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Awich×クレイジージャーニー|音楽が”処刑の合図”だったカンボジアで、ラップが希望に

via @awich098 instagram TBS系『クレイジージャーニーSP』(2026年2月9日放送)で、沖縄出身のラッパーAwichがカンボジアを訪れた。音楽が禁じられ、知識人が殺された国。そこで今、ラップが爆発的に広がっている。番組で描かれたカンボジアの過去と現在、そしてVannDa(ヴァンダ)という存在を、歴史の奥まで掘り下げて読み解く。 ※本記事は番組内で語られた内容を軸に、公開情報で補足・裏付けを加えて構成しています。番組内の発言は放送時点の文字起こしに基づくため、実際の発言と細部が異なる可能性があります。 以前取り上げたこの記事 https://hiphopnewscs.jp/2025/03/07/awichasian-state-of-mine-14355/ Awichが語った”沖縄とカンボジアの共鳴” 番組冒頭、Awichはカンボジアの印象をこう表現した。 沖縄と似てる感じがします。その温かさの背景にある痛みとか、辛い歴史とかも似てる気がします 沖縄は米軍基地を抱え、戦争の記憶と日常が隣り合わせの土地だ。Awichはその沖縄で生まれ、アトランタのストリートで生き、夫の死という喪失を経て、痛みを音楽に変えてきたラッパーだ。彼女がカンボジアに立つことは、単なる海外ロケではない。痛みの歴史を持つ土地同士の、声による接続だった。 1960年代クメール・ロックの黄金時代——奪われる前のカンボジア音楽 カンボジアの音楽史を語るうえで、ポル・ポト政権の前にあった黄金時代を知る必要がある。 1960年代、カンボジアは音楽の花盛りだった。ベトナム戦争でアメリカ軍が南ベトナムに駐留し、米軍向けラジオ放送AFNの電波がカンボジアにも届くようになると、本場のロックンロールが流れ込んできた。カンボジアの伝統音楽と西洋ロックが溶け合い、クメール・ロックと呼ばれる唯一無二のジャンルが誕生した。 その象徴がシン・シサモットだ。クメール音楽の王と呼ばれた国民的シンガーソングライターで、伝統音楽からR&B、ロックまであらゆるジャンルを歌いこなした。女性シンガーのロ・セレイソティア、ツイストの女王パン・ロンと合わせた三大レジェンドを中心に、1963年頃にはカンボジア全土で100以上のロックバンドが活動していたとされる。 プノンペンは東洋のパリと称えられ、空港前やリバーサイドのクラブではタイトなスーツの男性とミニスカートの女性が夜通しツイストやゴーゴーを踊り明かした。庶民は1台のラジオを家族全員で囲み、歌謡番組に熱中した。文化を愛したシハヌーク国王自身が映画を撮り、自作曲を歌い、大規模な音楽コンテストを開催するほどだった。 しかし、その華やかな時代は突然終わる。 ポル・ポト政権とクメール・ルージュ——音楽が死んだ3年8ヶ月 1975年4月17日、ポル・ポト率いるクメール・ルージュがプノンペンを陥落させた。この日はゼロ年と呼ばれ、すべてが無から始まるとされた。 ポル・ポトが目指したのは、毛沢東思想の影響を受けた極端な農業社会主義だ。番組内でも紹介されたように、国民全員が農業をやれば幸せな国になるという信念のもと、国民は都市から農村へ強制移住させられた。通貨は廃止され、学校教育は否定され、黒い農民服が国民全員の服装となった。朝5時から夜10時まで、すべて人力の強制労働が課された。 犠牲者数の推計には幅があり、イェール大学のカンボジア人大量虐殺プロジェクトは約170万人、アムネスティ・インターナショナルは約140万人としている。当時のカンボジア人口は約700万〜800万人とされ、最大で人口の4分の1近くが命を落とした計算になる。 