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Young ThugがGunnaをディスし続ける危うさとはなんのか? ― DJアカデミクスが警告をする
Young ThugとGunnaの確執の深まり
アトランタを代表するラッパーYoung Thugだが、皆さんはここ数年にわたりGunnaとの関係を完全に失ったのは知っているだろうか?両者はかつてYSLの仲間として活動していたが、Gunnaの司法取引をきっかけに関係は悪化。最新作『The Last Wun』では、その過去を匂わせるリリックが盛り込まれたと解釈され、ファンの間で議論を呼んでいる。さらに、Lil Babyの次作に収録予定とされるThugのバースがリークされ、そこでは「故Keith Troupとの繋がりが唯一の友情の理由だった」と暗示されている。
https://open.spotify.com/album/6l2aad6LJghHkbd0KX1f7w?si=ljE3aRVSR4iBh-sPEF2cCA
https://hiphopnewscs.jp/2025/03/30/young-thug%e3%80%81playboi-carti%e3%81%a8%e3%81%ae%e6%af%94%e8%bc%83%e3%81%ab%e6%bf%80%e6%80%92%e3%80%82%e3%80%8c%e3%81%a9%e3%81%93%e3%81%ae%e3%82%bd%e3%83%95%e3%82%a1%e3%81%8b%e3%82%89%e3%83%84/
DJアカデミクスの見解
https://www.instagram.com/reel/DNb7OsrMwJR/?ig_mid=BE168859-25DB-445D-9C1D-02EF778B6486&utm_source=igweb
この動きに対し、米ヒップホップ界の論客であるDJアカデミクスが反応した。彼は自身の配信で「Young ThugがGunnaを攻撃し続けても何も得られない」と発言。
「告発したかどうかなんて俺は気にしない。6ix9ineは俺の仲間だ」と語り、6ix9ineが司法取引後に「なぜ自分は徹底的に排除され、Gunnaはそうならないのか」と不満を漏らしていたことを明かした。そしてアカデミクスは「Gunnaは挑発的ではなく、ストリートの人間にも受け入れられる立ち回りをしている」と指摘した。
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ファンは何を求めているのか
アカデミクスの主張は明確である。平均的なファンは「誰がスニッチか」という点にさほど関心を寄せていない。求められているのは新しい音楽であり、彼は「ファンは永遠には待たない」と警鐘を鳴らした。
Young Thugは現在『UY Scuti』のリリース準備を進めているとされる。これは出所後初のアルバムであり、2025年の最注目作のひとつである。しかし、その収録曲にGunnaが参加する見込みは薄い。かつての仲間同士が再び手を取り合う未来があるのか、シーン全体が注目している。
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VIA
【速報】Kid Cudiがドレイクについて暴露!「倒れてる時に蹴られるような気分だった」──因縁と謝罪、そして絶縁の真相
ドレイクのディスで始まった深い溝
2016年、ドレイクが楽曲「Two Birds, One Stone」でKid Cudiをディスしたのを覚えてますか?実はこの時、Cudiはメンタルヘルスの治療でリハビリ施設にいたんです。Cudi本人いわく「俺が一番しんどい時に後ろから蹴り飛ばされた感じだった」とのこと。ヒップホップファンの間でも「さすがにやりすぎでは?」って声が多かった事件です。
そんなキッド・カディは、米オハイオ州クリーブランド出身のラッパー/シンガー/プロデューサーです。メロディとハミングを多用する内省的な作風で知られます。代表曲は「Day ’n’ Nite」「Pursuit of Happiness」。デビュー作『Man on the Moon: The End of Day』で評価を確立しました。うつや不安を正面から語る姿勢がZ世代まで広く響いています。
この一件は、ヒップホップシーンでも大きな波紋を呼びました。
https://twitter.com/XXL/status/1955721825486283146
