土曜日, 6月 7, 2025

【HIPHOPCs独占インタビュー】DJ2high、西海岸のレジェンド日本人プロデューサーがぶっ飛び半生を語る【前編】

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『Cali Jap』を爆音でかけながら車を運転し高速道路の110を北上すると、蜃気楼のようにロサンゼルスダウンタウンのビル群が浮かび上がって見えてきた。生憎の曇り空だったが、気温を見ると23度と思いのほか心地よい。世間はメモリアルデーの連休だが、その最終日の昼下がり。日本を代表する西海岸のレジェンドプロデューサー、且つ日本人唯一のDogg Pound(ドッグ・パウンド)メンバーのDJ 2highさんが指定したスタジオ兼自宅に向かった。もちろん目的は独占インタビューだ。

DJ 2highという漢(おとこ)のサバイバル半生

ウィキペディアにも彼の情報が断片的に載ってはいるが、かのSnoop Dogg(スヌープ・ドッグ)に見いだされ、Dogg Pound(ドッグ・パウンド)の唯一の日本人メンバーであり、そして西海岸のヒップホップ業界に誰よりも精通している御仁だが、そのベールは謎に包まれている。約束の時間に到着すると、スキンヘッド、且つタトゥーだらけで一見強面の2high氏が満面の笑みで迎え入れてくれた。彼のスタジオの壁には、ラッパーやスターウォーズのフィギュア、サイン入りのTシャツ、そして何よりも後述するJoe Cool(ジョー・クール)のイラストがところ狭しと飾られていた。部屋の奥に、パソコンやらキーボードやらの曲作りの機材が置いてある。差し入れたタコ焼きをつつきながら、インタビューは始まった。

SEI:HiphopCsのインタビューをご快諾頂き、ありがとうございます。業界では有名でいらっしゃいますが、一応HipHop若葉マークの読者のために、簡単な自己紹介をお願いいたします。

2high:DJ2high(DJ・トゥーハイ)です。簡単に紹介すると、日本人で唯一のDPGメンバーですね。というか、黒人以外で誰もいないんですよ。スタッフとかカメラマンだったりとかではいるけど、DPGだっていうスタンプは押されていないから。

SEI:18歳からコンプトン、ロングビーチなど旅行者は近づかないような場所を拠点としてWestsideのカルチャーに溶け込んでいくにあたって苦労した点や、危険な目に遭った話などを教えてください。

2high: 僕は元々、音楽もそうなんですけど靴屋をやっていたタイミングがあって、それの買い付けでしょっちゅうLAに来ていたんだよね。買い付けをしながら、レコードもDigしてたんだ。靴屋さんの時僕16だったんだけど、当時はNIKEのAirMAX95の黄色が何故か流行ってて、それを履いているとカツアゲされて俗にいうMAX狩りがあったあの頃です。僕らのお店で当時の販売価格が黄色が25万、パープルが38万!そういう事やってた時にLAに来まくっていてコンプトンだったりとか…。その靴屋のパートナー(社長)箱崎さんが『Indoor』って洋服屋さんやっていて、今も横浜にある老舗なんだけど。ウェストコーストのカルチャーの洋服を売っている所だったから、コンプトンとかに行って調達するわけです。そこについて行っていたから、入りはそこです。

こっちに来たばっかりの時に、よくコンプトンのブロックパーティーとかハウスパーティーみたいなのやってて、そういうとこでよくDJとかやっていたんだけど。そういう時とかは、色んな事あったかなぁ…パンッパンッパン!みたいなのとか。それがしょっちゅうだったし。やれば喧嘩になってビールの瓶を投げあったりとか。

SEI:その当時、赤とか青とか抗争が激しかったと思うんですけど、その関係とかですか?

