アメリカ南部、いわゆる“サウス”に足を踏み入れること。普通の感覚じゃ「行きたくない」と思う空気があると思う。
そんな空気に、“HIPHOPファン”としてではなく“同じ目線で”飛び込みコネクションを築いた日本人が何人いるのか。
英語が通じると思ってる人は多いが実際、サウスでは「英語」ではなく「訛り(スラング)」が支配しているし、そもそも英語が通じないところもある。
他の地域なら、すでに多くのアジア系が暮らしていて、音楽カルチャーに参加する入り口は多いのも事実だろう。
King Von がATLのクラブ外で、Quando Rondo関係者との口論から銃撃戦になり、亡くなった抗争も如実に土地柄を表していると感じる。
Bun Bは、Pimp Cと共にUGKとして全米チャート1位を獲得
彼はUGK(Underground Kingz)という伝説的デュオの一人として、1980〜90年代からテキサス州ポートアーサーを拠点に、南部(サウス)のリアルを叩きつけるラップで地位を築いた。つまり、南部ヒップホップの土台を作り、Jay-Zすらもリスペクトを表明するリアルと知性を兼ね備えた南部の王者である
Bun B、まさにアンダーグラウンドのキング
その意味の重みは関わった人間にしかわからないからこそ、Cz TIGERがBun Bやその他のラッパーと築いたとコネクションや信頼は、日本のヒップホップ史上でも極めて特殊で異質だと言える。多くのリスナーは気づいているのだろうか
そしてそんなCz TIGERさんに今回は貴重なインタビューをさせていただいた。
インタビュー・Bun B(UGK)との出会いについて
Cook:Bun B(UGK)といえば真のレジェンドですよね。出会いについて是非教えて頂きたいです!どんなエネルギーを感じましたか?
Cz TIGER : 今までコラボした海外アーティストの人とは制作する曲の意見交換とかVibesを会うなり、どうしても会えないならビデオ通話で制作を進めてきました。
Bun B ( UGK ) に限っては当時中学の頃から聴いていてかなりのファンだったので例外で、僕のことをデビューする前から応援してくれてた DJ 3cho から電話が来て Bun Bが日本ツアーするにあたって一緒にツアーする現地アーティストを探してると聞きました。それでサウスに昔から1番理解があるCz TIGERを是非とお勧めしといたでーと DJ 3cho から報告を受けてすぐに僕からも是非よろしくお願いしますと強く希望しました。(サンチョ君ありがとうございます!)数日後ツアーに同行出来ることが決定してBun Bが来日して東京でのLIVEのリハーサルで初めて会うことになりました。
Cook:なるほど、そこが出会いのきっかけなんですね、出会った瞬間はどうでしたか?
Cz TIGER : 確か僕のリハ終わりに彼が Pimp Cの息子(Butler)とザ•テキサスという身なりのガタイの良いセキュリティー(Truck)とその他カメラマンや大勢の彼の仲間に囲まれてその中に彼の姿が見えました。
そしてその流れで会う事になり第一声目は “ Good To See You Cz “でした。彼の唯一無二の聴き慣れた声から僕の名前が出た事が新鮮過ぎて流石に興奮しましたね。エネルギーはもちろんですが僕が話す事を一言一句真剣に聞いてくれて逆に彼から沢山気さくに話してくれたり、彼のインスタライブ出さして貰ったりと1時間も経たないうちにすぐに互いにBrotherと呼び合うまでに打ち解けました。想像通りのオーラと想像以上に紳士でBun Bが話せば皆んな騒いでいても黙ってその時は静かに彼の話に耳を傾ける姿を見て想像以上のボス感がありました。僕はその時ずっと心の中でこの状況”ヤッバー”と叫んでました笑
Cook:凄い笑「Let’s Get To It」はどのような経緯で生まれたのでしょうか?
