ここ最近ニュースでよく目にするエプスタイン文書。エプスタイン文書とは、米国の富豪Jeffrey Epstein(ジェフリー・エプスタインー未成年者への性的虐待で起訴、拘留中に死亡)に関する捜査・裁判・証言・通報などの関連資料をまとめて公開したものである。
その文書と、ヒップホップ界の大物たちの過去が再検証される流れが強まっている。先日、DJ Akademiks(DJアカデミクス)がライブ配信で行ったJay-Z(ジェイ・Z)に関する発言が波紋を呼んだ。彼はヒップホップ界の超大御所を「断罪」したわけではないが、なぜ疑問そのものが語られないのかという点に強い違和感を示していた。本稿では、
- 他のアーティスト(R. Kelly、Dr. Dre)との比較
- エプスタイン関連文書の正しい読み方
を通してこの問題に迫ってみようと思う。
DJアカデミクスの問い
ここでhnhh誌の記事を簡単に訳したものを紹介する。
「誰も話したがらないことが一つあると思う。それは、音楽メディアやカルチャー評論家、ポッドキャスターたちの姿勢が非常に偽善的だということだ」と彼は語った。「ジェイ・Zを即座に擁護する必要はない。人々は疑問を持っているし、もし知っている、あるいは当時その場にいたなら、その疑問を明確にする手助けをするべきだ。いくつか質問がある。ジェイ・Zは未成年だったFoxy Brown(フォクシー・ブラウン)と関係を持ったのか? そこに我々が見落としている何かがあるのか?未成年だったAaliyah(アリーヤ)と関係を持ったのか?Beyonce(ビヨンセ)と出会った時はどうだったのか……」
さらに彼はこう続けた。「どうしてこういう話し合いができないんだ?あの時代のアーティストたちについては、話題にしたくない“守る側のグループ”がいるように感じる。もし今の時代のアーティストだったら、間違いなくもっと厳しく検証されていただろうな」
DJアカデミクスのジェイ・Zに関する最新の発言は、司法省がジェフリー・エプスタイン事件に関連する数百万点の文書を公開した数日後に出たものだ。これらの文書には、ロック・ネイション創設者であるジェイ・Zの名前も、他の数えきれないほどの著名人とともに含まれていた。
ただし、この件についてメディアの扱い方を批判しているのはアカデミクスだけではない。文書公開の直後、筆者も愛聴しているラジオホストCharlamagne Tha God(シャラメイン・ザ・ゴッド)は自身の番組『The Breakfast Club』で激しく言及し、「不真面目なジャーナリストたち」を非難した。「理解できないし、ぜひ理解できたらと思っている」と彼は語っている。「みんなに一つだけ質問がある。黒人たちが本当に嫌っているのは、読書なのか、それとも説明責任なのか?」
ちなみにシャラメインはジェイ・Zのみならず、同文書で同じく名前が出たEminem(エミネム)やPusha T(プーシャ・T)にも言及している。
今回公開された文書は、エプスタイン・文書透明化法に基づくもので、信頼性がさまざまな資料が含まれている。その中には匿名の通報に基づく危機対応レポートもあり、そこにジェイ・Zの名前が登場した。現時点でこれらの疑惑は未確認であり、報告書には捜査が実施されたことを示す記述もない。
他のアーティストとの比較で見える「扱いの違い」
さてさて。ここで他のアーティストとの違いを提示したい。
R. Kelly(R・ケリー)について、もはや議論の余地はない。被害者の証言、物的証拠、そして司法判断。すべてが揃った結果、彼は有罪となり、業界からも排除された。ここでは「疑惑」ではなく、「事実」が語られている。
Dr. Dre(Dr・ドレ)はどうか。彼の場合、過去の家庭内暴力を本人が認め、謝罪している。法的には決着がついているが、功績が語られるたびに、その過去が蒸し返される。これは、社会が「事実を忘れない」姿勢の表れとも言える。
では、Jay-Zはどこに位置づけられるのか。年齢差のある交友関係、業界内の噂、そしてエプスタイン文書での名前の言及。しかし、被害者の告発も、裁判も、捜査も存在しない。そう。ここで重要なのは、「黒ではない」ことよりも、問い自体が立ち上がらない構造である。
エプスタイン文書が映し出したものとは
エプスタイン関連文書は、多くの人にとって「暴露リスト」のように消費された。しかし実態は、匿名通報、未確認情報、捜査メモが混在する、極めて雑多な資料群である。ただ単に名前が出たことは、罪を意味しない。捜査されなかったことも、無罪の証明ではない。
それでも、この文書が一つの役割を果たしたとすれば、それはメディアの態度を可視化したことだろう。誰の名前は大きく報じられ、誰の名前は「触れない方がいいもの」として静かに流されるのか。その線引きが、はっきりと見えたのだ。
なぜ「レジェンド」は守られるのか
皆も承知の通り、ジェイ・Zは単なるラッパーではない。経済的成功、文化的影響力、業界内の人脈、全てを包括し、彼は今や「個人」を超えた存在になっている。だからこそ、彼に向けられる疑問は、個人攻撃ではなく構造批判になってしまうかもしれないのだ。疑問を語ることは、過去の成功や神話を揺るがす行為とも受け取れる。その瞬間、メディアもリスナーも、不快な選択を迫られる。「真実を問い続ける」のか、「物語を守る」のか。彼への疑問は「一人の人間への問い」ではなく「黒人の成功物語そのものへの攻撃」として受け取られる可能性があるのだ。その結果、彼について報道・疑問を持つという事=裏切り、内部攻撃、と見なされるかもしれない。
「疑問を持つことが許されない空気」の正体
象徴を守りたい心理、過去を掘り返すことへの恐怖、経済的・業界的利害、炎上社会の過剰反応、そしてコミュニティ防衛本能。ジェイ・Zの件は、これらが重なった集団的沈黙の良い例である。
DJアカデミクスの問いは、ただ単に「Jay-Zはクロかシロか?」ではないことに注目して欲しい。彼は「なぜ、私たちは“問い”を恐れるようになったのか?」を説いているのだ。沈黙は安全だが、思考はそこで止まる。ヒップホップがもし、権力を疑い、語られないことに光を当てる文化であり続けるならば、必要なのは断罪ではなく、問いを許容する成熟・環境である。
今回の件で、それを否応なしに考えさせられたのは、筆者だけではないだろう。
編集部としての補足と現在性について
本稿は、寄稿ライターSeiによる考察をもとに構成されている。編集部として明記しておきたいのは、ここで提示されている内容が、特定人物の断罪や擁護を目的としたものではなく、公開資料の性質、メディアの態度、そして問いが許容されにくくなった現在の空気そのものを検証する試みであるという点だ。
また、ヒップホップを取り巻く環境や評価軸は、時間とともに更新され続けている。編集部では、過去の文脈や固定化された物語をそのまま現在形で流用するのではなく、「今、どう語られるべきか」「どの前提がすでに古くなっているのか」を常に再確認することを編集方針としている。
寄稿という形式であっても、掲載される以上、情報の扱い方や論点の整理については編集部が最終的な責任を負う。本稿においても、未確認情報と事実、推測と構造分析の線引きが意識的に行われているかを確認した上で公開している。
ヒップホップは「答え」を保存する文化ではなく、「問い」を更新し続ける文化だ。編集部としては、完成された結論を提示することよりも、思考が止まらない状態を維持することこそが、メディアの信頼性につながると考えている。本稿が、そのための一つの起点として機能するなら幸いである。
