スターになるために生まれてきた人っているんだなぁ、というのが大門弥生さんと初めて会って話をした時の筆者の印象である。本人もこの仕事以外したことが無いと言っていたように、自分の魅せ方も、表現の仕方も、恐らく全て知り尽くしている。笑顔になる度に覗く、歯のグリルズ。口調はゆっくりでも、好きな話題になるとキラリと輝く瞳が印象的で、人を惹きつける魅力に溢れている。恐らく生粋のアーティスト、とは彼女のような人を指すのだろう。
ロサンゼルス1月土曜日の昼下がり。大門さんが指定したコリアタウンのタイ料理屋で待っていると、すらりと背の高い美しい女性が、可愛い娘さんを乗せたベビーカーを押して現れた。筆者も6歳児を連れて来たので、業界でもなかなか無い、子連れ同士のインタビューが始まった。ちなみに今回は、弊社の記事でもお馴染み、自他ともに認める大門弥生ファンのCook Oliver記者も日本からリモートでインタビューに参加してくれた。後半部分の、大門ファンならではの視点で切り込んだ彼の質問にも、大注目して欲しい。
大門弥生が大門弥生を語る!
Sei:じゃあ、えっと、もうね、日本でブレイクしてヒップホップ界で知らない人はいないと思いますが、ヒップホップ若葉マークの読者さんのために簡単な自己紹介をお願いします。
大門:自己紹介。えーっと。歌を歌ってます。大門弥生です。歌とラップをしていますが、一応、シンガーソングライターです。
Sei:自分でも書いてるんですよね。
大門:はい。今は2024年からロサンゼルス在住です。
Sei:デビューは何年ですか?
大門:めちゃくちゃ遡ると、 2010年にガールズユニットでデビューしてて。rhythmicっていう今のK-POPアイドルの超初期ぐらいの時代にガールズユニットでデビューして、そっから三年ぐらいアイドルを経て、ソロに変更した感じです。
Sei:その時は歌って踊って?
大門:その時は歌って踊ってたけど、メインはダンス。で、そのもっと前は大阪のアンダーグラウンドのシーンでヒップホップダンサーをしてたんですけど。
Sei:それは何歳の時ですか?
大門:まあ、ほんと 16、17ぐらい。で、子供だったけど、大人に混じって夜のクラブでやってました(笑)
Sei:夜のクラブで (笑)。なるほど。じゃあヒップホップにハマったきっかけって、元々はダンスから入ったってことですか?
大門 : そうですね。13歳の時にリアーナがデビューで日本に来日しに来て、確か大阪の難波Hatchだったかな?1000人ぐらいのベニューなんですよ。オールスタンディングで。13歳だったんで、ちょっと身長もちっちゃいじゃないですか。一番前行ったろーと思って、他のお客さんを掻き分けて一番前に行って、くらったことから入ってます。
Sei:生リアーナを。
大門:生リアーナを。一番前で。初、生黒人を体感した経験でしたね、その時。
Sei:リアーナやはり綺麗でした?可愛かったですか?
大門:もちろんですが、私はその時リアーナのダンサーがかっこよすぎて。
Sei:あー、なるほどね。
大門:一番前のステージでダンサーに触れれるかどうか。絶対やったらあかんけど。絶対やったらあかんけどって(笑)。
Sei:(笑)すごい!なるほど。そこからじゃあヒップホップというか、ダンスにはまって。
大門:はい。
Sei:シンガーソングライターっていうことなんですが、自分で書き始めたのはいつなんですか?
大門:本格的に書き始めたのはガールズグループの活動が終わってからで、でも本当にそれより前はダンスがメインだったんで、歌詞を聞くっていうよりかは、リズムを重視に音楽を聴いてきたんですよね。なので、結構書くのはもう、右も左もわからぬままって感じでした。
Sei:当時メンターみたいな人はいなかったんですか?
