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2026年2月第1週|今週のヒップホップニュース総まとめ – Number_iはWME契約で、Red Eyeはマイクで超境

対象期間:2026年1月30日〜2月6日 via @_redeyeofficial_ @number_i.official instagram 文責:Rei Kamiya 2026年2月第1週。ヒップホップ史の教科書に太字で刻まれる1週間が、終わろうとしている。 日本では、Number_iが世界最大手タレントエージェンシーWME(William Morris Endeavor)との契約を発表し、グローバル展開を本格化させた。同時に「3XL」でBillboard Japan...

Lil Wayneがグラミーに選ばれなかった理由──『Tha Carter VI』

via @Lil Wayne instagram 2026年のGrammy Awardsが終わった。 その夜、Lil Wayneは短く一言だけ言った。「Congrats to the nominees...

Jay-Z無敵説を考察!DJ Akademiksらの問題提起について

ここ最近ニュースでよく目にするエプスタイン文書。エプスタイン文書とは、米国の富豪Jeffrey Epstein(ジェフリー・エプスタインー未成年者への性的虐待で起訴、拘留中に死亡)に関する捜査・裁判・証言・通報などの関連資料をまとめて公開したものである。 その文書と、ヒップホップ界の大物たちの過去が再検証される流れが強まっている。先日、DJ Akademiks(DJアカデミクス)がライブ配信で行ったJay-Z(ジェイ・Z)に関する発言が波紋を呼んだ。彼はヒップホップ界の超大御所を「断罪」したわけではないが、なぜ疑問そのものが語られないのかという点に強い違和感を示していた。本稿では、 他のアーティスト(R. Kelly、Dr. Dre)との比較 エプスタイン関連文書の正しい読み方を通してこの問題に迫ってみようと思う。 DJアカデミクスの問い ここでhnhh誌の記事を簡単に訳したものを紹介する。 「誰も話したがらないことが一つあると思う。それは、音楽メディアやカルチャー評論家、ポッドキャスターたちの姿勢が非常に偽善的だということだ」と彼は語った。「ジェイ・Zを即座に擁護する必要はない。人々は疑問を持っているし、もし知っている、あるいは当時その場にいたなら、その疑問を明確にする手助けをするべきだ。いくつか質問がある。ジェイ・Zは未成年だったFoxy Brown(フォクシー・ブラウン)と関係を持ったのか? そこに我々が見落としている何かがあるのか?未成年だったAaliyah(アリーヤ)と関係を持ったのか?Beyonce(ビヨンセ)と出会った時はどうだったのか……」 さらに彼はこう続けた。「どうしてこういう話し合いができないんだ?あの時代のアーティストたちについては、話題にしたくない“守る側のグループ”がいるように感じる。もし今の時代のアーティストだったら、間違いなくもっと厳しく検証されていただろうな」 DJアカデミクスのジェイ・Zに関する最新の発言は、司法省がジェフリー・エプスタイン事件に関連する数百万点の文書を公開した数日後に出たものだ。これらの文書には、ロック・ネイション創設者であるジェイ・Zの名前も、他の数えきれないほどの著名人とともに含まれていた。 ただし、この件についてメディアの扱い方を批判しているのはアカデミクスだけではない。文書公開の直後、筆者も愛聴しているラジオホストCharlamagne Tha God(シャラメイン・ザ・ゴッド)は自身の番組『The Breakfast...

【全24曲】衰退を自分で名乗ったJ. Cole『The Fall-Off』と、日本の二人の引退者たち

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via @realcoleworld instagram

千葉雄喜の「転生」、Tohjiの「離脱」、Coleの「終章」──全24曲クレジット付き徹底考察

J. Coleが、ついにやってきた。そして、これが最後だと言っている。

皆さんはどう感じただろうか?

