Number_i『3XL』で見えた前進、残り続ける作詞を行っているかという問い。

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正直、この議論に飽きてるリスナーも多いのではないだろうか。しかし、やはり問い続けることで日本のヒップホップの違和感の払拭をしないといけないと感じている。

HIPHOPCsはNumber_iについて、これが3本目の記事になる。1本目は1月22日、Apple Musicヒップホップ/ラップ部門の1〜4位独占の構造を問う論考だった。2本目は3月5日、TREASUREとHANAと並べて「アイドルがヒップホップを選ぶ意味」を横断的に分析した。本稿はその3本目で、4月27日にリリースされた3rd Single『3XL』を、これまでの2本と接続させながら読む。

3本目で書くべきことは、はっきりしている。HIPHOPCsがここで言語化する「作詞主体性の不可視化」──これがNumber_iをめぐる議論の中核にあり、本作でも閉じていない。

ここでいう「作詞主体性の不可視化」とは、メンバー名が制作の前面に立っていても、実際に誰がリリックの主体として言葉を担っているのかが外から見えにくい状態を指す。本稿はこの一点を、3本目として整理する。

本作で確かに変わったことはある。各曲に「平野紫耀プロデュース」「神宮寺勇太プロデュース」「岸優太プロデュース」というメンバー名が、制作の主語として前面に立った。1月時点では「誰が音楽の主体か」が外から見えづらかったグループに、肩書きと名前が付いた。これは前進だ。

だが、肩書きが前に出ることと、リリックの主体になることは、別の話である。本記事はその差分を読む。

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3rd Single『3XL』に何が収録されているか

本作はApple Music等のストリーミングでは5曲入りEPとして扱われる。「3XL」「LAVALAVA」「Supa Bro」「サイケSHOCK」「インフル」の5曲だ(フィジカル盤は形態によって収録が異なる)。

このうち、表題曲「3XL」は1月29日に既にデジタル配信されており、平野紫耀の誕生日にあたる。MVは1日と50分でグループ最速の1000万回再生を記録した。神宮寺勇太のプロデュース楽曲として位置付けられる「LAVALAVA」も、昨年12月のアルバム『No.Ⅱ (Deluxe)』で先に出ていた曲だ。

本作で完全に新しいのは3曲。神宮寺の「Supa Bro」、岸優太の「サイケSHOCK」、平野の「インフル」である。

つまり今日のフックは「『3XL』という曲が初めて世に出た日」ではなく、「メンバー3人をプロデュース主体として明示する形で、楽曲群がパッケージ化された日」だと言える。

確認すべき事実──表題曲の作詞クレジット

論の中心に据えるべき事実を整理する。

「3XL」の公式クレジットは、作詞Pecori / Number_i、作曲・編曲MONJOE。「LAVALAVA」は、作詞Pecori、作曲・編曲MONJOE/SHUN/Number_i。デビュー曲「GOAT」も、作詞Pecori/SHUN/MONJOE、作曲・編曲SHUN/MONJOE/Pecoriで、Pecoriは作詞陣に常駐している。

並べてみると、見えてくることがある。少なくとも公開クレジットで確認できる主要曲(「GOAT」「LAVALAVA」「3XL」)では、Pecoriが一貫して作詞陣に入っている。「3XL」のように作詞クレジットにNumber_iが共同で名を連ねるケースはあるが、確認できる範囲では、メンバーが単独で作詞を担った楽曲は本作までに存在しない。

これは小さな事実ではない。ヒップホップという文化において、楽曲のリリックに誰が主体として立つかは、ラッパーが何者であるかを定義する根幹だからだ。

ヒップホップの最小条件──「自分の言葉で書く」

1970年代のサウスブロンクスから始まったヒップホップが、半世紀かけて世界最大のジャンルへと成長した過程で、ラッパーたちが共通して持っていた条件が一つある。自分の言葉で書くことだ。

Rakimのリリックの密度、Nasの『Illmatic』が描いたクイーンズの風景、Kendrick Lamarのコンプトン三部作。日本語ラップでも、SEEDAの『花と雨』、千葉雄喜(KOHH)が書き続けた言葉、BAD HOPが川崎の生活を書いて武道館とドームに到達した過程。彼らがシーンの軸として記憶されているのは、リリックの主体として自分が立っていたからだ。共作の楽曲があっても、誰が言葉を担っているかは、本人だった。

「リリックを書く」という行為は、ラッパーにとって楽曲の「外注しない部分」とされてきた。トラックは外部プロデューサーに発注できる。ミックス・マスタリングはエンジニアに任せられる。だが、ラップの言葉だけは本人が主体として書く──これがヒップホップ50年が共有してきた最小条件として機能してきた。

「3XL」の公式クレジットは、Pecori / Number_iの共作。Number_iが作詞に名を連ねていることは事実だが、Pecoriが作詞陣に入っており、メンバー単独の作詞主体性は本作でも確認できない。

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1月にラッパーたちが言ったこと

1月のApple Music独占に対して、シーンの最前線にいるラッパーたちが反応した。1本目の記事で詳しく扱ったが、ここで改めて引いておく。

BABYWOODROSEは1月14日にリリースした楽曲「Number_1」で、こうラップした。

商業用のペットにされてるお前らにラップなんてやる資格なんてない

RYKEY(ベテラン)の楽曲にはこのリリックがある。

ヒップホップはギリギリの姿でやってんのがかっけえんじゃなかったのか?