大門:一人出会った人がテクノを作ってる方で。その人にビートを教えてもらったりとかしたけど、歌詞は独学です。
Sei:独学なんですね。自己流で頑張ってたんですね。あの、歌の歌詞とラップのリリックスって全然違うじゃないですか。自分のバースもご自身で書いてるんですよね。
大門:はい
『ヒールで任王立ち』後のスランプ期
Sei:ラップを始めようと思ったきっかけは?歌から?
大門:うーん。もともとヒップホップ好きだったんで。なんか歌とラップとダンスの境界線は私の中であんまりなくて。いろんな曲をやってみたかった中、『ヒールで仁王立ち』って曲。
Sei:超有名ですよね。かっこよかったし、セクシーでしたよね。
大門:ありがとうございます。あの楽曲は、SHINGO★西成さんにプロデュースしてもらって、もちろん皆さんご存知だと思いますが、大阪の大先輩ラッパーで。私が書いた歌詞を、SHINGOさんがほぼほぼ添削してくださったんです。
Sei:私あの曲めっちゃ大好きで。しかもあの、関西弁ですよね。関西弁でラップっていうのがもう斬新でしたね。大ショックでした。素晴らしいとしか言いようがなかったです。
大門:ありがとうございます。私も大好きで。本当に素晴らしい歌詞だったからこそ、SHINGOさんに書いてもらったっていうのが。次何書けるねんっていうプレッシャーがでかすぎて。
Sei:ああ、そうなっちゃいますよね。
大門:で、ちょっとライターブロック(スランプ)みたいなのにかかってしまって、すごい書くのが難しい時期があったんですけど、その『ヒールで仁王立ち』の次に『NO BRA!』って曲を出して、そんときにちょうどライターズブロックにかかってて。
Sei:あらら。
大門:その時は収録も入って、もうレコーディングで収録されるから全部書かないといけない。でもどんだけ徹夜しても、全く思い浮かばない。
Sei:完全にスランプですね。
大門:はい。というのが続いて。で、もう結構ヤケになって、収録中に書き上げたのをプロデューサーのXLIIさんに見せたら「めっちゃいいじゃん」って言ってくれて。でも私はもうあのSHINGOさんの歌詞が凄すぎたことによって、自分から出てくる歌詞がもう全部最低ぐらいに思えちゃって。プレッシャーになってたんです。
Sei:そうなんですね…。大門さんにもそんな時期があったんですね。
大門:なんで、その時はそのプロデューサーの一言で救われたっていうか。救われて楽曲になって、ありがたいことに皆に愛される曲になったんですけど。それが一番結構ライターズブロックかかったかもしれない。最初の頃ですね。
Sei:最初の頃ですか。なるほど。じゃあもうそれがやっぱラッパーとして苦労した点というか、つらかった点の一つですか?
大門:そうですね。私その時本当に自分の中ではリリックス初心者だったんで、急に大先輩のアドバイスが出てきて、自分でも書けないような表現も書かせてもらって。もしかしたら日本のシーンの皆さんが私に注目してくれ出してた時期が、一番なんか書くのが辛かった時期と合致してたかもしれないです。
Sei:逆になんかこう、アーティストで良かったなって思う瞬間とかありますか?
大門:もう全部です。結構ちっちゃい頃から音楽やってたんで、むしろこの職業しかやったことがなくて。 高校卒業でデビューしたから。 なんか本当に音楽の仕事とダンスを教える仕事しかしてないんで、他の人生をあんまり想像できないんですけど。 でもやっぱライブが一番好きです。
Sei:もうアーティストになるために生まれてきたようなもんですね。
大門:(笑)ありがとうございます。そうだと嬉しいです。今はLA在住なので、やっぱ日本にいた時みたいに毎週毎週ライブがあってファンが来てくれてっていうことが一旦なくなってるから。
Sei:うんうんうん。でもそれはそれで、なんか人生の中の違う大事な時間を過ごしてるわけじゃないですか。
大門:なんか今、次のフェーズに行くための孤独みたいな。準備みたいな感じです。
女性ラッパーとして感じること
Sei:次のフェーズですか。なるほど。あの『ヒールで任王立ち』出ましたけど。あの強い女性像みたいな感じ。あれは自分で作ったキャラですか?それともリアルな大門さん?