長年その名がささやかれ、時に疑われ、時に神話化されてきたアルバム『The Fall-Off』。2018年の『KOD』収録「1985 (Intro to The Fall Off)」で初めてその名が示されてから、実に8年。全24曲・二枚組(Disc 29 / Disc 39)というボリュームで、J. Coleの「現在地」と「これまで」、そして「この先」を一気に照らし出す作品がついに届いた。

そしてヒップホップの世界で「The Fall-Off(衰退)」という言葉は、たいてい他人から投げつけられるものだ。でもJ. Coleは、それを自分の作品タイトルにしてしまった。しかも「ラストアルバムにするつもりで作った」と明言した上で。つまりこの時点で、もう勝負は始まっている。

そして奇しくも、このアルバムがリリースされた2026年は、日本のヒップホップシーンでも一つの「終わり」が予告されている年でもある。Tohjiが、2026年をもって音楽活動を引退すると宣言しているのだ。太平洋を挟んで、41歳のベテランと29歳の新世代が、同じ年に「終わり」を選ぼうとしている。

Disc 29とDisc 39──二つの時間軸が映し出すもの

『The Fall-Off』の構造を理解するには、まずこのディスク分けの意味を知る必要がある。

Disc 29は、29歳のJ. Coleが故郷ファイエットビルに帰った視点で書かれている。ニューヨークに出てから10年、成功を掴みながらも、女性・音楽・故郷という「3つの愛」の間で揺れる若い男の物語だ。

Disc 39は、同じ帰郷を39歳の視点で描き直す。息子がいて、結婚生活があり、自分の名前が自分より先に部屋に入ってくるような人間になった男が、もう一度同じ道を歩く。

Cole自身がInstagramで語った言葉がある。「The Fall-Off, a double album made with intentions to be my last, brings the concept of my first project full circle. Disc 29 tells a story of me returning to my hometown at age 29.」──つまりこれは、2007年のデビューミックステープ『The Come Up』との円環構造になっている。『The Come Up』が19歳の「出発」だったなら、『The Fall-Off』は41歳の「帰還」だ。

さらに興味深いのは、アルバムのジャケット写真をCole自身が15歳の時に撮影したものだという点だ。裏ジャケットには当時の自室の壁が写っていて、50 Cent、Tupac、Eminem、Notorious B.I.G.、DMX、Mobb Deep、Wu-Tang Clanのポスターが並んでいる。15歳の自分が見ていた世界と、41歳の自分が作り上げた世界を、一枚の写真で重ねている。

このアルバムの振り幅がすごい

『The Fall-Off』の最大の特徴は、振り幅を隠さないこと。

内省的で文学的なストーリーテリング(「Safety」の留守電チェーンは、友人の死、ホモフォビア、愛情、暴力が無造作に混在する衝撃的な構成だ)。王座を巡る自意識が交錯するバンガートラック(「WHO TF IZ U」でのフロウスイッチは、Cash Money時代を彷彿とさせる)。ギターを軸にした、ほとんどフォークやソウルに近いバラード(「Ocean Way」の穏やかな着地)。

それらが、整理されすぎないまま共存してる。それがいい。

日本で言えば、KREVAがバトルMCとポップアーティストの顔を同時に見せるように、ZORNが路地裏のリアルとスタジアム規模の視点を同じアルバムに詰め込むように。そしてJ. Coleもまた「一人の人間が持つ複数の顔」を、そのまま作品に持ち込んでいる。

Drake-Kendrick Beef──2024年の傷跡と『The Fall-Off』

このアルバムを語る上で、2024年のDrake vs. Kendrick Lamarのビーフは避けて通れない。むしろ、あの出来事がなければ『The Fall-Off』はダブルアルバムにならなかったとCole自身が認めている。

経緯を簡単に振り返る。2023年、Drakeの「First Person Shooter」でJ. Coleは「Big Three(俺、Drake、Kendrick)」という概念を提示した。2024年3月、Kendrickはそれを「Like That」で一蹴──「just big me(トップは俺だけ)」。J. Coleは「7 Minute Drill」でKendrickに応戦したが、わずか2日後のDreamville Festivalで公開謝罪し、楽曲をストリーミングから削除した。

この「撤退」は、ヒップホップ史上でも異例の出来事だった。The Gameは「ColeがこのゲームをKool-Aid without sugarに変えた」と批判し、多くのファンは「弱い」と断じた。一方でDreamvilleのJIDは「あの業界で謝罪できることこそ最も偉大なことだ。30回でも謝れ」と擁護した。

そして2026年1月、『Birthday Blizzard ’26』EPで、Coleはこう吐いた。「I used to be top, see, the apology dropped me way out of the top 3. No problem, I’m probably my best when they doubt me.」──トップから落ちた。でも、疑われてる時が一番強い。

さらに「I Love Her Again」では、Commonの名曲「I Used To Love H.E.R.」の概念を借りて、ヒップホップそのものを「恋人」に見立て、カルチャーがDrakeとKendrickを選び、自分を置き去りにした感覚を描いている。これは単なるビーフの後日談じゃない。「愛したものに選ばれなかった男」の物語だ。