2high:あ、僕ね一緒にいた連中DMKってグループのTagger(タガー)の集まりだったの。その時はキキ・スムースの家に滞在させてもらってた。わかりやすく言うとストリートのグラフィティ描く集団、やってることはギャングの連中と変わらないね。だからやっぱりギャングバイオレンス多かったな…。98年に僕がこっちにきて仲良くしてたイメルダって子が〇ろされちゃったんだ。その子もイケイケだったから、パーティーで彼女から拳銃出したんだけど。そしたら返り討ちで〇られちゃて。それからね、そこが引き金になってもう弔い合戦じゃないけど色々ハードな状況が続いて、その時に自分が住んでいた家に5匹犬がいたんだけど、5匹とも〇ろされちゃった。ガードドックだったから、これヤバいなって思って僕コンプトンからロングビーチに引っ越したの。

SEI:すごいハードコアだ!(笑)

2high:そのイメルダを〇したのは、イメルダのBaby Daddy(ベイビーダディ…子どもお父さん)の兄弟なんだけど、そのベイビーダディが滅茶苦茶不良で刑務所出たり入ったり出たり入ったりしてる奴で、最後に捕まったタイミングで国選弁護士がついたんだけど、そいつはF〇ck the Worldみたいな世界観の人だったから弁護士にも態度悪くて、弁護士も良い仕事しなかったんだよね。そしたら彼は何をしたかというと、刑務所から剃刀の刃を瞼の中に隠してそれで刑務所から裁判所までずっと隠したまま行って、裁判始まった瞬間にその剃刀で自分の弁護士を#O@&$して(爆笑)。ニュースにもなってるんだけどね。このベイビーダディだけど、2年くらい前に(監獄の)中の暴動で〇されたって。その息子はイメルダの妹に育てられたんだけど、その子からこの間電話あって父親は〇んだよ、って聞かされたよ。

SEI:やはりKarma is a b!tch(カルマはビ〇チ)ですねぇ。あの、2highさん自身は大丈夫だったんですか?傷付けられたこととかあるんですか?

2high:あのね、最近だったら友達のThe Dove Shack(ザ・ダブ・シャック…LBを拠点にしているG-Funkグループ)のリーダーのC-Knight(C-ナイト)が亡くなってCandlelight Memorial(キャンドルライト・メモリアル…故人を偲び、追悼するための行事)に行ってたの。VIPのコーナーに居て。結構いい感じにみんな集まって最後に一緒に歌を歌っていたんだけど、そこでパパパパーン、パパパパーン!って。は?何の音?って思ったら隣にいたおばちゃんが「アウッ!」って(大爆笑)。アレ?って思って身を伏せて。あれは怖かったなぁ。Youtubeにも出てるけどね。ヒュンヒュンッって弾が飛ぶ音聞こえる。それが最近だね。いっぱいあるけど。

SEI:貴重なお話ありがとうございます。あの、90年代って東海岸も熱かったですがなぜ西海岸を選んだのですか?

2high:ああ、それも今さっき名前出したDove Shackだね。95年とから96年とかに彼らが日本に来てライブをやった時に、僕はそれまで西も東も分からずにヒップホップ一緒くたで付き合ってたんだけど、これだ!ってなったのがDove ShackとTWINZ(ツインズ)の来日ライブだった。その後2Pac(2パック)が殺されてそれでイーストコーストが嫌いになったの。Biggie(ビギー)のインスト流して2パックの『Hit Em’ Up』の「Fuck Biggie!」って部分をひたすらスクラッチしてた。パーティーで。で、ビギーのアルバムを割るっていうパフォーマンスをやっていたから。今Puffy(パフィ)が捕まって、俺からすると「ほら言ったじゃん!30年前から言ってたじゃん!」って。96年から俺言ってるから、ずっと。あの当時から彼バイセクシャルて噂はあったけど、噂だったから、ジャニーさん伝説みたいな類だったわけなんだけどさ。火のない所に煙は立たないし。

父親からの教訓と音作りを始めるきっかけ

SEI:すごいなぁ。ちょっと家族について聞いても良いでしょうか?業界でも有名なお父様(松山猛さん)との関係や影響等があれば教えてください。お父様は2highさんのキャリアを応援されているんですか?

