yuko:いや、あんまり言いたくないですけど…なんかまあアジア人、日本人、やっぱりイコールにみてもらえない時多いですね。
SEI:それはすごいありますね。こっちに来ないとわからない経験かもしれないですけど、それはあります。
Yuko:ありますね。しかも私HIP-HOPのクラブですごい回したくて、機会を求めて、ハリウッドの当時一番のクラブ、毎週火曜日のHIP-HOPインダストリーナイトがある、『Supper Club』っていうところでDJしたくてプロモーターとか、関係者や知り合いのDJとかに「DJしたい、機会ください!」、ってお願いしてみたんです。そしたらミーティングに行けることになって、そのミーティングに参加させてもらって、「じゃあ来週の火曜日回す機会をあげよう」みたいなことを言われて。「でもまだ確定じゃないから!」って。で、結局連絡来たのが、その当日のクラブがオープンする 1時間前。
SEI:えええええ!それって誰かが来なかったから代わりとかだったんですか?
Yuko:そうかもしれなかったんですけど、まあそこまで待たされて。こっちはずっとメッセージしても電話しても出てもらえないし。試されてる……っていうか、テストされてんのかなって思いました。
SEI:あ、テストなのかも。
Yuko:って、思いますよね。やっぱ舐められてんな、みたいな。行ってきましたけど。
SEI:行ったんですね。
Yuko:行ってやりましたね(笑)。
300ドルの車でフリーウェイをドリフト|ゼロから始めたLA生活
SEI:ちょっとお話ずれるんですけど、アメリカに来て、ヤバい経験とかされました?
Yuko:最初の話したらすごい長くなるんですけど、引っ越しした時に当時300ドルで車を譲ってあげるよって言われて。で、300ドルで車を譲ってもらったんですよ。日産Maxima。もうめっちゃ古い車。
それで車に乗ってフリーウェイ運転してる時に煙が上がって、それこそもう前輪からスモークがバーンって上がってきてて、「え、何これ? 」みたいな。で、運転ハンドルがほんとこうやってガタガタガタガタ、シェイクしだして。
で、自分は何が起こってるのかわかんないじゃないですか。それでブレーキ踏むでしょ。ブレーキ踏んだらグルグルドリフティングして。フリーウェイの上で。
SEI:リアルFast and Furious!周り大丈夫でした?
Yuko:それが、奇跡的に当たんなかったんですよ、周りに。多分ね、周りの人たちは運転しながらこの車おかしいなって思ったんだと思う。モクモクと煙出てたから。しかもCrenshaw(クレンショー)のフリーウェイの出口のところで。
何回転したか覚えてないけど、「私終わった」って思いましたね。でも結局Crenshawのフリーウェイの出口らへんで止まってくれて。私はもう全身震えまくりで。
でも、なぜか冷静に「面倒くさいことになる前に帰らなきゃ」と思って、エンジンをゆっくりかけ直して、何事も無かったかのように帰りましたけど(笑)。
SEI:それってどこら辺ですか?
Yuko:えっとね、フリーウェイ10のクレンショ―と 、Midcity(ミッドシティ)とSouth Central(サウスセントラル)ら辺の間ぐらい。
「上手いDJ」とは何か|フロアの空気を変える選曲
SEI:ご無事で何よりでした(笑)。あのキャリア初期のYukoさんにとって、上手いDJってどんなDJだったんですか?あと今 20年経ったじゃないですか。その定義って変わりました?
Yuko:ああ、そうですね。実はそんな変わってないかなって。上手いDJ……私がすごいなって毎回思うのは、ガンガンHIP-HOPで盛り上がってる最中に、いきなりジャンル変えてそれでもなんかそのバイブを持ってこれる、みたいな感じのDJですね。
SEI:お名前とか出せます?例とか?