日本のヒップホップで言えば、般若がフリースタイルダンジョンのジャッジ席で感じたであろう「シーンの中心にいるのに、シーンの外にいる」感覚に近いかもしれない。あるいは、漢 a.k.a. GAMIが『ヒップホップ・ドリーム』で語った、カルチャーへの愛と、カルチャーからの疎外の同時体験。Coleが語っているのも、まさにそれだ。

三つの「引退」、三つの終わり方。KOHH、Tohji、J. Cole

2020年代のヒップホップには、「引退」の物語が立て続けに起きている。そしてその一つひとつが、まったく異なる思想を持っている。ここでは、日本から二人──KOHH(→千葉雄喜)Tohji──、そしてアメリカからJ. Coleを並べてみたい。

KOHH──名前を殺して「転生」した男

KOHHは2020年1月、LINE CUBE SHIBUYAでのワンマン「KOHH Live in Concert」で引退を宣言。2021年12月、ザ・クロマニヨンズとの2マンライブ「BADASSVIBES」を最後にステージからマイクを置いた。引退作となる6thアルバム『worst』は、「最後」であることを自覚した上での、静かな幕引きだった。

そして2024年2月13日、本名「千葉雄喜」名義で「チーム友達」をリリース。KOHHとしての鋭利でダークなラップとは打って変わり、シンプルで軽やかなトラップビートにコミカルなリリック。MVには全国から集結した仲間が登場し、ZORNの姿もあった。

千葉雄喜は、テレビ出演で明確にこう言っている。「KOHHさんはもういません」。KOHH時代の楽曲はライブでもやらないと宣言した。これは単なる活動再開ではない。名前を変え、人格を変え、音楽性を変えた上での「別人としての再出発」だ。

KOHHの引退は、318(プロデューサー兼A&R)との約束でもあったとされる。キャリア絶頂で辞めること自体がステートメントだった。そしてその後、文學界でのエッセイ連載、セレクトショップ「Dogs」の運営、Yan Seku(元Tajyusaim Boyz)のプロデュースなど、「ラッパーではない千葉雄喜」として時間を過ごした。その上で、まったく別の文脈で音楽に戻ってきた。

2024年7月にはMegan Thee Stallionの「Mamushi」に参加し、Billboard Hot 100で36位を記録。2025年1月には日本武道館でソロコンサートを開催。2025年3月には2ndアルバム『億万長者』をリリース。KOHHの「引退」は嘘じゃなかった。千葉雄喜は、本当に別の人間として音楽をやっている。

Tohji──29歳で「海から上がった」男

そしてもう一人。2025年10月18日、大阪城ホールで開催されたヒップホップフェス「POP YOURS OSAKA」のステージ上で、Tohjiは静かにこう言った。

「2026年、来年をもって僕は音楽活動を引退します。」

29歳。KOHHが引退を宣言した時(29歳)とほぼ同じ年齢で、J. Coleの「Disc 29」が描く年齢とも重なる。しかし、Tohjiの引退の質感は、KOHHともJ. Coleとも根本的に異なる。

Tohjiは引退発表のMCで、自分の半生を「海」に喩えた。

「昔自分は、深い海の底みたいな場所にずっといるような気持ちでした。冷たくて、暗くて、誰もいなくて、背中にコケが生えてるデカいクジラみたいな気持ちでした。」

そこから光に向かって上がっていくうちに、いろんな魚たちと出会い、潮に揉まれて、いつの間にかクジラからイルカになっていた。そして──

「今までやれることは全てやってきたし、晴れ晴れとした雲一つないような気持ちでオレはいます。」

「ダラダラするのがオレ苦手なので。今オレの心は自分の知らないこととか、わかってないことに向き合って新しい世界を見たいって、そう言ってるから、その声を素直に聞こうかなと思ってるって感じです。」

この言葉には、燃え尽きた人間の響きがない。疲弊でもなく、挫折でもなく、「満ちた」から去る。これがTohjiの引退だ。

1996年ロンドン生まれ、横浜育ち。麻布中高で先輩が流したキングギドラでヒップホップに出会い、退学、武蔵野美術大学進学、Mall Boyz結成、「ラップスタア誕生!」決勝進出。SoundCloudからアンダーグラウンドを駆け上がり、東京のクラブでUSBを配り歩いていた青年は、8年後にぴあアリーナMMで1万人を動員し、Boiler Room Tokyo、ヨーロッパ・北米ツアー、The FADERやファッション誌032cでの特集、そしてアリーナ公演の映画化(全国イオンシネマ上映)にまで到達した。

