皆さんは『WHAT HAPPENED TO THE STREETS?』、しっかりチェックしただろうか?
このアルバムは21 Savageが“ストリート”を礼賛も断罪もせず、「制度・SNS・暴力の変化の中で、現場の言葉は何を失い、何を残そうとしているのか」を記録したアルバムだ。
本作の中核には、
(1)Zone 6という出自への帰属をあらためて固定するオープニング、
(2)客演を「話題作りの装飾」ではなく、テーマを補強するための論点として機能させる設計、
(3)終盤「I WISH」におけるサンプル選択を通じて、聴き手の倫理観そのものを試すような構造、
という三つの仕掛けがある。
本稿では、この三点を軸にアルバムを読み解きながら、なぜ今この作品が重要なのか、そして日本のヒップホップシーンにとってどのような問いを投げかけているのかを明らかにしていく。
『WHAT HAPPENED TO THE STREETS?』が投げかける問い
このアルバムを最初に聴くなら、全曲を流し聴きするよりも、いくつかの曲にフォーカスしてから全体に戻った方が輪郭が掴みやすい。
アルバムの「核」としてまず押さえておきたいのは、「WHERE YOU FROM」「ATLANTA TEARS」「I WISH」の三曲である。Zone 6への帰属を再確認するオープニング、アトランタ全体の悲しみと緊張を共有する楽曲、そして喪失と倫理をめぐる問いを投げかけるラスト近くの曲。これらを通して聴くと、タイトルに掲げられた「ストリートに何が起きたのか?」という問いが単なるキャッチコピーではないことが見えてくる。
客演の使い方に注目するなら、「STEPBROTHERS」(feat. Young Nudy)、「DOG $HIT」(feat. GloRilla)、「MR RECOUP」(feat. Drake)が象徴的である。いずれも“豪華さ”ではなく、「誰と、このテーマをどの角度から語るか」という配置になっているからだ。
第1章:アトランタの現在―RICO、信頼の崩壊、そしてSNS
1-1. RICOと「信頼構造」の崩れ方
本作を理解するうえで、近年のアトランタ・ヒップホップシーンの文脈を外すことはできない。HotNewHipHopのレビューが指摘する通り、YSL(Young Stoner Life Records)に対するRICO法の適用と長期裁判は、単なる一クルーの事件ではなく、アトランタ全体の「信頼構造」を揺るがす出来事であった [1]。
仲間内の密告や証言をめぐる疑惑が飛び交い、かつて絶対的だった「Gコード(ストリートの掟)」への信頼は大きく傷ついた。誰が本当に“リアル”なのか、誰がどこまで守るのか――その基準自体が曖昧になっていく。
そこに追い打ちをかけるように、Takeoff(Migos)、Lil Keedといった若い才能が次々と命を落とし、コミュニティには喪失と疲弊が蓄積していった。21 Savage自身も2019年にICE(移民・関税執行局)によって不法移民として逮捕され、「明日、自分の生活が制度によって突然奪われるかもしれない」という不安を現実として経験している [2]。本作の背景には、こうした重い時代感覚がある。
1-2. ストリートの言葉がSNSに先回りされる時代
もうひとつ見逃せないのは、**「ストリートの言葉よりも先にSNSのイメージが流通してしまう」**という現象である。
現場での噂話よりも、ゴシップ記事や短い切り抜き動画、文脈を欠いた“考察”が先に拡散される。実際の人間関係やローカルな空気が伝わる前に、ストリートの現実は“コンテンツ”として消費されてしまう。アルバムタイトル『WHAT HAPPENED TO THE STREETS?』は、まさにこの状況への違和感と危機感から生まれている。
制度的な圧力(RICO)、人的な喪失(仲間の死)、メディア的な歪曲(SNS)。この三つが重なった時代において、「ストリートの言葉」は何を失い、何を守ろうとしているのか。アルバム全体が、その問いに対する一つの長い返答として構成されている。
第2章:過去作との比較で見える21 Savageの変化
21 Savageは、同じキャラクターをなぞり続けるタイプのラッパーではない。むしろ、自分が「どの立場から語るべきか」を作品ごとに更新してきたアーティストである。
Metro Boominとの共作『Savage Mode II』(2020)では、彼はまだ「ストリートの怪物」として描かれていた。Metroのホラーコア的なビートの上で、冷酷さとダークヒーロー性を誇張しながら、自らの危険性をエンターテインメントとして提示していた作品である。
