Lil Poppa追悼集会で4人銃撃|ジャクソンビルHip-Hopが抱える暴力の構造を読み解く
2026年2月23日|Text by Ito Kotaro(HIPHOPCs)
この記事でわかること
- Lil Poppa追悼集会で起きた銃撃事件の全容と捜査状況
- Lil Poppaの死に至るまでの経緯と背景
- ジャクソンビル・ヒップホップシーンにおける暴力の構造
- 「ペインラップ」が抱える矛盾と音楽産業の責任
- 日本のリスナーがこの事件から考えるべきこと
Lil Poppa追悼集会で4人が銃撃される:ジャクソンビル・ヒップホップが直面する”悲しみの連鎖”
追悼の夜に響いた銃声
2026年2月22日、フロリダ州ジャクソンビルのイーストサイド。深夜0時を過ぎたばかりの時刻に、A. Philip Randolph BoulevardとJessie Streetの交差点付近で12発から15発の銃弾が放たれた。
この場所では、わずか4日前に25歳で亡くなったラッパーLil Poppaを偲ぶ追悼集会が開かれていた。コミュニティが悲しみを分かち合うために集まった、その最中の出来事だった。
ジャクソンビル保安官事務所の報告によると、被害者は4人。34歳と39歳の女性2人、37歳と43歳の男性2人が負傷している。34歳の女性は現場で発見されて病院に搬送され、残りの3人は自力で医療機関に向かった。容疑者の特定には至っておらず、動機も不明。捜査は現在も続いている。
近くのFirst Baptist Church of Oaklandに通うRobert Phelpsはメディアの取材にこう答えた。「彼が教会の中でラップして歌っていた子どもの頃を覚えている。彼のことが好きだった。いなくなってしまったのが悲しい」。Phelpsはまた、この地域でこのような事件は「何年も起きていなかった」と語り、今回の銃撃が地域にとって異例であることを強調した。
しかし、ジャクソンビルのヒップホップシーンが歩んできた道のりを知る者にとって、追悼の場が新たな暴力の舞台になるという悲劇は、まったく見覚えのない光景ではない。
Lil Poppaとは誰だったのか
本名Janarious Mykel Wheeler。2000年3月18日、ジャクソンビルのイーストサイドに生まれた。6歳か7歳のころから兄と一緒に地元の教会で歌い始め、12歳でゴスペルから世俗的なトラップ・ミュージックへと転向。自室のクローゼットにノートPCとマイクだけのスタジオを作り、SoundCloudやMyMixtapesで楽曲を公開するようになった。
彼を語るうえで避けて通れない出来事がある。2018年、18歳のとき、ジャクソンビルでの銃撃事件に巻き込まれた。Lil Poppa自身は生還したが、最も親しかった友人2人がその場で命を落としている。
この体験をもとに制作された「Purple Hearts」が、彼にとって最初のブレイクスルーとなった。生き残った者が抱える罪悪感、いわゆるサバイバーズ・ギルトをメロディアスなフローに乗せて綴るスタイルは「ペインラップ」と呼ばれ、同じ痛みを知るリスナーの心を強く捉えた。この楽曲がPolo Gの目に留まり、コラボ曲「Eternal Living」の制作と全米ツアーへの帯同につながっている。
2022年にはYo GottiのCollective Music Group、通称CMGと契約。Interscope Recordsとの提携も加わり、メジャーの流通網を手にした。「Love & War」「Mind Over Matter」「HAPPY TEARS」を次々とリリースし、Spotifyでの累計再生回数は2億4,700万回を超えた。2025年8月にはアルバム『Almost Normal Again』を発表。死の直前まで、2026年のスプリング・アルバムの準備を進めていた。
※Lil Poppaのキャリアと音楽的功績について、Hip Hop CSでは以下の記事で詳しく報じている。
▶ 【速報】ジャクソンビル出身ラッパーLil Poppaが25歳で死去|CMG所属の新鋭、キャリア最盛期での突然の訃報
▶ Lil Poppa急逝─ジャクソンビルが失った才能、ドラッグ、メンタルヘルス課題
2月18日、アトランタで何が起きたか
Lil Poppaのキャリアは上昇の一途にあった。新曲「Out of Town Bae」を2月13日にリリースしたばかりで、3月21日にはニューオーリンズのThe Fillmoreでバースデー・バッシュが予定されていた。パートナーはラップ界の重鎮Rick Rossの長女Toie Robertsであり、2人の間には幼い息子Kofiがいた。
