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【HIPHOPCs独占インタビュー】Noah Ezra:A$AP 12vyyや千葉雄喜と共に突如として現れた謎多き男の正体とは?「愛で殺す」「暴力じゃなくて、愛で包み込みたい」
ニューヨーク州ハーレム地区。
1919年の「ハーレム・ルネッサンス」を機に、アフリカ系アメリカ人による文化が花開き、数々の黒人アーティストを生み出してきた土地である。いわば、ブラックカルチャーの本場であり、数々の有名ヒップホップアーティストを生み出したヒップホップ聖地の1つであることは、周知の事実だろう。
James BrownやStevie Wonder、Lauryn Hill。数多くの黒人アーティストの登竜門として名を馳せ、彼らのアイデンティティを育んできたランドマーク「アポロ・シアター」は、ハーレムの夜を鮮やかなネオンで照らし続けている。
一方で“危険な街”としても知られるこの土地。「再開発によって治安が改善された」などとよく謳われているものの、銃撃や窃盗、暴力事件など目を覆いたくなるようなニュースは後を絶たない。生と死が隣り合わせのこの地には、独特の緊張感が今も漂っている。
そんな環境を、純日本人でありながらサバイブしてきた1人のアーティストが、彗星の如く日本のヒップホップシーンに現れた。
その名は、Noah Ezra。
10月7日(火)、彼は何の前触れも無く自身のYouTubeチャンネルからミュージックビデオ「HAR7EM」を公開した。
https://youtu.be/shoK6ui8NAg?si=7v0HV0BKX7xb9NVb
A$AP MOBのロゴと共に幕を開けるビデオには、千葉雄喜やA$AP 12vyyといった面々が登場。誰も予想し得なかったサプライズにネット上はざわめいている。
もちろん、コメント欄やSNS上では様々な憶測が飛び交い、視聴者は「コイツは何者なんだ!?」状態だ。
今回は、そんなネット上を賑わせているNoah Ezra氏に直接話を聞く機会を得ることに成功。マネージャーであるYTG Sam氏の協力の元、この謎に包まれたアーティストのルーツ、そして世界を視野に入れたビジョンに迫った。
なお、Noah氏は英語の方が話しやすいとのことで、インタビューでは全て英語*で回答して頂いた。
*筆者のリスニング能力不足もあり、Sam氏に通訳を助けてもらった場面が多い。この場を借りて、多大なるサポートに深く感謝の意を示したい。
ハーレム生まれハーレム育ちの純日本人、Noah Ezraが身を置いてきた環境とは
Lucie: インタビューをさせて頂くということで、ずっと情報収集に勤しんでいたのですが…。それにしても、Noahさんに関しては事前に得られる情報がとても少なかったですね。
一同:(笑)
Lucie:ですが、先日公開された「HAR7EM」から得られる情報の濃さは、本当にとんでもなかった。突如として解禁されたビデオの概要欄に、さりげなくビッグネームがポンポンっと記載されていて「マジで何者なの?!」みたいな(笑)。
MVが公開されて以降、Noahさんの正体についてSNS上では様々な憶測も生まれていますよね。
Sam:知ってた?
Noah:Nah, Bro.
Lucie:そうなんですよ、みんな気になってしょうがないみたいです。
そんな訳で、世間を騒がせているNoah Ezraとは一体何者なのか、お聞かせ願えればと思います。まずは、簡単な自己紹介からお願い致します!
Noah:Noah。Noah Ezra。
Lucie: この度はよろしくお願い致します。では、概要を読んであらかた把握はしているのですが、改めてNoahさんの出自についてお聞かせ願えますでしょうか。
Noah:生まれも育ちもハーレム。だけど両親とも日本人だから、俺は純日本人。祖父母は西東京出身だから、西東京も俺の地元だね。だけど、基本のライフスタイルは、ニューヨークとかハーレムのスタイルだね。
Sam:いろんな地元レップしてるって訳じゃないけど、ハーレムと西東京、王子を一応地元としてるって感じですね。
Noah:Yeah, type shit. でも、メインのテリトリーはハーレムだな。
Lucie: なるほどなるほど。ハーレムがどんな場所か気になります。
Noah:「Little Africa」って呼ばれるくらいだからね。アジア人はいないし、日本人なんてもっての外。98%がアフリカ系アメリカ人で、残り2%はスペイン人だった。日本とは全然違って、生活するだけでリスクがあった。
Lucie:本当に特殊な環境ですよね…。自分には想像できないです。
傷口を抉るようで恐縮なのですが、概要文にもある「発砲事件」について可能な範囲でお聞かせ願えますか?
Noah:ハーレムでは特別なことじゃない。毎週誰かしらが撃たれる。それが普通なんだ。ハーレムの中にもいろんなテリトリーがあって、基本何かしらの問題が起こってる。
Lucie:もう普通の基準が違いすぎる…。
A$AP 12vyyや千葉雄喜との間に築かれた友情
Lucie:では、Noahさんが有する横の繋がりについて、深掘りしていきたいのですが…。
まず、最初にしれっと登場するA$AP MOBのエンブレムに加え、「A$AP 12vyyが兄貴分」という衝撃的な文言。やはり、皆さん気になっているのは”なぜA$APのクルーとコネクトできたのか”だと思うんです。どのような経緯で出会ったんでしょうか?