https://hiphopnewscs.jp/2025/05/25/young-thug%e3%81%8ckid-cudi%e3%82%92%e3%80%8c%e3%83%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%80%8d%e3%81%a8%e9%9d%9e%e9%9b%a3%e3%81%97%e8%bb%8a%e3%81%8c%e7%88%86%e7%a0%b4%e3%81%95%e3%82%8c%e3%82%8b%e3%80%81diddy/
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カニエ・ウェストが和解の場を設定
数年後、状況が大きく変わります。2018年、Cudiがリハビリを終え回復期に入ったタイミングで、カニエ・ウェストが両者を会わせました。カニエの仲裁がなければ、二人が面と向かって語り合うことはなかったと言われています。(現在は暴走中。。)
カニエがいなかったら、この二人が直接話すことは絶対になかったでしょうね。ドレイクまさかの謝罪「あれはやっちゃダメだった」で、実際に会ってみるとドレイクが意外にも素直に謝ったらしい。「あの曲のことは後悔してる、やるべきじゃなかった」って。Cudiの最新の回想録で明かされた話なんですが、これでお互い水に流すことに。その証拠に2021年のドレイクのアルバム『Certified Lover Boy』で「IMY2」っていう曲でコラボまでしてるんです。
しかし再び距離が生まれる
和解後、二人は公の場で絡むことはほとんどなくなりました。Cudiは「心の整理はついた」と語っていますが、ドレイクとの友情が完全に復活したわけではありません。一度はビーフを乗り越えたものの、現在は再び連絡を取っていない“事実上の絶縁状態”といえます。
ドレイクとCudiの物語が示すもの
この話、ヒップホップの世界の友情とか裏切りとかの複雑さがよく表れてますよね。ドレイク、Kid Cudi、カニエの三角関係も含めて、ファンとしては今後の動きが気になるところ。また仲良くする日は来るのか、それとも完全に別々の道を歩むのか…。
VIA
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リル・ヨッティ、未発表曲の歌詞でジョージ・フロイド氏を侮辱か…からの大ドンデン返し
Sei -
最近よく取り沙汰されている、アトランタ出身のラッパー達。今回はLil Yachty(リル・ヨッティ)がやり玉に挙げられている。なんと彼は、George Floyed(ジョージ・フロイド)氏の死を暗示する物議を醸す歌詞を披露し、世間から猛烈な批判を浴びているのだ。
故ジョージ・フロイド氏に無礼な歌詞
Plaqueboymax(プラクボーイマックス)とのストリーミング配信で、ヨッティはConcrete Boysと共同で近日リリース予定のプロジェクト、『It’s Us Vol. 2』から未発表曲を披露した。その曲には、なんと「Put my knee up on her neck, I went George Floyd.(膝を彼女の首に乗せて、ジョージ・フロイドにしたのさ)」という歌詞が含まれていたのだ。
ファンもスティーブン・ジャクソンもおかんむり
さーてさて、この発言。リル・ヨッティのファンも、そして、ヒューストンでフロイドと一緒に育ったNBAの伝説的プレイヤーのStephen Jackson(スティーブン・ジャクソン)をも激高させた。
「てめぇらバカにかまわねぇようにしてるんだが、難しいんだよ」とジャクソンはSSNで語っている。「リル・ヨッティ、ブラ。あんたはイカしてる。だがジョージ・フロイドの名前を出して、バーで奴の名前を使用して、お前のイカした音楽をみんなが気に入ってくれると思ってんのか、マイ N____?弱ぇんだよ。N___、死者を貶めて、それがクールだって言ってんのはお前らの時代(世代)だけだ。そんなもんクールじゃねぇんだよ。俺とサード・ワードの全員とテキサス州ヒューストンの全員が、Gマン(ジョージ・フロイドのG)の後ろにいる。絶対にあいつの名前を言うじゃねぇ。お前ら誰もGを知らねぇ。あいつについて何も知らねぇ…やってることが弱ぇんだよ、ヨッティ。家族を死なせたらどうだ。俺らはそれについてスキットするつもりだ。こういうクソができるのは、てめぇみたいなイカれたサンボ野郎だけだ」
このジャクソン氏。過去にも、ジョージ・フロイド氏に関する発言でカニエ・ウェストを批判したことがある。ジャクソン氏はフロイド氏とその家族と親しい友人であったが、ここら辺でこの事件を知らない方のために、軽くジョージ・フロイド事件のおさらいをする。
ジョージ・フロイド事件のおさらい