芸術家への弾圧は特に苛烈だった。番組内でVannDaの父親が証言したように、ミュージシャン、芸能人、医者、知識人など全てが殺された。さらに、医師や教師を優遇するという名目で自己申告させ、別の場所へ連れ去った後に殺害するという手法がとられた。やがてそれが知れ渡ると、無学文盲を装って逃れようとする人々も現れたが、眼鏡をかけている者、文字を読もうとした者、時計が読める者——少しでも学識がありそうな人間は片っ端から殺された。これは番組内の証言と一致しており、複数の歴史研究でも確認されている事実だ。 VannDaの父親は取材に応じる際、デリケートな話だから、英語じゃなくてカンボジア語でもいいか。ドアを閉めてくれないか。大っぴらに話す話じゃないと前置きした。 強制結婚の実態、食事の時間を過ぎて食べ続けただけで殺された人々、Awichの母方の祖父にあたるとされる人物が教師だったという理由だけで軍に連れていかれた話。ポル・ポト政権が終わった時、国民全員が”ゼロからスタートする”と心に誓った。亡くなった人たちの分も——父親の言葉は重かった。 クメール音楽の王シン・シサモットも、クメール・ルージュの犠牲となったとされる。1976年頃に処刑部隊によって殺されたと考えられているが、正確な死因も日付も不明のままだ。ロ・セレイソティアも強制労働キャンプで命を落としたとされる。黄金時代のレコードやマスターテープは焼却され、ほとんど残っていない。 番組が伝えた衝撃の証言——“音楽は人を殺す合図だった” 番組で最も衝撃的だった証言がある。 たまに音楽が流れたが、それは軍の音楽だった。処刑場で大音量で流し、殺される人の叫び声が聞こえないようにしていた。音楽は人を殺す合図だった ポル・ポト政権下で音楽は完全に消えたわけではなかった。ただし、それは人間の創造性や喜びのためではなく、人間を殺すための装置として使われていた。この事実が、後にVannDaが音楽で成し遂げたことの意味を、圧倒的に重くする。 ポル・ポトは1979年にベトナム軍の侵攻で政権を追われたが、タイ国境付近のジャングルに逃れ、ルビー売買の利権を元手にゲリラ闘争を続けた。番組内では1998年に国境近くのジャングルで死体として発見されたと語られ、死因は心臓発作とされているが真相は諸説ある。裁判で裁かれることなく世を去った。 VannDa(ヴァンダ)とは何者か——Baramey Productionが育てたカンボジアの国民的ラッパー この国で今、最も大きな存在がVannDa(ヴァンダ)だ。 本名マン・ヴァンダ、1997年シアヌークビル生まれ。TuneCore Japanの公式プロフィールによれば、幼少期はカニエ・ウェストやキッド・カディに影響を受けたという。家族の反対を押し切ってプノンペンへ上京し、2019年にカンボジアの音楽プロダクションBaramey Productionに所属して本格的に活動を開始した。 番組では、VannDaが育った地元シアヌークビルの市場が映された。小さい頃、ここで両親が働くココナッツ売り場を手伝ってたんだよ——ストリートの少年だった彼が、カンボジア音楽史を書き換える存在になるまでの距離は、途方もなく遠い。 2021年、転機が訪れる。伝統楽器チャペイの名手マスター・コン・ナイをフィーチャーしたTime to Riseが爆発的ヒット。Baramey Production公式によれば24時間で100万回再生を達成し、2025年時点でYouTube再生回数は1億2900万回を超え、カンボジアのアーティストとして史上最高記録とされている。伝統音楽とヒップホップを融合した唯一無二のスタイルは、タイ、ラオス、ベトナムなど東南アジア全域に波及した。 2024年8月、パリ五輪閉会式でパフォーマンスを披露。Baramey...