Noah:中学校の通学路の途中、普通にRockyとかA$APのメンツがたむろしてたんだ。その時は顔見知りで挨拶する程度だった。
けど去年の5月か6月頃、12vyyが日本に来た時に前より仲良くなったんだ。俺が地元に帰った時には、彼のスタジオに遊び行ったり。そういう時に彼が「絶対曲作った方がいいよ」なんて勧めてくれたんだよね。
Lucie:なるほど。では、弟分的な存在となって一緒に動き始めたのは最近の話なんですね。
Noah:最近のことだね。彼は年代的にも上だからさ。でも、地元特有の色々な事情があって、その過程ですごく仲良くなった。事情については言えないんだけど...。地元の考え方的に弟分とか兄貴とか、そういう感覚はあまりないかな。MAJIDE my...
【2025年版】「最も再生された楽曲・アルバム・ラッパー」ランキングDrake、Kendrick、Cartiが描く”ヒップホップ”
Cook Oliver|Published: 2025年12月11日
via @RapCaviar. /Spotify
この記事の要点
Spotify公式プレイリスト「RapCaviar」が2025年のストリーミングランキングを発表しました。楽曲部門はKendrick Lamarの「tv off」が1位,アルバム部門はPlayboi Cartiの『I Am Music』が1位、そしてアーティスト部門はDrakeが1位という結果に。
はじめに:ランキングが示す「時代の空気」
毎年この時期になると、Spotifyの公式ヒップホッププレイリスト「RapCaviar」から年間ランキングが発表されます。「ただの再生数ランキング?」と思う方もいるかもしれません。でも、このランキングをじっくり見ていくと、2025年のヒップホップシーンで何が起きていたのか、リスナーが何を求めていたのかが浮かび上がってくるんです。フォロワー数1,500万人以上を誇る、世界最大級のヒップホップ・キュレーション・プラットフォーム。ここに選ばれるかどうかで、アーティストのキャリアが変わることもある。それくらい影響力のある存在!
今回は、2025年の「最も再生された楽曲」「最も再生されたアルバム」「最も再生されたラッパー」という3つのランキングを、HIPHOPCsなりの視点で考察!してみます
最も再生された楽曲 TOP 10──Kendrickが首位奪還、Drakeも健在
まずは楽曲ランキングから見ていきましょう。
|順位 |楽曲 |アーティスト ||:-:|--------------------|-----------------------------||1 |tv off |Kendrick Lamar, Lefty Gunplay||2 |NOKIA |Drake...
Method ManがDrakeの『Wu-Tang Forever』でラップしなかった理由を明かす
Wu-Tang Clan(ウータン・クラン)きっての人気者で、独自の声、スムーズなフロウで今もカリスマを発揮し続けるMethod Man(メソッドマン)が、NBAレジェンドが司会を務める有名ポッドキャスト『7pm in Brooklyn with Carmelo Anthony』に降臨し、インタビューに答えていた。どうやら彼も、Drake(ドレイク)の2013年の楽曲『Wu-Tang Forever』と、その曲名に冠された自身のラップ・スーパーグループとの関連性について、一般の人々と同じように困惑していたらしい。
なぜかというと。曲名からして、スタッテンアイランド出身の硬派なヒップホップ・クルー、ウータン・クランへのオマージュだと普通は考えるだろう。しかし、アルバム『Nothing Was The Same』に収録されたこのNoah "40" Shebib(ノア・“40”・シェビブ)がプロデュースしたトラックは、サウンド面では皆が知るウータン・クランとは全く異なっていた。この曲は、軽快で雰囲気のあるインスト、且つ歌詞の内容はほぼほぼドレイクの女性遍歴に焦点を当てているからだ。
ドレイクはサビで「It's yours♪」と歌っていて、これはウータン・クランのアルバム『Wu-Tang Forever』に収録されている『It's Yourz」』(この曲もサンプリングされている)へのちょっとしたオマージュだったようだ。だが類似点はそこで終わり、メスは曲にバースを加えるよドレイクから依頼を受けた時、困惑したそうだ。
12月8日(月)に配信された上記のポッドキャストで、メソッドマンは当時の状況を説明している。「ドレイクは好きさ。あいつは素晴らしいアーティストだと思う。奴は素晴らしい音楽を作っている。そうでなければ、これほど有名にはなっていないだろう。だが、あいつが曲を送ってきた時、俺らは海外にいたんだ。確かに曲は送られてきた。何人かの仲間はそれに合わせてラップを書こうとしていた。俺はそこに座っていて、『この曲は好きじゃなねぇな』と思った。『これはWu-Tang Foreverと何の関係があるんだ?』って。奴の芸術性を疑っているわけじゃあない。ただ、俺の好みとして、『この曲には参加しねぇ』って感じだった」
そのメソッドマン。同インタビュー内で共同ホストのKazeem Famuyide(カジーム・ファムイデ)が、これがウータンにとって最後の活動となるのかと尋ねると、カリスマラッパーは現実味と希望の両方を込めた答えを返した。「何が起こるかは分かんねー。RZAがあんな言い方をした時、俺らの多くは首を傾げたよ。一体何が起こってんだって思った。でも、楽観的に考えれば、これは再結成ツアーに向けての素晴らしい布石じゃねぇかと思うんだ…こういうことは周期的に起こるもんだし、今はまさに俺たちの時代なんだろう」
と、まあ希望に溢れた情報を提供してくれたメソッド様。再結成ツアーに向けての新しい布石ならば、『Final Chamber』ツアー後解散はきっと無いはず…と祈ろう!