2high:そりゃあ、応援して「やりたいことやれ!」って。でも、別にだからと言って父ちゃんのコネクション使ったことは……1回か、2回しかない(大爆笑)

SEI:大爆笑。無いのかと思いきや!素直過ぎます。

2high:パパには以前ビジネスで繋いでもらったことはあるけど音楽は別ね、今俺は俺でやっているから。パパの成した2.8ミリオンをレコードで売ったっていうデビュー作。その次のイムジン河は発売禁止になっちゃったんだよね。あ、2000年にそれを解除したのに俺が少し一役買った感じなんだけど。その流れで映画『パッチギ』が生まれたわけで。唯一親孝行出来た案件かな。とにかくパパはとんでもない記録を持っている人だから、俺はその記録を塗り替えるんだ!みたいな野心と気持ちで昔から戦ってたんだけど……無理ね(大爆笑)。でも一発で超えることは無理かもしんないけど、280万にたどり着くにはじゃあ2.8万を100発出せばいいのかな、っていう気持ちに切り替えてコツコツやってる。あの人は超えたくても超えられない壁で、尊敬する父です。

SEI:お父様は作詞家、ライターさんですが恐らく天才的クリエイティビティは最強遺伝子を引き継いでいらっしゃると思います。もちろんご自身の努力でアメリカではここまでいらしたと思うのですが、2highさん自身はなぜダンスやラップでは無く、DJやビートメイキングに興味をお持ちになったのでしょうか?物書きでもないんですね。

2high:中学生の頃アメリカに毎年夏休みの時行って、その時テレビで流れていたのがPublic Enemy(パブリック・エネミー)だとかTLCのファーストだったりとか、Kris Kross(クリス・クロス)。彼らのパフォーマンスしてるライブ映像が流れて、そこで初めてDJっていうのを知ったんだよね。多分あれはJD(Jermaine Dupri…ジャーメイン・デュプリ)だった。で、滅茶苦茶影響受けて、家に帰ってきて父ちゃんの高級オーディオ……何百万もするようなやつ、あれを思いっきりスクラッチしてガンガン怒られて「てめぇ、何してんだーっ!」って。それがDJにハマったきっかけで。僕ね、なんか反骨精神があってみんなが追っかけているものの反対を行きたい人で。丁度そのタイミングでカセットからCDウォークマン流行ってCDの時代。その時代俺は逆行してアナログをずっと掘っていたわけで。みんな男の子はゲーセン行って『鉄拳』にハマってる時にずっと放課後はレコード屋巡りにハマってたから。

曲を作り始めたきっかけは、96年にとある東京のレコード会社が知りあいのラッパーの曲を、当時のDeath Row Records(デス・ロウ・レコーズ)に送ったワケ。そしたら返事が来て2Pacとコラボさせてやるから10月にアメリカ来いって。で、彼とやるってタイミングで俺曲作り始めたの。でも、その直前の9月に何が起きたか覚えてるでしょ?(パックは1996年9月13日に亡くなる)。それがきっかけ。

日本でWestsideのカルチャーがうわ~って受けたのが2002年とかでしょ?俺「Westiside(ウェストサイド)」って言葉自体嫌いなんだけど、98年くらいからやってたのね。で、父ちゃんからは常に「3年先を見越して、3年先に流行るものをお前がやれ」って言われていて。それが俺の教訓なの。ガキの頃から。今でもそれは言われてるんだけど、でも今だからその「3年のものさし」っていうのが出来るけど。当時の俺には分かるわけないよね。

文化に「言葉」ではなく「音」で勝負

SEI:現在Awichが米国進出を狙っていますが、アジア人として黒人文化に食い込んで認知されていくに当たり、必要なポイントなどがあれば教えてください。

2high:うーん。何なんだろうね。俺も知りたいよ!色々とやり方があると思うんだけどね。

SEI:黒人の文化に溶け込んでいるだけじゃなくて、めっちゃ業界からリスペクトされていらっしゃるじゃないですか。アジア人って入り難いと思うんですよ。アメリカの高校とかも人種別に分かれるじゃないですか。カフェテリアで集うグループとかは。文化的に難しいと思うのですが、アドバイスがあれば!