Yuko:例でいうとDJ AMかな?彼はサンプルの知識半端なかったし(Rest in Peace DJ AM) 。
ローカルDJとかでもやる人いるんですけど、ほんとガンガンHIP-HOPでワーッになってる時にいきなりR&BやDiscoに変えて、でもバイブスは一緒みたいな感じの、年齢幅広いクラウドを歌わせるDJはすごいなと毎回思いますね。いわゆるAll genre(オールジャンル)かけてDiscoでもHIP-HOPでも幅広い年齢のパーティーでもロックできるDJですね。極端な話、おじいちゃんやおばあちゃんもロックできるDJ。
私の旦那(ILYFR)がメキシカンとブラックのハーフで。お母さんがメキシカン、お父さんがブラックなんですけど、そこからオフィシャルにふたつの文化をがっつりみさせてもらって、Oldiesも好きになってきてて。
ブラック、チカーノ(メキシコ系アメリカ人)のカルチャーでオールディーズ(Oldies)やチカーノ・オールディーズ(Chicano Oldies)と呼ばれてる1950年代〜70年代のソウルやR&B、ドゥーワップが流れたら、カップルがロマンティックに踊り始めるじゃないですか。彼も音楽やっててOldies , G-funk 系なんですが、( East Los by ILYFR)、彼からOldiesの曲を教えてもらってますね。
彼のメキシカンのファミリーのパーティーQuinceañera(キンセアニェーラ…メキシコをはじめとするラテンアメリカ諸国やアメリカのヒスパニック系コミュニティにおいて、女の子の15歳の誕生日を盛大に祝う伝統的な成人式であり通過儀礼)でDJさせてもらった時、最後はOldiesで締めました
旦那の話に戻るんですが、彼はディレクターもやってて初めてのプロフェッショナルアーティストとの作品はBob Marleyの孫Bambaata Marleyで、最近ではCoyote feat Lefty Gunplay のMusic videoを作成したりだとか、 精力的に活動しています。
注:本インタビューでも同席していたILYFR氏は、音楽、映像、ファッションなど多岐にわたる分野で表現を続けるマルチアーティスト/ミュージシャン/ディレクターである。
昼と夜で変わる選曲|クリーン、ビーフ、そして現場のリアル
SEI: YukoさんがDJとして気をつけてることとか、肝に銘じていることとかあります?ポリシーみたいな。
Yuko:ポリシー。最近はやっぱパブリック(公共の場)でDJすることが多いんで。
SEI:かなり大きいイベントでDJやってらっしゃいますよね。
Yuko:まあまあ昼間のイベントとか。だからもうほんと気をつけてるのはもうカースワード(冒涜的、または不快な意味合いを持つ言葉)とか入ってるのは絶対かけない。クリーンバージョンのみとか。
SEI:昼間のイベントだとそうなっちゃうんだ。
Yuko:クリーンバージョンで絶対かけないとダメっていうのはもう頭にめっちゃあって。ドジャースのギグもそうですけど、もうドジャースもプレイ前に署名させられるんですよ。「絶対にカースワード入ってる曲はかけない」みたいな。
SEI:すごい曲を選びますよねぇ。
Yuko:そうなんです。だから本当にダーティーバージョンかけれない。ありますけどね、ギリギリやばいみたいな曲や、クリーンって書いてあるのにダーティーワードがちょっと入っちゃってるやつ。かけた後「やばい、これダーティーじゃん」って気づいた時は、もう平然と切ったりとかして、ごまかすしかない。
SEI:やっぱり。パブリックの昼間のイベント参加者はクラブと違って老若男女問わずだったりしますからね。
Yuko:昼間のイベントは本当に…。そこはもう気遣ってますね。本当にかけない。
SEI:日本って、そこらへんかなーり曖昧ですよね。
Yuko:そうですよね。昔の事なんですが、まだ鮮明に記憶にあるのが、ダンスのなんかイベント…確か子どものダンス発表会とかで、YIN&YANG TWINS の…。
SEI:YIN&YANG TWINS!!
