金曜日, 12月 19, 2025

【HIPHOPCs独占インタビュー】KIRA-窪塚洋介が託した声、クラブからマカオ、そして『Omotenashi』制作秘話

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大阪・アメリカ村のクラブカルチャーからキャリアをスタートさせ、マカオのカジノステージ、ヒップホップ、R&B、レゲエというジャンルの境界を軽やかに越えながら、“KIRA”

彼女は常に“歌で生きる”という選択を更新し続けてきた方です。

華やかな経歴の裏には、声帯結節や子宮内膜症といった身体的な試練、、そして「ありのまま」をさらけ出す覚悟があった。それでも彼女が音楽を手放さなかった理由は、音楽が、彼女自身を救ってきたから。卍LINE(窪塚洋介)との共演曲「TERRY JANE」、レゲエシーンに刻まれた名曲「FANTASY」、そしてなんと12月12日にリリースされたKIRA & MICHVEL JVMESによる新EP『Omotenashi』

KIRAが音楽に出会った原点から、プロとして生きる覚悟、仲間や恩師との“縁”、そして今なお進化し続ける現在地まで、そして新EP、飾らない言葉でについて語ってもらいました。

KiRA/CHEHON – I’m So Good

音楽活動の原点と歩みについて

Cook – よろしくお願いします!KIRAさんが音楽の道を志されたきっかけや、アーティストとしての原点についてお聞かせください。

KIRA – 物心ついた時からずっと大声で歌うのが日課で、中学から当時アメ村でDJをしていた兄の影響でブラックミュージックに興味を持つようになり、イベントに遊びに行ったりして。そのうちクラブやライブハウスで歌ったり、同世代のビートメイカー達と楽曲制作するようになりました。

初めてのレギュラーは木曜日のItoIで当時お世話になってた先輩が主催してたヒップホップのイベントで、そこで出会った仲間がバックDJとして一緒にライブしてくれたりイベント開いて歌わせてくれたり。わたしも先輩に教えてもらってSAM2でイベント主催したりもしてました。

Cook – 中学から!デビュー前にマカオのカジノで日本人初の歌手としてご活躍されたという異色のご経歴をお持ちですが、そのご経験が後の音楽活動にどんな影響を与えたのでしょうか?

KIRA – マカオ行く前は学校みたいにクラブ行ったり出演してただけで、歌を職業にしたいとは思ってませんでした。けど向こうで初めて歌でご飯を食べることを経験して、その時、日本帰ったら次はカバーじゃなく自分が作った曲でご飯食べれるようになりたいと思ったのを覚えてます。 マカオでのショーは1日2時間×週6日、ステージで声が枯れて全く出なくなったり誰にも見向きもされない日もあったり。プレッシャーとホームシックでめちゃきつかったけど、それ以上に得たものが多くて。 当時マカオまで来てくれた新人発掘の仲村さんという方が、大好きなプロデューサー(”TERRY JANE”や”I’m So Good”のKAZUHIKO MAEDAさん)と出会わせてくれたり、その時の流れが後のレゲエとの出会いにも繋がっていくので、経験としてもご縁としても自分がプロになっていく最大のきっかけやったと思います。

Cook – 凄い。プロとしての意識がそこで培われたんですね。

楽曲制作について

Cook – ファンの方から特にご要望の多かった、卍LINE(窪塚洋介)さんと共演された「TERRY JANE」についてお伺いしたいです。どのような経緯で制作されることになったのでしょうか。また、制作過程での印象的なエピソードや、楽曲に込められた想いを是非!

