【レビュー】Baby Keem『Ca$ino』──Kendrick Lamarの愛弟子が放つ衝撃の告白作

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via @keem instagram

2026年2月20日、Baby Keem(ベイビー・キーム)がセカンドアルバム『Ca$ino』をpgLang/Eerie Times/Columbia Recordsからリリースした。前作『The Melodic Blue』から約5年──現代ヒップホップにおいては「永遠」とも言える沈黙を経ての帰還だ。

結論から言えば、このアルバムは「期待に応えたか」という問いそのものを無効化する作品だ。Baby Keemは期待に応えることではなく、自分の物語を語ることを選んだ。そしてその選択が、結果的にこのアルバムを2026年の最重要作品候補に押し上げている。


『Ca$ino』とは何か──全12曲36分に凝縮された自伝

まず基本的な情報を整理しておこう。『Ca$ino』は全12曲、約36分。客演にはKendrick Lamar、Too $hort、Infinity SongのMomo Boyd、Che Ecruが参加している。プロダクションはKeem自身に加え、Sounwave、Cardo、Danja、Ojivoltaなど西海岸を代表する制作陣が担当した。

注目すべきは、アルバムのリリースに先立ち公開された3部構成のドキュメンタリー『Booman』シリーズだ。叔母のLaConnie Govanが撮影した家族の映像を基にしたこの作品は、ロサンゼルスのLong Beachで生まれ、ラスベガスに移り住んだKeemの幼少期を赤裸々に描いている。このドキュメンタリーを観てからアルバムを聴くと、歌詞の一行一行が持つ重みがまるで変わってくる。

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5年の沈黙──なぜBaby Keemは消えたのか

2021年に『The Melodic Blue』でBillboard 200の5位にデビューし、「Family Ties」でグラミー賞Best Rap Performanceを獲得。2022年にはKendrick LamarのBig Steppers Tourに帯同して世界中のアリーナを回った。普通ならば、その勢いのまま次のアルバムに突入するはずだ。

けれどもKeemは沈黙を選んだ。一時期は『Child with Wolves』というタイトルの作品がティーザーされたが、それは形にならなかった。

ここで日本のリスナーとして興味深い比較がある。日本のラップシーンでは、たとえばBAD HOPが2024年の東京ドーム公演で突然の解散を発表したように、「去り際の美学」が存在する。アメリカのヒップホップにおいて5年の沈黙は通常キャリアの自殺行為だ。TikTokとストリーミングが回転速度を支配する時代に、存在を消すことは忘れられることを意味する。しかしKeemは、その沈黙そのものを作品の一部にした。NMEが指摘したように、「5年のブランクが意図的に感じられる」帰還を実現したのだ。

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ラスベガスという装置──タイトル「Ca$ino」に込められた二重性

このアルバムのタイトルは単なるスタイリングではない。Keemはロサンゼルスで生まれたが、幼少期にラスベガスに移住している。祖母と叔母たちとの生活。グループホームからの救出。母親の不在。『Ca$ino』というタイトルは、場所の名前であると同時に、彼の人生そのものがギャンブルだったという宣言だ。

カバーアートが幼児期の写真であることも象徴的だ。ある批評家が的確に指摘しているように、「大人がKeemの安定を賭けの対象にしていた時代が、彼自身が何かを賭けられるようになるよりもずっと前から存在していた」のだ。アルバム全体を通じてスロットマシンやルーレットの音が散りばめられているのは、演出であると同時に記憶の再現でもある。


「No Security」──アルバムの扉を開ける告白

オープニングトラック「No Security」は、Natalie Bergmanの物憂げなサンプルの上でKeemが数年間の沈黙の理由を語る楽曲だ。叔父の死、名声がもたらした家族関係の変容、そして19歳で数百万ドルを手にしたことで「母親が銀行に行くような目で自分を見るようになった」という告白が展開される。

このラインは、アルバム全体のテーマを凝縮している。つまり、成功が祝福であると同時に義務になる瞬間の描写だ。これは日本のヒップホップシーンでも共鳴する主題ではないだろうか。たとえばKID FRESINOやSALUが語ってきた「周囲の期待と自己の乖離」というテーマと、文化的文脈は異なれど、根底にある感情は同じだ。


