via @awich098 instagram
TBS系『クレイジージャーニーSP』(2026年2月9日放送)で、沖縄出身のラッパーAwichがカンボジアを訪れた。音楽が禁じられ、知識人が殺された国。そこで今、ラップが爆発的に広がっている。番組で描かれたカンボジアの過去と現在、そしてVannDa(ヴァンダ)という存在を、歴史の奥まで掘り下げて読み解く。
※本記事は番組内で語られた内容を軸に、公開情報で補足・裏付けを加えて構成しています。番組内の発言は放送時点の文字起こしに基づくため、実際の発言と細部が異なる可能性があります。
以前取り上げたこの記事
Awichが語った”沖縄とカンボジアの共鳴”
番組冒頭、Awichはカンボジアの印象をこう表現した。
沖縄と似てる感じがします。その温かさの背景にある痛みとか、辛い歴史とかも似てる気がします
沖縄は米軍基地を抱え、戦争の記憶と日常が隣り合わせの土地だ。Awichはその沖縄で生まれ、アトランタのストリートで生き、夫の死という喪失を経て、痛みを音楽に変えてきたラッパーだ。彼女がカンボジアに立つことは、単なる海外ロケではない。痛みの歴史を持つ土地同士の、声による接続だった。
1960年代クメール・ロックの黄金時代——奪われる前のカンボジア音楽
カンボジアの音楽史を語るうえで、ポル・ポト政権の前にあった黄金時代を知る必要がある。
1960年代、カンボジアは音楽の花盛りだった。ベトナム戦争でアメリカ軍が南ベトナムに駐留し、米軍向けラジオ放送AFNの電波がカンボジアにも届くようになると、本場のロックンロールが流れ込んできた。カンボジアの伝統音楽と西洋ロックが溶け合い、クメール・ロックと呼ばれる唯一無二のジャンルが誕生した。
その象徴がシン・シサモットだ。クメール音楽の王と呼ばれた国民的シンガーソングライターで、伝統音楽からR&B、ロックまであらゆるジャンルを歌いこなした。女性シンガーのロ・セレイソティア、ツイストの女王パン・ロンと合わせた三大レジェンドを中心に、1963年頃にはカンボジア全土で100以上のロックバンドが活動していたとされる。
プノンペンは東洋のパリと称えられ、空港前やリバーサイドのクラブではタイトなスーツの男性とミニスカートの女性が夜通しツイストやゴーゴーを踊り明かした。庶民は1台のラジオを家族全員で囲み、歌謡番組に熱中した。文化を愛したシハヌーク国王自身が映画を撮り、自作曲を歌い、大規模な音楽コンテストを開催するほどだった。
しかし、その華やかな時代は突然終わる。
ポル・ポト政権とクメール・ルージュ——音楽が死んだ3年8ヶ月
1975年4月17日、ポル・ポト率いるクメール・ルージュがプノンペンを陥落させた。この日はゼロ年と呼ばれ、すべてが無から始まるとされた。
ポル・ポトが目指したのは、毛沢東思想の影響を受けた極端な農業社会主義だ。番組内でも紹介されたように、国民全員が農業をやれば幸せな国になるという信念のもと、国民は都市から農村へ強制移住させられた。通貨は廃止され、学校教育は否定され、黒い農民服が国民全員の服装となった。朝5時から夜10時まで、すべて人力の強制労働が課された。
犠牲者数の推計には幅があり、イェール大学のカンボジア人大量虐殺プロジェクトは約170万人、アムネスティ・インターナショナルは約140万人としている。当時のカンボジア人口は約700万〜800万人とされ、最大で人口の4分の1近くが命を落とした計算になる。
芸術家への弾圧は特に苛烈だった。番組内でVannDaの父親が証言したように、ミュージシャン、芸能人、医者、知識人など全てが殺された。さらに、医師や教師を優遇するという名目で自己申告させ、別の場所へ連れ去った後に殺害するという手法がとられた。やがてそれが知れ渡ると、無学文盲を装って逃れようとする人々も現れたが、眼鏡をかけている者、文字を読もうとした者、時計が読める者——少しでも学識がありそうな人間は片っ端から殺された。これは番組内の証言と一致しており、複数の歴史研究でも確認されている事実だ。
VannDaの父親は取材に応じる際、デリケートな話だから、英語じゃなくてカンボジア語でもいいか。ドアを閉めてくれないか。大っぴらに話す話じゃないと前置きした。