Yuko:めっちゃやばいでしょ(笑)。YIN&YANG TWINS のね、『WAIT 』って曲。めっちゃセクシャルな曲じゃないですか。それを子どもたちが踊ったんですよ。着物着て傘持って踊ってて、いやいやこれやばいでしょみたいな(苦笑)。
SEI:多分90%以上の人が歌詞分かっていないと思うんですけど、すごい現象ですよね。
Yuko:わかってないとはいえ、わかる人も中にはいるから…それすごいカルチャーショックでしたね。
SEI:カルチャーショック、間違いないです。
Yuko:私も子ども生まれてからそこの概念はすっごい変わって、気を付けるようになりましたね。若い時なんかは、イエーイみたいな感じで、ノリノリだったんです。かっこいい~みたいな感じで。だけど、そこはやっぱり変わりましたね。
SEI:逆に夜の時間帯のDJとかも?
Yuko:夜も、そうですね。たまにやってますね。
SEI:そういう制限はなしでやってらっしゃるんですか?
Yuko:うーん。やはりちょっと考えちゃうのは、ラッパー同士のビーフとか。例えばKendrickとDrakeのビーフありましたよね?やっぱ女の子はDrake 好きだけど…。
SEI:女の子はDrake好きですよねぇ。
Yuko:でも男の人はLAという土地柄Kendrick派が多いから、どうしようみたいな。そこら辺は結構考えちゃったりはしました。あと、D*ddyの曲はかけないっていうのはもう心に…(笑)。
あと R. *ELLYもそう。ラウンジとかで R *ELLY はかけれないですね。昔かけたんですよ。R. *ELLY フューチャリングの曲。そしたら黒人の女の方がブースに来て、「なんで R. *ELLY かかってんの?」 みたいなこと言われたこともありますね。
SEI:ありがとうございます。やっぱこういうとこってやっぱ日本だとわからない部分なので、現場からのリアルなお話は貴重ですね。
Yuko:日本って逆にすっごい楽しくDJできる場所だと思う。だって制限なしだから。クリーンでもダーティでもどっちでもいいし。ビーフとか気にしなくていいし。
誰を踊らせるか|LAのフロアを読む
SEI:LAのオーディエンスを実際に踊らせるために、日本でDJをしていた頃から変えなければいけないスタイルとかありましたか?
Yuko:変えなければいけないスタイル…。
SEI:例えば曲とか選曲をちょっと西寄りにするとか、なんかそういう。
Yuko:ああ、そうですね。基本LAでDJするんだったら、ニューヨークのラップはあんまりかけないかな。イベントのテーマにもよりますがLA のローカルアーティストの曲が多いですね。
SEI:年代とか世代とか、フロアにいる人たち見てる感じですか?
Yuko:まあやっぱ見ますね。フロア見て女の子多いとか、何歳ぐらいとか、もう頭の中でも分析しますよね。
SEI:オーディエンスを見つつで。
Yuko:誰が一番ノリがよく踊ってるかとか。その人踊らせたらみんな踊るでしょみたいな。思っちゃったりもする。笑
SEI:それは知らなかった。たまに見ますよね。めっちゃ踊ってる人とか。
Yuko:そう、やっぱ黒人の女の人とかすごいノリいいから、その人がすごい踊ったら、あ、もうこの人ターゲットにしてこの人踊らすみたいな。もうレーダー行っちゃってそこに。
SEI:なんならその人中心に、フロア中のみんなでラインダンスとかも始まっちゃったり。
Yuko:そうなの。それはよくやっちゃいますね、たまに。
「日本人」であることが武器になる|Netflix、Dodger Stadiumへ
SEI:ありがとうございます。あとは逆に日本人であることが、個性とか武器になったと感じた経験あります?
Yuko:最近、ドジャースの大谷翔平選手や山本由伸選手、エンゼルスの菊池雄星選手、そして佐々木朗希選手、日本人の盛り上がりがすごいじゃないですか。スポーツだけではなく日本食やら抹茶もかなり人気ですし。
SEI:すごいです。
Yuko:そう、だから結構日本の企業案件の機会が増えている気がします。日本のイベントだし、日本人のDJを呼びたい…って方が嬉しいことに、結構増えてて。
SEI:コーポレートですか!