続く『american dream』(2024)では、「移民として成功をつかんだラッパー」という側面が前面に出る。多彩なプロデューサー陣を迎えたサウンドはよりポップで開かれ、アメリカンドリームの光と影を自分のストーリーとして描いてみせた [2]。
それに対して『WHAT HAPPENED TO THE STREETS?』は、自己物語のアルバムというより、「時代の記録」としてのアルバムである。Savage Mode期の「黒」、american dream期の「青」と比べるなら、本作の色調は「グレー」に近い。勝者として自分を語るのではなく、勝者になってしまったからこそ見える矛盾や崩壊を、そのままの形で描く。ここで彼は、単なるストリートヒーローから一歩進み、「ストリートの変容を記録する語り手」になろうとしている。
第3章:楽曲で読む三つのレイヤー――帰属/補強/倫理
3-1. 「WHERE YOU FROM」――立ち位置をまず固定する
アルバムの扉を開く「WHERE YOU FROM」は、アトランタ・Zone 6への帰属をあらためて宣言する曲である。NMEのレビューが「territorial(縄張り的)」と評したように [3]、ここで語られているのは単なる地元自慢ではない。
SNS上で誰もが“ストリート”を語り、外側から好き勝手に評価を下す時代に、21 Savageはまず「自分はどこから来たのか」を強く固定する。出自とコミュニティを明示したうえで、その視点からアルバム全体の問いを投げかけていく。最初にこの“帰属”が打ち立てられているからこそ、以降の曲が説教ではなく「内部からの証言」として響くのである。
3-2. 客演は「飾り」ではなく、テーマを補強する声
本作の客演陣は豪華だが、その豪華さは「再生数を稼ぐためのコラボ」という意味とは少し違う。Young Nudy、GloRilla、Drake、Lil Baby……それぞれのラッパーは、アルバムのテーマを別々の角度から補強する役割を与えられている。
「ATLANTA TEARS」でLil Babyと共有しているのは、YSL裁判後のアトランタに漂う、“誰を信じてよいか分からない”という重さである [3]。外側のインターネット空間で“ATLのリアル”が消費されていく一方で、生活の場としてのアトランタでは、信頼と裏切りの感覚がボロボロになっている。その空気感を、同じ街のスターと共に描き出している点が重要である。
「MR RECOUP」でのDrakeとの共演は、Drake vs. Kendrick Lamarの構図が語られる2020年代のラップシーンにおいて、象徴的な意味を持つ [1]。ここで21 Savageが描いているのは、「誰の味方につくか」という浅い話ではない。巨大な音楽ビジネスの中で、どのような関係性を維持し、どのようにキャリアを守るのかという、より現実的でシビアなテーマである。彼にとってDrakeは、ネットの“チーム分けゲーム”を越えた位置にいるのだと分かる。
3-3. 「I WISH」――喪失と倫理を、あえて解決しないまま差し出す
アルバム終盤の「I WISH」は、本作でもっとも重く、もっとも議論を呼ぶ楽曲である。Nipsey HussleやTakeoffといった亡き友人たちへの追悼の感情が込められた曲でありながら、そのサンプル選択によって、聴き手の倫理観を試す仕掛けにもなっている。
WhoSampledなどのデータベースによれば、この曲はR. Kellyの「I Wish」(2000年)をサンプリングしている [4]。しかしR. Kellyは、性的虐待に関する有罪判決を受けた人物であり、その作品の扱いそのものが倫理的な議論の対象になっている存在だ。追悼ソングで彼の楽曲を引用することは、当然ながら賛否を呼んだ [4]。
Rolling Stoneはこの選択について、「喪失を歌うために、誰のレガシーを借りるのか」という問題を提起している [1]。ここで21 Savageは、安全な道を選ぶこともできたはずだ。だが彼はあえて、矛盾を抱えたままのサンプルを選び、その矛盾ごと曲に刻み込む。そこには、「正しい/間違っている」という二択では処理できない感情と現実があることを、あえて露出させる意図が見える。
「I WISH」は、美しい追悼の歌であると同時に、「何を許し、何を許さないのか」「作品と作者をどこまで分けられるのか」という、リスナー自身の倫理観を突きつけるトラックでもある。
第4章:日本のヒップホップシーンとの交差
4-1. 「地元」と「リアル」が、物語として先に消費される時代
『WHAT HAPPENED TO THE STREETS?』が描くストリートの変質は、決してアメリカだけの話ではない。日本のシーンでも、「地元」や「リアル」が音楽より先にSNS上の“キャラ設定”として消費されてしまう構図は、ますます強くなっている。