2月18日の午前、ジョージア州ヘイプヴィル近郊のInterstate 85で、Lil Poppaは単独の自動車事故を起こした。車はまだ走行可能な状態だったため、マネージャーに電話をかけ、近くのヒルトンホテルの駐車場で落ち合うことになった。マネージャーが到着し、車の窓越しに話をしていたそのとき、Lil Poppaは自ら命を絶った。
Fulton County検視官事務所は、死因を頭部への銃創による自殺と公式に判定している。遺書は見つかっていない。非番の警察官がただちに緊急通報を行い、Grady Hospitalに搬送されたものの、そこで死亡が確認された。享年25。
CMGは声明を出し、Lil Poppaを「年齢を超えた深みと無限の可能性を持った、野心的な若者だった」と評した。「彼は痛みも成長も真実も、すべてを丁寧にアートに注ぎ込んだ稀有なアーティストだった」と続けている。
※もしあなた自身、またはあなたの周囲の方がメンタルヘルスの問題を抱えている場合は、専門機関への相談をお勧めします。
いのちの電話:0120-783-556 / よりそいホットライン:0120-279-338
追悼集会銃撃事件の全容
死去から4日後の2月22日、ジャクソンビルのイーストサイドでコミュニティ主催の追悼集会が開かれた。彼が育った地区に人々が集まり、思い出を語り合っていた深夜0時過ぎ、突如として銃声が鳴り響いた。
事件概要
| 発生日時 | 2026年2月22日 午前0時過ぎ(米東部標準時) |
|---|---|
| 発生場所 | フロリダ州ジャクソンビル イーストサイド、A. Philip Randolph Blvd & Jessie St 交差点付近 |
| 発砲数 | 12〜15発 |
| 負傷者 | 4人:女性2人(34歳・39歳)、男性2人(37歳・43歳) |
| 容疑者 | 未特定(捜索中) |
| 捜査機関 | ジャクソンビル保安官事務所(JSO) |
近隣のIn the Word International ChurchのBishop Harry Williamsは、集会参加者やDJに対し、暴力から人々を守る行動を呼びかけた。「何かを見たなら、恐れずに伝えてほしい。銃を持っている人がいたら、声をかけてほしい」。その言葉は、この地域が日常的に抱える緊張感をそのまま映し出している。
ジャクソンビルという街:ヒップホップと暴力が交差する場所
フロリダ州ジャクソンビルは、全米のヒップホップ地図の中でも特異な立ち位置にある街だ。2010年代後半から急速に台頭したラップシーンは、シカゴのドリル・ミュージックやルイジアナのトラップの影響を受けつつ、独自の生々しさを持った音楽を生み出してきた。
その繁栄と並走するように、暴力もエスカレートしてきた。2019年にジャクソンビルで発生した殺人事件は131件。翌年には176件に急増している。ライバルギャング間の抗争はディスソングという形で音楽の中に持ち込まれ、SNSで煽り合い、それが現実の暴力に転化する。この悪循環は、この街のシーンに深く根を張っている。
Hip Hop CSでは、ジャクソンビルのギャング抗争とラップシーンの関係について過去に詳細な記事を公開してきた。事件の構造を理解するうえで、以下の記事をあわせて読んでいただきたい。
▶ Julio Foolioの殺害:フロリダのラップシーンに渦巻くギャング抗争の悲劇
▶ Yungeen Ace:ストリートから駆け上がる壮絶な軌跡
繰り返される悲劇の年表
ジャクソンビルのシーンは、常に暴力の影とともにあった。主要な出来事を振り返る。
2018年 ― Yungeen Aceがドライブ中に銃撃を受け負傷。兄弟と友人2人が死亡。同年、Lil Poppa自身も別の銃撃事件で友人2人を失う。
2021年 ― Yungeen Aceの「Who I Smoke」とFoolioの「When I See You」がリリースされ、音楽を通じた挑発合戦がフロリダ・ドリルの起点となる。
2024年6月 ― Julio Foolioがタンパのホテル駐車場でライバルギャングのメンバーに射殺される。30発以上の銃弾が発射された。
2026年2月18日 ― Lil Poppaが25歳でアトランタにて死去。死因は自殺と判定。
2026年2月22日 ― Lil Poppaの追悼集会で4人が銃撃される。