「I Am Not a Lyricist」──逆説が生んだアルバムの核心

このアルバムで最も議論を呼ぶであろうトラックが「I Am Not a Lyricist」だ。Keemはここで自らを「リリシストではなく、実験するためにここにいる私生児だ」と宣言する。André 3000を想起させるケイデンスで、幼少期の記憶を息つく間もなく語り続ける。

皮肉なことに、このトラックこそがKeemのリリカルな成長を最も証明している。The Line of Best Fitが指摘するように、まるで子供が呆然としながら過去を振り返るような戸惑いがパフォーマンスに宿っている。技巧を否定する宣言の中に最高の技巧が潜んでいる──この逆説は意図的なものだろう。

日本語ラップの文脈で考えると、これはRHYMESTERのMummy-Dが語ってきた「技術と感情の弁証法」に通じるものがある。テクニカルなスキルの誇示ではなく、何を語るかによってスキルが証明されるという逆転の構造。Keemは2000年生まれにしてその境地に到達しつつある。


「No Blame」──母への手紙、James Blakeとの共作

アルバムのクロージングトラック「No Blame」は、James Blakeのサンプルの上で展開される、不在だった母親への手紙だ。「No Security」で祝福と重荷の二重性を提示したアルバムが、最終的にたどり着くのは許しという地点だった。

ドキュメンタリー『Booman』で明かされた事実──6歳のとき叔母のConnieがグループホームからKeemを引き取ったこと、祖母がKeemの購入した家で亡くなったこと──を知った上でこのトラックを聴くと、その重みは計り知れない。Keemは非難することを拒否し、愛とトラウマが同じ場所に存在し得ることを認める。

日本の音楽文化において、家族の傷を公の場で語ることには独特の抵抗感がある。だからこそ、25歳の若者がここまで直接的に家族の物語を──しかも非難ではなく和解として──語る姿勢は、文化を超えた衝撃を持つ。


Kendrick Lamarとの関係性──「従属」から「対等」への進化

Baby KeemがKendrick Lamarの従弟であることは周知の事実だ。しかし『Ca$ino』において最も重要な変化の一つは、その関係性の質的な転換だ。

『The Melodic Blue』では「Family Ties」や「Durag Brothers」でKendrickが圧倒的な存在感を示していた。しかし『Ca$ino』での客演──「Good Flirts」(Momo Boydと共演)と「House Money」のライティングクレジット──は抑制的だ。NMEのレビューが指摘するように、Kendrickの存在はもはやKeemの作品を支配するものではなく、「共演者」としての自然な位置に収まっている。

ドキュメンタリー内でKendrickが「私たちは理由なくヒルビリーを名乗っているわけじゃない。これは戦場環境の物語だ」と語る場面がある。pgLangの共同創設者であり、メンターであり、従兄弟であるKendrickの言葉は、この関係が師弟を超えた血縁と戦場の共有に基づいていることを示している。

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プロダクション分析──「spacey」なサウンドと世代間の架橋

サウンド面で『Ca$ino』が前作と決定的に異なるのは、統一感だ。『The Melodic Blue』が若さゆえの実験的な散逸を魅力としていたのに対し、今作はスペーシーなテクスチャー、ダスティなサンプル、そして重厚な低音域を軸にしたムーディーな一貫性を持っている。

特筆すべきトラックを挙げるなら、「Birds & the Bees」のノスタルジックなサンプルとパンチの効いたドラムの共存、タイトルトラック「Ca$ino」のゴーストリーなクワイアとクラブ向けのパーカッションが作り出す緊張感、そしてオルタナティブ・ロックに振り切った「Dramatic Girl」だ。

$ex Appeal」でのToo $hortとの共演は、Bay Areaラップの系譜とKeemのインターネットネイティブな感覚を接続する試みとして機能している。世代間のギャップが逆に面白い化学反応を生んでいる──Too $hortの方がKeemよりも欲望に対して遥かに自然体であるという対比が、楽曲にユーモラスな深みを与えている。

日本のリスナーにとっては、NujabesやDJ KRUSHが確立したジャズヒップホップの伝統とは異なるアプローチだが、「サンプリングによる記憶の再構築」という手法には通底するものがある。Keemのプロダクションは、過去の音を引用しながら、それを未知の感情空間に再配置する。