強制結婚の実態、食事の時間を過ぎて食べ続けただけで殺された人々、Awichの母方の祖父にあたるとされる人物が教師だったという理由だけで軍に連れていかれた話。ポル・ポト政権が終わった時、国民全員が”ゼロからスタートする”と心に誓った。亡くなった人たちの分も——父親の言葉は重かった。
クメール音楽の王シン・シサモットも、クメール・ルージュの犠牲となったとされる。1976年頃に処刑部隊によって殺されたと考えられているが、正確な死因も日付も不明のままだ。ロ・セレイソティアも強制労働キャンプで命を落としたとされる。黄金時代のレコードやマスターテープは焼却され、ほとんど残っていない。
番組が伝えた衝撃の証言——“音楽は人を殺す合図だった”
番組で最も衝撃的だった証言がある。
たまに音楽が流れたが、それは軍の音楽だった。処刑場で大音量で流し、殺される人の叫び声が聞こえないようにしていた。音楽は人を殺す合図だった
ポル・ポト政権下で音楽は完全に消えたわけではなかった。ただし、それは人間の創造性や喜びのためではなく、人間を殺すための装置として使われていた。この事実が、後にVannDaが音楽で成し遂げたことの意味を、圧倒的に重くする。
ポル・ポトは1979年にベトナム軍の侵攻で政権を追われたが、タイ国境付近のジャングルに逃れ、ルビー売買の利権を元手にゲリラ闘争を続けた。番組内では1998年に国境近くのジャングルで死体として発見されたと語られ、死因は心臓発作とされているが真相は諸説ある。裁判で裁かれることなく世を去った。
VannDa(ヴァンダ)とは何者か——Baramey Productionが育てたカンボジアの国民的ラッパー
この国で今、最も大きな存在がVannDa(ヴァンダ)だ。
本名マン・ヴァンダ、1997年シアヌークビル生まれ。TuneCore Japanの公式プロフィールによれば、幼少期はカニエ・ウェストやキッド・カディに影響を受けたという。家族の反対を押し切ってプノンペンへ上京し、2019年にカンボジアの音楽プロダクションBaramey Productionに所属して本格的に活動を開始した。
番組では、VannDaが育った地元シアヌークビルの市場が映された。小さい頃、ここで両親が働くココナッツ売り場を手伝ってたんだよ——ストリートの少年だった彼が、カンボジア音楽史を書き換える存在になるまでの距離は、途方もなく遠い。
2021年、転機が訪れる。伝統楽器チャペイの名手マスター・コン・ナイをフィーチャーしたTime to Riseが爆発的ヒット。Baramey Production公式によれば24時間で100万回再生を達成し、2025年時点でYouTube再生回数は1億2900万回を超え、カンボジアのアーティストとして史上最高記録とされている。伝統音楽とヒップホップを融合した唯一無二のスタイルは、タイ、ラオス、ベトナムなど東南アジア全域に波及した。
2024年8月、パリ五輪閉会式でパフォーマンスを披露。Baramey Production公式は東南アジアのアーティストとして初めてオリンピック閉会式に出演と発表している。PhoenixやKavinsky、Angèleらと同じ舞台で、クメールの伝統衣装を纏い、母語でラップした。
2025年には三部作アルバムTREYVISAIトリロジーをリリース。TREYVISAIはクメール語でコンパスを意味する。5月17日にはプノンペンのオリンピック・スタジアムでTREYVISAI Sovannaphum Mega Concertを開催。LiFTED AsiaやKiripostの報道によれば1万〜1万5000人を動員したとされ、Awich、インドのKR$NA、ラオスのThinlamphone、タイのOG Bobbyら、アジア各国のヒップホップアーティストが一堂に会した。
番組への協力理由を聞かれたVannDaはこう答えた。俺は小さい頃からずっと日本のテレビ番組が大好きだった。だから俺の紹介も、日本のテレビの”あの感じ”でやってほしい
AwichとVannDaの共演——6 Years In The GameからAsian State of Mindへ
AwichとVannDaの関係は番組だけの話ではない。
2024年1月22日(VannDaの誕生日)、二人のコラボシングル6 Years In The Gameが配信リリースされた(音楽ナタリー 2025年2月14日報道)。カンボジアで撮影されたMVも同時公開。Awichはこの楽曲についてこう語っている。