Yuko:そうそう、ウイスキーの会社とか。あとNetflixもこの前DJさせてもらいました。Netflixのウルトラマンの映画のプレミアで。
SEI:ウルトラマン!
Yuko:ウルトラマン日本のアニメでしょ。それで彼らが日本人のDJ探してて。
SEI:おおお、なるほど!それでYukoさんに白羽の矢が立った。
Yuko:そうなんですよ。ありがたいことに、エージェンシー通して話をもらえて。日本の曲かけてほしいって言われまして。
だから、日本の曲かける機会がどんどん増えたら、アメリカはもっとすごいことになるなって思いますね。ドジャースの球場でDJさせて頂いた時も、ジャパニーズヘリテージナイト含めもう何回かやってますね。
SEI:そんなに!すごい!
【DJ YukoのDODGER STADIUMプレイ実績】
- 2017 — World Baseball Classic
- 2022 — Japanese Heritage Night
- 2022 — Hello Kitty Night
- 2023 — Japanese Heritage Night
- 2025 — Hello Kitty Night
- 2026 — Japanese Heritage Night
Yuko:ありがとうございます。それで何回かやらさせてもらって、日本の曲をかける機会もらえたんですけど。
SEI:ちなみにどんな曲かけたんですか?
Yuko:私がかけたのは主に日本の90年代とか2000年代のポップやCity Popですね。
SEI:じゃあHIP-HOPは?
Yuko: クリーンバージョンある曲はかけましたよ!主にUS HIP-HOPですが。
ドジャースに、その他の言語でも、悪い単語はダメなのかって聞いたら、いやそれはダメだねって。やっぱりわかっちゃう人がいるって時点で、もうそれはNG、アウトだから。中国語とか、韓国語でもダメ。
SEI:以前LAではToo $hortの『Blow the whistle』が必ずぶち上がる魔法的な曲だとお話されていました。今、LA のフロアを一瞬で変えられる曲を一曲だけ選ぶとしたら何ですか?
Yuko:あの、めっちゃ思うんですよ。LAってぶっちゃけもうメキシコなんですよ。だからメキシカンの曲(笑)。
SEI:あー意外!そこですか(笑)メキシカン!
Yuko:メキシカンの曲、かけたらもうめっちゃ踊りだす。
SEI:例えばなんですか?なんか民謡っていうか、トラディショナルな歌とかですか。
Yuko:Hechizeros Band – El Soniditoとか。それ以外にもいくつかありますがこれが最近印象的で、最近ハリウッドのAndy’s (Anderson Paak のお店) でもかかってるの見てましたし。ハリウッドではなかなかメキシカン民謡はかからないんですよ。でも、これかかるとめっちゃ踊りますからね(笑)。そこからtone playでうまくHIP-HOPに戻してて、さすがだなーと感じました。LA らではの選曲ですね。
あと最近一番リクエストもらうのは、Don Toliverの『Body』。
SEI:おお!
Yuko:女の人とかめっちゃこの曲で踊ります。昼間のブランチギグなんかでもリクエストもらいました。
Tyga、Meek Mill、Nas|LAの現場で出会ったアーティストたち
SEI:そうなんですね。ありがとうございます。で、これまでFrench Montana、YG、Juicy J、Meek MillなどなどHIP-HOPの有名なアーティストに関わるイベントとかパーティーでDJをされていますが、特に印象に残っている現場とかエピソードとかあれば教えてください。
Yuko:特に印象に残っているのは、TygaとTygaのベストフレンドの、なんだっけな……Alexander “AE” Edwardsかな。Po$taBoy$っていうローカルグループがあって、それがTygaとそのベストフレンドなんだけど…あとAmber Roseも当時入ってたのかな。
SEI:ありとあらゆるラッパーを落としてる、あのAmber Rose!