大門:あれは正直、当時は憧れてた女性像だったんです。自分がなりたかった像。今は結構あれぐらいのモチベーションにはなってると思います(笑)。
Sei:(笑)ああ、そうですよね。なんかアメリカ住んでると強くなりますよね。
大門:なりますよね。あと、子供が出来て母になったのもあるし。
Sei:そっかそっか。あの、女性のつながりの質問なんですけど、日本もね、アメリカもそうなんですけど、HIPHOPって男性が強い業界じゃないですか。で、その中でも女性ラッパーって結構風当たりが強いじゃないですか。例えば男性ラッパーがエッチな歌を歌っても何にも言われないけど、女性ラッパーが歌うとなんか卑猥とかね。男性からも女性からも色々言われちゃうじゃないですか。なんかそういうことって日本にいて感じたことありますか?
大門:うん、昔はもうめっちゃありました。それこそダンサーは女の子が多かったけど、私、レゲエの界隈でもやらせてもらったんですよね。レゲエとHIPHOPは特にこの何年かは女の子がいっぱい増えてますし、自立してしっかりやってる子もめっちゃ多いけど、私がめっちゃ若い頃ってほぼいなかったんで。
Sei:そうですね。結構先駆者的な立ち位置でしたもんね。
大門:だから、うーん、なんか。差別まではいかないけど、不利に感じたりとかすることはすごくあって。だから多分…『ヒールで仁王立ち』みたいなちょっと強い像になりたかった、ていうのはめっちゃありました。
大門弥生が注目するアーティスト達
Sei:ありがとうございます。 リスペクトとか、好きなアーティストやラッパーいますか? 今注目してる方とかでもいいんですけど。
大門:注目してる人ですか?今 アメリカでやっぱアジア人として、ってなってきたらKHANTRAST っていう、中国人で移民で- ニューヨークでやってる方なんですけど。彼は移民としてアメリカに来たけど、いわゆる富裕層のリッチチャイニーズ、お金持ちのアジアンとして来たわけじゃなくて。ブロックリンで一から移民として成り上がってきたんだ、っていうのを歌詞にしてて。やっぱLAにみんな来るアーティストって、各国で成功した人が多いじゃないですか。だけど私は、やっぱりアメリカの音楽が好きで、こっちに基盤を移したくてやってきた。日本で自分が思った地位になってからアメリカに来たわけじゃなくて。(例えば他のアーティストみたいに)大勢のチームを連れて、派手にダーンってできるような感じで来たわけではなかったから。KHANTRASTの、移民の苦労とかストラグルというか……はめっちゃ共感するし。やっぱ今アメリカでもすごいK-POP が出てきてるけれど。
Sei:そうですね、ここら辺(インタビューはコリアタウンで行われた)、LAにいっぱいいますもんね。韓国系アメリカ人ラッパーとかもね。
大門:その中で彼は結構、ほんと黒人のファンの方が多いぐらいと思います。それもめっちゃなんかアジア人として誇りというか。インスピレーションだし。女性だったらSAILORRは、やっぱ…彼女はベトナム系アメリカ人だけどアジアのカルチャーをしっかり出して。
Sei:うん、うん、うん。
大門:彼女も多分ファンベースは黒人が多いと思うんですよ。R&Bなんで。だから、ああ、このジャンルでもアジア人が出てきたんだっていう驚きと嬉しさと。
Sei:アメリカも最近はアジア系のラッパーも多いですからね。
大門:やっぱちょっと前までって考えられなかったじゃないですか。 ちょっと先輩の世代になったら、アメリカに住んでるけど日本をベースにしないといけない、ぐらいの考えの人が多かったかもしれないけど。なんか、その枠すら今もう変わってきてる先駆者が出始めてるっていうのはかなりインスピレーションや希望にもなってますし、この時代にアメリカに住めていることが本当に光栄です。
Sei:大門さんがこっちでラップをするとしたら英語ですか?日本語ですか?