https://youtu.be/ieYTXVBEn0Q?si=ZtWM50MeKOt9UM5l
https://youtu.be/jZC3IHwRxr4?si=FdPaWSXpiiWIKtgL
Via
Wu-Tang Clanがファイナルツアー『Wu-Tang Forever:The Final Chamber』を発表
【必見】Wu-Tang...
inteview
【HIPHOPCs独占インタビュー】京都をルーツに静寂と強さを纏い、SEDY NEZZ の旅は世界へ向かう
SEDY NEZZ 彼女はビートの上での揺れ方、言葉の切り方、空白の使い方や危ない雰囲気。そのどれもが「誰かの真似」ではなく、すでに自分の色として鳴っている。
京都という土地で育ち、怒りも優しさも全部ひっくるめてラップに落としてきた時間が、そのまま音に刻まれているように感じた。そんな、日本を発つ前のタイミングで、一度しっかり話を聞いておきたかった。
SEDY NEZZがどこから来て、何を見てきて、これからどこへ向かおうとしているのか。その軌跡と今の本音を、京都から世界へ飛び立った彼女にHIPHOPCs独占インタビュー。
https://youtu.be/aC1kLXe6C58?si=O3vVCXMJ_cVoDvso
自己紹介とルーツ
Cook - よろしくお願いします “SEDY NEZZ” としてマイクを握るに至った背景を聞かせてください。育った環境、 最初に言葉を吐き出した瞬間について教えてくれますか?
SEDY NEZZ - 父親が90’s当時のHIP-HOP/R&B が好きで、 幼少期から家でも車でも四六時中ずっとUSのBLACK MUSICが側にある生活でした。原曲に被せを歌ったり、 今も無意識にしてて、 とにかく当時から歌うことが好きでした。
一番初めはIphoneのイヤホンマイクで録りました。
学生だった私はどうしてもラップがしたくて、 曲が作りたくて、 でもリリックが浮かばなくて。今思えばその気持ちをラップすれば良かったのになと思いますが当時から感情が湧かないと手紙とか文章が書けなくて。 。 笑
そこから月日は流れて20歳の時、 親友と大喧嘩して、...
【HIPHOPCs独占インタビュー】Alif Wolf―19歳が語る、痛みと音楽
Rapstar 2025で注目を集めた19歳のラッパーAlif Wolf。痛みを音に変え、HIPHOPに救われたと語る彼女が、自身のルーツや新曲“Prologue”に込めた想いを語る。新章の始まりを追うHIPHOPCs独占インタビュー
【HIPHPCs独占インタビュー後編】西海岸のサムライDJ Couz:2Pac、Nipseyらレジェンドから得た英知や自身の哲学を語る!
ブラック企業みたいな2Pacの話とSuge Knightからのアドバイス
Couz:あと…2Pacの…。
Sei:え、2Pac??(2Pacファンなので前のめりになる)
Couz:96年に亡くなっているので、自分はもちろん2Pacに会ったことはないんですが、彼のスタジオでミックスエンジニアをしていた人と、以前一緒に仕事をしたことがありました。その人は2Pacの最後の時期にずっと関わっていて、『Makaveli』のほぼ全曲にクレジットされていたり、Eminem の『Stan』にも関わっていたりする、音楽業界の裏方としてかなり凄い人でした。その人に2Pacについて聞いた時、一言目に返ってきた言葉が「2Pacとの仕事は地獄だった」だったんです。2Pacは、ほぼ “24時間ぶっ通し” でレコーディングを続けるらしく...。
https://hiphopnewscs.jp/2025/11/11/%e3%80%90hiphpcs%e7%8b%ac%e5%8d%a0%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%93%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%80%91%e8%a5%bf%e6%b5%b7%e5%b2%b8%e3%81%ae%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%badj-couz-big-boy%e3%81%abnipsey/
Sei:は⁈24時間⁇本当ですか?
Couz:そうなんです。24時間レコーディングした後、2〜3時間だけ家にシャワーを浴びに帰って、すぐスタジオに戻って来て、そこからまた24時間レコーディングが続く。それが何日も何日も続くらしいんです。
Sei:マジですか?寝てないんじゃないですか!
