水曜日, 4月 2, 2025
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今さら聞けないヒップホップ!米国ヒップホップに貢献した女性ラッパー達について語ろう(中編)

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さて、前編では主に80年代から90年代初頭あたりまで活躍していた女性ラッパーにフォーカスしていたが、中編となる今回からは主に90年代中期から後期にかけて活躍した人物を数人紹介する。

Foxy Brown(フォクシー・ブラウン)

90年代を代表する女性ラッパーの1人であるFoxy Brown(フォクシー・ブラウン)。15歳でシーンに登場し、LL Cool J(LLクールJ)のアルバム『Mr. Smith』の中の『I Shot Ya』のリミックスで、ラップを披露した。彼女は96年にDef Jam(デフ・ジャム)と契約し、同じ年にLil’ Kim(リル・キム)、Total(トータル)、Da Brat(ダ・ブラット)とともに『No One Else』のBad Boy Remixに参加した。この年は彼女のデビューアルバム『Ill Na Na』がリリースされた年でもある。批評家のレビューは賛否両論だったものの売上は好調で、彼女もリル・キムのように自分のセクシュアリティと欲望について率直に語りながらも、尊敬を集めた。

Lauryn Hill(ローリン・ヒル)

Lauryn Hill(ローリン・ヒル)がFugees(フージーズ)のメンバーとして登場した時。そして、彼女のソウルフルな歌声とスキルフルなラップを聴いた時、筆者含め恐らく世界中が衝撃を受けた。1994年のフージーズのアルバム『Blunted On Reality』で初めてローリン・ヒルが世界に紹介されると、瞬く間にスターとして称賛されたのである。フージーズで活動後、ローリンはソロとなり、1998年に『The Miseducation Of Lauryn Hill』をリリースして世間と批評家から大絶賛された。ネオ・ソウルのサウンドと、力強いフェミニストの奥深い歌詞をミックスした彼女は、女性であること、母であること、黒人女性であること、そして音楽業界に内在する複雑さを深く掘り下げた。『Doo Wop (That Thing)』『Everything Is Everything』『Lost Ones』『Ex-Factor』などのヒット曲は、リリース当時と同じように、今日でも新鮮で、美しくて、説得力のある楽曲なのである。ローリンよりも前に先駆者はいたが、彼女によって以後「ラッパー」兼「シンガー」という二刀流アーティスト達が多く出現し始める。

Da Brat(ダ・ブラット)

筆者的に世間で過小評価されていると思う女性ラッパーが、Da Brat(ダ・ブラット)である。彼女が初めてブレイクしたのは、故郷のイリノイ州シカゴで行われた Yo! MTV Raps主催の地元コンテストで最優秀賞を受賞したときだ。その報酬は大人気のラップデュオ、Kris Kross(クリス・クロス)との出会いで、彼らは彼女をプロデューサーのJermaine Dupri(ジャーメイン・デュプリ)に紹介し、彼女を自身のレーベルSo So Defと契約させた。デュプリは当初、ダ・ブラットを「女性版Snoop Dogg(スヌープ・ドッグ)」にしようと考えており、彼女は自分の人生について率直に語った最初の女性ラッパーの1人となった。ダ・ブラットのデビューアルバム『Funkdafied』は1994年にリリースされ、ラップアルバムチャートで 11 位にランクインした。アルバムはプラチナディスクとなり、彼女は100万枚を売り上げた最初の女性ソロラッパーとなった。

Lady of Rage(レディ・オブ・レイジ)

西海岸のラップシーンを語る上で外せないのが、Lady of Rage(レディ・オブ・レイジ)である。バージニア生まれでロサンゼルスを拠点とするこの女性ラッパーは、数多くの重要なラップムーブメントの中心人物であった。彼女は、Dr. Dre(ドクター・ドレ)やスヌープ・ドッグの代表作である『The Chronic』や『Doggystyle』など、デス・ロウ・レコーズのアーティストのアルバムに欠かせない存在であった。彼女のアルバムリリースが2Pacのアルバムリリースによって頓挫したのは有名な話である。ラップの世界を離れて女優になる前、レディ・オブ・レイジはGang Starr(ギャング・スター)のプロジェクトにも出演し、LLクールJのヒット曲を数曲プロデュースしたL.A. Posse(L.A. ポッセ)ともプロデュース契約を結んでいた。