Yuko:その彼女が当時付き合ったのが、Alexander Edwards。彼、ボーイフレンドだったんですよ。他のあとPo$taBoy$のメンバーがいて、彼らの洋服のコラボで私DJしたんです。
その日が、そのAEの誕生日で、そこで誕生日を祝うみたいな感じになって……なのに肝心のTygaは来なかったです(笑)。
SEI:Amber、美人でしたか。
Yuko:お肌むっちゃ綺麗でした(笑)。
SEI:綺麗ですよね。
Yuko:あとMeek Mill。彼もすごいナイスガイでしたね。そのイベントの主催者に挨拶しに行こうって言われて。全然普通にいい人でしたね。早い時間から来てたし。
あと、黒人のHIP-HOPのパーティーでDJした話なんですけど……私、NasのリリースパーティーでもDJしたんですよ。
SEI:すごい。Nasの?
Yuko:その当時ナオさんっていうすごいかっこいい先輩がいて。彼女がLAのBLACKのコミュニティと繋がっていて。その日もインダストリーナイトって感じでした。
「お客さんをハッピーにしたい」|DJ Yukoの選曲哲学
SEI:あの、DJにとって自分が好きで聴かせたい曲と、その場のお客さんが聴きたい曲が違った時、Yukoさんはどちらを選びます?
Yuko:お客さん。
SEI:お客さんなんだ。
Yuko:やっぱお客さんをハッピーにしたいと思う。DJ 始めた時はなんか自分の好きな曲もそのトレンドと何かミックスしていい感じにかけて盛り上がらせたいみたいな気持ちあったんですけど、お客さんが目の前にいるんだったら目の前にお客さんをハッピーにして、自分の好きな曲はもう自分のミックスとかでやろうみたいな。
SEI:なるほど。HIP-HOPのDJにとって、選曲、技術、そしてその人自身のセンスとか個性はそれぞれどのぐらい重要だと思いますか?
Yuko:でも選曲はやっぱりいろいろリサーチしないといけないとは思います。アメリカの、どこでDJをするかによっては、リサーチ必須ですね。LAだったら当然LAのローカルのアーティストをいっぱいかけないといけないし。でも個性も大事です。ソーシャルメディアも大事だし、プロモーションもやってほしいっていうクラブもあると思うから、DJもプロモーションもできたら、それはプラスになりますよね。時代は変わりましたよね。
Mashup、SNS、ストリーミング|変わるDJ、変わらないもの
SEI:変わりましたね。ありがとうございます。広島から始めて長年DJされてますが、その間HIP-HOPやクラブカルチャーで一番変わったと感じることは何ですか?
Yuko:すごい変わったなって思うのは、今はMashup(マッシュアップ)がめっちゃ流行ってて、オリジナルの曲をかけてるDJが少ないんじゃないかなってところです。(私も含めて)若い世代の子たちはすごいMashupやリミックスで昔の曲かけてて、これが今のスタイルの昔の曲のかけた方かって(笑)。昔の曲をMashupにしてかけたら紹介しやすいし、いいですよね。私個人は、Remixやmashupも大好きですが、オリジナルも必需ですよね!
SEI:確かにオリジナル知ってるのって私たちの世代とか。
Yuko:そう。でも若い子もすっごい私たちの時代に流行った曲知ってるから、どうやって知ってるのか知りたい(笑)。
SEI:逆に時代とかテクノロジーが変わっても、DJという仕事のここだけは変わらないという思う部分はありますか?
Yuko:やっぱりテクノロジーはその場にどんな人間がいるか?みたいなバイブスとかは読めないから、DJ自体がなくなることはないと思います。というか、そう願いたい。最近SpotifyとかDJ機能ついてるじゃないですか。そのDJ機能でプレイさせても、あれ?これ違うよ、みたいなのたくさんあるし、やはり人間じゃないと「あったかいDJプレイ」みたいなのはできないと思う。
SEI:あったかいDJプレイ。なるほど。SNSによってDJ自身が発信者になる時代が来ました。DJとしても実力だけじゃなくて、フォロワー数とかセルフブランディングも求められる現在の環境をどう思いますか?
