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J. Cole『The Fall-Off』初週28万枚で全米1位―アナログ8万枚が示す”信頼”の重さ

via @realcoleworld instagram 一つの数字がヒップホップの意味を問い直しました。 J. Cole『The Fall-Off』──初週280,000アルバム換算ユニットでBillboard 200 全米1位。通算7作連続のナンバーワン獲得です。 しかし、この記事で最も注目したいのはチャート順位ではありません。フィジカル売上113,000枚。そのうちヴァイナル(アナログ盤)だけで80,000枚。この数字が意味するものについて、掘り下げていきます。 初週の売上と数字の全体像 まず、『The Fall-Off』の初週成績を整理します。 総合アルバム換算ユニット:280,000 ストリーミング由来:約167,000ユニット(オンデマンド再生1億6,950万回) フィジカル/純売上:113,000(うちヴァイナル80,000枚) トラック換算ユニット:500 事前予測は約290,000ユニットでしたので、わずかに下回りました。しかし、2026年のヒップホップ/R&B作品として最大級のデビューであることに変わりはありません。Playboi Carti『MUSIC』の初週298,000ユニットに次ぐ、今年第2位の初動記録です。 ここから本題なのですが2026年において、音楽を聴くこと自体にはお金がほとんどかかりませんよね。月額1,000円前後のサブスクリプションで、世界中のほぼすべての楽曲に即座にアクセスできます。TikTokやInstagram...

ハイ散歩!DJ2highさんとLA散策:Marathon Burger、Biggie〇害現場、元Death Row Recordsオフィス編

以前「ヒップホップ飯」と題するヒップホップ関連のレストランやカフェを幾つか紹介してきたが、今回はその特別編をお届けする。 本サイト歴代インタビュー記事の中でも、閲覧数が群を抜いて大人気、且つ破天荒ライフで有名なDJ2highさんに、ロサンゼルスのヒップホップスポットをご紹介頂いた。 2月の日曜日の昼下がり。待ち合わせの11時過ぎにLAはダウンタウン在住のDJ2highさんをピックアップして、まずはメルローズ・アベニューにあるMarathon Burger(マラソンバーガー)に向かった。 https://hiphopnewscs.jp/2025/05/31/hiphopcs-dj2high-15794/ Nipsey HussleのMarathon哲学とは? 食レポの前にちょっとだけ蘊蓄にお付き合いいただきたい。「The Marathon(ザ・マラソン)」とは、ニプシーが2010年にリリースしたミックステープのタイトルであり、彼の人生哲学そのものである。生前、「一時的な流行や目先の利益を追うのではなく、忍耐、規律、一貫性を持って、長期的なビジョン(コミュニティへの投資や自立)に向かって走り続けることの重要性」を説いていたニプシー。成功はスプリント(短距離走)ではなく、マラソン(長距離走)であるという考えに基づいた彼のテーマであった。だが彼自身、虚しくもマラソンを完走せず、その短い人生の幕を降ろしてしまった。 https://youtu.be/ZOewCwzukOg?si=ctyT-gPaMkzCbMRu Marathon Burgerとは? このMarathon Burgerは、かの伝説的ラッパーNipsey Hussle(ニプシー・ハッスル)のお兄さんのBlacc Sam(ブラック・サム)さんがオープンしたバーガージョイントである。ニプシーもブラック・サムさんも、昔飲食店で働いていた経験があり、いつか自分らのお店を持つことを夢見ていたらしい。 元々はアパレルブランド「The Marathon...

2026年春、ヒップホップが渋滞している。注目アルバム7枚の発売日・全ジャケ付き考察

Via @keem(Baby Keem) / @liltjay(Lil Tjay) / @nettspend(Nettspend) /...

今さら聞けないヒップホップ!米国ヒップホップに貢献した女性ラッパー達について語ろう(前編)

読了時間: 約11分
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50Cent(50セント)が昨年末ポッドキャストに登場して「昨今の女性ラッパーの音楽は性的過ぎて若い女性に悪影響を及ぼしている」と彼女らの一面性すぎる表現に懸念を示していた。彼曰く、ヒップホップにおける女性の基準が大幅に下がった、と。筆者的は今さら?っと思ったものの、確かに昔に比べセクシャル系なラッパーの数は、多くなっているような気がしないでもない。日本含め今月3月8日は国際女性デーだったのだが、アメリカでは3月は一か月まるごと「Women’s History Month(女性の歴史月間)」と公的に制定している。その目的は、歴史、文化、社会に対する女性の貢献を認識し、祝福し、男女平等を求める継続的な闘いについて考える機会の提供らしい。今回の50のコメントも今回この記事を書くきっかけになったので、読者の皆さんも一緒に女性ラッパーの歴史を振り返って考えて欲しい。今回も長編コラムとなりそうなので、前中後編と3回に分けて掲載しようと思う。