BAD HOP元メンバーのT-PablowとYZERRも、同時期に同様の趣旨で反応している。

これらのラッパーに共通しているのは、自分のリリックの主体として自分で立ってきたという一点だ。BAD HOPは川崎で生まれ育った兄弟と仲間が、自分たちの場所と人生を自分の言葉で書いて、武道館とドームまで到達した。RYKEYは長く活動しながら、自分の経験を自分のリリックで吐き続けてきた。FC課金で囲い込んだファンに「ファンレター送信機能」を提供して安定収益を得ているわけではない。音源とライブ、つまり自分の言葉と自分の身体で、シーンに立ってきた。

その人たちが、Number_iに対して声を上げた。「リリックの主体として自分で立ってきた者たち」が、「リリックの単独主体としての実績がまだ見えない者たち」がヒップホップのチャートを独占している事態に対して、自分のリリックで応答した──そう読める構図である。

4月のEPは、これらの問いかけに対して何かを返しただろうか。少なくとも作詞主体の構造については、本作も変化していない。「3XL」も「LAVALAVA」も、依然としてPecoriが作詞に入る共作の形のままだ。新曲3曲についても、リリックの作詞がメンバー単独で行われたという情報は、現時点では確認できていない。

「プロデュース楽曲」の前景化が触れている範囲

本作の最大の見どころとされている「メンバー各自のプロデュース楽曲」という構成について、もう一段踏み込む。

「平野紫耀プロデュース」「神宮寺勇太プロデュース」「岸優太プロデュース」というクレジットが各曲に付いていることは事実だ。だがプロデュースという肩書きは、楽曲の方向性を決める、サウンドの最終判断をする、曲全体のディレクションをするといった範囲を含む広い概念であり、必ずしも「自分でトラックを作って、自分でリリックを書いた」ことを意味しない。

「3XL」が平野プロデュース楽曲とされる一方で、作詞はPecori / Number_iの共作、作曲・編曲はMONJOEだ。「LAVALAVA」が神宮寺プロデュース楽曲とされる一方で、作詞はPecori、作曲・編曲はMONJOE/SHUN/Number_iである。J-POPアイドルにおいて、メンバー名義のプロデュースクレジットが必ずしも実作業の所在と一致しない以上、本作についても外部から実態を完全に検証することは難しい。

つまり「プロデュース楽曲」というクレジットの前景化は、「メンバーが制作の主語として名前を出すようになった」変化ではあるが、「メンバーが楽曲の作詞作曲の主体になった」変化と同じではない。これがHIPHOPCsが「作詞主体性の不可視化」と呼ぶ問題である。

WME契約と海外接続

2月初週、Number_iは世界最大手のタレントエージェンシーWMEとマネジメント契約を結んだ(HIPHOPCs2月第1週まとめ)。海外接続では、2024年にCoachella内「88rising Futures」、2025年に88rising主催「Head In The Clouds Los Angeles 2025」に参加している。海外展開が本格化するなら、88risingが評価したのがパフォーマンス・パッケージなのか、ラッパー個人としてのNumber_iなのか──この区別がより明確に問われていく。同じ問いは2本目で扱ったHANAをめぐる議論にも通底している。

HIPHOPCs View──問い続けるべきもの

1月のApple Music独占以降、HIPHOPCsはNumber_iに対して複数の問いを立ててきた。FC課金構造、発声方法の型、ヒップホップを名乗る資格、なぜJ-POPでもダンスでもないのか。

4月のEPは、それらのうち「制作主体としてメンバー名が前に出るかどうか」という外形的な部分には、一定の対応をした。「平野プロデュース」「神宮寺プロデュース」「岸プロデュース」という名前がパッケージで提示されたことは、1月時点の「誰が作っているか見えない」状態と比べれば、確かに前進である。

ただ、本稿が言語化した「作詞主体性の不可視化」という一点については、1月時点の問いがまだ閉じていない。リリックは依然Pecoriとの共作で、メンバー単独の作詞主体性は本作でも確認できない。プロデュース楽曲というクレジットの前景化は、作詞主体までは動かしていない。

BAD HOPは川崎で生まれ育った兄弟と仲間が、自分たちの言葉で武道館に到達した。Awichは沖縄の自分の人生をリリックに書いた。千葉雄喜は3年沈黙したあと、自分の言葉で「Team Tomodachi」を書いた。彼らがFC課金モデルではなく、音源とライブと自分のリリック主体性で生きてきた重みは、Apple Musicのチャート順位では計測されない。

Number_iは今回、1月の問いすべてに答えたわけではない。ただ、「制作主体として前に出る」という一点では、前に進んだ。それでもなお、ヒップホップの最小条件として長く問われてきた「自分の言葉で書く」ことは、まだ残っている。

制作の主語は前に出た。リリックの主語は、まだ動いていない。

次に動くのは、公式クレジットか、作品そのものか、その両方か。いずれにせよ、その変化が現れた瞬間にこそ、この論点は再び検証されるべきだ。

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