この系譜はジャクソンビルに限った話ではない。Nipsey Hussle、Pop Smoke、King Von、Young Dolph、Takeoff。2018年以降、毎年少なくとも1人の著名なラッパーが銃暴力によって命を落としている。シドニー大学の研究者が2015年に発表したデータによれば、ヒップホップアーティストの死因の半数以上が殺人であり、平均死亡年齢は25歳から30歳。他のどの音楽ジャンルと比べても、殺人率が5倍から32倍高い。
「ペインラップ」の矛盾:痛みを歌うことの意味を問い直す
ここからは、Hip Hop CSとしてヒップホップカルチャーを追い続けてきた筆者の視点から、事実報道を超えた分析に踏み込みたい。
Lil Poppaの音楽は、一貫して「痛みの記録」だった。友人を失った悲しみ、生き残った罪悪感、鎌状赤血球症がもたらす慢性的な身体的苦痛。アルバム『Blessed, I Guess』とそのドキュメンタリーでは、身体の病と心のトラウマが交差する地点を赤裸々に語っている。楽曲「Stop Grieving」では、絶え間ない喪失とどう折り合いをつけるかという問いに向き合った。
「ペインラップ」は、Lil Poppaのようなアーティストにとって治療的な自己表現の場であった。同時に、市場のメカニズムの中で「痛みの消費」を加速させる装置でもある。リスナーが共感し、ストリーミング数が伸び、レーベルがさらなる「痛み」を期待する。このサイクルの中で、アーティスト本人に最も必要かもしれない「回復」のプロセスは、商業的なインセンティブと常に緊張関係にある。
Lil Poppaのケースでは、持病の鎌状赤血球症による身体的苦痛も重なっていた。彼はこの病気について自身のドキュメンタリーで公に語り、「業界での活動が途切れがちだったのは、激しい痛みの発作があったからだ」と説明していた。身体と心の両方で痛みを抱えながら、その痛みを楽曲に変換し続ける日々。それがどれほどの負荷だったのか、想像するしかない。
ミシガン大学とコーネル大学の共同研究によれば、アメリカにおける殺人率は他の先進国の7倍以上であり、その80%が銃によるものだ。だが、ラッパーが暴力の被害に遭ったとき、しばしば「自業自得」という反応が向けられる。ヒップホップが暴力を美化しているという批判は根強いが、多くの研究者はむしろ逆の因果関係を指摘する。ヒップホップにおける暴力は文化的暴力の原因ではなく症状であり、都市部のマイノリティが直面する資源と機会の格差という根本的な問題の反映だと。
▶ ドラッグとラッパーの関係:リーン、パーコセット、フェンタニル
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音楽は喪失にどう向き合えるのか:KID FRESINOとLil Poppaに通じるもの
ここで一つ、あえて海を越えた視点を挟みたい。
先日Hip Hop CSで公開したKID FRESINOの「hikari」に関するコラムで、筆者は仲間を失ったアーティストが音楽を通じて喪失と向き合い続ける姿を掘り下げた。Fla$hBackSのFEBBとJJJを立て続けに失ったKID FRESINOが「hikari」に込めた感情は、「Purple Hearts」でサバイバーズ・ギルトを綴ったLil Poppaの姿勢と、深い部分で通じている。
言語も環境もジャンルの文脈も異なる二人のアーティストが、「仲間の死をどう歌うか」という同じ問いの前に立っている。この事実は、ペインラップというサブジャンルの問題が特定の地域や文化圏に閉じたものではなく、音楽と喪失の普遍的な関係性の中にあることを示唆している。
違いがあるとすれば、環境だ。KID FRESINOが活動する日本のシーンでは、追悼の場に銃声が響くことはまずない。Lil Poppaが生きたジャクソンビルでは、それが現実に起きた。この差は個人の選択の問題ではなく、社会構造の問題だ。
日本のリスナーが立ち止まるべき場所
ジャクソンビルの銃撃事件は、日本に暮らす私たちにとって物理的には遠い出来事だ。しかし、この事件が突きつけるテーマは距離を超えて響く。
まず、アーティストのメンタルヘルスの問題がある。Lil Poppaは慢性的な身体の痛みとトラウマの両方を抱えながら音楽活動を続けていた。日本のヒップホップシーンでも、アーティストの精神的な健康に対する意識と支援体制はまだ発展途上にある。JJJの急逝に際して日本のシーンが受けた衝撃は記憶に新しいが、制度的なサポートの整備は進んでいない。