VannDaはカンボジアの若者たちにとって本当に英雄のような存在。カンボジアで彼と一緒にステージに立った時、みんなのキラキラ輝く目を忘れられません。彼が人々の中に吹き込む情熱とエネルギーは、まさに伝説的です
さらにAwich主導の大型コラボ曲Asian State of MindにはVannDa、インドのKR$NA、中国のMaSiWei、韓国のJay Parkが参加。アジア5カ国のラッパーが対等な立場で1曲に集結するという、アジアンヒップホップの地域間コラボとして新たな基準を打ち立てた。LiFTED Asiaが発表した「The LiFTED 50 Class of 2025」では、Awichが2年連続で1位、VannDaが3位にランクインしている。
沖縄とカンボジア。痛みの歴史を持つ二つの土地から来た二人のラッパーが、音楽で世界をつなごうとしている。
元カンボジアギャング・KK——LAのストリートからダンススクールへ
番組はVannDaだけでなく、カンボジアのストリートのリアルにも深く踏み込んだ。
ストリートの神様みたいな人として紹介されたのが、元カンボジアギャングのKK(番組内での呼称)。家族でタイへ逃れ難民となり、その後アメリカ・ロサンゼルスへ移住した。
移民だらけの街でコミュニティごとの分断があり、メキシコ系ギャングとの対立が日常だった。家族を守るためにギャングチームを結成した。メキシコ人とは毎日戦争。街で出会えば武器を出して殺し合い。先にやらないとやられる。番組によれば、カンボジア系住民を標的とするグリーンライト(無差別攻撃の許可)が1995年から2020年頃まで続いたという。見た目が似ているという理由で関係ないアジア人まで巻き込まれた。
結果として強制送還。法廷で泣く母親の姿が、最も辛い記憶だったという。
しかしKKは方向を転換した。アメリカのストリートで身につけたヒップホップダンスを武器に、カンボジアで子どもたちのダンススクールを設立。学校に通えない子どもたちに英語やパソコンの教育機会を提供している。マイク1本で貧困から抜け出す力がある——KKの言葉は、ヒップホップが単なる音楽ジャンルではなく生存の手段であることを物語っていた。
スラム街と地雷被害——カンボジアに今も残るポル・ポト政権の傷跡
番組はさらに、再開発の陰で取り残された線路沿いのスラム街へ。立ち退きを命じられた住民、元窃盗団、元薬物中毒者の声が映し出された。
ポル・ポト政権崩壊後も内戦は長く続き、地雷被害は今も続く。番組に出演した地雷被害者の証言は壮絶だった。
地雷を踏んで足を上げた瞬間爆発。皮膚が破れて膝まで剥がれた
膝から下を切断。基地に運ばれ、地獄の痛みを経験した。その後、日本のNGOによる職業訓練支援で椅子を作る技術を学び、生活費を稼げるようになったケースが番組内で紹介された。一方で支援が届かず、物乞いで暮らす人も少なくないという。
カンボジアでは現在も年間数十人が地雷で命を落としているとされる。安全地帯などどこにもなかったという当時の証言は、過去形で語れる話ではない。
処刑場跡で開かれたカンボジア初の有料コンサート——VannDaが変えた音楽の意味
番組のクライマックスは、VannDaが主催した大規模ライブだ。
番組内では、会場がかつてポル・ポト軍の処刑場として使われていた場所だと紹介された。音楽が人を殺す合図だった場所で、音楽が人を生かすための声になる——その転換の象徴的な舞台設定だった。
カンボジアではこれまで音楽ライブはスポンサー主導が当たり前で、観客は無料で入場するのが通例だったと番組は伝えた。しかし今回は1万人以上がチケットを自分で購入し、ミュージシャン自身が主催するコンサートとして開催された。番組はこれをカンボジア初の試みとして紹介している。
この成功が持つ意味は、単なる興行的成功を超えている。企業の力に依存せず、アーティストが自分の力で自由にライブを開催できるという前例を作ったこと。ポル・ポト政権が奪った自由な思想を、音楽の力で取り戻す第一歩となったこと。それが番組の伝えたかった核心だった。
クメール・ロックからカンボジアン・ラップへ——断ち切られた糸をつなぎ直すVannDaのTime to Rise
カンボジアの音楽史を俯瞰すると、そこには断絶と再生の物語がある。