Cz TIGER:制作はツアーを一緒に周るのであれば一緒に曲を同じステージで披露出来たら最高やんと思い、アホの振りしてダメ元で Bun Bのリリース直前のアルバム “Yokozuna Trill” に入れてくれてとツアー主催者でありとBun Bとやり取りしている 2 tight さんにお願いして依頼してもらいました。
2 tight さんからは正直制作は既に終えてるから厳しいかもやけど伝えるよと言ってくださりましたが、半ば諦めていました。ラッパーの常識としてアルバムの製作はシングルリリースとは違いアルバム全体のバランスやテーマがあるので入念にどの曲を入れるか考えますので。
しかし次の日直ぐにBun BからOKを貰ったと報告があり、しかも名義は Bun B で僕がfeatを希望したのに彼名義で「Bun B feat. Cz TIGER」にしてくれ、ギャラも配分してくれるとのことで対等に接してくれて粋な最大のリスペクトを感じました。
その後すぐにビートと僕の名前を入れた歌詞を送ると言われ電話を切ったあと、流石に “daaaaamnnn Dream Coming True !!!!!” とスタジオで叫んでしまいました笑
Cook:その流れはヘッズなら叫びますよね笑 何か理由があったのでしょうか?
Cz TIGER:アルバム製作が既に終えてその作品のリリースツアーだったのでその時は何故OKもらえたのか謎ばかりで、後述しますがBun B自身からその訳を聞いたときに思わず涙しました。そして実際次の日には曲が彼のバースが送られてきて、製作も終えているのに明らかにわざわざ新しく僕のために書いてくれた出来たてほやほやの歌詞の内容に衝撃と感謝で鳥肌が立ちました。普通キングが歌詞の中でわざわざ僕の名前をシャウトしてくれるなんてありえませんから。しかもビートも僕がドツボな太い808が響くテキサスらしくも僕の作風も意識してトラップ要素が足されて新しい最高のものでした。出来上がった作品をBun Bも気に入ってくれて、俺はVideo製作も自分で始めて映像製作チーム Dex Filmz な事を説明したところ、彼から“Czの作った Dex Filmz でならビデオ撮影も日本でしようぜ”と言ってくれてお陰様で現在になりました。しかも Dex Filmzの “Dex”は僕の相方の “Dee” の名前から来ていることも話していたので “製作するにあたって最高の物語やん” といってくれました。
Dirty Southの訛りとBun Bとのコミュニケーション
Cook:なるほど!後半が非常に気になります。 南部訛りでコミュニケーションをとって制作、非常に大変だと思うのですがいかがでしたか?
Cz TIGER:テキサスは訛りが強いと言われますがテキサスを初めアトランタやサウス全体の音楽に触れて育ってきたので訛りに関しては本人とのやり取りや製作中には全く問題になりませんでした。さらに実はまだ詳しく発表してないですが以前テキサスには Mike Jones と未発表の曲の製作とビデオ撮影(今年配信予定)があり滞在してましたし仲間もいるのでコミニケーションは逆にスムーズに出来ました。本作の製作にあたり1番気を使ったのは、テキサスのカルチャーを本当に理解しているかどうかをBun Bが気にすると思ったので、歌詞には所々サウス訛りや、テキサスで多く使われるスラングを入れて愛を示そうとしたことですね。なので “What It Do?” や “Slab”等の言葉を使ってテキサスの人にも聴いてもらい、さらに世界的に認知の高い日本語を使い “Omotenashi (Hospitality)” やNワードはリスペクトを込めて使いたくないので代わりにオリジナルの “Ninja” を使ったりと、世界中、日本のリスナーにもサウスのシーンにもっと興味を持ってもらうことに重きを置きました。唯一製作にあたり苦労したのは16バーでどれだけ自分の言いたい事を少なくまとめるところでしたね。なんせ夢みたいな話なので歌いたいことは100バーはあったんで。
Cook:自分からしても夢のような話です、父の車でUGKとJay-Zのコラボが流れていたことを覚えてたんです。NワードをNinjaって発想がすごい。 Bun Bはどんな感じの方だったのでしょうか?非常に怖いイメージがあるのですが…
Cz TIGER:初見の時はまさに Underground King の名の通り厳しい目をしていました。しかし話し終えるとイメージしていたBun Bではない一面も見られました。もちろん良い意味で。彼とはまず「何故僕と曲を作って、ツアーも一緒に周ってくれるのか」と尋ねるところから始まりました。すると彼は
“I knew You and Me experienced the same thang because We lost best friend , brother and I’ve checked some your songs then I liked it especially “Next To U”. I believe You understand Down South Culture deeply” と。
その時はまさかレジェンドの彼が丁寧にチェックしてくれて、彼のパートナー “Pimp C” と先に天国へ行った僕の相方 “Dee” の事を彼の人生と擦り合わせてくれて、ラッパーしてて良かったと思いましたね。しかもツアーに同行してた Pimp C 息子の名前が Chad Butler ということを僕は知り、僕の相方と二人で組んでた名前が “Headges Butler” というんですと伝えると、
“沢山の共通点があって興味深いな。なんか他人とは思えないよブラザー”とも言ってくれて、この時つい笑いながらも感動で涙が滲んでしまいましたね。だから “Rip My Boy Dee n Pimp C!!” とリリックに残したんです。そのバースを一緒に歌ってくれた事は一生忘れないですね。そしてギャングスタの間では、初対面の人やよく知らない人には絶対歯を見せて笑うのは御法度というルールがあるんですが、まさにサウスのギャングスタラップをしてた Trill OG Bun B が笑顔で“最高な曲を作れて光栄やし今日から兄弟や”と白い歯を見せてくれた時は嬉しかったすね。しつこいようですが、あのBun Bですから。アメリカのレジェンドと言われるような人で、Bun Bとコラボしてない人を数える方が簡単なくらい顔が広い。皆んなのヒーローの器と背中は余りに大きかったです。一つ一つの言葉の重みが違いました。
Cook:Bun Bがそこまで感じ取って、しかも“兄弟”って言ってくれるってすごい通じ合いですよね。liveや撮影を通して、Bun Bの印象的な部分とかってありましたでしょうか?