次に、音楽産業の構造的な問題だ。「痛み」をコンテンツとして消費する仕組みは、グローバルなストリーミング経済を通じて日本のリスナーも参加している構造にほかならない。Spotifyで再生ボタンを押すとき、その楽曲の向こう側にいる生身のアーティストの苦闘に、どれだけ想像力を働かせられるか。これは問いかける価値のあるテーマだろう。
そして、追悼の場の安全性という問題。日本では銃犯罪は極めて少ないが、故人を偲ぶ場や連帯の場をどう安全に守るかという課題は、形を変えてどの社会にも存在する。
アーティストとしてのLil Poppaを正当に評価する
死後のセンチメンタリズムではなく、音楽ジャーナリズムの視点で述べたい。
同じジャクソンビルから出てきたYungeen AceやNardo Wickがアグレッシブなドリル寄りのサウンドで注目を集める中、Lil Poppaのアプローチは内省的で、メロディックで、物語的だった。プロデューサーのScotty OTHは「彼ほど勤勉な人間を見たことがない。スタジオで最後まで残っているのはいつもPoppaだった」と証言している。
HOT97が評したように、彼のスタイルは「フラッシュよりも率直さで定義される」ものだった。パフォーマティブではなくカンバセーショナルなフローで、Rod WaveやPolo G、Juice WRLDと同系統の音楽性を持ちながらも、ジャクソンビルのドリル全盛期にメロディック/ペインラップという独自路線を貫いた。2024年にはRod Waveのツアーでオープニングアクトも務めている。
Yungeen AceはInstagramにこう綴った。「朝6時半、お前がネットの噂を信じるなって電話してくるのを待ってた。でもダメだった。同じ夢を持ち、同じ問題を抱えていた。お前はLEGENDだ。それをわかっていてくれたらいい」。
Instagramのフォロワーは約100万人、Spotifyの月間リスナーは60万人超。メインストリームの巨大な数字と比べれば控えめかもしれないが、リスナーの人生に深く食い込む音楽を作るアーティストの影響力は、再生回数だけでは測れない。
捜査の現状と今後
追悼集会銃撃事件について、ジャクソンビル保安官事務所の捜査は継続中だ。犯人の特定には至っておらず、目撃者からの情報提供が呼びかけられている。
Hip Hop CSでは引き続き、この事件の続報を追っていく。また、Lil Poppaの音楽的レガシーについても、ディスコグラフィの詳細分析を今後の記事で予定している。
25歳のアーティストが命を絶ち、その追悼の場で新たな血が流れた。この連鎖を断ち切るために何が必要なのか。答えは音楽だけでは出せないかもしれない。だが、考え続けることを放棄してはならないと、筆者は思う。
メンタルヘルスに関する相談窓口:いのちの電話(0120-783-556)/よりそいホットライン(0120-279-338)
Lil Poppa プロフィール
| 本名 | Janarious Mykel Wheeler |
|---|---|
| 生年月日 | 2000年3月18日 |
| 出身地 | フロリダ州ジャクソンビル イーストサイド |
| 没年月日 | 2026年2月18日(25歳) |
| 死亡地 | ジョージア州フルトン郡 |
| 所属レーベル | Collective Music Group / Interscope Records |
| 代表曲 | Purple Hearts / Love & War / Mind Over Matter / HAPPY TEARS / Eternal Living feat. Polo G |
| 最新作 | アルバム『Almost Normal Again』(2025年8月)/ シングル「Out of Town Bae」(2026年2月13日) |
| パートナー | Toie Roberts |
| 子女 | 息子 Kofi J’nar |
| 持病 | 鎌状赤血球症 |
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この記事を書いた人
Ito Kotaro|HIPHOPCs
日本語ヒップホップと米国ヒップホップの両シーンを取材・分析。自分の得意な分野だけでなく、他のシーンにも様々な言及。ジャクソンビルのラップシーンについては、Julio Foolio殺害事件、Yungeen Aceの抗争史など複数の詳細記事を公開してきた。ストリートカルチャーの文脈を軽視せず、音楽ジャーナリズムとしての正確さと深みの両立を目指している。