引退発表前の2025年には、連作プロジェクト『zero-one』『zero-two』をリリース。「完成された作品」ではなく「創造のプロセスそのものの記録」を志向した実験的な作品群だ。タイトルの「zero」が示すように、これはカウントダウンではなく、ゼロからの出発を繰り返す意志の表明だった。そしてその最中に、引退を宣言した。

興味深いのは、引退発表がYahoo!ニュースに掲載された際、コメント欄に「誰?」「知らない」という声が殺到したことだ。テレビ露出が少なく、ストリーミングとライブカルチャーで支持を集めてきたTohjiならではの「認知のギャップ」。しかし、知っている人間にとっての衝撃は計り知れないものだった。彼が「まだ知らない世界を見たい」と笑いながら去ろうとしている事実は、ヒップホップという「永遠に上を目指すゲーム」に対する、最も優雅な離脱表明かもしれない。

J. Cole──名前のまま物語を閉じる男

では、J. Coleは?

Coleの引退は、KOHHとも、Tohjiとも、根本的に違う。

KOHHは「名前を殺した」。KOHH(=黄/コー、亡き父親の姓に由来する名前)というキャラクターは、東京・北区王子のストリートと、父の不在と、母の自殺未遂という壮絶な背景から生まれた「戦闘服」だった。だからこそ、その服を脱いで「千葉雄喜」に戻ることができた。KOHHという名前には物語の終わりがあらかじめ設計されていた、とも言える。

Tohjiは「満ちたから去る」。29歳で「やれることは全てやった」と言い切れる純粋さ。クジラがイルカになり、海から上がる。名前は変えない。ただ、音楽という海から身を引く。「オレがオレっていう船を降りることは今までもこれからもない」──Tohjiは、自分自身はそのまま、音楽だけを脱ぐ。

J. Coleには、そのどちらの選択肢もない。あるいは、意図的に持たない。

Coleのキャリアは最初から最後まで「Jermaine Cole本人の日記」だった。ファイエットビルの団地、St. John’s大学、Nasに送ったデモテープ、母親のCDコレクション──すべてが実名で、実話で、フィクションの層がほとんどない。Kill Edwardというオルター・エゴを『KOD』で試みたが、あれはあくまでアルバムの装置であって、別人格として独立した活動には至っていない。

つまり、ColeがKOHHのように「名前を変えて別人として戻る」ことも、Tohjiのように「音楽だけを手放して自分は残る」ことも、構造的に難しい。ColeにとってJ. Cole=音楽=人生そのものだから。だからこそ彼は『The Fall-Off』を「最後のアルバム」として設計した。名前を変えるのでもなく、音楽を脱ぐのでもなく、「物語の最終ページを書く」ことで終わらせる。

「三人の29歳」──奇妙な一致

ここで一つ、奇妙な数字の一致に触れたい。

J. Coleの『The Fall-Off』Disc 29は、29歳の自分を描いている。KOHHが引退を宣言した「KOHH Live in Concert」は2020年1月──KOHHは当時29歳だった。そしてTohjiが引退を発表したPOP YOURS OSAKAの時点で、Tohjiも29歳。

29歳という年齢は、ヒップホップにとって一つの分水嶺なのかもしれない。「若さ」の燃料で走れる限界点。ここを超えると、ラッパーは「ベテラン」の文法で語り直さなければならなくなる。J. Coleはそこを越えた後の12年間を、Disc 39で描いた。KOHHは越える前に一度死ぬことを選んだ。Tohjiは、越える瞬間に「もう十分だ」と微笑んだ。

そしてJ. ColeのDisc 29が「遊び心」と「自信のなさ」の同居であるのに対し、Disc 39は「セラピーとしてのラップ」「個人的な解決策としての技術」に向かっている。Clash Magazineが指摘したように、「Disc 29はファンのための音楽、Disc 39は自分自身のための音楽」。この変化は、29歳から39歳の間に何が起きるかを、生々しく記録している。

『worst』『zero』『The Fall-Off』──三つの「引退作」が語るもの

三人の「引退に向けた作品」を並べると、その思想の違いがさらに鮮明になる。

KOHHの引退作『worst』は、タイトル通り「最悪」を名乗った。最高傑作ではなく、最も生々しい、最も剥き出しの自分を最後に置いていく。そこには「美しく終わろう」という意志がない。むしろ「このまま消える」ことに誠実さがあった。