【全24曲】衰退を自分で名乗ったJ. Cole『The Fall-Off』と、日本の二人の引退者たち

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2026年2月第1週|今週のヒップホップニュース総まとめ – Number_iはWME契約で、Red Eyeはマイクで超境

対象期間:2026年1月30日〜2月6日 via @_redeyeofficial_ @number_i.official instagram 文責:Rei Kamiya 2026年2月第1週。ヒップホップ史の教科書に太字で刻まれる1週間が、終わろうとしている。 日本では、Number_iが世界最大手タレントエージェンシーWME(William Morris Endeavor)との契約を発表し、グローバル展開を本格化させた。同時に「3XL」でBillboard Japan...

【HIPHOPCs独占インタビュー】日本と台湾、そしてアジアのシーンを繋ぐキーパーソン、Finesse’Boyの現在とこれから

読了時間: 約13分
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Via @finesseboy90s on Instagram

ますます盛り上がりを見せているヒップホップシーン。特に本場であるアメリカのヒップホップ業界の成長は止まる事を知らず、新たなラッパーが毎日のように誕生し、入れ替わりの激しい実力主義の世界で熾烈な競争を繰り広げているのだ。

しかし、ヒップホップという文化が発展を遂げているのは、危険なイメージと結び付けられがちなアメリカだけではない。

近年、アジアのヒップホップは確実に存在感を高めている。日本ではオーディション番組『Rapstar』にATL JacobやZaytovenといった海外のビッグネームがビートを提供するなど、シーンはすでに国境を越えた動きを見せている。そして、この流れは今に生まれたものではない。

2015年に公開されたKeith Ape、JayAllDay、Loota、Okasian、Kohh(千葉雄喜)による日本と韓国のラッパーのクロスオーバー楽曲「It G Ma」は、現在までに約9000万再生を記録。

この大ヒットをきっかけに、A$AP FergやWaka Flocka Flameが参加したリミックス版が公開されるなど、アジア発の楽曲が世界的バイラルヒットを記録し、USリスナーの注目を集めることに成功した。

その後、コロナ禍に88risingから公開されたRich Brianによる「Tokyo Drift Freestyle」がバイラルとなったことで、アジアのヒップホップは一過性のブームではなく、カルチャーとして認識されるようになる。

そして現在、その潮流を巧みに乗りこなした千葉雄喜がMegan Thee Stallionのアルバム『MEGAN』収録楽曲「Mamushi」に参加。グラミー賞でノミネートを果たすなど、アジアのヒップホップ業界における影響力は、もはや無視できないものとなってきている。

明確な文化としての輪郭を獲得し始めたアジアヒップホップシーン。この大きな流れの中で、自国の文化により力を与えようと奮闘する1人のラッパーがいる。

彼の名はFinesse’Boy。親日国としても知られる台湾出身の彼は、日本や韓国のラッパーと積極的に交流を重ねる、クロスボーダー世代の代表格だ。

日本にも頻繁に足を運び、JP THE WAVY、Showy、PETZ、DJ JAMなど、数多くの日本アーティストとコラボレーションを果たしてきた。そのため、すでに彼の存在を知っている読者も少なくないだろう。

また、彼のInstagramには千葉雄貴の姿が度々登場するなど、日本のヒップホップシーンとの強いコネクションも見て取れる。

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今回は、言語の壁もあり日本ではなかなか触れられる機会の少ない台湾のヒップホップシーンにおいて、ひときわ異彩を放つFinesse’Boyにインタビューすることに成功。イベントでのパフォーマンス直後という多忙なタイミングの中、貴重な話を聞かせてもらった。

音楽との出会い、改心を経ての現在

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Lucie:JP THE WAVY、Showy、PETZ、DJ JAMといった日本のアーティストとの楽曲をきっかけに、あなたの存在を知った日本のリスナーも多いと思います。Finnese’ Boyさんを初めて知る人に向けて、どんなラッパーなのか、簡単に自己紹介をお願い致します!

Finesse’Boy:俺はとにかく、夢を見続けているラッパーだ。ただ好きなことをやって、音楽を作り続けている。日々変わっていく感情を映し出すように、日記をつける感覚で作品を生み出しているんだ。

Lucie:では、最初にヒップホップに出会ったきっかけは何だったのでしょうか。音楽やカルチャーのどんな部分に惹かれて、本気で向き合おうと思ったのかも聞かせてください。

Finesse’Boy:俺がヒップホップに出会ったのは10歳の頃。偶然見つけたEminemとかを聴き始めて、そのままのめり込んでいった。若い時にはいろいろ悪いこともしてたから、気づけば周りにいたのはヒップホップシーンに関わる人間ばかりだった。その後、仕事も昔の生活も全部捨てて、ちゃんとした人間になろうと努力し始めた。それからは音楽一本で、真剣に向き合うようになった。

特にここ2年は、自身がようやく“本物“になり始めた感覚があるよ。3年か4年くらいはまとまった作品を出していなかったんだけど、今年はいよいよ新しいミックステープをリリースするつもりさ。

Lucie:なるほど!本腰を入れて再び動き出すわけですね。

それでは、過去の代表曲についても触れさせて頂きたいのですが、中国発のクルーHigher Brothersとの「BENZ Remix」は、Finesse’Boyさんの名前を世間に知らしめた1曲だと思います。このコラボはどんな流れで実現したのでしょうか。また、あの楽曲があなた自身に与えた影響も教えてください。

Finesse’Boy:元々、彼らのことは音楽を始める前から知っていたよ。その曲を作っていた時はウィードを吸っていて、正直かなりイカれてた気がする。当時は人をリスペクトするっていう精神性が自分には無かったし、エゴを剥き出しにして書いていたんだ。

でも、結果的に「BENZ Remix」は俺にとって全ての始まりになった曲だし、自分を大きく変えるきっかけになったよ。

「ヒップホップは“ライフスタイル“であって“宿題”ではない」

Lucie:続いて、台湾という国、そしてそこに根付くヒップホップシーンについて詳しく教えて頂ければと思います!