Couz:寝てない(笑)。しかも、エンジニアってアーティストがレコーディングを終えた後にもやることが色々あるので、その人は本当にまったく寝られなかったらしいんですよ。それが延々と続いて、「もうマジで地獄で、二度と一緒に仕事をしたくない」と思ったっていう(笑)。
Sei:確かに『All Eyez On Me』を2日か何かで録ったって噂がありましたけど、それを裏付けるお話ですね。
Couz:そうやって曲を作っていたから、2Pacの死後「本当は生きてるんじゃないか?」って言われるほど、未発表曲が残されていたと。
Sei:いっぱい出ましたよね。
Couz:『Makaveli』名義の未発表アルバムだけでも十数枚はあったらしいです。実際にリリースされたのが『Makaveli 1』で、彼の死後にアルバムを十数枚出せるほど、曲のストックが残っていたと。
Sei:やば!
Couz:で、それだけ膨大に録音していた中からの選りすぐりが、『All Eyez On Me』の2枚で、その次が『Makaveli』なんです。そりゃ良いに決まってるじゃないですか。最高傑作なんですよ。だって、2Pacにとっては『Changes』も『Do For Love』も“ボツ曲” ですからね。
Sei:ええ、ボツ曲!『Changes』なんて私の心の中の永遠の名曲なんですけど!
Couz:自分にとってもそうですし、きっとみんなにとってもそうだと思います。でも、あの曲はアルバムの収録曲に選ばれてないですからね。それくらい2Pacにとって “その上” の曲が、他にいくらでもあったという事なんでしょうね。そんな話をエンジニアから聞いたのが 2005〜2006年頃なんですが、実はその少し前に、Suge Knight(Dr. Dre、Snoop Dogg、2Pac などが所属していた Death Row...
コラム
なぜ2Pacは史上最高のラッパーと呼ばれているのか?レジェンドの人生大解説!【出生~高校編】
25歳の時、貴方は何をしていたか覚えているだろうか?もしくは今現在、まだ10代、20代前半の読者は、25歳までに何かを成し遂げたいと思っているだろうか?
先に述べると、Tupac Amaru Shakur(トゥパック・アマル・シャクール)こと2Pac(2パック)の偉業は、半端ない。1996年9月13日に亡くなるまでの間、713曲を収録し、1991年~1996年の間に7本の映画に出演し、74Million(7500万枚)ものレコードを売り上げ、且つ9つもプラチナムアルバムをリリースしていた。そして、亡くなった後も、7アルバム出せる量の曲を用意していたという。
それだけではない。以前記事でもお伝えしたが、女性関係も型破りだ。米国音楽業界の大重鎮だったQuincy Jones(クインシー・ジョーンズ)の美しい愛娘と長期交際していたことは有名だが、Will Smith(ウィル・スミス)の妻で女優のJada Pinket(ジェイダ・ピンケット)とはウィルが嫉妬していたほど大親友の仲だったし、もう生きた化石のような伝説Madonna(マドンナ)とも全盛期付き合っていた。これを全て、25歳でやり遂げたのだ。
もう上記の偉業だけで、史上最高ラッパー認定ものである。ここでこのコラム記事を終了しても良いくらいなのだが(笑)、一応他のことにも触れようと思う。長くなりそうなので、幾つかのシリーズとして記事を出す予定なので、お付き合い願いたい。
https://hiphopnewscs.jp/2025/07/02/%e3%80%90%e9%80%9f%e5%a0%b1%e3%80%91%e3%82%b7%e3%83%a5%e3%82%b0%e3%83%bb%e3%83%8a%e3%82%a4%e3%83%88%e3%80%812%e3%83%91%e3%83%83%e3%82%af%e3%81%ae1996%e5%b9%b4%e3%81%ae%e6%ad%bb%e3%81%ab%e9%96%a2/
ブラックパンサー党と出生について
2パックについて語るにあたって外せないのが、彼の家庭とブラックパンサー党とのつながりだ。彼は党員の息子だった。母親のAfeni Shakur(アフェニ・シャクール)や義父のMutulu Shakur(ムトゥル・シャクール)は党員であったし、育った環境下ではオークランドで設立された黒人民族主義団体ブラックパンサー党の理念を掲げた、運動のリーダーたちに囲まれていた。2パックの母アフェニは、1968年、ブラックパンサー党の有力な共同創設者の一人であるBobby Seale(ボビー・シール)の演説を聞き、ハーレム支部に入党したという。ブラックパンサー党は、黒人コミュニティを警察の暴力から守ることに尽力し、国民皆保険、教育、住宅の実現に尽力していた。最盛期には、全米各地の支部に2,000人以上の党員を擁し、無料の学校朝食プログラムの実施、鎌状赤血球貧血検査の実施、成人教育の提供などを行っていた。1969年の連邦捜査で、アフェニ・シャクールと他の20人のブラックパンサー党員は、ニューヨークの警察署やその他の公共施設を爆破する共謀の容疑で逮捕された。その時彼女は2パックを妊娠し、妊娠期間の一部を刑務所で過ごした。その後、全国的な注目を集めた法廷闘争において、彼女は自ら弁護することを主張し、1971年5月アフェニと12人の仲間はすべての罪で、無罪判決を受けた。妊娠8ヶ月で釈放され、そしてそのわずか1か月後、彼女は2パックを出産した。