Cz TIGER:滞在中LIVEはもちろん移動やプライベートの時間も過ごしたり、まさかの “Let’s Get To It” のビデオ撮影したりする中でとても貴重な勉強と刺激になりました。
ラッパーとしてヤバいなと1番印象に残っているのは、マジでプロフェッショナルやなーと痛感しましたね。リハもキチンとするし、歌詞もバッチリ、聴き慣れない日本語と教えると何度も練習してシャウトしてくれたり、僕の歌詞をステージでも撮影中も歌ってて、嬉しいと同時に俺もまだまだやなーって凹みそうなりましたよ笑
Bun Bは HipHopと家族を大切にしている漢でした。奥さんも僕をわざわざ紹介してくれて、一度認めてくれると家族として接してくれるんですよね。海外の人と多くの関係を持つ僕ですが、マジでBun Bはズバ抜けて優しくてカッコいい人でしたね。
僕は東京のツアーには車で行ったんですけど、LIVEの帰り僕のマネージャーが駐車場から出るのに苦戦していると、わざわざ本人が車の先導を歩いて丁寧にしてくれたりと、マジでこんな人日本人でもおらへんわと感動したっす。あの彼が車が壁やポールに当たらないように“もうちょっとハンドル切って!もっともっと!そしたら少し下がってー”みたいな指示をマネージャーにしてくれてた彼には感謝でしかないすね。いい人すぎ笑
日本とサウスのカルチャーの違い
Cook:漢、、意外すぎる一面で笑 アメリカ南部、とくにテキサス周辺などのカルチャーについて、日本と違いを感じたことがあればぜひ教えてください!
Cz TIGER:アメリカ南部は僕の生まれの大阪と似ている気がしますね。やから昔から共感する歌詞も多くて、頭の中で歌詞で描かれてる光景がイメージしやすかったですね。
例えば、来るもの拒まずでリスペクトさえみせれば出来るだけ相手にもリスペクトを見せたいし楽しませたいというような空気感や、イケイケでハングリーな奴等がそこら中にいて、皆んな実は何かしら繋がっててリスペクトし合ってて、才能はあるけど光浴びるまではとりあえずハスラーかスポーツしかないヒリヒリしたストリートの空気感が似てますね。
スタジオにとりあえず溜まってて、そこであらゆる取引きや「コイツ絶対音楽してないし誰やねん」みたいな奴もついてきてたり、スモークしてダイスゲームとかテレビゲームしながらセキュリティーしてるやつらがいたり、良いビートが流れると「俺も俺も」とブースに向かうラッパーもいるみたいな、ごちゃごちゃした感じが僕には刺激的ながらも似ているライフスタイルでもあり惹かれましたね。
Cook:なるほど、確かに大阪のエネルギーとサウスの熱さには共通点があるかも。NYやLAと比べた違いもありましたか?
Cz TIGER:例えば大阪とサウスは、ニューヨークと東京みたいに仕事がありまくって地方から人が仕事しにくるようなデカい街じゃないけど、他の地方と比べると栄えている都市があったりクラブが流行ってたり音楽が何かしら流れてたら騒がしくもHipHopと距離感が近いライフスタイルと土地勘も似てますね。テキサスに行って感じた日本との違いは…全てにおいてデカいっすね笑 車、スタジオ、クラブ、人、食べ物、飲み物、自然全て桁違いにデカいっすThey Doing Everything Big Foreal !!!!