大門:今結構出してない曲たちは9割英語です。
Sei:9割英語なんだ。なるほど。楽しみです。でもなんか日本語と英語を混ぜてもなんかカッコ良さそうですよね。
大門:そうですね。混ぜても面白いですね。でもやっぱ一発で聴いてアメリカ人にも分かるようなスキルは身につけたいなと思って。
Sei:なるほど。楽しみにしてます。ここからは大門さんの大ファン、HiphopCsきってのイケメンライター、日本のCook Oliver記者と繋げますね。
原点、ジャパレゲの記憶
Cook:大門弥生さんは昔、ジャパレゲのイメージがすごく強くて。自分が中学生の時代に友達の家でジャパレゲが流れてて、シャッフルで絶対I-VANさんとコラボしていた時の楽曲が流れていたのが大門さんの初めての楽曲だったの覚えています。あの頃の大門さんにとって、音楽活動はどんな位置づけでしたか?
大門:ボンボクラー!!ありがとうございます。位置づけ。音楽活動はLife、仕事。うーん。あぁ、あの時は本当にソロでデビュー、ほんとデビュー作ぐらいなんです。そのやってもらってたI-VANさんとの楽曲が。『BAD JAPANESE』って曲なんですけど。いや、もう結構がむしゃらでした。
Cook:がむしゃらだったんですね。次の質問です。ジャパレゲ全盛期に影響を受けたアーティスト、セレクター、サウンド、プロデューサーや(CHEHONさんとのSpicyも含めて)できれば当時の現場でのエピソードとか、大門さんのルーツなどに添えていただけるととてもありがたいです!
大門:私はめちゃくちゃジャパニーズレゲエの界隈で育ったわけではないんですけど、やっぱ大阪出身なんで、私がちっちゃい時はずっとジャパレゲが街で流れてました。一番最初の記憶は三木道三さんの『LIFETIME RESPECT』です。なんか、小学校のプールとか市民プールの時間にかかってて。めちゃくちゃ毎日流れてて、それが最初の出会いだけど、さっき言った通り、リアーナのコンサートに最初に行った時の衝撃がでかくて。その時なんかリアーナとかショーン・ポールとか、ポップのアーティストがダンスホールのインフルエンスを受けてる曲発売してるのがめっちゃ大きかったから。それは結構自分のベースかもしれない。なんかジャパレゲは自分が大人になってから完全に、その、界隈とコミュニティとして絡ませてもらえるようになって。一番尊敬してるのはMighty Crownさんです。
Cook:Mighty Crownさん。
大門:はい。みんなそうですかもしれないんですけどね。世界でバリバリやられてて。
転換点、シンガー、ラッパーの大門弥生
Cook:なるほど。 ありがとうございます。 2017年の『Choose Me ! 』は、大門さんのシンガーとしてのイメージを確立した楽曲だったと思います。しかし自分にとっては『Hills in 2014』がリリースされたあたりから全然違くて、リリックスがものすごく耳に残るようになりました。 だから、「でんがまんな」のラインが好きすぎて、ここで方向転換した理由が一番聴きどころです。あの楽曲の制作した時や方向転換した時の心境をぜひお伺いしたいです。
大門:それこそさっきの話と被るんですけど。やっぱその『Choose Me ! 』とか出してたぐらいの時って、本当に女の子が少なかったんで、自分の中での”女やけどやってやりたい”っていう思いがもう爆発寸前だったんで。
Cook:爆発寸前!個人的に一番好きな楽曲『負けんな』なんですが、twitterでのプロデューサーの方との『負けんな』の映像もその空気感があってかっこよかったんですが、XLIIさんとの出会いや、あの楽曲を作ろうと思ったきっかけを教えて頂きたいです。最近Reichiさんとのredbullも出てたので関係があるのかな~、と。昔「ニート東京」でreichiさんとの関係は見ていましたし、めちゃくちゃタフで、自分も負けないでタフでいようと思わされました。あの楽曲に救われた人は自分だけじゃないと思います、自分に言い聞かせる楽曲だったのでしょうか?