2high:僕がラッパーじゃなくてビートメイカーだったから、っていうのがあるかもね。全然アドバイスにならないけど、答えとしては僕が戦うのが「言葉」じゃなくて「音」だったから。だからそれが、僕が溶け込めた部分なのかな、て今は思う。

Snoopとの出会い、DPGに入るきっかけ

SEI:DPGに入るきっかけとか、入る条件とかあったら教えてください。あと、DPGメンバーのプライベートも気になるのですが、話せる範囲でお願いします。

2high:お前がDPGだって言って入れてくれたのが、98年のスヌープ。

SEI:スヌープ?では、先にスヌープとの出会いとかエピソードとか教えてください。

2high:96年に遡って、96年にスヌープが来日した時に先ほども名前 出した箱崎さん(靴屋のパートナー)が、スヌープの着てたバンダナのステージ衣装が欲しいって言いだして。それを売ってくれってプロモーターに聞いたんですよ。20万でオファーしたら即答でNO、30万でも40万でもNOで。50万で顔色が変わって。「今日の全財産55万円で売ってくれ!」って言ったら「F#cK YEAH!」って脱いで。で、それの内側に絵描いてあげるからホテル来いよって言ってくれたのが、Joe Cool(ジョー・クール)。

SEI:ジョー・クールの話、後で聞こうと思っていたんですよ。彼も一緒に来日していたんですか?

2high:そそそ。来いよ、って言ってくれたのがきっかけで次の日ホテルに行って。んでね。スヌープと会ったのホントに1分か2分なんだけど、まあ、ひたすら俺自己アピールして。で、スヌープって2メートル近くあって背が高いのね。僕背が低いからさ。彼が手にビデオカメラ持ってるって意識してなくて。撮られてると思ってなかったの。でも撮られてて、彼はそれをアメリカに持ち帰って編集して、ワールドツアーのVHSとして出した。その中に俺が出てるの。出てるとは知らなかったんだけど。

98年にスヌープが再来日した時、前座でブッキングされたんだけど、当時めんどくさい事が色々あって出来なくなっちゃったんだけど、担当者がスヌープに会わせてくれるって計らいで、呼ばれたのが全く96年と同じ関内の駅のホテルで。メディアの時間が最初20分用意されてるから、それが終わったら君の時間を作るって言われて。そのホテルの入り口から正面にエレベーターがあって。絶対エレベーター使って上に行くから、報道陣がロビーでわちゃわちゃしてたんだけどそこで待ってて。僕17歳で若造でひとりでいて。待ってたらスヌープ入ってきて、その報道陣が皆スヌープを取り囲んだんだけど、スヌープ全然そいつらシカトして「YOSHI!YOSHI!」って言ってるんすよ。YOSHI(ヨシ)って誰だ?ラッキーな日本人だなってって見まわしたら誰も居なくて、確実に俺の方に向かって「YOSHI!」って。「え?俺の名前YOSHIじゃねぇしなぁ…」って思ってたら、「YOSHIIIIIIIIII!!!」ってハグされて、俺?!みたいな。「YOSHI何してるんだ?君、映画にでてるんだぜ」って言われて。98年当時スヌープはNo Limit(ノーリミット)に所属してて、ノーリミットの連中と来るってフライヤーに出てたの。Mistikal(ミスティカル)とか、Silkk the Shocker(シルク・ザ・ショッカー)とかMia Xとか。俺、実はこっそりそいつらの方が興味あって。でも誰一人来日していないんですよ。で、その時スヌープから「ヨシ、お前ウ〇ード持ってるか?」って聞かれて。「あるよ」「いくぞ!」て。「あれ、インタビューは?」「そんなのF#cKだ!」てなって俺部屋に連れていかれて。当時のヨタヨタの英語で色々今日前座出来なかった経緯とか説明したら、「そんな理由くたばれ!」ってなって「今日からお前はDogg Poundだ!」ってそこで入れてもらったの。それですぐ、アメリカに来ちゃった。