この間ThreadsでPlayboy Carti(プレイボーイ・カーティ)信者の若者(と筆者は推測する)が90年代ラッパー達を「老害」とをディスっていたのを目にしたんだけれど、そもそもヒップホップというジャンルのMCの成功は、古い形式を破壊しその破片を操って新しい自己表現スタイルを生み出す意欲に基づいている。古い形式ありきの音楽なのだ。80年代と90年代には、男性ラッパーも女性ラッパーも、韻を踏んだ言葉遊びを繰り返し、拡張されたメタファーを使ってダークで、暴力的で、ロマンチックで、希望に満ちた経験を語り、自分自身をヒーロー、目撃者、予言者として位置づけていた。音楽業界が女性の貢献を軽視してきた歴史を考えると、ヒップホップを「男性寄りの音楽」と明言してしまうのは簡単である。にもかかわらず、このジャンルの初期の頃、批評家がまだヒップホップを一時的な流行だと嘲笑していた一方で、女性ラッパー達は、彼女たちが住む世界に対する解釈や経験を遠慮なく詳細に表現し、このジャンルの生物学において強力な一部分を作り始めていたのだ。彼女たちは皆、スタイル、流れ、歌詞の内容に明確な違いがあるものの、共通していたのは激しくも独立した声(ボイス)と、一貫して響き渡る自分らしさを保つ力であったのだ。

Roxanne Shanté(ロクサーヌ・シャンテ)

今年のグラミー賞で、「生涯功労賞」の栄誉を受けた初の女性ソロラッパーとなった人物から紹介しよう。ラップ界で「ファーストレディ」と呼ばれているRoxanne Shanté(ロクサーヌ・シャンテ)は、独特のしゃがれ声と、恐れ知らずのリリカルパワーで、男性中心だった1980年代のヒップホップ界に、独特の風格を漂わせた。1969年生まれの彼女。自身がまだ10歳であったにもかかわらず、母親が彼女を地元のラップバトルに出場させ、50ドルを獲得した時からバトルラッパーとしてのキャリアが始まったという。地元で男の子達をラップで制し続けていた彼女は、1984年15歳だったとき隣人のMarlon Williams(マーロン・ウィリアムズ)A.K.A.プロデューサーのMarley Marl(マーリー・マール)から、初期のヒップホップレコード、U.T.F.O.の『Roxanne Roxanne』の作成中トラックに韻を踏んでほしいとの依頼を受けた。そこからマーリー・マールのJuice Crew(ジュース・クルー)唯一の女性ラッパーとしてのキャリアを開始する。1980年代後半にツアーを行い、1988年の『Go on Girl』、1990年の『Independent Woman』、1992年の『Big Mama』など一連のシングルをリリースした。だが彼女はCold Chillin’ Records (コールド・チリン・レコーズ)から2枚のアルバム『Bad Sister』(1989年) と『The Bitch Is Back』(1992年) をリリース後、25歳で一時期音楽業界から引退し、大学に戻って学業に専念することになる。

Ms. Melodie(ミス・メロディ)

伝説のBoogie Down Productions(ブギーダウンプロダクション)のクルーの一員であり、BDP創設者KRS-ONE(KRSワン)の元妻であるMs. Melodie(ミス・メロディ)。奇しくも2012年に43歳という若さでこの世を去ったラッパーは、Jive Records(ジャイブ・レコーズ)と契約し、1989年にデビューアルバム『Diva』をリリースした。ソロレコードは1枚しか発表していないものの、ミス・メロディは BDPのレコードで印象的なパフォーマンスを披露し『Hype According To Ms. Melodie』や『Live On Stage』などの印象的な曲で、姉のHarmony(ハーモニー)と共に当時のヒップホップ界に広く知られるようになる。姉のハーモニーはその後ゴスペル歌手に転向するが、ラップと歌を操る初期の先駆者でもあった。メロディはその後も客演を続け、後年出演した作品の1つはBDPが主役の名作『Stop The Violence』の『Self Destruction』のビデオであった。KRSワンとは1992年に離婚したものの、彼とは2人の息子をもうけ、離婚後も元夫のサポートを続けた。また、後述するQueen Latifah(クイーン・ラティファ)の『Ladies First』のMVにも登場している。

MC Lyte(MCライト)

筆者も大好きなMC Lyte(MCライト)。ソロラッパーとして初めて自身のフル アルバムをリリースした MCライトの『Lyte As A Rock』は1988年にリリースされた。ライトの鼻にかかった声質、フローと歌詞の正確さ、そして自己検閲を拒否する勇敢な姿勢は、すぐに業界の注目を集めたそうだ。彼女によると、初期のシーンは競争的でスキルベースであったが、性別による偏見がなかったわけではないと述べていた。「プロモーターが、私に相応の報酬を支払ってくれないこともあったかもしれないわね。ラインナップでは私の曲にふさわしい場所に、私を配置しなかった。だけど、それらがさほど私に影響を与えたわけではないわ。挫折はあったかもしれないけど、私は決してそれに左右されなかった」1993年『Ruffneck』が最優秀ラップシングル部門のグラミー賞にノミネートされ、MCライトはグラミー賞にノミネートされた初の女性ラッパーとなった。それのみならず、彼女はカーネギーホールでパフォーマンスした最初のラップアーティストであり、ゴールドシングルを獲得した最初の女性アーティストでもあり、この業界の女性ラッパーとしてはパイオニアとして位置づけられている。