「2パックは、運動の担い手であり、運動の長老たちに囲まれて生まれ育ちました」と、『アメリカの家族:シャクール家と彼らが創った国家』の著者、Santi Elijah Holley(サンティ・イライジャ・ホリー)は語る。「彼はブラックパンサー党員や元過激派、黒人解放活動家たちに囲まれて育ち、まるで寝る前に物語を聞くように、自分たちの物語を聞かせられました。特に母親のアフェニは、常に彼に黒人の誇り、自己決定、黒人の回復力、そして抵抗の精神を植え付けました」ホリーは、彼のリリックスにはその思想が色濃く反映していると強調している。
Dear Mama:アフェニ・シャクール
みんな大好き、名曲中の名曲『Dear Mama』だが、母親とパックの関係は複雑だったらしい。
2パックの母アフェニだが、1947年1月10日ノース・キャロライナでの出生時の名はAlice Fay Williams(アリス・フェイ・ウイリアムズ)と言い、彼女が9歳の時、母と姉妹と共にNYへ引っ越したそうだ。1964年にブラックパンサーに入党した後、彼女は党員のLumumba Shakur(ルマンバ・シャクール)という男性と出会い、結婚する。そこで名前をアリスからアフェニ・シャクールに変えたのだ。彼女はルマンバと結婚していた時(そして上記の爆破事件の頃)、マンハッタンの友人のアパートで2パックの実父であるBilly Garland(ビリー・ガーランド)と出会った。保釈中の1970年、アフェニとガーランドは短期間の情事に及び、それがきっかけでアフェニはパックを妊娠したという。1年後、皆の知っている、あの名前に改名するものの、彼女は1971年6月16日の出産時、息子をParish Lesane Crooks(パリッシュ・レサン・クルックス)と名付けた。ルマンバとは息子の出産後、離婚に至ったという。
ちなみにパックはこの実父とは1994年に撃たれるまで、20年近く会っていなかったそうだ。そして、この父親は1996年にトゥパックが亡くなった後、彼の財産の半分を相続しようとして、アフェニを訴えている。ガーランドが長年にわたり息子の養育や介護に果たした貢献は「ごくわずか」であったため、もちろん判事はガーランドが亡くなった息子からは、何も相続できないとの判決を下している。
1975年、2パックが4歳の頃、アフェニはムトゥル・シャクールと結婚した。ムトゥル氏はブロンクスにあるコミュニティ・デトックス・センター「リンカーン・デトックス」で政治教育クラスを教え、鍼灸の博士号を取得していたそうだ。彼らは7年後の1982年に離婚をするものの、パックはムトゥル氏を生涯にわたって父親代わりとして慕っていたという。ちなみにパックは1980年代、母親のクラック中毒をめぐって対立し、1991年に彼女が薬物から抜け出すと和解した。
2010年に米国議会図書館の国立録音登録簿にも選出された『Dear Mama』だが、このヒット曲は、貧困の中で育ったアフェニとトゥパックの生い立ち、そしてアフェニの薬物中毒との闘いを、自伝的に歌っている。「母の代わりを務めることのできる女性はこの世にいない」と歌詞にあるように、母親と彼女のn精神を称賛し、深い愛を示している。
NYからボルティモアへ
90年代に勃発した東西合戦の影響で、西海岸出身と勘違いされることが多いが、2パックは人生の半分以上を東海岸で過ごしている。彼は、1984年13歳の時、ニューヨーク市からメリーランド州ボルティモアに移住した。彼と母親、異父妹のSekiywa(セクイワ)は、北ボルチモアの小さな地区ペン・ルーシーにあるグリーンマウント・アベニュー3955番地のレンガ造りの長屋の1階のアパートに引っ越した。
彼はローランドパーク中学校、9年生の時はポールローレンスダンバー高校に通い、この時期に執筆と詩に夢中になり、アーティストとして芽を咲かせた。当時一緒にラップや音楽を作成していた友人のDana Smith(デイナ・スミス)曰く、パックは運動音痴だったため、スポーツには興味を示さなかったそうだ。だがその時代すでに、彼のライミング力とラップのセンスはピカ一だったという。自身の演技力を磨きたいと考えたパックは、10年生の時にボルティモア芸術学校に転校し、演劇を専攻した。この学校は演技のオーディションで合格しないと入学出来ない、敷居の高い学校である。そこで、上記ウィル・スミスの妻で女優のジェイダ・ピンケットと出会う。
俳優トゥパック・シャクールの原点
ラッパーが俳優業との二足の草鞋を履いていることは昨今決して珍しくはない。だが2パックがもしまだ生きていたら、今頃はオスカー俳優と言われるほど、演劇界でも地位と名声を築いていたのではないかと筆者は推測する。そのぐらい、演技力があったのだ。