2020年5月25日に発生したジョージ・フロイド事件。ミネソタ州ミネアポリスで逮捕された46歳のアフリカ系アメリカ人男性、ジョージ・フロイド氏が死亡した事件で、現場にいた人物が撮影した動画には、白人警察官のDerek Chauvin(デレク・ショーヴィン)が、手錠をかけられうつ伏せにされたフロイド氏の首を長時間膝で押さえつけている様子が捉えられていた。その間、彼は息ができないと繰り返し訴えていた。この事件は、警察の暴力と組織的人種差別に対する広範な抗議を引き起こし、ショーヴィンは殺人罪で有罪判決を受けた。このビデオは警察の暴力と人種差別に対する広範な怒りと抗議を引き起こし、世界中でかの有名な、Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)運動を加速させた。
そして今回は、同じマイノリティであり黒人のヨッティが、同じブラザーのフロイド氏についてラップで言及(消して良い意味では無く)した、という事が問題の論点となっている。
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ジョージ・フロイドの家族もおかんむり
ジョージ・フロイド氏の弟Terrence(テレンス)氏は、リル・ヨッティや他の人たちは、彼について発言する際には注意すべきだと語っている...なぜなら、彼の死は依然としてデリケートな話題であり、家族に今も傷と動揺を与えているからである。また彼は、2020年と2021年にジョージの死が世界中で抗議の波を引き起こした際、リル・ヨッティは注意を払っていなかったに違いないと述べ、ヨッティには文化と歴史の再勉強が必要だと語った。
シャラメイン・ザ・ゴッド:言論の自由は認めるが、それに追従する結果からは自由になれないぞ
これは、無知からなのか、若気の至りからなのか…。現在27歳のヨッティはオープンな性格で、人の意見や感想をあまり気にしない強い個性の持ち味だが、頭も良いし決して不誠実な人間じゃない…ような気がする。
筆者も定期的に視聴している『The Breakfast...
inteview
【HIPHOPCs独占インタビュー】サウスにコネクションを築いた唯一の日本人ラッパー──Cz TIGERとレジェンドBun B(UGK)“Let’s Get To It”制作秘話
アメリカ南部、いわゆる“サウス”に足を踏み入れること。普通の感覚じゃ「行きたくない」と思う空気があると思う。そんな空気に、“HIPHOPファン”としてではなく“同じ目線で”飛び込みコネクションを築いた日本人が何人いるのか。
https://youtu.be/EydIfdtHODA?feature=shared
英語が通じると思ってる人は多いが実際、サウスでは「英語」ではなく「訛り(スラング)」が支配しているし、そもそも英語が通じないところもある。
他の地域なら、すでに多くのアジア系が暮らしていて、音楽カルチャーに参加する入り口は多いのも事実だろう。
https://youtu.be/NqtVgabWVkc?feature=shared
King Von がATLのクラブ外で、Quando Rondo関係者との口論から銃撃戦になり、亡くなった抗争も如実に土地柄を表していると感じる。
Bun Bは、Pimp Cと共にUGKとして全米チャート1位を獲得
彼はUGK(Underground Kingz)という伝説的デュオの一人として、1980〜90年代からテキサス州ポートアーサーを拠点に、南部(サウス)のリアルを叩きつけるラップで地位を築いた。つまり、南部ヒップホップの土台を作り、Jay-Zすらもリスペクトを表明するリアルと知性を兼ね備えた南部の王者である
https://youtu.be/Cgoqrgc_0cM?feature=shared
https://youtu.be/CQL-IFEk6hw?feature=shared
Bun B、まさにアンダーグラウンドのキング
その意味の重みは関わった人間にしかわからないからこそ、Cz TIGERがBun Bやその他のラッパーと築いたとコネクションや信頼は、日本のヒップホップ史上でも極めて特殊で異質だと言える。多くのリスナーは気づいているのだろうか
そしてそんなCz TIGERさんに今回は貴重なインタビューをさせていただいた。
インタビュー・Bun B(UGK)との出会いについて
Cook:Bun B(UGK)といえば真のレジェンドですよね。出会いについて是非教えて頂きたいです!どんなエネルギーを感じましたか?
Cz TIGER : 今までコラボした海外アーティストの人とは制作する曲の意見交換とかVibesを会うなり、どうしても会えないならビデオ通話で制作を進めてきました。
Bun B ( UGK ) に限っては当時中学の頃から聴いていてかなりのファンだったので例外で、僕のことをデビューする前から応援してくれてた DJ 3cho から電話が来て...