日本と台湾は文化的にも近く、親日的な国として知られていますよね。日本には台湾に親しみを感じている人も多いですが、Finesse’Boyさんから見た今の台湾はどんな場所でしょうか?

Finesse’Boy:台湾の人々はいろんな文化や人に対してとてもオープンなんだ。どこから来た人に対しても親切にするし、情熱に溢れている国だね。俺にとって台湾は生まれた場所で、ルーツそのもの。どこにいても誇りを持ってシャウトアウトしているし、今の自分を作り上げたかけがえのない故郷だと思っているよ。

Lucie:現在の台湾のヒップホップシーンをどのように捉えていますでしょうか?数年前と比べて変わった部分、逆に今も変わらない部分があれば教えてください。

Finesse’Boy:今は台湾でもヒップホップという文化がどんどん大きくなって、ヒップホップを始める若い子達もどんどん増え始めているよ。それは良いことだ。良いことなんだけど…。もっと彼らは旅をして、世界を見て、ヒップホップを知るべきなんだ。

俺にとってヒップホップは“ライフスタイル“であって“宿題”じゃない。というのも、シーンが成長していくにつれて、この文化に宿題をこなすみたいに取り組んでいる人が増えてきていると感じるってことなんだ。何度も言うけど、これはライフスタイル。技術の有無は問題じゃないんだ。

ヒップホップの捉え方は人それぞれ違っていいものだとは思うし、誰でもそれぞれのヒップホップがある。ただ、俺が惹かれるのはリアルでオリジナルなもの。ハッスルしてトラップして、生きるために必死に働いて、音楽を作り続ける。そういう物語こそに意味があると思ってる。

簡単に手に取って、簡単に手放せるほど軽い文化じゃないってことさ。

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Lucie:言葉の重みがヤバいです。本物のリスペクトを感じる答えを聞けて、こちらまで嬉しい気持ちになってしまいました。

Finesse’Boyさんは過去のインタビューで、台湾のヒップホップシーンの課題として「国際的な視野」と「個人のセンス不足」を挙げていましたね。

先ほどの「ヒップホップを宿題のように捉えている」という発言は、知識不足とはまた別の問題が生じている、という意味にも聞こえます。そうした状況の中で、シーンが正しく成長していくためには、何が必要だと考えていますか?

Finesse’Boy:最近になって、ようやくメインストリームのマーケットや業界の形態が、実はまだ何も変わっていないことにみんなが気づき始めてきていると思うんだ。ここがアジアである以上、変化には絶対時間が必要にはなるはずだ。でも、シーンに加わる仲間は確実に増えている。

だからこそ、今俺らがやらないとね。誰かがやるのを待ってなんていられない。次の世代に「夢を持ち続けろ、やり続けるんだ」っていう姿勢を見せるつもりだよ。

“偽らない姿勢“、アジアが世界に挑むために

Lucie:そうですよね。僕もまだまだ時間はかかると思います。アメリカを基準に考えるとアジアのマーケットはまだまだ小さいですし…。やはり、そうした環境の中でヒップホップをキャリアとして選ぶのは、中々勇気のいる決断でしたよね。

Finesse’Boy:確かに。でも後はタイミングの問題だと思うよ。だから才能云々の話ではなく、続けることが大事になってくる。アジアにはまだ強いヒップホップ文化が根付いていないから、時間が必要になる。けど、そのうちみんなも理解し始めるはずだと思っているよ。

Lucie:なるほど、後はタイミングだと。実際、アジア全体のヒップホップシーンは確実に盛り上がっていますからね。

ただ、アメリカを含めたグローバルな舞台に本格的に入り込むのは、まだ簡単ではありません。アジアのアーティストが“世界を取る”ために、最も重要だと思うことは何でしょうか?