Daz Dillingerとの出会い:ポケモンの恩返し

SEI:Daz Dillinger(ダズ・ディリンジャ―)さんとお会いしたのは?

2high:何が起きたかというと、コンプトンにレコードをDigしに来てたんだけど、そこで出会ったBig-A って人がいて、彼は『Underworld』っていうレコード屋さんやってたんだけど、超コンプトンの老舗のレコード屋さんで。でもなんかあんま商売ッ気がなくてね。で、結構最終的に経営が厳しそうなタイミングがあったから、今でこそポケモンカードってすごいプレミアついてるけどその原点の2000年の第一次ポケモンブームの時に、日本からばんばんカードをおっちゃんにプレゼントして、それを売って凌いでもらってたの。そこ、Easy-Eの息子とかお客さんでいて。ポケモングッズがライフラインでサバイブしていたんだけど、僕が一時日本に戻って少しポケモン送れなくなった時期があって、そしたら店がその間に潰れちゃて。アメリカ戻ったら無くなっててその人とも疎遠になっちゃって。

1998年頃スヌープに出会ってから渡米して、それから毎日通いまくるくらいスヌープのチノヒルの家に行きまくってて。行って遊んでブリブリになってるだけで、何も生産性無くて。こんないい環境なのに、なーんも出来てなくて。自分のレベルが…英語力、コミュ力、音楽スキルとかが伴ってないなって思ったタイミングがあったんですよ。何か気づいちゃって、一回行くの止めたのよ。一回自分を磨こうと思って、わざと行かなくなったんだけど。そしたら彼らってコロコロ電話番号変えるし、そのうち連絡取れなくなっちゃって。それから…2006年とかかな?スヌープがヘッドライナーのPower106ラジオのパワーハウスイベントがアナハイムのホンダセンターであって、誰か知ってる奴いて入れないかなって思ってたら。あのポケモンのBig-Aが俺を見つけて、ステージ側に入れてもらって。丁度その時Pharrell(ファレル)とかNigo(ニゴー)とかもステージにいたんだけど、DazとKurupt(クラプト)もそこにいて。

SEI:Dazさんとクラプトさん、クラプトさんがデス・ロウ入って一時期仲違いしてましたよね?確か2005年に仲直りしたとか。

2high:ご存知の通り!じゃあ、2005年だわ。その時にパワーハウスの次の日か、Big-Aから朝6時に電話あって今からニューポートビーチに来いって。友達叩き起こして連れてってもらって。着いたらBig-Aがあたふたして「俺もう行かなきゃいけないから!そこのドアノックして開けて中に入っとけ!バーイ!」って去って行って。マジかよ?ってなんだかよく分からないままドア開けたら〇麻のスゴイにおいがして。そしたらDazとクラプトが居て。Dazから「ヨオ、お前俺のDJやるんだろ?」って言われて。「はあ?」っとなって。寝耳に水だったんだけど「たぶん…?」て返して(大爆笑)。Big-Aは、レコード屋が潰れた後に、Dazのマネージャーやってたの。あれが2005年か。それでDPGジャパン作ったんだ。

SEI:それが入れたきっかけなんですね。条件は?

2high:条件は、ポケモン(笑)。リザードン。

SEI:Dazさんと仲良いですよね。どんな感じの方なんですか?

