Da Drought 3の「Ride 4 My Niggas」を初めて聴いたとき、ラップに対する認識が変わった人間は少なくないはずだ。筆者もその一人だった。
スティーヴィー・ワンダーの「Creepin’」をサンプリングしたビートの上で、ウェインは言葉を音符のように扱った。韻の踏み方、フロウの切り替え、メタファーの重ね方——あの時期のウェインを聴いて「ラップとはこういうものだ」と刷り込まれた世代は、世界中にいる。
だからこそ、2026年2月にLaRussellが投げかけた問いは、単なる炎上ネタでは片づけられない。あれは、ウェインを愛してきた人間だけが持てる葛藤の言語化だった。
何が起きたのか——切り取りと文脈の全体像
2026年2月14日、カリフォルニア州ヴァレーホ出身のラッパーLaRussellがポッドキャスト「The Truth Hurts」に出演した。直前にJay-ZのRoc Nationとのディストリビューション契約を発表したばかりのタイミングだ。
番組内で共演者のRXKNephewがウェインを軽視する発言をした際、LaRussellはこう切り出した。
「ホミーの一人がウェインを教えてくれたんだ。それでバースだよ。ノートに書きまくった。俺にとっての入口はDa Drought 2だった。Dedicationシリーズ、Da Droughtシリーズ。No Ceilingsの前の話だ。ウェインのことは本当に愛してる」
ここまでは純粋なファンとしての告白だ。問題はその後に続いた言葉だった。
「でも全部聴いて、人間として成長していく中で思ったんだ。”この人、長い間何も語ってなかったんじゃないか”って。俺はこのコミュニティで育った。ウェインに影響されてブラッズになりたがった仲間を見てきた。ギャングになりたがって、撃ちたがって。ガンバー(銃についてのリリック)ばかりだ。コミュニティに対するネガティブな影響を見てきたんだよ」
この部分だけがX(旧Twitter)で拡散された。アカウント@ZADCOZZYが投稿したクリップは、意図的にLaRussellのウェインへの愛情表現をカットしていた。音楽ジャーナリストのJeff Weissが8分間のフルバージョンを投稿し、元々のタイトルが「LaRussell on Lil Wayne’s Genius(リル・ウェインの天才性について)」だったことを指摘している。
さらに火に油を注いだのが「Roc Nation陰謀論」だ。ヒップホップファンの間には、Roc Nation所属アーティストがYoung Money勢(ウェイン、Drake、Nicki Minaj)を攻撃するという根強い都市伝説がある。LaRussellがRoc Nationとの契約直後にこの発言をしたことで、「Jay-Zの指示でウェインを叩いている」という陰謀論が一気に広まった。
LaRussell本人はXで「理解力が史上最低だな」と反応し、フルクリップを自ら投稿して文脈の回復を図っている。
1,000曲のカタログを持つ男に「深み」を求めることの意味
LaRussellの核心的な主張を正確に言い換えるなら、こうだ。
「1,000回殴られて1回抱きしめられたら、殴られた記憶の方が残るだろ」——これはLaRussell自身の比喩だ。ウェインのカタログには「Tie My Hands」のような傑作がある。だが、それは膨大な作品群のごく一部に過ぎない。
この指摘は、実際にウェインのディスコグラフィーを通して聴いた人間なら感覚的に理解できる。
Tha Carter IIの「Fly In」で見せたハングリーさ。Tha Carter IIIの「Dr. Carter」で披露したヒップホップへのメタ的な愛情表現。「Shoot Me Down」でロビン・シックと共演した時の、スターダムの孤独を滲ませたトーン。ウェインが「語る」瞬間は確かに存在する。
だが、同じアルバムに「Lollipop」や「Got Money」が入っている。No Ceilings——多くのファンが最高傑作と呼ぶミックステープ——ですら、その魅力の大半はリリカルな深みではなく、ビートの上での超人的な身体能力にある。ウェインのラップは「何を言っているか」より「どう言っているか」で聴かせるタイプだ。
HotNewHipHopのAron A.がこの議論を的確に整理している。ウェインほどの存在に、ウィットに富んだワードプレイや技術的な卓越性を超えた「何か」を求めることは、過大な要求なのかもしれない。だが同時に、ウェインは平均的な人間の苦しみについて何を知っているのか、という問いも残る。
9歳でデビューした男の「盲点」
ウェインの経歴を振り返ると、この議論の構造がより鮮明になる。
Dwayne Michael Carter Jr.は1982年にニューオーリンズで生まれ、11歳でCash Moneyと契約。Hot Boysのメンバーとして10代前半からプロのラッパーだった。つまり、ウェインには「普通の大人になってから振り返る青春」がほとんど存在しない。Nasが「Illmatic」でクイーンズブリッジの風景を描いたような、外側から自分の出自を見つめ直す距離感を持つ機会が、構造的に少なかった。
LaRussell自身もこの点に触れている。「ウェインは子供の頃から環境に影響されていた」と認めた上で、「彼ができる限りのものを捧げ、文化に多大な貢献をした」とも語っている。
ここに、この議論の本質的な難しさがある。ウェインを「深みがない」と断じるのは不公平だ。だが、彼の音楽がコミュニティに与えた影響を無批判に称えることも、誠実ではない。
ウェインのDNA——DrakeからSoundCloudまで
影響力の「光」の側面は、現代のヒップホップの地図を見れば一目瞭然だ。