【HIPHOPCs独占インタビュー】DJ2high、Snoopに一番近い日本人DJが、盟友の死、キャリアについて語る!【後編】
Sei -
前編に続いてDJhighさんのインタビュー後編もお届けする。
https://hiphopnewscs.jp/2025/05/31/【hiphopcs独占インタビュー】dj2high、西海岸のレジェンド/
https://www.youtube.com/watch?v=2FStXxZMV9w
兄弟と呼ぶ、イラストレーターのJoe Coolについて
SEI:昨年7月に亡くなられたSnoop(スヌープ)の『Doggystyle』アルバムデザインで有名なHip-hopイラストレーターのJoe Cool(ジョー・クール)さんとも仲が良かったと聞きました。彼との逸話などシェアできるものがあればお願いします。
2high:ジョーは、ねぇ…(ちょっと涙目になる)。兄弟だからね、俺の。いっぱい稼がしてもらったし。出会いは前編にも話した1996年の絵を描いてやる、ってあの時なので合計29年のお付き合い。いきなり電話きてすごい勢いで「てめ〜あの時のお金まだ払ってね〜だろ」ってありもしない文句を言ったと思うと、直後に「嘘だよ、愛してるぜ」ってイタズラ電話がかかってこないのが寂しいね……あれは定番のお箱ギャグだけど、初めは何のこと言ってるか理解できないし逆にお金前払いしたのに貰ってない作品ありますけど、ってなった。
SEI:アメリカに来た時も、ポケモンとかあの時代にも会っていたんですか?
2high:いいえ、あの時彼は刑務所にいたので。濃ゆい付き合いは、彼が刑務所出たばかりの頃でね。2005年のDPG JAPAN設立したときに、ロゴ描いてもらってから俺が俗に言うパトロンだったよね。この20年で相当ジョーにはお金落としたと思うよ。
SEI:壁の絵はジョーさんのですか?
2high:他の絵も見る?(とアルバムを取り出してきてくれる)
2high:この絵は、左がスヌープで真ん中は俺で、右がBo Roc(ボーロック)で、下のロゴを未だによく使ってる元の原画。
SEI:めちゃくちゃカッコいい!
2high:これは、スヌープの『Doggystyle』のジャケットに出てきてるキャラクターが20数年後の現在、何をしてるかって絵を注文して描いてもらった。壁の上に居た3匹の犬のキャラと、お巡りさんと、犬小屋からお尻出てた女の子も登場して、みんなで仲良くやってるの図。
SEI:出てきてるキャラで描いて下さったんだ。すごいおいしいなぁ。日本で個展やったら結構人気でそうですよね。彼の話に戻りますが、やはり寂しいですか?それだけ日常的に話をしていた友人だったんですよね?
2high:親友の中の親友だったのでね、最近僕が参列したお葬式の中で一番精神的に応えました。彼のお葬式で配られたパンフレットに僕が撮影した写真が1枚2枚じゃなく沢山使われてた事や、彼の元嫁さんにジョーは沢山友達がいたけど親友って言える親友は指で数えれるしかいなかった中、確実に2highがそのうちの一人だって言われてとても光栄です。
SEI:辛いお話、ありがとうござます。なんかしんみりしてしまいましたね。
2high:最近出したスヌープのこの新曲でジョークールの話出てきて泣いてしまったよ。
https://youtu.be/e54wRZNxjec?si=6rxPgWgbeUD2F7BE
CoolioのバックDJだった時のエピソード
SEI:あの、Coolio(クーリオ)さんのバックDJもされていたじゃないですか?そこの繋がりも教えて欲しいって質問があったんですが。
2high:最近亡くなってしまったDJ Fatbox(DJファットボックス)ってDJがいたの。彼が元々ずっとクーリオのDJだったんだけど、クーリオとファットボックスが日本に来るたびに、俺は彼らにコンタクト取って、ホテルでビート作ったりとかやってて。なのでアメリカ行く前から日本で接触はしていたの。それで僕がアメリカ来てからすぐのタイミングで、ファットボックスがクーリオのDJを解雇されて、その後釜で僕が後任された流れです。今よく思い出すとアメリカに来てはじめてお給料くれて雇ってくれたのが、クーリオだったね。感謝です。
DJ2highの名前の由来
SEI:DJ2highさんのお名前の由来は?