1960年代、シン・シサモットやロ・セレイソティアが率いたクメール・ロックの黄金時代。1975年、ポル・ポト政権によるゼロ年宣言と文化の抹殺。レコードは焼かれ、ミュージシャンは殺され、音楽そのものが処刑の道具に堕とされた。
そこから約50年。VannDaは伝統楽器チャペイの響きとヒップホップのビートを融合させ、クメール語でラップすることで、断ち切られた文化の糸を結び直している。Highsnobietyのインタビューで、VannDaはこう語っている。
私にとって、カンボジアの伝統音楽と現代音楽の融合はギミックではなく、ごく自然なことです。どちらも自分の一部であって、伝統とヒップホップを融合させようと意識しているわけではありません
シン・シサモットが西洋ロックとクメール音楽を溶かし合わせたように、VannDaはヒップホップとクメールの魂を溶かし合わせている。手法は変わったが、自分たちの言葉で、自分たちの音楽を作るという姿勢は60年間ぶれていない。
クメール・ルージュはその糸を断ち切ろうとした。しかし断ち切れなかった。
Awichの役割——痛みを言葉にして世界に届ける翻訳者
この番組を通じて浮かび上がるのは、Awichという存在の特異なポジションだ。
Awichは単にカンボジアを取材したのではない。沖縄で戦争の記憶を受け継ぎ、アメリカのストリートで暴力と喪失を経験し、その全てを日本語と英語のラップに変換してきた人間が、カンボジアの痛みの前に立った。彼女がやっているのは痛みを言葉にして、別の場所にいる人間に届くかたちに再配布する仕事だ。
番組終盤、Awichはこう語った。
全てを奪われて、考えることもダメ、歌うこともダメ、奏でることもダメ、愛することもダメっていう年月があって……この現状なんだ、という歴史があって、今があって、これからこうするんだ、っていうのをちゃんと伝えてくれと言われた
ちゃんと伝えてくれ——その言葉を引き受けられるのは、自分自身が痛みの当事者であり、なおかつそれを音楽という普遍的な言語に変換する技術を持つ人間だけだ。Awichがカンボジアに呼ばれた理由は、彼女のスキルだけではない。彼女の履歴そのものが、カンボジアの物語を受け止めるのにふさわしかったからだ。
VannDaが処刑場をライブ会場に変え、Awichがその場に立って沖縄の視点からカンボジアの声を世界に中継した。LiFTED Asiaの2025年ランキングでAwichがアジア1位、VannDaが3位に選ばれたのは偶然ではない。二人はそれぞれの土地で、痛みから音楽を生み、音楽から希望を生むという同じ仕事をしている。
音楽が奪われた国で、音楽が希望になるということ
ポル・ポト政権下の3年8ヶ月で、カンボジアは推計で100万人以上の命を失った。音楽家は殺され、レコードは焼かれ、音楽は処刑のBGMに堕とされた。
それからおよそ50年。VannDaは処刑場だったとされる場所に1万人以上を集め、クメール語のラップで歓声を上げさせた。KKはギャングの経験をダンスに変え、子どもたちに未来の選択肢を作った。そしてAwichは沖縄の痛みとカンボジアの痛みを重ね、声で架け橋を渡した。
Treyvisaiはクメール語で”コンパス”の意味。それが指す方角は4つ——自分の国、自分の技術、自分の家族、そして家族同然の仲間たち——VannDaはLiFTED Asiaのインタビューでそう語っている。
処刑場がライブ会場に変わった日、カンボジアの音楽史は確かに新しいページをめくった。そしてその場に、沖縄から来たラッパーが立っていた。
番組情報
『クレイジージャーニーSP』(TBS系)
2026年2月9日(月)20:55〜22:57 放送
MC:設楽統、小池栄子
出演:Awich、丸山ゴンザレス
番組公式サイト
※本記事は番組内容および以下の公開情報をもとに構成しています。
- Baramey Production公式 – VannDaプロフィール
- 音楽ナタリー – Awich×VannDaコラボシングル報道
- LiFTED Asia – The LiFTED 50 Class of 2025
- TuneCore Japan – VannDaプロフィール
- TVerでの見逃し配信あり
※初回放送は2025年12月8日深夜特別編(23:56〜)。今回は拡大SP版として再編集・放送。