大門:そうですね。XLIIさんはずっと。『NO BRA!』って楽曲から、えっと、『負けんな』って楽曲だったり、一番最近の『Back It Up』という楽曲もXLIIさんがやってくれてるんですけど。
Cook:どこで出会ったんですか?
大門:東京です。彼はウクライナ人のプロデューサーで、ウクライナ出身のイギリス育ちのビートメーカーだったから、当時出会った時、やっぱなんかもっとインターナショナルに行きたいなって思ってた私にはすごい衝撃的で。今までにない視点をいっぱいくれたりとか、ね。彼は色んな国を転々としてきた人生を送っていたようなのですけど、もうずっと日本に住んでいて、日本語もめっちゃくちゃ上手で、もうほぼ日本人ですね(笑)。
Cook:それは刺激になりましたよね。
大門:いろんな世界の視点を持ってて。なんで、昔はジャンルとか気にせずに、この曲好きでやってたけど、結構……なんかいろんな視点を持ってきてくれて。最終的に自分のスタイルにつながったかもです。
Cook:彼と楽曲を作ろうと思ったきっかけは?
大門:きっかけは、「何かかっこいい曲やりたいね」ってなってセッション入って。
Cook:あの楽曲に救われた人は自分だけじゃないと思います。自分に言い聞かせる楽曲だったのでしょうか?
大門:あの時本当にコロナの時に書いた曲で。やっぱコロナが来て、で、本当はそのままアメリカのビザ取れてアメリカに住むぞ!って気持ちになってたのに、それもなくなり。日本でやってたライブもなくなったじゃないですか。
Cook:ほんとアーティストにはつらい時期でしたよね。
大門:はい。終わりもその時見えなかったし。結構食らってた中で書いた曲だったんで、あとあのプロレスの木村花ちゃん。
Cook:お亡くなりになった…。
大門:彼女は自身の入場曲で『ヒールで仁王立ち』を使ってくれてたんですよ。
Cook:でしたね。
大門:それを知って。なんかその花ちゃんの思いとか、コロナ中の、なんかストラグル(苦労)とか全部混ざってできた楽曲でした。。
Cook:ありがとうございます。『Rich or Dead feat. なみちえ』は、時代に直球でありながら、どこかSNSの見せびらかしに対する怒り?があったのかと勝手に思ってました。「一抜けしたいけどあいつが置いてけぼりちゃう?」がすごく怒りと愛が混ざってるなと、思わされた楽曲だったのですが、あの温度感はどんな心境で制作されたのでしょうか?
大門:うーん、あれもコロナの時ですかね。書いたのが。で、なんかやっぱみんなコロナで収入が断たれたアーティストが多くて。その時、色々やってみんな足掻いてたと思うんですよ。なんかTwitchとかやってみたりとか、私もそういうのをちょっとやったり、ライブ配信やってみたりみたいな。いろいろ足掻いた中で、その時の思いを書きました。
Cook:そうだったんですね。
大門:そのライン、私もめっちゃ好きで。そこまで聴いてくれてるのがすごい嬉しいです。めっちゃ嬉しいです☆彡
LAという転機
Cook:LAっぽさはビートだけでなく、言葉の質感や姿勢にも表れると思います。特にDJ2highさんプロデュースの『Blessing』が特徴的だと思うのですが、大門さんが意識しているLA的な要素は、具体的にあるんでしょうか?
大門:うーん、LAらしさ。アメリカって、移住するとなると全部ゼロからじゃないですか。日本だったら色々アーティスト活動をやらせてもらって、例えばライブさせてもらった時にも、私のことを知ってくれてる人がいるような現場にも行かせてもらったりが多かったけど、やっぱここ(LA)では誰も私のことを知らないし。で、音楽だけじゃなくて、生活もまたゼロからで。
Cook:ですよね。
大門:家探すところから始まり、『Blessing』はLAで最初に過ごした半年の一番最終日にPVを撮って。
その半年はすごい濃くて。 本当何にも知らないところからいろんな仲間ができて。 あのPVの最後でライブするシーンがあるんですけど。 あれもArgileっていうクラブでやったんですけど。出会ったDJ YUKOというお姉さんが、いっつもライブ録ってきてくれて。 二人で小さい箱でいっぱいライブさせてもらったんですけど。最後の最後に大きい箱でできることになって、じゃあもうPV撮ろう、もう帰る前日やで!って。
Cook:うんうんうん笑笑
大門:その時の仲間とかみんな来てくれたりとかした撮影だったんで、かなりこの半年の毎日が詰まったというか。
Cook:なるほど、そういう感じだったんですね。
大門:背伸びせずに一歩一歩やってきた半年を描いた曲です。
Cook:半年を描いた曲。ありがとうございます。HOT97で取り上げられた経験を得て、世界に向ける言葉の作り方は変わりましたか?