2high:俺17歳の時KSRってレコード会社を設立したんだけど、その時Def Jam(デフ・ジャム)ジャパンが立ち上がったタイミングでもあって、現地からスタッフが自分のオフィスに遊びに来てくれた時に、俺が事務所の中でバンバン吸ってるから「Damn You too high, huh?(すげーハイだな)」って言われて、それからかな。でも後々に…てか、最近スヌープから「YOSHIって名付けたのに。なんで俺がつけた名前を変えるんだ!」って怒られた(笑)
Damian Marleyとの縁
SEI:確かに…でもYOSHIじゃなくて良かったと思います。ありがとうございます。あの、Damian Marley(ダミアン・マーレ―)のツアーのアフターパーティーに行っている写真を見たんですけど、その繋がりを教えてください。
2high:ジャマイカを拠点に活動してる岡本まい…通称おかまいさんの繋がりです。彼女Bob Marley(ボブ・マーレ―)のミュージアムの隣に住んでて。ダミアンと超仲良いのでその流れです。Dubplate(ダブプレート)って知ってますか?
SEI:存じ上げません。
2high:ヒップホップのDJがバトルをする時って、スクラッチをしたりとか、レコード2枚使って技の競い合いで、レゲエではサウンドクラッシュって言うのですが、あれが俗に言うレゲエの世界でのバトルなんですね。そしてサウンドクラッシュの鍵となるのが、ダブプレートなんですが、ダブプレートっていうのは、要するに有名なヒット曲をその本人を捕まえてDJスペシャル…例えば2highスペシャルを作ってもらうんですよ。その有名な曲を、そのDJのための特別にリミックスをしてもらう、っていう文化。それを、どういうタイミングでどういう風に流すかによって、すごい盛り上がったりとか下手なプレーしたらブーイング喰らう世界。そこで登場するのが特別なKilltune(キルチューン/殺しネタ)っていうのがあって。バトルで相手を馬鹿にして音楽で殺すわけですよ。なのでキルチューンと言います。(ここでオリジナル曲と、バトル用のカスタムキルチューンを流して違いを教えてくれる)
https://soundcloud.com/dj2high/nice-to-kill-you-j-boog-dub
https://soundcloud.com/dj2high/summer-time-in-the-lbc-dj2high
で、ダミアン・マーレ―の話に戻るけど、ジャマイカはダブの文化が浸透してるので、比較的色々なアーティストを録音することは難しくないんだけど、彼のダブプレート撮ることって、お金だけでは全然動かなくって、ダミアンのダブセッションって年1あるかないかのすっごいレアな機会なんだけど、そこの枠を持ってるのが『おかまいさん』なんです。彼女がLAに来た時に、ダミアンもたまたまタイミングよく居て…その時の写真かと思います。
SEI:これは読者さんの質問なんですが。DPGアルバム版、日本で買いやすい方法を教えてください。あと、日本で公演してくれないんですか?
2high:昔はシスコさんとお付き合い合ったのでシスコが流通してくれてたんだけど、潰れちゃったから、マンハッタンさんご連絡お待ちします。公演はバーチャルで良ければ、ブッキングしてください!
Twinz、The Dove ShackとSnoopの『We'll Miss You』
SEI:1997年のTHC『Let me shine』を皮切りに、28年間様々なアーティストのプロジェクトに参加されております。印象深かった作品や影響を受けたアーティストはいらっしゃいますか?
2high:影響を受けたのはTwinz(ツインズ)とThe Dove Shack(ダブシャック)だよね。曲作りで一番影響受けたのがBattlecat(バトルキャット)先生。作った中の作品で感深いのはねぇ、スヌープの『We’ll miss you』。
あれ、Uncle...