KIRA – デビューしてもずっと大阪在住で活動してて、ある時420RECORDZ / WAKAJAPANのWAKAくんから、TERRY THE AKI-06さんの十周忌に何か想いを込めた曲を作りたいという相談を頂きました。

そこで、テリーさんの親友の洋介くん(卍LINEさん)と、テリーさんのバックDJのハンマーナオくん、そしてテリーさんが最も信頼するプロデューサーのお一人であったKAZUHIKOさんと、曲を作りましょうとなりました。

制作現場ではテリーさんがいるのかなと思うくらい不思議な現象が起こったりしてて、わたしがこの時喉の調子がめちゃくちゃ悪くて声が出るはずないのになぜか嘘みたいに声めっちゃ出たりとか(笑)

参加メンバーみんなめちゃ仲良しで、制作もレコーディングもけらけら笑いながらめっちゃ楽しかった思い出です。リリース後は道草アパートでサイン会やらせてもらったり、jouleで0831パーティで曲を初披露したり。

SNSでREMIXコンテストを開いて、何十曲も応募貰って参加メンバーみんなで選考会して、優勝作品をリリースしてKIRAのアルバムにも収録させてもらいました。

わたしの周りにいるWAKAくんや奈良間くん、KAZUHIKOさんも、洋介くんも、みんなテリーさんが愛した間違いない素敵すぎる人達なので。まるでテリーさんに見守られてるような、そんな気持ちに勝手になる時があります。

Cook – 凄い裏話。私自身正念場も癒しもずっと聞いてたんです。”心の中ずっと生き続ける癒し”だと思います。しんどい時何度も聴かせていただいた「ありのまま」なんですが、どのような心境で制作された楽曲なのでしょうか。ファンの方からはどのような反響がありましたか?

KIRA – めっちゃ嬉しいです。

2019年の末に大阪のクアトロでワンマンしたんですが、メジャー契約が終わって自主レーベルで曲を出してもびびるぐらい売れへんかったり、人気も落ちたりして、初めて現実を叩きつけられてて。ライブ当日までしょっちゅう、ステージ出て行ったらお客さん3人しかおらんかったって夢を何度も何度もみてました(笑)

そんな時バンドメンバーの子に、連絡が遅いってブチギレられて(笑)それでとうとう追い詰められて究極の状態に陥って(笑)ファンに対して繕ったキラキラのKIRAちゃんじゃなく、今の本当の自分を知ってほしいって気持ちで、初めてファンのみんなに本音聞いてもらおって書いたのがこの曲です。

Cook – なるほど、この曲には本当に勇気を貰ってました。そしてレゲエシーンを代表する一曲「FANTASY」、当時の制作背景や、今振り返ってみて感じる想いなどをお聞かせください。

KIRA – マカオから帰ってしばらくして、大和レコーディングスの山本さんと制作させてもらうことになり、当時NY在住やったSNOW BEATZくんのビートで、「KIRAちゃん、HISATOMIと歌ってみぃひん?」って山本さんが企画して下さいました。

当時わたしにはレゲエの曲とか無かったし、山本さんはKIRAにレゲエをやらせるつもり無かったはずなんですが。曲が完成して一年以上経っても、歌詞や出し方にこだわりすぎて中々リリースさせてもらえない状況になってて。わたしも一人暮らし始めてバイトもして、お金もなくて彼氏もいなくて病みまくってかなりひどい状態に陥ってて(笑)

そんな時HISATOMI先輩がJUNIORくん(RED SPIDER)のスタジオ連れて行ってくれて、そこで初めてダブ(『逆ギレアウチ』収録「RED SPIDERの魔法」)を録ってもらったことがきっかけで、原曲のリリースに至りました。

山本さんは2019年に亡くなられましたが、彼が居なければ今のKIRAは絶対に無いし、しんどいことも多かったけど、リリックの書き方、レコーディングや曲への向き合い方など、本当に沢山の一番大切なことを学ばせてもらった、思い出いっぱいのスーパー恩師です。「F.A.N.T.A.S.Y」は山本さんが遺して下さった人生の宝物です。

Cook – そうだったんですね。。この曲を聴くと青春時代を思い出して、自分にとっても宝物です

近年のご活動と今後の展望について

Cook – 近年では、声帯結節や子宮内膜症といったご経験を乗り越えられての活動に、多くのファンが勇気づけられています。音楽活動を続ける上での原動力となっているものは何でしょうか?