あと違いは治安も日本とは比べ物にならないすね。そりゃあ音楽本気でするわなって思うような環境ですよ。日本の人は結構LAが悪いイメージある人が多いと思うっすけど、きちんと街を知っていれば誰のテリトリーとかってわかりやすいんすけど、サウスに(アトランタ、テキサス)実際現地に住んで比べると、同じ地元なのに地元のやつに殺されるみたいな事が起きた数が多かったり、富裕層といわゆるゲトーが道で綺麗に区別されてなくて、豪邸の真横では銃声にサイレン鳴りっぱなしで、肌感ではサウスのほうが明らかに多く危険を感じましたね。
僕の場合は日本人なので、アジア人がNYやLAに比べて少ないのでサウスではとにかく目立つってのは最初は1番苦労しました。一日中、街に出ると “what you doing here bruh? Where you from? I got slip?”(誰かに許可得てんのか?)と check-in されました。笑
リーンはカルチャーの一部、南部トップアーティストとの密接な関係
Cook:想像以上に過酷な現地体験ですね。その“check-in文化”,日本じゃ絶対に味わえない。私はアメリカでは日本以上にLil Wayneを筆頭にリーンがヒップホップとして密接に根付いてると思っているのですが、どうでしょうか?
Cz TIGER:We Love Wayne, Pimp C. んで Pimp C がいなかったら今の音楽はないし、今のLil Wayneもいなかったし今のファッションさえ違ったと確実に言えますね。日本ではJay-ZやYe等のアーティストばかり注目や認知されがちですけど、アメリカの黒人の中では圧倒的にWayneとPimp Cの方がレジェンドやって言う人はリアルに多いですよ。Dirty South の文化は2000年以降2025年の今も成長中でメジャーになってますから彼ら無しでは今のHipHopは存在しないんすよね。Jay-ZがPimp C のフローを参考にしてるのはよく知れた話ですよね?良く遡って聴いてみてマジで!あとリーンに関してゆうならば憧れるのはいいけど約束して欲しい皆んなに。Don’t Sip FAKE LEAN !!!! 以上!笑 あと僕は他のドラッグに関しては何にも知らないですし錠剤系のものや粉物をしてる人で最終的に幸せに人生真っ当した人みたことも聞いたこともないすね。基本的にハスラーがホワイト系のドラッグすることは御法度で下手したら殺されますね。そこまでいかなくてもそんなことするやつは信用も付き合いもしてくれないすね。日本は視覚的なことばかりアメリカに憧れて歌詞をキチンと聴いて理解してない人が多いと思うすね。All I Know Is Green & Purple !!!! Rip Pimp C !!!!
Cook:FAKE LEANへの警鐘、ありがとうございます笑 確かにリーンは異質ですよね、唯一サウスではオッケーみたいなイメージがありました。海外のギャングやクルーとの関わり、そしてストリートで体感した“日本との違い”についても、ぜひ聞きたいです!
Cz TIGERがコネクションを築くまでの背景とは?
Cz TIGER:まずそもそも何でアメリカに行こうと思ったところから話すことになるんですが、先述にもあるように小さな時からHipHopを聴いていて同時に父親がJazz Barを営んでいてジャズにもハマってたりと自然と現地アメリカにいつか行きたいなとは考えてたんすよね。遡れば音幼稚園からスポーツも沢山したんですけどどれも成績そこまで悪くないんですが特別どれもプロとして生きて行くのは厳しいと中学生の時に感じました。小学生の時にピアノをしてたこともあったり、兄もレゲエを中心にDJをしていて色んなジャンルの音楽聴くことも演奏するのも好きだったのでスポーツでは生きていかれへんなー、それやし音楽するしかないなーと思いラッパーになることを中学生の時に決めた事を覚えてます。ちなみにその時に Deeと出会いのちに “ Headges Butler “ としてラッパーとしてのキャリアを始めることになりました。ですが海外は特にアメリカのラッパーのライフスタイルに衝撃を受け、何もわからないまま若気のいたりで悪い事ばかりしてしまい鑑別所に入ったり出たり繰り返して18才の時には遂に少年院に行く事になってしまい、社会復帰したら英語をとにかく勉強して何としても大学に行って留学VISAをとりアメリカに移住しようと決めてました。それが人生の大きな起点の一つになって20才で少年院を出てハスラーだけでは食ってくのは厳しいしまた捕まるだけやなと思って大真面目にアルバイトをしまくって連れの皆んなが楽しそうに遊びまくる間も図書館にこもって何時間も英語の勉強をしまくりましたね。ヤンチャな連れや先輩におちょくられて揉めたらはしながらも勉強だけはマジで辞めずに勉強頑張りました。絶対アメリカで相方とラップ始まるねんと決めて彼とも約束してたんで。僕はサウスの音楽好きやったんですが相方はWest Coast の音楽も好きで行き先については意見が分かれてました。
Cook:そしてついにアメリカへ。現地では最初にどう動き始めたのでしょうか?