2000年生まれのストーリーテリング──ミームと真実の境界線

Baby Keemの特異性は、インターネット文化のネイティブスピーカーでありながら、その言語を使って極めて私的な物語を語れる点にある。

2000年生まれの彼は、ミーム的な表現や皮肉を感情の防御壁として使う。「House Money」での虚勢、「Birds & the Bees」での恋愛についての不器用なユーモア──これらはZ世代特有のコミュニケーション様式そのものだ。けれども、その表層の下に「No Shame」や「Highway 95 pt. 2」のような赤裸々な告白が存在する。

この構造は、日本のZ世代ラッパーたちとも共鳴するだろう。LEXや¥ellow Bucksが若者のリアルを語るとき、そこにはSNS時代特有の防御的な皮肉と、その裏にある生の感情の往復運動がある。Baby Keemはその構造をアルバム単位で設計し、前半のブラバドと後半のヴァルネラビリティを意図的に配置している。


海外メディアの評価──批評は割れたが、方向性は一致している

リリース直後の批評を整理すると、興味深い傾向が浮かび上がる。

Rolling Stoneは、困難だが必要な移行期の作品と評し、Keemが独自のヴィジョンを持つアーティストであることを認定した。NMEは4つ星相当の評価で、長い不在が意図的に感じられる自信に満ちた帰還とした。The Line of Best Fitは感情的な深さ、リリカルな重み、そしてソニックな多様性を兼ね備えた「今世紀生まれのラッパーによる稀有な作品」と評した。一方でAnthony Fantano(theneedledrop)は前作からのわずかな進歩に留まると、より慎重な評価を下している。

批評が一致しているのは、Keemのストーリーテリングとファミリーナラティブの質が大幅に向上したという点だ。技術的な完璧さを追求する作品ではないが、それこそがKeemの意図なのだろう。

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The Ca$ino Tour 2026──36公演の世界ツアーとアジア展開への期待

アルバムに合わせて発表されたThe Ca$ino Tourは、Live Nation、Eerie Times、pgLangが共同プロデュースする全36公演のグローバルツアーだ。北米レグは4月15日のノースカロライナ州ローリーから始まり、6月7日のボストンまで20都市以上を巡る。その後、8月31日にドイツ・ケルンからヨーロッパ・UKレグが始まり、9月18日のロンドン・O2 Academy Brixtonで幕を閉じる。

注目すべきはアトランタとロサンゼルスでの追加公演が即座に決定したことで、需要の高さが窺える。会場はすべて中規模のクラブやシアター──アリーナではなく、アーティストと観客の距離が近い空間が選ばれている。

現時点ではアジア公演は発表されていない。しかし、2022年のBig Steppers Tourでは東京公演が実現している。Kendrick Lamarとの関係性、pgLangの国際展開、そして日本のヒップホップ市場の成長を考えれば、アジアレグの追加は十分にあり得る。仮にそれが実現すれば、Keemの音楽が日本の若いリスナーに与えるインパクトは計り知れないだろう。


『Ca$ino』全曲リスト

1. No Security
2. Ca$ino
3. Birds & the Bees
4. Good Flirts (feat. Kendrick Lamar & Momo Boyd)
5. House Money
6. I Am Not a Lyricist
7. $ex Appeal (feat. Too $hort)
8. Tubi (feat. Che Ecru)
9. Highway 95 pt. 2
10. Circus Circus Free$tyle
11. Dramatic Girl
12. No Blame


総評──Baby Keemが賭けたもの、そして勝ち取ったもの

『Ca$ino』は完璧なアルバムではない。36分という短さは物足りなさを感じさせることもあるし、ロマンティックなトラック群(「Good Flirts」「Dramatic Girl」)はアルバムの中では相対的に弱いパートだ。Keemのヴォーカルは依然として粗削りで、技術的な精緻さを求めるリスナーには不満が残るかもしれない。

けれども、このアルバムが達成したことは明確だ。Baby Keemは「Kendrick Lamarの従弟」というレッテルから完全に脱却し、自分自身の声で、自分自身の物語を語るアーティストとして確立された。家族の歴史をトラウマの告発ではなく和解の物語として再構築する手腕は、25歳のラッパーに期待される水準を遥かに超えている。

日本のリスナーにとって、このアルバムは「アメリカのラッパーの新譜」以上の意味を持ち得る。家族の期待と個人の自由の間で引き裂かれる感覚、成功が生む新たな孤独、そして過去と和解することの困難と必要性──これらは文化を超えた普遍的なテーマだ。

Baby Keemはカジノに入った。チップ一枚で。
そして、複数の人格と声色を持って出てきた。

賭けは、まだ終わっていない。


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