ボルティモア芸術学校の演劇部長を長年務めていたDonald Hicken(ドナルド・ヒッケン)はパックのオーディションを追想して、こう述べていた。「とても素晴らしかったです。最初に気づいたのは、彼のカリスマ性の高さでした。最初から、私たちは皆、彼が本物だと感じていました」
演劇部の同級生で、現在はハリウッドを代表する大物女優となったジェイダ・ピンケットも著書『Tupac Remembered』こう回顧している。「2パックはいつも熱心で、とてつもなく情熱的だったわ。彼はシェイクスピアを愛していた。…演技は彼の精神の一部だった。本当に愛していたのよ」
そのジェイダ・ピンケットだが、近年2パックを「ソウルメイト」とも呼んで話題となっていた。「もし前世なんてものがあるなら、私とパックは間違いなく何度か一緒に旅をしたことがあると思うわ」だが、恋愛に関しては「私たちの間にはケミストリーがなかったから、あり得なかった。あれは友情愛のケミストリーだったわ」とも述べている。
高校4年生になる直前、シャクールは目に涙を浮かべながら、ヒッケン氏に家族と共にカリフォルニア州マリンシティへ引っ越すことを伝えたそうだ。母親アフェニはそこで新たなスタートを切ろうと望んでいた。ヒッケンはシャクールが芸術学校を卒業できるようホストファミリーを探してあげると申し出たが、家族を見捨てることはできないと断り、一家は1988年の夏、ボルチモアを去ったそうだ。彼は後にGED(高校卒業と同等以上の学力があることを証明するための試験)を取得したが、家族を支えるため働き、卒業証書は取得しなかった。
このボルティモアでの4年間は、間違いなく2パックの芸術感性を高めた貴重な時間だったに違いない。【続く】
https://youtu.be/Mb1ZvUDvLDY?si=PUhiMqhTi9TUl_oY
Key Takeaways
2pacは25歳までに713曲を収録し、74百万枚のレコードを売り上げた。
彼はブラックパンサー党の家庭で育ち、母親から黒人の誇りを教えられた。
名曲『Dear Mama』では、アフェニとの複雑な関係や貧困生活を描いている。
2pacはボルティモアでの生活が芸術感性を高める重要な期間だった。
彼の演技力は高く、オスカー俳優になっていた可能性がある。
Via/Via/Via/Via/Via
【速報】シュグ・ナイト、2パックの1996年の死に関する新主張:ディディと2パックの母親の関与について
2Pac殺害容疑者のKeefe・D、告訴棄却の申し立てが却下される
Dear...
Tekashi 6ix9ineとRYKEY─「曲への昇華」が決定的に異なる理由
via @6ix9ine @__rykey__923 INSTAGRAM
ストリーミングとショート動画が支配する現在の音楽シーンでは、ラッパーはもはや「曲」だけを作っていればよい存在ではない。まずこの二人に共通するのはやはり頭の良さ、これは挙げざるを得ないだろう。
SNSでの立ち振る舞い、配信での一言、切り抜きにされる数秒間──そうした断片のすべてが、キャリアとイメージを左右する時代である。
その極端な先駆者がTekashi 6ix9ineである。
彼はヒップホップの枠をはみ出し、炎上とバズを“職業”として成立させてしまったラッパーであり、今日のコンテンツクリエイターが無意識に踏んでいるテンプレートの多くは、彼の「実験」の延長線上にあると言ってよい。
一方で、日本にはRYKEYのように、同じく問題行動や炎上と無縁ではないにもかかわらず、
その混沌や自己破壊衝動を「曲そのもの」へと昇華するラッパーが存在する。
6ix9ineが炎上をコンテンツとして消費し続けたのに対し、RYKEYは炎上をリリックとアルバムに刻み込もうとする方向へ舵を切ってきたのである。
本稿は、6ix9ineのキャリアをなぞりながら、RYKEYとの対比を通じて、
バイラル経済の中でヒップホップがどこまで自分の魂を切り売りしているのかを検証する試みである。
1. 6ix9ineが先にやって見せた「炎上設計」というビジネス
Tekashi 6ix9ineのキャリアを冷静に振り返ると、彼が先に確立したのは音楽的革新ではなく、バイラルの設計図である。
デビュー期から、A Boogie、Lil Baby、Gunna、Young Thug、Fetty Wap、Tory Lanez、Kanye West、Nicki Minaj、Bobby Shmurda、など、錚々たる面子が作品に集結した。
それは「音楽性に惚れ込んだから」という牧歌的な話というより、
このカオスに関われば、自分の再生数と話題も跳ねる
というマーケティング上の合理性によって説明されるべきである。
6ix9ine自身も、音楽的な評価より「どれだけ世界中のタイムラインをかき乱せるか」に集中していた節がある。