Cz TIGER:そんなこんなありながら20歳から21歳になる僕の誕生日の2日前の2013年6月2日に僕らはLIVEを神戸でし終えてDeeの運転で2人車で家に帰る途中に事故に巻き込まれてDeeは天国に逝って、助手席にいた僕は誕生日の同年6月4日までICUにいて頭から足の先まで複雑骨折と内臓の一部を損失してたんすけど奇跡的に目が覚めて。やっと少年院出て相方と約束もして走りだしてその一年内に僕の永遠のヒーロー K-YO YAYO、TORNADO に誘ってくれたラッパーの師匠と相方を失って訳がわからない状況で頭で整理出来るはずもなくて退院とリハビリを終えた一年後から半ばヤケクソでいい子にしてても人はいつか死ぬしと思い相方の好きやったLAにとりあえず行く事を決めて何とか当初から決めていた留学生VISAも取得出来て、コンプトンにあるドミンゲスヒルズ大学に入学できたんすよね。20-21歳までは更生して真面目にしてたんですけど大切な人が死んでしまってなんかまあイケイケになってしまい、アルバイトで溜めたお金も留学準備で使い果たして、家も決めずに一文無しでとりあえずコンプトンに向かいましたね。LAについて家もないんでとりあえず知り合いの家を訪ねて泊めてもらったりと落ち着いて生活するまでに少し時間がかかったものの遂に家と車をゲットしました。その過程でアメリカでバイトなんてすぐ出来ないし、ラッパーとしてもまだまだ経験不足やしハスラーになるしかお金作れなくてどっぷりアメリカでもストリートで生活することになってました。当時は自分がハスラーになった自覚もなかったんでイカれてたと思います。そんな中で日本人ながらもかなり英語も話せるようになり仲間がほぼラテン系の人か黒人の人になっていて生活も一緒に彼らとすることになって大学も行かず色んなスタジオに行きながらハッスルしまくる毎日を送ってて。それが思いの外稼げてしまいいつしか黒人のギャングの弟達を持つことになって。。。
半端じゃない、、サウスでのリアルな経験
Cook:行動力が桁違いですね笑 まるでLil Babyみたいです。。
Cz TIGER:それで僕の夢はサウスに行く事だったんでLAで金を貯めてアトランタに住む事にしたんすよね。当時LAに住んでて生活も上手くいって楽しかったんですがやっぱりサウスの音は忘れられずずっと頭の中はDirty Southでラッパーとしてキャリアを積む事で一杯でした。それでハスラーとしては色々コネが出来ていたのでMigosのマネージャーと連絡取り合ってたんで僕が尊敬していた当時 QC に所属していた Jose Guapo を紹介してもらう事になりました。先ずは会う前にアトランタでハスラーとしてある程度名前を上げないといけないと思いトラップハウスで兄弟達と文字通り朝から晩までトラップしました。そんなこんなしてるとフルトンに住む事になりそのタイミングで Jose Guapoから会いに来いと誘ってくれ彼のトラップハウスに向かう事になりました。せっかく会えるので Dex Filmzを一緒に創設した日本にいるDeeをボスとした” BANNINGS”のメンバーの1人でもあるTSURUをアメリカに呼びつけて、 Savani Production という当時 Da Babyの専属カメラマンの Savaniと向かい Jose Guapoとはまだ会えてませんでしたが曲は撮り終えていたのでVlogとMusic VideoをアトランタZone3エリアで撮影する事になりました。その時の映像は僕のYouTubeチャンネルに上げてるので観てください。そして撮影を終えて Jose Guapoと彼の完全武装した仲間達10人程に話があると言われて、殺されるんかなー?とか思いながら彼のトラップハウスのキッチンで待っているとJose Guapoが何やら仲間の皆んなに多数決をとり彼が僕のところに来て”仲間と話したんやけど XVL ( Xtravagant Lifestyle ) にラッパーとして正式に加入せえへん?”とオファーを受けてその場で彼と彼のクルーとサインと儀式をしてアメリカでのキャリアを本格的に始めることになりました。彼は地元アトランタではフッドスターなのでそれから色んなことを支援してもらい、沢山の繋がりもさらにできました。アトランタにいながら製作をしている中でクレイジーなアジア人が現れたみたいなことがストリートで流れ始めてラジオにも流してもらえるようになりそこで、テキサスのフッドスター MIKE JONES とコンタクトすることになり初めてTexasにラッパーとして行く事になって起きてることが夢見たいでハプニングも沢山あったり仲間がまた撃たれた亡くなったりと最悪なこともありましたが毎日興奮して前向きに生きてたっすね。
Cook:◯されるんかなって、、笑っていいのか、、、。 まさにこういった楽曲ですね!