Tohjiの『zero-one』『zero-two』は、「完成された作品の提示ではなく、創造のプロセスそのものの記録」を志向している。ゼロ地点からの反復。カウントダウンではなく、カウントアップですらなく、常にゼロに戻り続ける。引退を控えた人間が「完成品」ではなく「途中経過」を残すという選択。これは、Tohjiが音楽の「外」にもう視線が向いていることの証拠でもある。

『The Fall-Off』は正反対だ。Coleは明らかに「最高傑作」を作ろうとしている。Clash Magazineのレビューが「his masterpiece, a classic right off the bat」と評したように、このアルバムには完成度への執着がある。15歳の写真、29歳と39歳の二重構造、10年分のストックから選び抜かれた24曲──すべてが「完璧な終わり方」に向けて設計されている。2016年から録音を開始し、何度もセッションを破棄し、再構築した。この執念は、「いつか続きを出せばいい」と思ってる人間のそれではない。

つまり──

KOHHは「不完全なまま去った」。
Tohjiは「途中経過のまま去ろうとしている」。
J. Coleは「完全な形で去ろうとしている」。

どれが正解ということではない。ただ、この対照が面白い。そして、千葉雄喜が「チーム友達」で見せた肩の力の抜けたユーモアと、Tohjiが「Crystal世阿弥」で見せた浮遊感と、Coleが「Bombs in the Ville / Hit the Gas」で見せた少しだらしないラフさが、実は似たような場所──「もう証明しなくていい場所」──から来ているのかもしれない。

全クレジット一覧──Disc 29

ヒップホップアルバムで、クレジットは「設計図」みたいなもの。誰が、どこで、どんな思想を持って関わったのか。そこに作品の骨格が見える。エグゼクティブ・プロデューサーはJ. Cole、Ibrahim “IB” Hamad、T-Minus、そしてDreamville。

まずはDisc 29から。

  • 29 Intro (Prod. by J. Cole)
  • Two Six (Prod. by OMEN, T-Minus)
  • Safety (Prod. by Wu10, Powers Pleasant, Sucuki, J. Cole, DZL)
  • Run A Train feat. Future (Prod. by T-Minus, JŪN TETRA, GLDY JR)
  • Poor Thang (Prod. by J. Cole)
  • Legacy (Prod. by J. Cole, T-Minus)
  • Bunce Road Blues feat. Future & Tems (Prod. by The Alchemist)
  • Who TF 1Z U (Prod. by J. Cole, Vinylz, T-Minus)
  • Drum N Bass (Prod. by JŪN TETRA, GLDY JR)
  • The Let Out (Prod. by Steve Bilodeau, T-Minus)
  • Bombs in the Ville / Hit The Gas (Prod. by J. Cole, Fierce, T-Minus, Boi-1da)
  • Lonely At The Top (Prod. by DZL, Wu10)

続いてDisc 39

  • 39 Intro (Prod. by T-Minus, FNZ, J. Cole, Steve Bilodeau, Vinylz, Wu10)
  • The Fall-Off Is Inevitable (Prod. by DZL, Maneesh)
  • The Villest feat. Erykah Badu (Prod. by OMEN, J. Cole) ※Mobb Deep「The Realest」サンプリング
  • Old Dog (Prod. by J. Cole)
  • Life Sentence feat. Morray (Prod. by T-Minus)
  • Only You feat. Burna Boy (Prod. by T-Minus, DZL, Luca Mauti)
  • Man Up Above (Prod. by T-Minus)
  • I Love Her Again feat. Common (Prod. by J. Cole)
  • What If (Prod. by Beat Butcha, TaeBeast)
  • Quik Stop (Prod. by DZL, OMEN, J. Cole)
  • And The Whole World Is The Ville (Prod. by AzizTheShake)
  • Ocean Way (Prod. by J. Cole, David Linaburg, Ron Gilmore Jr.)