【HIPHOPCs独占インタビュー】DJ2high、西海岸のレジェンド日本人プロデューサーがぶっ飛び半生を語る【前編】
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『Cali Jap』を爆音でかけながら車を運転し高速道路の110を北上すると、蜃気楼のようにロサンゼルスダウンタウンのビル群が浮かび上がって見えてきた。生憎の曇り空だったが、気温を見ると23度と思いのほか心地よい。世間はメモリアルデーの連休だが、その最終日の昼下がり。日本を代表する西海岸のレジェンドプロデューサー、且つ日本人唯一のDogg Pound(ドッグ・パウンド)メンバーのDJ 2highさんが指定したスタジオ兼自宅に向かった。もちろん目的は独占インタビューだ。
DJ 2highという漢(おとこ)のサバイバル半生
ウィキペディアにも彼の情報が断片的に載ってはいるが、かのSnoop Dogg(スヌープ・ドッグ)に見いだされ、Dogg Pound(ドッグ・パウンド)の唯一の日本人メンバーであり、そして西海岸のヒップホップ業界に誰よりも精通している御仁だが、そのベールは謎に包まれている。約束の時間に到着すると、スキンヘッド、且つタトゥーだらけで一見強面の2high氏が満面の笑みで迎え入れてくれた。彼のスタジオの壁には、ラッパーやスターウォーズのフィギュア、サイン入りのTシャツ、そして何よりも後述するJoe Cool(ジョー・クール)のイラストがところ狭しと飾られていた。部屋の奥に、パソコンやらキーボードやらの曲作りの機材が置いてある。差し入れたタコ焼きをつつきながら、インタビューは始まった。
SEI:HiphopCsのインタビューをご快諾頂き、ありがとうございます。業界では有名でいらっしゃいますが、一応HipHop若葉マークの読者のために、簡単な自己紹介をお願いいたします。
2high:DJ2high(DJ・トゥーハイ)です。簡単に紹介すると、日本人で唯一のDPGメンバーですね。というか、黒人以外で誰もいないんですよ。スタッフとかカメラマンだったりとかではいるけど、DPGだっていうスタンプは押されていないから。
SEI:18歳からコンプトン、ロングビーチなど旅行者は近づかないような場所を拠点としてWestsideのカルチャーに溶け込んでいくにあたって苦労した点や、危険な目に遭った話などを教えてください。
2high: 僕は元々、音楽もそうなんですけど靴屋をやっていたタイミングがあって、それの買い付けでしょっちゅうLAに来ていたんだよね。買い付けをしながら、レコードもDigしてたんだ。靴屋さんの時僕16だったんだけど、当時はNIKEのAirMAX95の黄色が何故か流行ってて、それを履いているとカツアゲされて俗にいうMAX狩りがあったあの頃です。僕らのお店で当時の販売価格が黄色が25万、パープルが38万!そういう事やってた時にLAに来まくっていてコンプトンだったりとか…。その靴屋のパートナー(社長)箱崎さんが『Indoor』って洋服屋さんやっていて、今も横浜にある老舗なんだけど。ウェストコーストのカルチャーの洋服を売っている所だったから、コンプトンとかに行って調達するわけです。そこについて行っていたから、入りはそこです。
こっちに来たばっかりの時に、よくコンプトンのブロックパーティーとかハウスパーティーみたいなのやってて、そういうとこでよくDJとかやっていたんだけど。そういう時とかは、色んな事あったかなぁ…パンッパンッパン!みたいなのとか。それがしょっちゅうだったし。やれば喧嘩になってビールの瓶を投げあったりとか。
SEI:その当時、赤とか青とか抗争が激しかったと思うんですけど、その関係とかですか?
2high:あ、僕ね一緒にいた連中DMKってグループのTagger(タガー)の集まりだったの。その時はキキ・スムースの家に滞在させてもらってた。わかりやすく言うとストリートのグラフィティ描く集団、やってることはギャングの連中と変わらないね。だからやっぱりギャングバイオレンス多かったな…。98年に僕がこっちにきて仲良くしてたイメルダって子が〇ろされちゃったんだ。その子もイケイケだったから、パーティーで彼女から拳銃出したんだけど。そしたら返り討ちで〇られちゃて。それからね、そこが引き金になってもう弔い合戦じゃないけど色々ハードな状況が続いて、その時に自分が住んでいた家に5匹犬がいたんだけど、5匹とも〇ろされちゃった。ガードドックだったから、これヤバいなって思って僕コンプトンからロングビーチに引っ越したの。
SEI:すごいハードコアだ!(笑)
2high:そのイメルダを〇したのは、イメルダのBaby Daddy(ベイビーダディ…子どもお父さん)の兄弟なんだけど、そのベイビーダディが滅茶苦茶不良で刑務所出たり入ったり出たり入ったりしてる奴で、最後に捕まったタイミングで国選弁護士がついたんだけど、そいつはF〇ck the Worldみたいな世界観の人だったから弁護士にも態度悪くて、弁護士も良い仕事しなかったんだよね。そしたら彼は何をしたかというと、刑務所から剃刀の刃を瞼の中に隠してそれで刑務所から裁判所までずっと隠したまま行って、裁判始まった瞬間にその剃刀で自分の弁護士を#O@&$して(爆笑)。ニュースにもなってるんだけどね。このベイビーダディだけど、2年くらい前に(監獄の)中の暴動で〇されたって。その息子はイメルダの妹に育てられたんだけど、その子からこの間電話あって父親は〇んだよ、って聞かされたよ。
SEI:やはりKarma is a b!tch(カルマはビ〇チ)ですねぇ。あの、2highさん自身は大丈夫だったんですか?傷付けられたこととかあるんですか?