Yuko:すごい時代になったもんですよね。
SEI:そうですね。
Yuko:変わりましたよね、本当にね。でもまあ、2020年のパンデミックでストリーミングDJがすごい流行って、TWITCHとかKICKSとか、新しいDJが確立されて。家でもDJして稼げる時代にもなったってことなんでしょうね。私も2020年にDJ Sophia Lin、Stephanie LoayzaっていうFemale DJたちと一緒にストリーミングやったんですよ。
SEI:Sophia Lin。彼女について教えてください。
Yuko:彼女はロサンゼルス拠点のinternational professional DJ、Artist、model、entrepreneurで、20年にわたるDJ経験を持っててアジアを含む世界各地で豊富な国際公演経験を持つレジェンドです。(主な共演/同ステージ出演: Rick Ross、Busta Rhymes、Pitbull、Travie McCoy、Lupe Fiascoほか)
めちゃめちゃやり手なDJなんですけど、その子が2020年のパンデミックの時に一緒にストリーミングやらない? って話しかけてくれて。彼女とDJ Stephanie Loayza。
Stephanieもロサンゼルス拠点のめちゃくちゃ洗練されてるされてるかっこいいDJで。彼女はPeru出身Latin vibe House musicをかけます。彼女のYouTube channelもめちゃくちゃカッコいいんで、リンク貼っておきます。
3人で『Club Maverick』っていうTWITCHのアカウントを作って、いろんなDJを招待して、一緒にストリーミングやるみたいな感じの活動したんですよ。毎日DJやってストリーミングして。それで色んなDJとコラボする機会があって。すごい良い経験でしたね。
SophiaとStephanie私の3人での初めてのTwitch Streamが、The Baka BoyzのEricとのコラボで、Ericのチャンネルで紹介してもらって、私達のチャンネルをブーストしてもらいました。彼は私達のTwitchの先生です!
SEI:面白かったですか?難しい?
Yuko:なんかいろんな刺激があって、面白かったです。いろんなDJとこんなに近くで、クラブじゃないのにこんな密で一緒にDJしてバイブス感じるっていうのは、もうかなり刺激になりました。
SEI:フリースタイルでやっていくんですか?それとも何か決められたビートとか音源とか?
Yuko:テーマみたいなのがあるんですけど、例えば2000年代のThrow backとかHIP-HOP、R&B、あとHouse Music、オープンフォーマットみたいなの色々あって。でも色んなDJを呼んでDJして本当に楽しかったです。
とにかく、TikTokとかストリーミングができてきて、誰でもDJができる時代にはなりましたよね。いいのか悪いのかは置いといて、すごい時代だと思います。当時バイナルから始めた私からしたら、やっぱもうすごいとしか。
SEI:良い、恵まれた環境。
Yuko:恵まれた環境ですよ、本当に。
受け取ったバトン、その先へ|LAでつながる日本人アーティスト
SEI:ありがとうございます。次は「あの人」とのつながりのお話なんですけど、以前大門弥生さんにインタビューした際に、LAから来たばかりの時DJ Yukoさんがいつもライブを撮ってくれていたってお話されてました。それだけじゃなくて、DJ2highさんもYukoさんの名前出してらしたんですけど、LAで活動する日本人アーティスト同士の繋がりについて、Yukoさんはどのように感じてらっしゃいますか?
Yuko:すごい嬉しいです。弥生ちゃんもですが、DJ 2highさんもロサンゼルスでかなり有名なDJ/プロデューサーですし、名前出してもらえて光栄です。
SEI:大門さんのインタビューからも、Yukoさんに対するリスペクトみたいなのが見えました。だから是非インタビューさせていただきたいと、その時からずっと思っていて。
Yuko:弥生ちゃんとステージをシェアする時って、ライブDJとかやらせてもらうんですけど、やっぱすごい彼女のエナジー感じるんですよ。弥生ちゃんとやってて、自分もめっちゃ「うわぁ~」みたいになる。ヤバいくらい刺激になって、毎回すごいパワーもらいますね。
「大丈夫。なんとかなる」|これから海を渡る人へ
SEI:「これから」のお話を聞かせてほしいんですけど、広島からLAに渡った2011年のYukoさんに何かメッセージを送るとしたら、現在のYukoさんは何を伝えたいですか?