大門:そうですね。なんか今お話してもらっている曲達は、何年か前の曲のことだと思うんですけど。特にちゃんとビザを取って、2024年に完全に引っ越してきてから考えは深まりましたね。去年出産したこともあり。なんか今まで憧れてた、アーティストとして見てた黒人っていう存在が今家族になってるわけじゃないですか。だからただアーティスト、音楽として聴いてたのが、ちゃんと日常だったり、パートナーのFamilyから音楽だけでなく、”黒人の歴史”を勉強させてもらったり、裏も表も全部知ることができたことによって。
Cook:なるほど。
大門:小さい頃から今まで、黒人音楽を聴いて育ってきてたから、その聞いて育ってきた彼ら…と同じようなことをしたいって思ってたけど、なんかちゃんと住み出してから、自分のアイデンティティが分かったというか。うーん。(米国アーティストの)真似をするんじゃなくて、日本人として、アメリカでどうやっていったらいいのかとか、なんかこう見られ方もちょっと分かってきたような感じもあって。
やっぱアジア人でなんか、FワードとかBワードとか出しまくるのって、ちょっと…みたいな。なんか今まではこう、音楽を聴いてきただけでやってたけど、自分のアイデンティティを含めると違ったなっていうのが見えてきて。
Sei:それってアメリカに来ないと分からないことですよね。
大門:わかんないですよね。やっぱ実際に過ごしてみないとわかんないし。最近それがやっとなんか輪郭がわかってきたから、この、この一年ぐらいで書いた曲はまだ全部出せてないんですけど、次に出す時に、進化を見せられたらと思います。
Sei:いつぐらいに売るんですか?
大門:春に一個EP出す予定で。でその次は夏の予定です。
Cook:EP出したら、今度は是非僕がインタビューさせてください!(Sei大笑い)
大門:あ、分かりました。じゃあぜひその時は連絡取らせてください。
Cook:ありがとうございます。ええと、「4SHOOTERS ONLY」でのパフォーマンスで、Ice Spice、Sexyy Redなど取り上げられている大きな媒体で、意識したことはありますでしょうか?
大門:4SHOOTERSですよね。意識か。うーん。えっと、『Back It Up feat. Jenn Morel』という、去年発売した曲で出させてもらったんですけど、結構ダンスチューンだったんで。しっかり踊りたいなって思って。 久々に丸々一曲ダンスを踊りきったのは、それこそ『負けんな』以来ぐらいですかね。ずっとガチで踊ってる楽曲がなかったんで。今回は踊りたいなと思って一番ダンスにこだわったんですけど。まあなんせアメリカでダンサーのお友達もいなかったし。なので、ダンサーと友達を作るところから始まりました。レッスンに通って、いい子いたら声かけてみたいなところから。
本当はこれフィーチャリングのJenn Morelっていうドミニカンリパブリックのアーティストなんですけど、も出る予定だったのが、彼女が突然手術することになって出れなくなっちゃったのとかもあって。で、じゃあもう引き延ばして半年後とかにやるのか?でも半年後までにその手術の傷がマジで治ってんのかもわからへんぐらいの雰囲気になってきてしまって。彼女ともしっかり話し合い、じゃあ、振り切って私一人で、日本推しでやろうってなって。なので本当はもっといろんな人種のダンサーにも声かける予定やったんですけど、変更してメインダンサーを日本人にして。
で、私の着てた衣装も日本のインフルエンスで制服の日本の感じと、LAのレイカーズカラーのコラボをイメージして。日本人っていうのが分かるようになればいいなと思って。結構時間かかりました。仲間集めから全て含めると、制作に半年ぐらいかかって。これ、アトランタのメディアなんで、彼らのフライトを準備したり、ミーティングなどもいろいろあって。 時間はかかってしまったけど、初めてアメリカで、人気のメディアに出演させてもらい、自分が集めた素晴らしい仲間たちでしっかりとしたビデオが撮れたことが、大きい一歩になったかなと思います。