ウェインがオートチューンを武器にメロディックなラップを開拓したことで、Drakeのシンガーラップが生まれる土壌ができた。Young Thugがシラブルを自在に引き伸ばすフロウは、ウェインの「I Feel Like Dying」期の実験がなければ成立しなかった。Futureが「ダブルカップ」を中心に構築した世界観も、ウェインが先に描いたものだ。
さらに言えば、ウェインがインターネット時代に確立した「ミックステープを無料で大量にリリースし、フィーチャーで市場を支配する」というモデルは、SoundCloud以降のラッパーたちの生存戦略そのものだ。アルバムではなくシングルとフィーチャーで存在感を維持する今の主流は、ウェインが証明した方法論に他ならない。
DJ Khaledのカタログがウェインの進化を最もよく記録しているという指摘は正しい。「We Takin’ Over」のバースは、今聴けばウェインの最高のバースではないかもしれない。だが、あの曲が出た当時、あのバースを否定することは高校のカフェテリアでもバーバーショップでも許されなかった。それが「文化的影響力」の実態だ。
日本語ラップが抱える同じ構造——般若、漢、そしてCreepy Nuts
この議論は、海の向こうの話だけではない。日本語ラップにも同じ構造が存在する。
般若を例に取ろう。フリースタイルバトルの文化を日本で爆発的に広めた功績は計り知れない。だが、般若に影響されてバトルを始めた若い世代の中で、「相手を言葉で潰す」ことがラップの本質だと誤解した層がいなかったとは言えない。UMBやフリースタイルダンジョンが生んだバトルブームは、日本語ラップのリスナーを飛躍的に増やした。同時に、「バトルで勝てるラップ=良いラップ」という短絡的な図式も広めた。
漢 a.k.a. GAMIが体現してきたストリートの美学も同様だ。9sariの立ち上げやMSC時代の活動は、新宿を中心としたリアルなストリートカルチャーをラップに持ち込んだ。だが、そのリアリティに憧れて「ストリート=本物」という価値観を内面化したリスナーが、音楽の多様性を狭めた側面もある。
そして今、Creepy Nutsが日本語ラップ史上最大のストリーミング数を記録している。2025年の年間17億回再生、MUSIC AWARDS JAPAN 9冠。彼らの成功は日本語ラップの天井を引き上げた。だが、「Bling-Bang-Bang-Born」がアニメタイアップとして世界的にヒットしたことで、「アニメ経由でしか日本語ラップは海外に届かない」という認識を固定化するリスクもある。
影響力は常に両義的だ。ウェインがアメリカで体現したこの構造は、形を変えて日本にも存在する。LaRussellの問いは、どの国のどのシーンにも当てはまる普遍的なものだ。
この議論が示すヒップホップの成熟
LaRussellの発言が炎上した理由の一つは、ヒップホップにおいて「レジェンドを批判すること」が依然としてタブーだからだ。103.1 WEUPの記事が指摘するように、黒人コミュニティにおいてレジェンドは家族のように守られる存在であり、その地位を問い直すことは文化的な反発を招く。
だが、LaRussellがやったことは「批判」ではなかった。愛と敬意を前提にした上で、影響力の多面性を言語化しようとした。「ウェインのおかげでラップを始めた」と言った同じ口で、「ウェインに影響されてブラッズになった仲間がいた」とも言った。この両方を同時に認めることが、ヒップホップという文化の成熟だ。
Tha Carter VIが2025年にリリースされ、ラップアルバムチャートのトップに立ったウェインは、40代になっても第一線で戦い続けている。その事実が、この議論をさらに複雑にする。ウェインは「過去の人」ではない。今も影響を与え続けている現在進行形の存在だ。
だからこそ、その影響について正直に語ることには意味がある。レジェンドを神棚に上げて触れないことは、敬意ではない。真正面から向き合って、光も影も認めること。それこそが、ウェインの音楽に育てられた世代にできる最大のリスペクトだ。
FAQ
LaRussellはLil Wayneを批判したのか?
批判ではない。ポッドキャスト「The Truth Hurts」でウェインへの深い愛情を語った上で、影響力の両面性について問題提起した。拡散されたクリップは意図的に文脈を切り取ったもので、Jeff Weissが投稿した8分間のフルバージョンでは、LaRussellが一貫してウェインへのリスペクトを示していることがわかる。
Roc Nation陰謀論とは?
ヒップホップファンの間で根強い都市伝説。Jay-Z傘下のRoc Nation所属アーティストが、Young Money勢(ウェイン、Drake、Nicki Minaj)を意図的に攻撃しているという説だ。LaRussellがRoc Nationとの契約直後にこの発言をしたため、陰謀論が再燃した。ただし、これを裏付ける証拠は存在しない。
ウェインの影響を受けたアーティストは誰か?
直接的な影響が確認できるアーティストとして、Drakeのシンガーラップスタイル、Young Thugのシラブルを変形させるフロウ、Futureのドラッグカルチャーを軸にした世界観構築が挙げられる。より広い意味では、ミックステープを無料で大量リリースし、フィーチャーで市場を支配するというSoundCloud時代以降の生存戦略自体が、ウェインが確立したモデルだ。
ウェインに「深み」のある楽曲はあるのか?
ある。ハリケーン・カトリーナ後のニューオーリンズを描いた「Tie My Hands」と「Georgia Bush」、薬物依存の深淵を表現した「I Feel Like Dying」、Tha Carter IIの「Fly In」でのハングリーな自己表現、「Shoot Me Down」での名声の孤独。ただし、LaRussellが指摘するように、数千曲に及ぶカタログ全体から見ればその比率は小さい。