プロデューサー陣を見ると見えてくるもの

T-Minus、The Alchemist、Boi-1da、Beat Butcha、Vinylzといった現代ヒップホップの中核に加えて、J. Cole自身が24曲中かなりの数で制作に深く関与してる点が象徴的だ。

これは「丸投げされたスター作品」じゃない。自分で手を汚し続けるベテランの仕事だ。特にDisc 39の「The Villest」でMobb Deepの「The Realest」をサンプリングし、Erykah Baduのリメイクボーカルと合わせてくる判断は、90年代への愛とリスペクトが直接的に表現されている。裏ジャケの壁に貼られたMobb Deepのポスターと、このトラックは明確に呼応している。

日本のヒップホップとの比較で言えば、三者のプロダクションへの姿勢が対照的だ。J. Coleは「全部自分で関与したい」人間。千葉雄喜の『STAR』はKoshyによるフルプロデュース──「信頼する一人に全てを託す」。Tohjiの『zero-one』『zero-two』はBig Animal Theory、Gentoku、Xanseiとの共同制作──「仲間と一緒にプロセスを共有する」。

制作思想がそのまま、三人の「引退」の思想と重なる。Coleは自分で全部コントロールして完成させたい。千葉雄喜は誰かに預けることで自由になれる。Tohjiは仲間との「今」を記録することが目的になっている。

客演は少ない、でも全員に意味がある

客演アーティストは控えめ、しかし一人ひとりに明確な役割がある。Future、Tems、Erykah Badu、Burna Boy、Morray、Common、そしてPetey Pablo、Westside Gunn。

Commonとの共演「I Love Her Again」──Commonの「I Used To Love H.E.R.」を下敷きに、ヒップホップという「彼女」との関係を再構築する。世代を超えた対話であると同時に、2024年のビーフで「カルチャーに選ばれなかった」Coleの最も率直な告白でもある。

FutureとTemsの「Bunce Road Blues」──The Alchemistのプロダクションと相まって、このアルバムの中でも異質な存在感を放つ。Futureの叫ぶようなボーカルとTemsのスピリチュアルな声が交差し、ストリートバイオレンスと個人のトラウマを行き来する。

「What If」──TupacとBiggieがビーフを終わらせていたら、という仮想を描く。2024年のDrake-Kendrickビーフを経験したColeが、「もし争いが終わっていたら」を問い直す。これは個人的な後悔であると同時に、ヒップホップ史全体への問いかけだ。

「引退」の文化論──日本とアメリカの違い

ここまで三人を並べてきて、浮かび上がるのは日本とアメリカにおける「引退」の文化的意味の違いだ。

日本では、名前を変えることで「転生」が可能になる。KOHHは千葉雄喜になった。落語家が名前を変えて格が上がるように、力士が四股名を変えるように、日本の芸能文化には「名前の死と再生」のシステムが根付いている。また、Tohjiのように「やり切って晴れ晴れと去る」という引き際の美学も、日本的な「花道」の感覚と無縁ではない。千秋楽に勝って引退する力士、最終回で打って引退する打者──そういう「美しい終わり」への志向が、Tohjiの「雲一つないような気持ちです」という言葉には確かにある。

アメリカのヒップホップでは、名前はそのまま、カタログごと「封印」する方向に行きやすい。Jay-Zの『The Black Album』での「引退」、Lil Wayneの度重なる「最後」宣言。そしてJay-Zは結局戻ってきた。Wayneも戻ってきた。千葉雄喜も──名前は変えたが──戻ってきた。

だからColeも「本当に最後かどうか」は誰にもわからない。Tohjiが2026年以降、別の表現形態で何かを始める可能性もゼロではない(本人も「オレの人生とみんなの人生が交差することはあると思います」と含みを持たせている)。

しかし、少なくとも三人とも「終わり方を自分で決めた」という点で共通している。消費されて消えたのでも、スキャンダルで退場したのでもない。自分の意志で、自分のタイミングで、自分の言葉で。それ自体が、ヒップホップという「生き残り続けることが正義」のカルチャーに対する、静かだが強烈なカウンターだ。

J. Coleはそういうことをしない──なぜ「転生」も「離脱」もあり得ないのか

改めて、J. Coleが千葉雄喜のように「別名義で復活」したり、Tohjiのように「音楽を脱いで別の世界に行く」ことがあり得るかを考えてみる。

まず、ない。

千葉雄喜が「転生」できたのは、KOHHというペルソナに「脱げる仮面」の性質があったからだ。KOHHの音楽は強烈にスタイリッシュで、ある種のキャラクター性を持っていた。だからこそ、その衣装を脱いで「素の千葉雄喜」に戻ることに意味があった。