2high:あのまんまですよー。けどこの3年~4年、すこぶる調子がいいよ~。2パックのお金がやっと入って来てるから。今まではSuge Knight(シュグ・ナイト)。版権は色んな所で色んな人がマスターとかパブリッシングの取り合いしててさ。だから、Dazって2パックのアルバムの1/4は作ってるから、10億手に入った。でも、彼ね、10人Baby Mama(ベイビーママ…子どものお母さん達)いるの。で、14人も子どもいるの。でも、彼の凄いところは全員平等に接してるとこ。今まではお母さんひとりにつき1000ドル払っていたから、最低1万ドルは毎月必要だったんだけど。それが結構大変だったんだけど、この前まとまって2パックの印税が入ってきて。各お母さんに10万ドル(約1500万円)以下の土地付きの家を10軒購入して精算したんだよ。誰かがパソコン欲しいってなると、彼子ども皆に平等に買うから、大変なんだよ。

スヌープもそうだけど、彼の親とかは南部出身だから、彼はあっちに豪邸を何件も持ってるんだけど、LAでは従兄弟の家のソファーで寝てたのね。その当時僕が住んでいたアパートで、新規の住民紹介したら紹介料一人500ドルくらもらえるから、調子に乗って友達勧誘しまくって最終的に30人くらい紹介して。その中の一人がDazなの。それから2~3年一緒に居たかな。Dazの体内時計がATLの時間なので、毎朝6時にドアをドンドンドンドン叩かれて起こされて、とりあえず俺がブラ〇ト5本巻いて、ダズもブ〇ント5本巻いて、それが朝の日課だったかな。2010年~2013年の間。

SEI:Dazさんのプライベート、有難いお話です。

Tha Eastsidazとの秘話

2high:その前は、Eastsidaz(イーストサイダーズ)のGoldie Loc(ゴールディ・ロック)と住んでたの。あれはもう…あの話も凄いよ!イーストサイダーズって何でイーストサイダーズって言うか知ってる?

SEI:え、東海岸出身だからじゃないんですか?

2high:出来た理由が、「停戦協定」なんですよ。Eastsideロングビーチの中に「20 Clips(トゥウェンティ・クリップス)」と「EastEnd Clips(イーストエンド・クリップス)」てのがいて、今だからこう落ち着いてるけど、ずっと縄張りを巡って〇し合いしてたから。けっこうそれが酷かったから、それを中断しましょうよって言って20の代表がゴールディー。EastEndの代表がTray Deee(トレイ・ディー)で、その真ん中にスヌープが入って。

SEI:そういうことだったんですか!

2high:そのゴールディーが代表だから、幹部なわけですよね。俺んちが幹部会みたいな、幹部ミーティングが行われ始めて。俺も幹部の人と居るから傍から見たら自動的に幹部扱いで。今は落ち着いたんだけど、ゴールディーはもう酒乱で。Hennessy(ヘネシー)が水扱い。飲むぞ!って日はヘネシーをケースごとに買うのね。朝6時くらいになるとなくなるわけですよ。そうするとお店行って一番でっかいハーフガロン(2リットル)のボトルを2本買ってきて、1本は20の周りが飲んで、もう1本はゴールディーがラッパ飲みして。当時ニッキーっておばちゃん家政婦が居たんだけど、ニッキーが卵20個、ベーコン20枚、ソーセージ20本、チーズトースト10個作って20個ずつ食べて。20クリップスだからひとりで20個ずつぺろりと。でもなんでチーズトーストは10個なのかといったら、トースト2枚で1つだから20個食ってんだよ(大爆笑)それ食べてから、48時間くらい寝るんだよ。あれはヤバかった。

SEI:もう逸話しか無いんですけど(笑)