Yuko:大丈夫。
SEI:大丈夫。なんとかなる、ですか?
Yuko:なんとかなる。
SEI:車がフリーウェイでドリフトしても大丈夫だから、と(笑)。
Yuko:いや、あれは本当にやばかったです(笑)。
SEI:本当に大きな事故にならなくて良かったです。これから海外、特にアメリカでDJとか音楽活動に挑戦したい日本人の方に伝えたいことってありますか。
Yuko:伝えたいことは、やりたいって思ったら、すぐ行った方がいい。私、結構遅い年齢で行ったと自分で思ってるんですよ。20代後半で渡米したから、もっと早く飛べるなら飛んでください。やりたいなっていう時にすぐ行った方が、年取ってからじゃやっぱ体力がついてこない。
SEI:Yukoさん私より若いじゃないですか。でもまあそうですよね。夜クラブとかオールとか辛くなりますもんね。
Yuko:DJって特に体力勝負なとこあるんで。自分の体も管理しないといけないし、それも仕事のうちだから。DJとして早い時に動いた方が良いです。
「DJはセラピー」|夢の仕事を続ける理由
SEI:ありがとうございます。20年以上DJを続けてきた現在のYukoさんにとってDJとは何でしょうか?
Yuko:夢の仕事ですよね。
SEI:夢の仕事。
Yuko:みんな仕事と思ってないから。
SEI:もう仕事と思ってない。
Yuko:DJやってる時って仕事と思ってやってない自分がいる。楽しんでやってるから。
SEI:私もライター業同じく、です。
Yuko:楽しくやっている。やはりそれが一番ですよね。もう夢のような時間、みたいな。なんかセラピーみたいな感じです。
SEI:好きで、楽しいことをやってる。
Yuko:昨日も8時間のDJだったけど。
SEI:8時間ぶっ続けですか?
Yuko:8時間ぶっ続け。
SEI:うわすご!どこでですか?
Yuko:San Diegoのカジノなんですけど。
SEI:カジノでDJやられたんですか? 体力勝負だわ。
Yuko:そう、体力勝負ですよ。2時間運転して。8時間 DJ。でも、全然苦じゃないですね。楽しい。
SEI:楽しんでDJを嗜む。セラピー。
Yuko:リアルにセラピーですね。
DJのその先へ|DREAM DJ Serviceとこれから
Yuko:あと私、ビジネス始めたんです。ちっちゃい会社なんですけど、自分の会社起こしたんですよ。
SEI:どんな会社でしょうか?
Yuko: DJ会社なんですけど、『DREAM DJ Service』っていう会社なんです。
SEI:いいじゃないですか。DJの派遣とかですか?
Yuko:派遣はまだしてないんですけど、私がその場に行きますよ、みたいな感じの。
SEI:ありがとうございます(と名刺を頂く)。あ、 DREAM DJサービス。CEO DJ Yuko。
Yuko:プライベートパーティー、ウエディングDJ とか、会社のポップアップとか、私がその場に行って、DJ ができるDJ 環境を作る。スピーカー持ってって、全部自分のDJブース組み立てて、そこで空間を提供するってDJ業。
SEI:Yukoさんもプレイするんですか?
Yuko:そう、私もプレイするし、もっと事業を大きくして、他のDJのブッキングできるようになったらと思っています。やっぱカリフォルニアってプライベートパーティーとか、めっちゃ多いんで。
SEI:ぜひ私にできることがあったら言ってください。無さそうですが(笑)。
Yuko:でもこれ名前とかリンクとか貼ってもらえるだけですごい助かるんで。
SEI:貼らせてください。なんか逆にこう、やってみたいイベントとか仕事してみたいアーティストとかいますか?