Tohjiが「離脱」できるのは、彼のアイデンティティが音楽以外の場所にも確実にあるからだ。麻布中高、武蔵野美術大学、アートへの志向、ファッション──Tohjiにとって音楽は表現の「一つ」であって「全て」ではない。だから「わかってないことに向き合って新しい世界を見たい」と言える。音楽の外に「新しい世界」があると信じられている。

J. Coleは、どちらでもない。彼には「脱げる仮面」がなく、「音楽の外の世界」への志向もほとんど見えない。19歳でラップを始め、41歳で7枚目のアルバムを出す。その間、ファッションでもアートでも映画でもなく、ずっとラップだった。Dreamvilleというレーベルを運営してはいるが、それも「音楽の内側」の仕事だ。

つまりColeにとっての引退は、千葉雄喜的な「転生」でもTohji的な「離脱」でもなく、本当の意味での「終章」にならざるを得ない。『The Fall-Off』のDisc 39最終曲「Ocean Way」が穏やかで静かなトラックであること自体が、その意志を示している。爆発で終わらない。ただ、波が引くように終わる。

もちろん、Jay-Zが3年で戻ってきたように、Coleも数年後に新作を出す可能性はゼロではない。しかしその場合でも「J. Cole」以外の名前で出すことはないだろう。なぜなら、彼にとって音楽は「ペルソナの表現」ではなく「自分自身の記録」だから。記録は、名前を変えたら意味がなくなる。

これは「衰退」の話じゃない

タイトルだけ見ると誤解されやすいけど、このアルバムが語っているのは「衰退」じゃなくて、「どう終わるかを自分で決める」という話だ。

ヒップホップで、キャリア後期は往々にして消費されるか、神格化されるかの二択になる。J. Coleは、そのどちらも選ばずに、記録としての作品を残しにきた。「The Fall-Off Is Inevitable」というトラックタイトルが語るように、衰退は避けられない。でも、その事実に自分から名前をつけて、自分でコントロールする。

千葉雄喜は「KOHHを殺す」ことで新しい人生を始めた。Tohjiは「海から上がる」ことで次の世界へ向かおうとしている。J. Coleは「J. Coleとして死ぬ」ことを選んだ。

派手じゃない。でも、めちゃくちゃ誠実だ。

J. Coleが示したもの──そして2026年という年

『The Fall-Off』は、キャリアの終章じゃない。「語り終える覚悟」を示したアルバムだ。

15歳の自室の壁に貼ったポスターの前で撮った写真をジャケットにし、29歳と39歳の自分を重ね、ビーフからの撤退を「落ちたんじゃない、飛び降りたんだ」と再定義し、最後にCommonの名曲を引用してヒップホップへの愛を告白する。

ヒップホップは若さだけの音楽じゃない。そのことを、これほど静かに、でも確実に証明した作品は久しぶりだ。

そして2026年は、ヒップホップにとって特別な年になりつつある。J. Coleが41歳で「最後のアルバム」を出し、Tohjiが29歳で音楽を辞め、千葉雄喜がKOHHの亡霊とは無関係に新しいキャリアを積み上げている。三つの「終わり方」が、一つの年に重なった。

「ラッパーは、いつ、どうやって終われるのか?」

その問いに、太平洋を挟んで三人のアーティストが、それぞれの方法で答えを出した。KOHHは名前を葬り、千葉雄喜として笑いながら再出発した。Tohjiは「晴れ晴れとした気持ち」でステージを降りようとしている。J. Coleは「Ocean Way」で静かに幕を閉じた。

場所も年齢もキャリアの長さも違う。でも三人とも、自分の終わり方を自分で選んだ。それだけで、十分にヒップホップだと思う。


この記事について

本記事は、HIPHOPCs(ヒップホップ専門メディア)による独自考察である。
J. Cole本人の公式発言(Instagram)、アルバム公式クレジット、海外音楽メディア(Clash Magazine / Billboard / RGM)、
および国内一次報道(音楽ナタリー、Spincoaster)を基に構成し、
単なる翻訳・要約ではなく、日本のヒップホップシーン(KOHH/千葉雄喜、Tohji)との比較分析を行っている。
事実関係と解釈を明確に分離し、文化的文脈に基づいた評論として執筆した。

注意
情報は2026年2月7日時点のものです。客演クレジットの一部はアルバム発売時点で公式に非公開だったため、レビュー・聴取に基づく記載を含みます。Tohjiの2026年の具体的な引退スケジュールは本稿執筆時点で未発表です。変更があれば随時更新します。

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