曲はフックとビートさえ耳に残れば十分であり、その外側の炎上劇と数値こそが、彼にとっての本丸だった。
日本でも、「炎上気味のキャラでSNSを荒らし→ニュースに取り上げられ→フェスやブランド案件に繋げる」というルートは、徐々に一般化しつつある。
ただ、その出口をどこに設定するかはラッパーごとに大きく違う。
6ix9ineはその出口を「バズと金」だけに貼り付けた典型例である。
2. Instagramが「クリップ経済」の実験場になった過程
6ix9ineにとってInstagramは、単なる告知ツールではなく、人々の感情をどこまで揺さぶれるかを試す実験室であった。
ギャング由来の暴力性と、子ども向けアニメのようなカラフルなビジュアルを混ぜ込んだフィードは、
悪ふざけと危うさが同居する一つのショーケースのようになっていく。
そこで彼が重視したのは、アルバム全体の物語でも、曲単位の完成度でもない。
タイムラインをスクロールしている人間の手を一瞬止める「3〜5秒のショット」である。
・大声で怒鳴る瞬間
・ライバルへの露骨な侮辱
・脅しとも冗談ともつかない一言
・自慢げに見せつけられるストリーミング数字
こうした断片が、Akademiksやラップ系ブログによって切り抜かれ、文脈を剥ぎ取られたまま拡散されていく。
そこでは、音楽はもはや「BGM」に近い扱いであり、主役は6ix9ineというキャラクターそのものであった。
日本のシーンでも、ラッパーやストリーマーの切り抜きチャンネルが乱立し、強烈な一言や喧嘩腰の場面だけが独り歩きする光景は当たり前になっている。
しかし、そこで炎上を「曲」へと持ち帰ろうとするか、それとも「次の炎上コンテンツ」へと使い回すかで、アーティストの在り方はまったく変わる。
3. パフォーマンスと現実の境界を消した結果としてのRICO
多くのラッパーが攻撃的なキャラクターをあくまで「演技」として利用する一方で、6ix9ineはその境界線を意図的に曖昧にしていった。
オンラインでの虚勢やギャングスタ的な振る舞いは、やがてNine Trey Bloodsという実在のギャング組織との関係へと接続され、彼は連邦レベルのRICO(組織犯罪法)事件に巻き込まれていく。
オンライン上の“役”は、気付けば現実の人間関係と暴力に直結するものへと変質していたのである。
ここで特徴的だったのは、彼が法廷の場でさえ「コンテンツ提供者としての態度」を崩さなかった点である。
スニッチング(密告)という、ヒップホップの世界では最も重いタブーの一つに踏み込みながら、それを恥じるというより、
「これもまたストーリーの一部であり、新たな見世物である」と言わんばかりの振る舞いを続けた。
現実の暴力とオンラインの炎上を区別し損ねた結果がRICOであり、それすらも「話題」として消費してしまうこの態度こそ、6ix9ineという存在の本質である。
4. 「責任を取らないこと」までビジネスにしてしまった構造
6ix9ineの恐ろしさは、問題行動そのもの以上に、責任を引き受けることを徹底して拒否する姿勢にある。
過去の重大な罪や、ギャングとの関係から生まれた暴力の連鎖に対して、彼は真正面から向き合おうとしない。
批判されるたびに、
世間のダブルスタンダード
自分を前から嫌っているアンチ
「スニッチだから叩いていい」と考える群衆心理
といったものを持ち出し、あくまで自分は「狙われている側」であると語る。
「スニッチしたから嫌われているのではなく、もともと嫌いだった人間が、いまはただ理由を手に入れただけである」
「このキャラで何百万ドルも稼いだのだから、変わって数字が落ちるリスクを負う意味はない」
こうした発言に象徴されるように、彼は責任よりも数字と炎上の持続を選び続けた。
これは、今日のレッドピル系インフルエンサーや政治系グリフターが批判を「キャンセルカルチャーのせい」にすり替える構図と極めてよく似ている。
つまり、6ix9ineは単なる問題児ではなく、
「責任を取らないこと自体を収益化する」という現代インターネットの暗部を端的に体現した存在なのである。
5. クリップと契約が結びつく時代
6ix9ineは、数字を巡るゲームそのものもエンタメにしてきた。
再生数やチャート順位をSNS上で誇示し、時には水増し疑惑まで含めて話題化しながら、「数字を見せびらかすこと自体がコンテンツ」という状態を作り出していった。
その延長線上で、レーベルも変化している。
ストリーミング指標とSNSでの露出量の相関が見えるようになった結果、
「お前が配信やポッドキャストで喋ると再生数が伸びるのだから、その“喋り”も契約上の義務にしよう」
という発想が現実の契約に組み込まれ始めていると伝えられている。
アーティストの「中身」や「日常」でさえ、一つの商品として管理されつつあるのである。
アメリカでは、刑務所出所後にコンテンツファーストな戦略へ舵を切ったBluefaceのような例も出てきた。
音楽そのものより、リアリティショー的な騒動を連発することで注目を集めるスタイルは、6ix9ine的な炎上モデルをよりテレビ番組寄りに再構成したものだと言える。