KIRA – 病気とは今も向き合ってて、悩むことも多々あります。

わたしは物心ついた時から両親の喧嘩の中で育って、家庭のコンプレックスから誰にも自分のことを話せず密かにずっと傷つきながら育ってしまいました。

そんな時音楽だけが支えで、誰も知らないヒップホップやR&Bを夢中でdigってそれが居場所になってた。

救われた音楽で、恩返しをする。もう自分と自分の人生を否定せず、克服する。これをいつも心に思ってます。

不運なほど信じる力がいかに大切か、いつも試されてる。母と兄、仲間友達はじめ、本当に愛をくれる人達のおかげでずっと長い間夢を続けれてます。

Cook – 音楽が居場所という言葉、すごくリアルで重い。ファンの方に絶対届いてほしい。

12月12日にKIRA & MICHVEL JVMES、新EP『Omotenashi』がリリース!

Cook – では最後に1番お伺いしたかった、KIRA & MICHVEL JVMES、新EP『Omotenashi』を12月12日にリリースされました!豪華コラボレーション含む全5曲が収録されていますがこれまでとはまた違ったKIRAさんの魅力を感じました。作品に込められたテーマや、制作における新たな挑戦についてお聞かせください。

KIRA – MICHVELくんとはデビュー当時SNOW BEATZくんを介して出会ってて、その時ビートをくれたんですが当時のわたしにはヒップホップ過ぎて出せなくて。それから何度も度々掘り出して聴いたりして実はずっと未練があって。
何年か経って東京で再会して、2秒で曲作り始めました(笑)

Cook – 早いですね笑

KIRA – 今回のEPは自分のボトムにある一番好きな音楽で、何年も抱えてきたジレンマをこの1枚で全部解消できたような感じです。MICHVELくんはめっちゃ職人で、わたしに負けないくらい愛が強い人やと思う。そんな彼にしかプロデュースできない作品です。

EPテーマ”おもてなし”「Omotenashi feat. Mummy-D」から取ったもので。

この曲が生まれる数日前、西宮のレクサスでKIRAの10周年ライブをやらせてもらって。その時ショールームにあるレクサスのナンバープレートが全部「KIRA」ってなってて(笑)その半端ないサプライズに心底感動したんですが、それだけじゃないレクサスの皆様の完璧なおもてなしに完全やられました。

関西人として、日本人として、サービス精神が何よりも大切やっていつも思ってます。ありがとうございました。

Cook – この度はインタビューさせて頂き本当にありがとうございました!

KIRA/Omotenashi
MICHVEL JVMES
MICHVEL JVMES

インタビューを終えて

まずレクサスの話でびっくりしたのはKIRAさんが人として愛されているんだと感じました。

KIRAさんの言葉は、一貫してて「現場」と「人」に根ざしている。成功談よりも、迷いや痛み、救われた瞬間について多く語る姿勢が印象的でした、マカオで“歌で食べる”ことを初めて知った夜。

Aki06さんに向けた楽曲、声が出ないはずのレコーディングで、不思議と歌えた「TERRY JANE」の制作秘話。すべてをさらけ出した「ありのまま」を制作された時の状況。

そして、恩師・仲間・土地・文化への敬意が詰まった『Omotenashi』。それらは単なるエピソードではなく、KIRAというアーティストが何を信じ、何を大切にしてきたかの記録なんだと感じます。

音楽は彼女にとって、逃げ場であり、居場所であり、恩返しの手段だ。だからこそ、その歌声には強さと脆さが同時に宿っていると感じた。

キャリア10年を超えた今もなお、KIRAは「信じる力」を試され続けながら、前に進んでいる。その姿勢こそが、多くの人の心を打ち続ける理由なのだ。次に彼女が届けてくれる音楽は、またきっと、私のように誰かの人生の思い出を彩る一部になると思う。

KIRA:Youtube

KIRA: TuneCore

KIRA :instagram

KIRA:Spotify



■ 作品概要
タイトル: Omotenashi
リリース日: 2025年12月12日

■ 収録曲
1 .GLG

  1. Miyabizm
  2. Omotenashi feat. Mummy-D
  3. boyfriend
  4. 約束

■ 配信リンク
https://linkco.re/uq6UbNqz

■ 「Omotenashi feat. Mummy-D」ミュージック・ビデオ
https://youtu.be/oD939qKehWI?si=gGmlkMQvWUPsr_qT

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