2high:あのね、最近だったら友達のThe Dove Shack(ザ・ダブ・シャック…LBを拠点にしているG-Funkグループ)のリーダーのC-Knight(C-ナイト)が亡くなってCandlelight Memorial(キャンドルライト・メモリアル…故人を偲び、追悼するための行事)に行ってたの。VIPのコーナーに居て。結構いい感じにみんな集まって最後に一緒に歌を歌っていたんだけど、そこでパパパパーン、パパパパーン!って。は?何の音?って思ったら隣にいたおばちゃんが「アウッ!」って(大爆笑)。アレ?って思って身を伏せて。あれは怖かったなぁ。Youtubeにも出てるけどね。ヒュンヒュンッって弾が飛ぶ音聞こえる。それが最近だね。いっぱいあるけど。
https://www.youtube.com/watch?v=iiwTsoD2qkU
SEI:貴重なお話ありがとうございます。あの、90年代って東海岸も熱かったですがなぜ西海岸を選んだのですか?
2high:ああ、それも今さっき名前出したDove Shackだね。95年とから96年とかに彼らが日本に来てライブをやった時に、僕はそれまで西も東も分からずにヒップホップ一緒くたで付き合ってたんだけど、これだ!ってなったのがDove ShackとTWINZ(ツインズ)の来日ライブだった。その後2Pac(2パック)が殺されてそれでイーストコーストが嫌いになったの。Biggie(ビギー)のインスト流して2パックの『Hit Em' Up』の「Fuck Biggie!」って部分をひたすらスクラッチしてた。パーティーで。で、ビギーのアルバムを割るっていうパフォーマンスをやっていたから。今Puffy(パフィ)が捕まって、俺からすると「ほら言ったじゃん!30年前から言ってたじゃん!」って。96年から俺言ってるから、ずっと。あの当時から彼バイセクシャルて噂はあったけど、噂だったから、ジャニーさん伝説みたいな類だったわけなんだけどさ。火のない所に煙は立たないし。
父親からの教訓と音作りを始めるきっかけ
SEI:すごいなぁ。ちょっと家族について聞いても良いでしょうか?業界でも有名なお父様(松山猛さん)との関係や影響等があれば教えてください。お父様は2highさんのキャリアを応援されているんですか?
2high:そりゃあ、応援して「やりたいことやれ!」って。でも、別にだからと言って父ちゃんのコネクション使ったことは……1回か、2回しかない(大爆笑)
SEI:大爆笑。無いのかと思いきや!素直過ぎます。
2high:パパには以前ビジネスで繋いでもらったことはあるけど音楽は別ね、今俺は俺でやっているから。パパの成した2.8ミリオンをレコードで売ったっていうデビュー作。その次のイムジン河は発売禁止になっちゃったんだよね。あ、2000年にそれを解除したのに俺が少し一役買った感じなんだけど。その流れで映画『パッチギ』が生まれたわけで。唯一親孝行出来た案件かな。とにかくパパはとんでもない記録を持っている人だから、俺はその記録を塗り替えるんだ!みたいな野心と気持ちで昔から戦ってたんだけど……無理ね(大爆笑)。でも一発で超えることは無理かもしんないけど、280万にたどり着くにはじゃあ2.8万を100発出せばいいのかな、っていう気持ちに切り替えてコツコツやってる。あの人は超えたくても超えられない壁で、尊敬する父です。
SEI:お父様は作詞家、ライターさんですが恐らく天才的クリエイティビティは最強遺伝子を引き継いでいらっしゃると思います。もちろんご自身の努力でアメリカではここまでいらしたと思うのですが、2highさん自身はなぜダンスやラップでは無く、DJやビートメイキングに興味をお持ちになったのでしょうか?物書きでもないんですね。
2high:中学生の頃アメリカに毎年夏休みの時行って、その時テレビで流れていたのがPublic Enemy(パブリック・エネミー)だとかTLCのファーストだったりとか、Kris...