Cook:なるほど、ありがとうございます。大門さんはリリックスからすごくお父様や家族を大切にしてる方なんだなと思ってます。そして個人的に本当に自力で道を切り開いてきたラッパーだと思ってます。その挑戦の姿勢が自分にとってすごくかっこいいですし「ウタダイモン」も含めて、やってみないとわからないことをやってきたからこそ、4SHOOTERS ONLYまでたどり着いたんだと思ってます。起こるべきして起こったことなんだと、大門さんの活動を見ていたら思います。ご自身の音楽的ルーツを一言で表すならダンスホール、R&B、HIPHOP、ジャパレゲ、大阪の現場、すべて大切ですか?
大門:はい、全て大切です。「ウタダイモン」も見てくれてるなんて、めっちゃ嬉しい。ありがとうございます。
Cook:で、そして4 Shooters Onlyでの経験を得て、次の目標や2026、何か抱負等があればぜひ教えてください。
大門:はい。 そうですね、、この『Back It Up』のビデオは自分の中ではやり切った作品だったので、本当はもっとアメリカでドーンと広まることを前提に作ってたんですけど。実際はそこまでいかなかったんですが、初めてアメリカのメディアに……しっかりしたメディアに出てみて、自分のアーティストとしての見られ方がもう一段階深まったというか。
やっぱこっちでやっていくには、気合いだけじゃなくて、ユニークさとかだったり、力の抜け感とか。なんかそれこそTyler, the Creatorじゃないけど、余裕でおもろいことやってますっていうところまで持っていかないと、本物さにつながらないんだっていうのは結構実感して。スキルが高くて見た目のいいアーティストなんて山ほどいるのでね。アメリカに移住してからは緊張もあって、真面目にやりすぎてたんで、今年はもっとなんか殻を抜けて…ユニークさまで持っていけるようにできたらなと。
Sei:Cookさんありがとうございました。新曲を出すのですよね。
大門:曲は春と夏ですね。 春と夏に動いてはいます。なんせインディペンデントなんで遅れはるかもですが。予定はいっぱい立っていております。
HiphopCs読者へアドバイスとメッセージ
Sei:おお!それは楽しみです。あの、最後の質問なんですけど、今後大門さんみたいにアメリカや世界を目指す若者とか、弊社サイトの読者さんの参考になるようなアドバイスとか、メッセージとかあればぜひお願いします。
大門:私がまだアメリカで何も残せてはいないので、アドバイスできる立場ではないけど。 一つ言えるのは、自分の枠を決めずに、自分が想像できたらそれが現実になっていくという事をめちゃくちゃ信じてて。なので、今この現実の中で何ができるかできないかって考えたら、できることって少ないかもしれないけど、それを全部追い払って、ここまで行きたい!っていう楽しいワクワクをもし見つけられるなら、それに従えば枠は壊せれるんじゃないかなって思います。
Sei:かっこいいですよね。 確かにワクワクに従うのって重要ですよね。長いインタビューありがとうございました。
大門さんが娘さん用に持ってきたみかんをうちの息子が食べてしまったり、娘さんがおもちゃやミルクを投げつけたりと、インタビュー中子連れあるあるのハプニングが度々起きたが、逆に気負いせず母親同士和気あいあいとした雰囲気で終始話せたので良かったのかもしれない。アーティスト、大門弥生の母親としての顔も垣間見れた貴重な時間であった。この春と夏の新曲が待ち遠しい!
大門さん、ありがとうございました。
資料提供:大門弥生さん
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