Cz TIGER:それでアトランタからテキサスのダラスに行くとマイクジョーンズ御一行が滞在先のホテルにわざわざ迎えに来てくれてロビーで彼とビデオ撮影することを速攻決めてスタジオに行きすぐに曲を完成させてその日のうちにビデオも撮る流れになりました。この時くらいから海外の人は日本人よりレイジーな人と勝手に思ってたステレオタイプはぶっ飛んで、第一線で活躍してるラッパーに会うと皆んな日本では見ないような努力が見えてきて衝撃受けたすね。アトランタとテキサスに行ってからは一日ゆっくりしてる時なんかなくてLAとも日本とも全く違うところに来たなと感じましたね。なんしか仕事がないんで皆んなハスラーやめてラッパーになるのとに命掛けてるんすよね。一概にはいえないすけど日本は不良とギャングスタとラッパーって混同されがちなんですがアメリカはそこはきっちり線引きされてて一人一人のすべき事が明確で刺激的でしたね。半端なやつは生きていけないんすよね。日本でも2人も亡くなってしまってハードな人生選んだかもと思ってたんすけど、現地アメリカに来ると毎月知り合いや友達が普通に殺されたりして僕自身もタフになるしかなかったですね。MIKE JONESに限っては撮影後もテキサスらしくストリップクラブでも貸し切って遊ぼうぜと誘ってくれたりとマジで黒人の人達の体力どうなってんの?とあっけにとられたすね。サウスの生活はめっちゃシンプルで家族仲間の為に稼いで皆んなにシェアして遊ぶ時も皆んなで派手に遊んで次の日にはまたスタジオに行ってストリートで稼いで活発に行動して一日がすぐ過ぎてくみたいな。。。ラップ、ヒップホップの聖地は誰がどういおうとNYから始まりそこから全土に瞬く間に広がったアメリカなので日本のラッパーもどうせなら一度は遊びではなくアメリカで経験積むのはとても大切なことやつとおもうすよ。例えば演歌好きで演歌歌手になるとしたら日本に一度は必ず来た方がいいですよね?笑 スポーツで言えば僕自身サッカーしてたんでサッカー続けてたならヨーロッパ目指すのと同じで。
日本で起きてるヒップホップの問題なんてホンマに小さく見えるしちゃっちく見えるんすよね。ディスではなく日本は島国なんでどうしても視野が狭くなりがちかなと。誰かが言ったからこれが正しいとか、誰が嫌いとか、同調しすぎるのもどうかと思いますね個人的には。アメリカにいたから日本の素敵なところもかなり見えてきますし損はないかと。
Cook:その通りだと思います。サウスに行こうなんて普通なかなか思わないです笑、だけどそこの訛りや英語の勉強をして実際にCz Tigerさんが行動した結果、生まれたのが今回の伝説的コラボに繋がっているんだなと。現在は日本での活動と両方という感じでしょうか??