Yuko:今やりたいことは、私も歳を重ねてきてるんで、ビジネスとして次のフェーズに行きたいです。
大きい企業さんとコラボとか、もっとしたいですね。Disneyや Universal Studios、Netflixさんとかもすごい魅力的なお仕事だし、Dodgersもそうですが、LakersやKingsでもDJしてみたいし、コラボしたい企業さんがめっちゃありますね。あ、息子がHot Wheels 好きなんで是非コラボしたいです(笑)!!!もちろん、アーティストの方とのコラボとかも魅力的です!!
SEI:コラボしたい企業様。アーティストの皆様。是非Yukoさんにご連絡ください。これが最後になります。HIPHOPCSの読者さんに一言お願いします!
Yuko:今回のこのインタビューありがとうございます。私の話が誰かの役に立てたらうれしいです。何か自分の目標や、したい事に向かって進んでいれば、時間はかかりますが必ず実現します。
SEI:希望に溢れたお言葉、ありがとうございました。インタビューご快諾くださって嬉しいです。良い記事が書けそうです。
Yuko:こんなに自分の話とかする機会ないから。
SEI:確かに人生であまりないですよね。
Yuko:ありがたいです、このモーメント。素晴らしい機会をありがとうございます。
SEI:こちらこそありがとうございます。これからのYukoさんのご活躍が楽しみです!
結び
2000年代半ば、広島でターンテーブルに触れた一人の女性が、やがて海を渡り、LAのクラブでフロアを沸かせ、Dodger Stadiumで日本の曲を鳴らすようになる。
その道のりを聞いていて印象的だったのは、Yuko氏が何度も「人」を見ていたこと。
DJを始めるきっかけをくれた友人、広島で鍛えてくれた先輩たち、LAへ導いた仲間たち。そして現在は、フロアの中で一番楽しそうに踊る一人を見つけ、その人から周囲へ熱を広げていく。
「お客さんをハッピーにしたい」
「あったかいDJプレイ」
自分が聴かせたい曲より、目の前の人が聴きたい曲を選ぶ。SpotifyにDJ機能がつき、誰でも配信できる時代になっても、Yuko氏が「人間じゃないとできない」と語る理由は、おそらくそこにある。
一方で、その柔らかな物腰からは想像できないほど、彼女の行動は大胆だ。
ほとんど知り合いのいないLAへ渡り、チャンスを求めてクラブに直談判。出演の連絡が開場わずか1時間前に来ても、迷わずブースに立った。
300ドルで購入した車がフリーウェイで故障し、何回転もしたというエピソードさえ、今では笑いながら話してくれる。
そんな彼女が、渡米当時の自分に伝えたい言葉は、たった一言だった。
「大丈夫。なんとかなる。」
その言葉には、幾度も自ら行動し、未知の世界を切り開いてきた人ならではの説得力がある。
そして20年以上続けてきたDJを、彼女は「夢の仕事」「リアルにセラピー」と表現する。サンディエゴまで2時間運転し、8時間ぶっ続けでプレイしても、「全然苦じゃない。楽しい」と笑う。
現在は自身の「DREAM DJ Service」も立ち上げ、次なるビジネスの展開を見据えている。
HIP-HOPの力強いビートから、R&Bのメロウなグルーヴへ。
どんな曲調に切り替わっても、フロアのVibesを途切れさせない。それは彼女が理想とするDJプレイであり、その生き方にもどこか通じている。
かつてDJ KAORIの姿に刺激を受け、海を渡ったDJ Yuko。
今度は、彼女自身の背中を見て海を渡る誰かが現れても、不思議ではない。
DJ Yukoの次の一曲が、どんな場所で鳴るのか。これからも楽しみにしていたい。
【DJ Yuko関連サイト】





