皆さま待望の、Death Row Records編に突入する。
1994年、Suge Knightはすでに2Pacとの契約に向けて動き始めていたという。当時Death RowはDr. Dre、Snoop、Tha Dogg Poundといったアーティストが所属し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、Sugeはパックこそがレーベルをさらに上のレベルに引き上げられる存在だと確信していた。
2Pacは『Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z…』をリリースしたばかりで音楽界だけでなく、当時トップシンガーだったJanet Jackson出演の『Poetic Justice』から『Above the Rim』まで、映画界でも注目を集め引っ張りだこで、巷では彼こそが未来のスターだと囁かれていた。Sugeはパックに契約を持ちかけたが、彼はまだ自分の人気と自由を手放す準備ができていなかった。それに加え、まだInterscope Recordsとの契約が残っており、独自の計画もあったため、自分のペースで物事を進めたかった。
パックが最終的にDeath Rowと契約したのは1995年9月、ニューヨークでの銃撃事件、服役、そして『Me Against the World』のリリースを経てからのことである。300万ドルの保釈金が払えず収監されていたパックを救ったのはSugeだった。当時パックはInterscopeと契約していた。しかし、インタースコープは彼をどう扱えばいいのか分からずにいたという。SnoopからパックをDeath Rowに誘うよう提案を受けたSugeは、インタースコープの社長であるJimmy Iovineにかけあった。「2Pacを俺にくれ。彼の契約を俺に譲渡して欲しい。俺なら奴をどうすればいいか分かっている」
彼はパックをクリントン刑務所から保釈するために保釈金を支払い、その見返りとしてパックは3枚のアルバム契約にサインした。この決断はWest Coastラップの歴史を永遠に変え、そして『All Eyez on Me』、『Makaveli』等々、今日に至るまで聴き継がれている名曲の数々を生み出した。ちなみにこの時パックが刑務所の面会室にあったナプキンに署名したのは有名な話だ。
そもそもなぜパックがニューヨークで投獄されたのか。被害者は、Ayanna Jacksonという名の19歳のファンだったそうだ。事件は1993年11月、マンハッタンのパーカー・メリディアン・ホテルで行われたパーティーで起きた。コンサート後、パックとその仲間たちは意気揚々としていた。酒が振る舞われ、事態は混乱した。裁判記録によると、女性はパックと3人の仲間が自分を押さえつけ、強制的にオーラルセックスをさせ、暴行を加えたと主張した。検察側は悲惨な状況を描写し、弁護側は合意の上での行為がこじれただけだと主張した。その上、彼女は名声を得ようとしていたのだとも述べていた。だが、陪審員はそれを信じなかった。1件の罪で有罪。ソドミーと銃器関連の罪は無罪となった。しかし、その1件の罪だけで、彼を刑務所に送るには十分だったという。パックは裁判を通して一貫して合意の上での行為だったと主張し、1994年3月8日には「The Arsenio Hall Show」に出演して公衆に自身の主張を訴えたものの、裁判の結果は彼の主張とは異なるものであった。パックは1995年2月7日に有罪判決を受け、ニューヨーク州ダンネモラのクリントン矯正施設に収監され、そこで服役した。
服役中、トゥパックは当時の恋人だったKeisha Morrisと結婚したが、その結婚生活はわずか10ヶ月後に解消されたものの、二人は、1996年9月にラスベガスでトゥパックが殺害される数日前まで連絡を取り合っていたという。