2high:引っ越して来てから2週間後くらいかな。あいつがハリウッドのミーティングに行って帰ってきたらクオーターミリオンダラー(3500万円)を現金で持ってきて。アフリカのダイアモンド鉱山持ってる人からもらったって。ライブする約束でもらったらしいんだけど、結局もらうだけもらってやらなくて(笑)。次の日は車を買いに行って、自分のベンツ買って、彼女にSUV買って。かーちゃんにも1台買って。で、次の日は船を買いたいって。俺んとこに来て「おいどこで船って買えばいいんだ?」って聞いてくるから「お前ロングビーチ育ちなのに、何で俺に聞くんだ。ピアに行けよ!」って。で、その3時間後くらいに決めた!って電話があったから見に行ったんだけど。僕船買うって言ってたからてっきりクルーザーかと思ってたら、スピードボートみたいなの買おうとしてて。「これはどうだ!」って言うから「いや、これは違うだろ!」「違うか?!」「そうだ!」ってクルーザー指さして「あれはどうだ」「おおお!これ買おう!」って現金でぽんっと9万ドル出して。もうこの時点で半分お金ないよね(大爆笑)。

SEI:貯金とか、ないんですね。

2high:ないよね!で、毎週金曜日はストリップナイト。ストリップのお姉さん5人呼んで。一人呼ぶために100ドル出して。それから撒くための500ドル分の1ドル札の束。あとの500ドルはお酒。毎週2千ドル。それが毎週金曜日。でも、土曜日になるとすっごく汚くなるからとんでもないことになって、うちでやんの止めてくれ、って伝えたら今度はホテルでやり始めて。ホテルもお金ばら撒きたいからロフトがあるとこじゃないといけなくて。部屋代が800ドル。馬鹿だよねぇホントに(大爆笑)。そんなことやってる、彼は結構ギャングアクティブが激しい人でね。昔彼の妹のパンケーキ(という名前の子)が流れ弾に当たって、自分を〇しに来たのに自分じゃなくて妹が〇んじゃったっていうトラウマがあるから、酔っ払うと「パトロールしてくる!」って拳銃持って「ウー、ウー」て唸りながら巡回しだして。ある日用があって出かけてて、家政婦のニッキーにロングビーチから迎えに来てもらって帰途についてたんだけど、ゴールディーから電話があって「お前、今帰ってくんな」って言われて。でももう戻ってる最中だからって言って戻ったら、家の前にパトカーが20台くらい止まってて。何かと思ったら家が襲撃されてたんだよね。俺がいない間に。もう作業台の横の壁に弾の跡がいっぱいあって。俺、普通にここで作業してたら当たってたじゃんって(笑)。これが2008年の事かな。これで勘弁し始めてダウンタウンに引っ越してDazと暮らし始めたの。いやあ、酷かった~(笑)。楽しかったけど、酷かったー。

SEI:Dazさんから受けた影響とかありますか?

2high:影響しかないよね(笑)。良いところも悪いところも(大爆笑)。うーん、良いところかぁ…(しばらく考えて)早寝早起き。

SEI:え!そこ?!

2high:あと、酒はやらない。

SEI:2highさんは?

2high:俺も飲まない。たま~に、数年に一度飲むくらい。うん。それがDazから影響受けている所かな。ノードリンク。悪い影響は……女ったらし(大爆笑)

SEI:多分2highさんって、日本人の誰よりもスヌープに近いポジションにいる方だと思うんですけど、2highさんから見たスヌープさんはどんな感じですか?

2high:うーん。ビジネスマンだよね。めっちゃビジネスマン。今までに比べて最近は更にビジネスマインドになっちゃってる感じがするかな。前は「ホーミーのために」って感じだったけど、今は無いからね。それが吉と出てる部分もあれば、凶と出ている部分もあるかな。

DJ2highさんのX:https://x.com/dj2high

DJ2highさんのInstagram:https://www.instagram.com/dj2high/

DJ2highさんのYoutube Ch https://youtube.com/@dj2high_tv?si=IQADNRi2IBuG1i_i

資料提供・撮影協力:DJ2highさん

(後編に続く)

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