ヒップホップ史において、2Pac(2パック)ほど「伝説」と「謎」を同時に背負った存在はほとんどいない。
1996年、彼はキャリアの頂点にいた。アルバム『All Eyez on Me』は大ヒットを記録し、俳優としても順調にキャリアを築いていた。しかしその絶頂の最中、ラスベガスで銃撃され、25歳という若さでこの世を去る。彼の死の前後の詳細は【ラスベガス編】で語る予定であるが、今回は彼が死の直前Makaveli(マキャベリ)という名前を名乗っていた時期の話をしよう。
2パックはマキャベリ名義で新たな作品を完成させていた。それが『The Don Killuminati: The 7 Day Theory』である。本記事では、このアルバムと「Makaveli(本サイトではWikipediaの日本語表記に則りマキャベリと記す)」という名前に込められた意味を軸に、パックの哲学を読み解いていく。
16世紀イタリアの政治思想家Niccolò Machiavelliと2PacのMakaveli
2パックの『Makaveli(マキャベリ)』の由来は、16世紀イタリアの政治思想家Niccolò Machiavelli(二ッコロ・マキャヴェッリ)にある。1532年に刊行された彼の著書『The Prince(君主論)』は、「リーダーは、権力を維持するためには時に非道な手段も必要」と説いたことで知られている。総じてマキャヴェリズムとは「目的のためには手段を選ばない」という思想の語源となり、政治を宗教や道徳から切り離した。パックにとってのマキャベリは、単なる別名ではなく「生き残るための哲学」そのものだった。
パックが性的暴行事件で有罪判決を受け刑務所に入っていたのは、1995年2月〜10月までの間である。ニューヨークのクリントン矯正施設にて服役していた彼は、この刑務所生活の間に政治、哲学、戦争、歴史、黒人運動、宗教、権力論など、ありとあらゆる本を読んでいた。その中の一冊が『The Prince(君主論)』であった。収監中にこの本と出会ったパックは、その思想に強く影響を受けた。彼にとって裏切りや暴力、名声と敵意が渦巻くヒップホップ業界は、まさに政治と同じ構造に見えていたのだ。「重要なのは人物じゃない。“考え方”なんだ。目標のためなら何でもやる——その思想に共感した。」
ではなぜ彼はマキャベリを名乗るようになったのか?その当時彼を取り巻く人生では、性的暴行事件による裁判(前回のデスロウ編で触れた、当時19歳だった女性Ayanna Jackson-アヤナ・ジャクソンの、ホテルのスイートルームで2パックとその仲間たちから集団で性的暴行を受けたと告発した事件)、東西ヒップホップ抗争、1994年の銃撃事件(ニューヨークのタイムズスクエアにあるQuad Recording Studios-クアッド・レコーディング・スタジオのロビーで発生した強盗・襲撃事件)、業界内での裏切りと不信など、過酷な現実があった。特に、読者も既存の通り、東西抗争においてはBiggieことThe Notorious B.I.G.(ノートリアスB.I.G.)やDiddyことSean Combs(ショーン・コムズ)らとの対立が激化していた。こうした状況の中で、パックは単なるアーティストではなく、戦略家としての自分を必要としていたのかもしれない。マキャベリという名前は、その決意の象徴だったのだ。否。名前や決意を超えた、裏切り渦巻く世界で生き抜くための思考であり、死を意識した男が辿り着いた最終形態だった。『The Don Killuminati』は、その思想を刻み込んだ作品であり、2パックという存在を単なるラッパーから時代の象徴へと変えたのだ。
とあるインタビューでパックはこう語っている。「I’m not idolizing Machiavelli. I idolize the type of thinking. Do whatever necessary to achieve your goal.(マキャヴェッリ本人を崇拝してるわけじゃない。その考え方を尊敬してる。目標のために必要なことは何でもやるんだ。)」これが、マキャベリ=思想と言われている最大の理由である。
余談だが、2パックのマキャベリは、ヒップホップにおける“別人格”の先駆けとなった。別人格とは心理学的にAlter Ego(アルター・エゴ)=もう一人の自分、と呼ばれている。後のEminem(エミネム)のSlim Shady(スリム・シェイディ)やBeyonce(ビヨンセ)のSasha Fierce(サーシャ・フィアース)がその良い例だろう。パックに深く影響を受けたKendrick Lamar(ケンドリック・ラマー)は、K-Dot(Kドット)、Kung Fu Kenny(カンフー・ケニー)など、アルバム毎に別人格を持たせてるのも有名だ。
2Pacの遺書:『The Don Killuminati』
不朽の名アルバム『The Don Killuminati』は1996年、わずか7日間で制作された。録音は3日間、ミックスとマスタリングに4日間。その短期間で約20曲を完成させるという、異常なペースだった。パックの狂気じみた楽曲制作秘話は、DJ Couz氏のインタビューでも言及されているが、このアルバムは当初、正式リリースではなくストリート向けのミックステープとして無料配布される予定だったという。しかしDeath Row Records(デスロウ・レコーズ)の当時の大ボスSuge Knight(シュグ・ナイト)の判断により、商業作品としてリリースされることになった。1995年後半、Suge Knightによって保釈された彼はDeath Row Recordsに移籍し、音楽活動を再開。この頃から彼は徐々に“Makaveli(マキャベリ)”という名前を使い始め、自分を単なるラッパーではなく、戦略家や革命家のような存在として位置づけていくようになる。結果としてこの作品は、彼の死後すぐに全米1位を記録し、クラシックの名盤として歴史に刻まれることとなった。
2パック、もどきマキャベリがもたらした音楽的変化について触れよう。成功、名声、ストリートライフに焦点を当てた前作『All Eyez On Me』と比較すると、このアルバムでの彼は明らかに違った。ビートもリリックスも、より暗く、より攻撃的で、より内省的であった。名曲『Hail Mary』では被害妄想と恐怖が滲み、『Krazy』では自己の内面を見つめ、『Me and My Girlfriend』では銃を恋人として描いている。もうそこには「大スター2パック」は居らず、生き残ろうとする人間としての2パックがまざまざと存在していた。
アルバムジャケットには、十字架にかけられたパックの姿が描かれている。彼自身はこれについて、「敵の拠点を示した地図」だと説明していたそうだが、そのビジュアルは明らかにキリストの磔刑を想起させる。楽曲には、怒り、復讐心、社会への不信感、死の予感など、それまで以上にダークで攻撃的な思想が色濃く表れており、まさにマキャベリという人格が最も強く表現された作品となった。
しかし同じ1996年9月、2パックはラスベガスで銃撃され、その6日後に死亡する。アルバムは彼の死後、1996年11月にリリースされることになる。だが、死後のリリース、そしてニッコロ・マキャヴェッリの有名な「敵を欺くために狐のような狡猾さを持て」という政治的な訓えに尾びれがつき、パック亡き後も「実は彼は死を偽装しただけであり、まだ生きている」という有名な生存説や陰謀論を生み出した。
この流れを振り返ると、1つの物語が出来上がる。マキャベリとは、刑務所の中で生まれ、Death Row時代に完成し、そして『The Don Killuminati』という作品の中で表現された人格、及び2パックの哲学そのものだったのだ。
次章では、2パックの最期の軌跡を、時系列を追って丁寧に紐解いていこうと思う。
文:Sei
HIPHOPCsライター。国内外のDJへのインタビューを軸に、ヒップホップカルチャーの深層を掘り下げる記事を執筆。2Pacシリーズでは【ベイエリア編】【デスロウ編】に続き、本稿【マキャベリ編】を担当。