Lil’ Kim(リル・キム)

2005年以降新曲を出してはいないが、Lil’ Kim(リル・キム)あたりから50の言う「性的すぎる」女性ラッパーが台頭しだしたように思う。だが、彼女は90年代に暗黙の了解で存在していた「女性ラッパーは男性的な威勢のよさを持たなければならない」というパラダイムを捻って、フェミニンな路線を確立した。ミンクとダイヤモンド、レース、ランジェリーをまとって大股開きのアルバムジャケットを披露したキムは、あえて女性的な性的美学を受け入れた。「私はいつも超セクシーで女らしかった」と彼女は2014年にビルボードに語っていた。「私のレコード会社は、女性ラッパーがセクシーであることを理解してくれなかったの。彼らは私がMCライトのように、スウェットスーツを着たり、彼女のように振舞ったりする必要があると思っていたのよ」リル・キムは、女性ラッパーの型に合わせるために変わるのではなく、自身のセクシュアリティを倍増させ、駆使し、男性社会で堂々と自らを力づけたのだ。

Charli Baltimore(チャーリー・ボルティモア)

Nortorious B.I.G.(ノートリアスB.I.G.)関連の女性ラッパーをもう一人紹介する。自身の芸名を、映画『Long Kiss Good Night(ロング・キス・グッドナイト)』のGeena Davis(ジーナ・デイビス)の役から取ったCharli Baltimore(チャーリー・ボルティモア)は、ビギーと出会い、恋愛関係になって音楽キャリアをスタートさせた。デビュー当初ビギーに助けてもらっていたリル・キムと異なり自身でリリックスを書いていた彼女は、ビギーとの交際が始まって数か月後自分が書いたラップのラインを留守番電話に残したそうだ。彼はすぐに彼女の天性の歌詞の才能に気づき、そこからボルティモアはラップ界の常連となり1999年に唯一のスタジオアルバム『Cold As Ice』をリリースした。

Trina(トリーナ)

現在は地元マイアミのラジオ局で番組を持っていたり、実業家として活躍していてめっきりヒップホップの表舞台に姿を見せなくなってしまった女性ラッパーを紹介しよう。1998年、不動産免許の取得を勉強していたTrina(トリーナ)は、マイアミのラッパーTrick Daddy(トリック・ダディ)の目に留まり、偶然にも彼の曲『Nann Ni__a』に出演するよう誘われた。この曲はトリックの2枚目のスタジオアルバム 『www.thug.com』のリード シングルとして1998年にリリースされ、ラップソングチャートで3位を獲得した。このフィーチャリングがトリーナのキャリアのスタートとなり、レコード契約が結ばれた。2年後、彼女はデビューLP『Da Baddest Bitch』をリリースし、その後ラッパーとしてのキャリアを築き上げたのである。

Mia X(ミア・X)

南部のラップ好きなら外せないのがMia X(ミア・X )の存在である。彼女は、Master P(マスターP )のNo Limit Records(ノーリミット・レコーズ)と契約した最初の女性ラッパーであり、その後、南部のギャングスタラップの母と呼ばれるようになった。ソロ作品以外にも、マスターP やSilkk the Shocker(シルク・ザ・ショッカー)など、ノーリミットのアーティストと数多くのコラボレーションを行っており、ルイジアナの代表的なアルバム『Ice Cream Man』『Ghetto D』『Charge It 2 Da Game』等でコラボレーションしていた。その後、時折メンターのマスターPやノーリミット陣と活動しながらも、現在はオリジナルの調味料を販売したり料理本を出したり、慈善活動や実業家として成功を収めているという。

(後編に続く)

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