Cz TIGER:コロナがあってそこから中々海外に行けなくなったこととVISAが切れてしまい今は日本、東京、大阪を中心に行ったり来たりしてます。逆に今は円安もあって東京にいると海外から日本に来てくれる機会が増えたので日本にいながらも今回の Bun Bと楽曲、ビデオ製作をしたりみたく、Jim Jonesともツアー周れたり何かしら繋がっているラッパーは日本に来る時コンタクトしてくれるので助かります。They Know Im a Real Trapper n Plug !!!! 東京での生活でいえば大阪にいる時より色んなジャンルや仕事で活躍している人と仕事したり見る事でモチベーションになり毎日飽きないですね。イケてる若い人たちも先輩達もいるんで。あと日本も物騒な事は沢山あるけどアメリカにいる時より殺される危険性や捕まる可能性が低いので安心して音楽に時間を費やせるのがいいところっすね。なんで平和ボケしすぎないように毎日海外にいる兄弟仲間とビデオ通話してアトランタにいるクルーと気持ちのすれ違いが起きないように心がけて刺激も貰ってますね。
Cook:なるほど、そこのすり合わせや関係、ATLのバイブを維持しながらということですね。では最後に今後の展望とメッセージお願いします!!
今後の展望について
Cz TIGER:今後の計画はまず2025年に1stアルバム” WHATEVER “ をドロップして数年経つので2nd アルバムをドロップする予定です。まだ発表前なので詳しくは言えませんが日本にいる間にしかできない僕らしい期待を裏切らない作品になるので楽しみにしてて欲しいですね。無事ドロップできたらツアーも考えています。とにかく日本で歌える事、出来ることは全部します。やり遂げればまた観光VISAで行ったり来たりにはなりますが3ヶ月単位とかで海外回る予定で、アメリカはもちろんヨーロッパにもありがたい事にお仕事沢山頂いてるのでよりワールドワイドにムーブしようと決めてます。アメリカに関しては Bun Bとの共演を超える衝撃を与えられるプロジェクトを進めていますんで楽しみにしてて欲しいすね。殆どまだ言えなくてもどかしいんですが Bun Bとは違うサウスのキングと製作しているとだけ言っときましょうかね。笑 あと直近でいえば先述述べた MIKE JONES(マイクジョーンズ)とのビデオと音源は今年ドロップする予定です!!! 製作途中の作品もあってSpeaker Knockerzの兄弟 Mook TBG ともマイアミで合流してEPとビデオ撮影する予定です。もちろんアトランタのアーティストととも沢山製作しているので Stay Tuned !!! ラッパーとして生きてる身としてはラッパーの役目って声を上げれない人の代わりに次の世代、後世に何があったかを何を感じて何を愛したのかを音楽を通して永遠に繋いでいくことをだと思ってますんで今後とも皆んなよろしくです!
インタビューを終えて
Cz TIGERさんへのインタビューを終えて感じたのは、彼が言葉だけでなく、生き様そのものでラップを体現しているということ。
日本人としてアメリカ南部の地に飛び込み、現地のカルチャーを深く理解しながら信頼を勝ち取ってきたその姿勢には、強い覚悟と、何より誠実さを感じた。
英語の勉強に打ち込む姿勢も世間一般的なラッパー像とはかけ離れている。だからこそCz TIGERにはUSの楽曲一つとっても、音で聴いていない、リリックで聴いている。そんな印象を受けた。
彼の言う事に我々リスナーがついていくことができれば今後、日本のシーンはさらに大きな広がりを見せるだろう。
ここまでタフな動きができるラッパーは日本に現在いるのだろうか。
そして何より今回、UGKのレジェンドであるBun Bとの楽曲をリリースしたこと、日本のヒップホップにとっても非常に大きな意味を持つ出来事だと感じている。それは単なるコラボレーションではなく、サウスのリアルと日本のリアルが本物同士として交差した、歴史的な瞬間だろう。日本の閉鎖されたシーンとサウスを唯一コネクトしている。今後最もHIPHOPCsで注目していきたいアーティストの一人だ。
ここにもう一度リンクを貼るので是非聴いて頂きたい↓
Cz TIGERさんの挑戦と歩みは、これからの日本のヒップホップシーンにとって既存の繋がりではなく全く違う角度からの大きな希望となるはず。是非こちらからチェックして頂きたい↓
Cz TIGERさんのリンク
オフィシャルサイト: https://cztiger.com/?fbclid=PAQ0xDSwK-FdRleHRuA2FlbQIxMQABp7Nu1bdAoT_BvbayqXwn
youtube : https://youtube.com/@tornadocztiger?f
Insta : https://www.instagram.com/cztiger?igsh=ZHpwc3Z1dDkweDN1
ストア :