BAD HOPのラストコンサート『THE LAST DINNER』は、その象徴的な出来事である。川崎という地元性、ローカルからスターダムへと駆け上がった物語、そして解散という決断。彼らの歩みは、音楽と切り離せない「リアル」の積み重ねによって形作られてきたものだ。
しかし同時に、その物語は巨大なエンターテインメントとして消費されてもいる。ドキュメンタリー、ライブ映像、SNS上の語り――それらはBAD HOPの「リアル」を届けると同時に、それをパッケージ化された“コンテンツ”にも変えてしまう。
21 Savageが本作でやっているのは、ストリートをロマンチックに美化することではないし、逆に完全に切り捨てることでもない。**「そこから来た者は、どれだけ遠くへ行っても、何を背負い続けるのか」**という問いを、今の条件の中で鳴らし続けることだ。その姿勢は、BAD HOPが地元との関係性を最後まで大切にしながら、あえて「終わり」を選んだこととも響き合っている。
4-2. 『ラップスタア誕生』と“キャラクター消費”の問題
ABEMAの『ラップスタア誕生』は、日本における「ネット時代のヒップホップ」を考えるうえで欠かせない番組である。ここでは、参加者のラップスキルだけでなく、SNS上での振る舞いやバックグラウンド、ちょっとした発言や態度がすべて“キャラクター”として消費されていく。
視聴者は、短いクリップや切り抜き動画を通じてラッパーの断片的な情報を受け取り、ときにその断片だけを根拠に「リアルかどうか」「好感が持てるかどうか」を判断する。これは、アトランタのストリートを外側から語ろうとするSNS上の“評論家”と、本質的には同じ構図である。
『WHAT HAPPENED TO THE STREETS?』が突きつけるのは、「ストリートはまだ生きているのか」という一次的な問いだけではない。「ストリートという言葉は、ネットに奪われたあとも意味を保てるのか」という、より厳しい問いである。この二重の問いは、日本のシーンにとっても避けて通れないテーマになりつつある。
まとめ:2020年代ストリート・カルチャーのドキュメントとして
『WHAT HAPPENED TO THE STREETS?』は、21 Savageが自らのルーツと向き合いながら、2020年代のストリート・カルチャーが抱える矛盾を記録したアルバムである。
RICO法や移民政策といった制度的な暴力、仲間の死が残す喪失、SNSによる現実の歪曲。そのなかで、「ストリート」という言葉は簡単に使えなくなりつつある。だが同時に、それでもなお消えない何かがあるからこそ、21 Savageはタイトルに「WHAT HAPPENED TO THE STREETS?」という問いを掲げざるを得なかったのだろう。
彼は「ストリートは死んだ」と言い切らない。むしろ、死んだと片付けるにはあまりにも複雑な現実と、そこに生きる人々の痛みや葛藤を、そのままの形で刻み込もうとする。本作は、単なるストリートラップのアルバムではなく、2020年代のストリート・カルチャーを記録したドキュメンタリー/社会批評として読むべき作品である。
ヒップホップを愛するリスナーにとって、このアルバムは「好きか嫌いか」を超えて、自分が何を“リアル”だと信じているのかを問い直させられる作品になるはずだ。
FAQ
Q. 『WHAT HAPPENED TO THE STREETS?』は何曲入りか?
A. Spotifyでは全14曲が収録されている [5]。
Q. 客演には誰が参加しているか?
A. Young Nudy, Latto, Drake, GloRilla, G Herbo, Metro Boomin, Lil Baby, Jawan Harris などが参加しており、いずれもアルバムのテーマを補強する声として配置されている [5]。
Q. タイトル『WHAT HAPPENED TO THE STREETS?』は何を意味しているのか?
A. RICO法の適用、友人たちの死、SNSによる現実の消費といった変化の中で、かつて絶対的だったストリートの価値観や秩序がどう崩れ、どう再構築されつつあるのかを問うフレーズである [1][3]。
Q. 「I WISH」のサンプル問題とは何か?
A. R. Kellyの「I Wish」をサンプリングしていることが、性的虐待で有罪となったアーティストの作品をどう扱うべきかという倫理的な議論を呼んだ [4]。追悼ソングであるにもかかわらず、その矛盾をあえて抱え込んでいる点に、本作の複雑さが表れている。