Queen Latifah(クイーン・ラティファ)

今やヒップホップ界の重鎮のひとり。名実ともに「女王」となったQueen Latifah(クイーン・ラティファ)。今年のオスカーで、故Quincy Jones(クインシー・ジョーンズ)をトリビュートし、まだまだ現役であることを証明してくれたが、彼女はもともとJungle Brothers(ジャングル・ブラザーズ)、De La Soul(デ・ラ・ソウル)、 A Tribe Called Quest(ア・トライブ・コールド・クエスト)などとともに活動するニューヨーク地域の伝説的なNative Tongues crew(ネイティブ・タングス・クルー)の一員であり、ヒップホップ界の初期ラッパーの一人である。The Native Tongues collective(ザ・ネイティブ・タングス・コレクティブ…80年代後半から90年代前半にかけて活動した前向きで温厚なアフリカ中心主義の歌詞で知られるヒップホップアーティストの集団)は社会意識が高く、歌詞の内容がポジティブなことで知られていたが、ラティファは黒人女性の生活における問題を語ることによって名声を得た。『Ladies First』や『UNITY』などの代表曲では、家庭内暴力、ハラスメント、女性同士の連携の必要性についてラップし、変化を求める力強い声となった。

Salt-N-Pepa(ソルト・ン・ペパ)

なんとなんと、こんな伝説的な女性ラッパーたちについてウィキペディアの日本語ページが無いことに驚きなのだが、筆者は彼女らあたりから女性ならではのセクシーさと美しさ、強さを融合させたラップが確立されて行ったように思う。1985年にふたりのラッパー、Cheryl James(シェリル・ジェームス)とSandra Denton(サンドラ・デントン)が手を組んだとき、レコード業界の多くはまだヒップホップは一時的な流行だと信じていたそう。Salt-N-Peppa(ソルト・ン・ペパ)と名乗った2人組は、Doug E Fresh(ダグ・E・フレッシュ)のヒット曲『The Show(ザ・ショー)』に応えて『The Showstopper(ザ・ショーストッパー)』をリリースした。短いショートパンツとへそ出しシャツに身を包んだこの2人は、90年代のセクシー系ラップの旗手となった。『Push It』『Do You Really Want Me』『Let’s Talk About Sex』『Shoop』などの曲で、ソルト・ン・ペパは自分たちの欲望やセクシュアリティについて率直に語り、同時に尊敬を求め、フェミニストの価値観を説き、暴行や差別に反対を唱えた。

Lisa ‘Left Eye’ Lopes(リサ・レフトアイ・ロペス)

90年代通してヒップホップ界を席巻したガールズグループ、TLC。当時の元カレから新しいガールズグループの募集の知らせを聞いたリサ・ロペスは、オーディションを受けるためにアトランタへ引っ越した。当初は2nd Nature(セカンド・ネイチャー)という女性3人組としてスタートしたものの、後にグループはTLCと改名された。その当時ロペス以外メンバーは定着していなかったものの、新しいメンバーを募集してレフト・アイとして再出発する。TLCは、地球上で最も有名な、ラップとR&Bが融合したグループの1つとして絶大な名声を得た。可愛らしい容姿が繰り出す、ロペスのMCとしての巧みなリリシズムは、世界中のラップ愛好家から称賛を得た。2002年に交通事故で悲劇的に亡くなるまで、ラッパーとしてTLC以外でも活躍しており、ヒップホップの一つの時代を象徴する人物となった。

Yo-Yo(ヨーヨー)

当時ギャングスタラッパーIce Cube(アイス・キューブ)の弟子的ポジションでデビューしたYo-Yo(ヨーヨー)。ラッパーとしての才能と、美しい容姿の相乗効果で90年代初頭、人気を集めていた。1990年にアイスキューブのアルバム『AmeriKKKa’s Most Wanted』のトラック『It’s a Man’s World』にゲストとして初めて登場。アイスキューブ自身は逆にヨーヨーの1991年のデビューアルバム『Make Way for the Motherlode』に収録されている『You Can’t Play with My Yo-Yo』にゲストとしてフィーチャーしている。彼女の特徴は、女性のエンパワーメントの必要性に触れており、ラップに頻繁に見られる性差別や女性蔑視を非難していることである。彼女は業界でフェミニズム運動を公然と支持し、その熱心な支持者である最初の女性ラッパーのひとりであった。

(中編に続く)

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