木曜日, 4月 3, 2025
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今さら聞けないヒップホップ!オールドスクールとニュースクールのラップスタイルの違いについて

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コメディアンデュオのKey & Peele(キー&ピール)のスキットで、おっさんが若めのDJに「オールドスクールの曲をかけて欲しい」ってリクエストする話があってね。DJが「Biggie(ビギー)?2Pac(トゥーパック)?Wu-Tang(ウータン)?NWA?」って聞くと「俺が子どもに見えるのか?オールドスクールだよ!」って苦情言ってて、「じゃあRun DMC(ランDMC)か?オールドスクールだよな?Grandmaster Flash(グランドマスターフラッシュ)か?Sugarhill Gang(シュガーヒルギャング)か?」ってたずねてもそうじゃない、と。でブチ切れたDJが「自分で曲を探してくれ!」って休憩に行っちゃったんだけど、そこでおっさんが見つけてかけたオールドスクールのレコードが、50年代とか60年代とか古い古い曲だった、っていうオチなんだけど。Threadsで「オールドスクールとニュースクールの違いについて教えて欲しい」というリクエストがあったので、この二つについて今回は記事を書いてみようと思う。

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オールドスクール

オールドスクールラップは、70年代後半から80年代前半にニューヨークで出現した最初のラップアーティストのスタイルを呼ぶんだ。具体的には1979年~1983年の間を指すそう。比較的シンプルなラップが特徴で、殆どのラインがほぼ同じ時間を占めて、言語のリズムが曲のビートに合わせてひねられることは滅多に無かった。通常リズムはビートに合わせて正確に変化し、そうでない場合も長時間変化することはなく、元のパターンに戻って演奏される。強調されたのはリリカルなテクニックではなくて、単に楽しい時間だった模様。ラップの視野を大きく広げたGrandmaster Frash(グランドマスターフラッシュ)のような社会意識の高かった例は別として、殆どのオールドスクールラップにはブロックパーティーやダンスの楽しい遊び心の要素を多分に含んでいたんだ。当時、グランドマスターフラッシュ、the Furious Five(ザ・フューリアスファイブ)やシュガーヒルギャングらが高い知名度を獲得していた。オールドスクールの曲の中にはディスコやファンクスタイルのトラックで演奏されるものもあれば、シンセサイズされたバッキングをフィーチャーするものもあったそう(後者のタイプはラップの有無にかかわらずエレクトロとして知られていた)。オールドスクールラップの歴史は1979年の2枚のシングル、Fatback(ファットバック)の「King Tim III(キング・ティム III)」とシュガーヒル・ギャングの「Rapper’s Delight(ラッパーズ・デライト)」から始まった。Sugarhill Records(シュガーヒルレコーズ)はすぐにオールドスクール ラップの中心地となり、Run-D.M.C.(ランD.M.C.) が登場するまで市場を独占したんだ。

ニュースクールとゴールデンエイジ(黄金時代)

ニュースクールラップの定義は、実はものすごく曖昧であることが判明したよ。オールドスクールがきっちり始まりから終わりまで年代で表記できるのに対し、ニュースクールは紹介している人やサイトや文献によって、違うんだよね。もしかしたら正直きちんと「定義づけ」されていないのかもしれない。ただ、分かっていることはニュースクールの始まりで、上記の通り1983年~1984年あたりのRun-D.M.C. (ランD.M.C.)の初期のレコードから始まったんだって。サイトや文献によっては、革新的で多様性に富んだ高品質のヒップホップ音楽の波が特徴的だった1988年~1995年までを「Golden Age(黄金時代)」と呼んでいる。一応この記事ではカーネギーホールのタイムラインを参考にしようと思う。

ニュースクールは当初、ミニマリズムを中心としたドラムマシンによって特徴づけられ、時にロックの要素を帯びていたんだ。リリックの内容は、①ラップに関するからかいや自慢、または②社会政治的な論評が目立っていた。どちらのスタイルも攻撃的で自己主張のあるスタイルで行われていたそう。これらの要素は1984年以前に流行したアーティストのファンクやディスコの影響を受けた衣装、斬新なヒット曲、ライブバンド、シンセサイザー、パーティー系のライミングが特徴的なオールドスクールとははっきりと対照を成した。ニュースクールのアーティストの楽曲は、オールドスクールのアーティストよりもラジオで頻繁に流れ、よりまとまりのあるLPができる短い曲を作成した。彼らのリリースにより、1986年までにはヒップホップアルバムが市場の定番として確立され始めたんだ。ニュースクールの音はドラムマシンがサンプラーテクノロジーで強化されたから曲の制作はより高密度になり、韻を踏むようになって、ビートが速くなったんだよ。以前紹介したRakim(ラキム)はラップの芸術についての歌詞を新たな高みに引き上げて、KRS-One(KRSワン)とChuck D(チャックD)は「コンシャスラップ」や「メッセージラップ」を推し進めた。今年のグラミーで生涯業績賞を受賞したRoxanne Shante(ロクサーヌ・シャンテ)、筆者も好きなSalt-n-Pepa(ソルト・ン・ペパ)、MC Lyte(MC ライト)、Queen Latifah(クイーン・ラティファ)などの女性ラッパー達は黒人女性の視点でのラップをファンに紹介し、彼女らが男性と同じくらい熟練し商業的に成功していることを証明したんだよ。Public Enemy (パブリックエネミー) や N.W.A. の混沌としたサウンドは、ハードコアとして知られるようになった。その後、西海岸のギャングスタラップが商業的に優勢になり、特に90年代初頭までにGファンクのリラックスしたサウンドが出現する。このハードコア、ギャングスタラップが1990年代の大部分を通じてヒップホップのサウンドスケープを支配していたけど、21世紀にはこのギャングスタが引き継がれてMaster P(マスター P)、50cent(50 セント)、T.I. のスタイルに影響を与えたんだ。にもかかわらず、R&B やファンクの要素とヒップホップのビートを融合したハイブリッドな作品など、90年代はさまざまなスタイルが共存していた。Lauryn Hill(ローリン・ヒル)、De La Soul(デ・ラ・ソウル)、A Tribe Called Quest(ア・トライブ・コールド・クエスト)、Gang Starr(ギャング・スター)などのアフリカ中心の意識の高いラッパーは、ミックスにソウルやジャズのサンプルを好んで使用していたよ。で、1990年代半ばから2010年代半ばにかけて、ニュースクールからKanye West(カニエ・ウェスト)に代表される21世紀のヒップホップメインストリーム時代に移行したんだ。

上記のおっさんと若いDJのように、「オールドスクール」の定義は存在していても、その人によって何が「オールド」なのか「ニュー」なのか時間軸の捉え方が違うんだなって筆者は時々感じるんだよね。これをリサーチしていて、特にニュースクールの定義の曖昧さには驚いた。そもそも「オールドスクール」ってワード自体、スラングで「古風・古めかしい」とか「モダンではない」って意味だから解釈もますます曖昧になっているような気がする。実際、現存する90年代全盛期だったOGラッパーも自身の時代を「オールドスクール」と呼んでいたり、「オールドスクール」とラベリングされた音楽プレイリストにLudacris(リュダクリス)やKanye West(カニエ・ウェスト)が入っていたり。おいおい、どこまでがオールドなんだと突っ込みたくなる時が多々あるよ。いずれにせよ、こうやって建前上は定義しといたので、少しは理解が深まってくれると嬉しいな♪ということで、現場からは以上です。

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