Finesse’Boy:みんなが自分を偽らず、自分自身でいること。それに尽きると思う。

今のシーンにいる人達は才能に溢れているけど、やっぱりアメリカの焼き増しに聞こえてしまうことが多い。俺たちは俺たちのやり方で、俺たちのスタイルで、俺たちの色を出さなきゃいけない。これが大きな課題になってくる。

台湾にも良い音楽を作る若い子たちはいっぱいいるけど、全部同じような音に聴こえて記憶に残らないんだ。だったら「同じ曲を聴けばいい」って思ってしまう。

これから大事なのは戦略どうこうじゃない。自分自身であり続けることだ。嘘をつかずに続けていれば、きっと人々は感じ取ってくれるはずだからね。

日本を愛する理由、千葉雄喜との関係性

Lucie:Finesse’Boyさんは日本を頻繁に訪れていますが、あなたにとって日本はどんな国ですか?音楽的に、そしてパーソナリティ的な面においても、日本から受けている影響があれば教えてください。

Finesse’Boy:俺は“職人”をリスペクトしてるんだ。日本の人たちは得意分野を極めていて、とにかく仕事が細かいよね。

アジアの中でも特にアメリカからの影響を受けている国ではあるんだけど、それらをオリジナルな形に作り変えて自国の文化や歴史に落とし込んでいる。日本はいろんな国の文化を受け入れることができる国だ。だから好きなんだよね。

Lucie:そして、Finesse’BoyさんのSNSでは、Kohh(現・千葉雄喜)さんが時折姿を見せていたり、過去のインタビューではKohhさんのことを「親友」と表現していました。2人はどのように出会い、今はどんな関係性なのでしょうか?

Via @finesseboy90s on Instagram

Finesse’Boy:Kohhは日本でできた最初の友達なんだ。初めて会ったのは10年前で、まだ俺は音楽を始めていなかったな。ライブで一緒に日本や台湾を行き来する中で仲良くなって、それからずっと彼は俺のメンター的な存在になってくれている。感情とどう向き合っていくべきかを教えてくれたよ。

俺たちは友達以上の関係性、家族や兄弟みたいなものだ。夢を見続けて、動き続けるためのモチベーションをいつも俺にくれる。彼は実際に夢を叶えているし、やり遂げた。彼を誇りに思うよ。

Finesse’Boyが見据える先は

Lucie:では、今の台湾のヒップホップシーンで「このラッパーはチェックしてほしい」という存在がいれば教えてください。

Finesse’Boy:俺。

Lucie:Dammmmnn. 間違いない!最高ですね。

そして最後に、これから先にどんな動きを考えていますか?今後のリリースやビジョンがあれば、ぜひ聞かせてください。

Finesse’Boy:今年はミックステープをリリースする予定だ。全ての準備は整っているよ。

ライフスタイルはライフスタイルとして、制作はまた別の勝負になる。ここ数年は時々シングルを出すに留めていたけど、今年は俺自身の物語を作品として共有したいんだ。だから、ミックステープという形をとった。みんなも期待してると思うし、ワクワクしてほしいからね。

Lucie:ミックステープマジで楽しみにしています!この度はお忙しいところインタビューに応じて頂き、ありがとうございました!

Finesse’Boy:全然!こちらこそありがとう。

インタビューを終えて 〜アジアという大陸の可能性〜

国境を越えて縦横無尽に活動するFinesse’ Boyが見据えているのは、台湾という一国に留まらない、アジア全体のヒップホップカルチャーの進化だ。彼が求めているのは、アメリカの模倣ではない、アジア独自の文脈を持ったカルチャーの形成である。

職人精神を胸に、愚直に制作と向き合い、夢を見続ける姿勢に迷いはない。台湾出身という誇りと、日本文化への深いリスペクトを併せ持つ彼の一挙手一投足は、今後のアジアヒップホップの行方を占う上で、確かな指標となっていくだろう。

今年リリース予定のミックステープを皮切りに、その動向に注目したい。

この記事のポイント
・Finesse’Boyが語る、アジアヒップホップが世界へ挑むために必要な姿勢
・「ヒップホップはライフスタイルであって宿題ではない」という核心的思想
・日本との深い関係性、千葉雄喜(Kohh)との10年にわたる絆
・2026年リリース予定のミックステープに込めた“自分自身の物語”

資料提供:Finesse’Boyさん

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