6. 音楽的な存在感を失った6ix9ineと、「コンテンツ」としての余生
こうしてキャラクターと炎上劇を先行させてきた結果、6ix9ineは出所後、ヒップホップアーティストとしての存在感を急速に失っていく。
かつてのヒットメーカーとの再共演も、以前のようなインパクトを生まなくなった。
レゲトン寄りへのシフトが一時的に数字を出した場面もあるが、現在の彼はもはや「混沌の時代を象徴する記号」として懐かしまれることの方が多い。
「GUMMO」や「FEFE」がTikTokで鳴るとき、人々が思い出しているのは、楽曲の構造ではなく、あの頃の狂騒である。
https://youtu.be/HZs-r0vmbK8?si=Jpe5cSlj7vC1ZG8s
そのため、彼は今やヒップホップではなく、Adin RossやN3onといったストリーマーの配信空間へと活動の軸を移している。
そこでは、彼は尊敬されているわけではなく、「コンテンツの一素材」として扱いやすい存在にすぎない。
それでも彼は、ラッパーたちへの挑発をやめようとしない。
楽曲では勝てないとわかっていながら、怒りと炎上を生むクリップさえ作れればよい、という冷徹な割り切りである。
7. RYKEYも炎上する──しかし「曲への昇華」の姿勢がまったく異なる
ここから、視点を日本に移す。
RYKEYは、決してスキャンダルやトラブルと無縁だったラッパーではない。
むしろ逮捕や服役といった現実の重さを何度も背負いながら、そのたびに世間から激しい視線を浴びてきた存在である。
表面的に見れば、「問題行動で名前が広まり、炎上によって注目が集まる」という点で、6ix9ineとRYKEYは似ているようにも見える。
しかし、決定的に異なるのは、その炎上をどこに流し込むかである。
6ix9ineは、炎上を次の炎上コンテンツの燃料とし続けた。
トラブルやスキャンダルは、インスタライブや配信での“ネタ”としてリサイクルされ、本人も「嫌われても構わない、数字さえ伸びればいい」という姿勢を隠そうとしなかった。
対してRYKEYは、トラブルや自己破壊衝動を**「曲」へと焼き付ける方向**に向かってきた。
そこには、当然ながら大きな問題と矛盾がある。
しかし、彼のリリックやアルバムには、
自分の選択が周囲に与えた傷
自己嫌悪と破滅願望
それでもマイクの前に立たざるを得ない衝動
といった感情が、ラッパーとしての言葉で刻み込まれている。
https://youtu.be/5I7Cv_1xrYY?si=uwXawcyabLxUVs1d
つまり、炎上そのものを消費して終わらせるのではなく、作品の中で引き受けようとする意志が存在するのである。
その結果として、RYKEYの作品は、好き嫌いは別にして、長期的に聴き返される“物語”を持つことになった。
リスナーは彼の行動を全面的に肯定しているわけではない。それでも、彼が自分の矛盾や破綻を曲に昇華しようとした痕跡に、ある種のリアリティを見ているのである。
8....
Charm La’Donna:Kendrick Lamar、Beyoncéの振り付けを手がけるストリートダンサーとは?
via @CharmLaDonna
要約
Kendrick Lamar、Beyoncé、Dua Lipaといった世界的アーティストの振付を手がける振付師、Charm La’Donna(チャーム・ラドンナ)に焦点を当てる。彼女は、ヒップホップダンスを単なるパフォーマンスではなく、「観る者と空間のエネルギーを変える」行為――すなわち“エネルギー・シフター(Energy Shifter)”として定義している。その思想は、ロサンゼルスのストリートダンス文化への敬意と、社会的メッセージの融合を通じて、ヒップホップが持つ変革力を体現するものである。
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Key Takeaways
Charm La’Donnaは、Kendrick LamarやBeyoncéなどの振付を手がける振付師で、ダンスを「エネルギー・シフター」と定義している。
彼女は自己表現だけでなく、社会的メッセージをダンスに込め、ヒップホップの変革力を体現している。
Charm La’Donnaは「ポリグロットダンス語彙」を通じて、異なるダンススタイルを融合させ、共鳴を生む表現を実現している。
彼女は教育やメンターシップを重視し、次世代のダンサーを育てることに力を入れている。
ヒップホップダンスは感情や空間を変える力を持ち、社会を変える文化的な要素として機能している。
Charm La’Donnaの軌跡と背景
Charm La’Donnaはカリフォルニア州コンプトン出身の振付師・ダンサーである。17歳でMadonnaのツアーに参加したことを皮切りに、Beyoncé、Dua Lipa、Rosalíaなど世界的アーティストのパフォーマンスを演出してきた。彼女は、ストリートダンス(クランピング、クラウニング)を基礎に、ジャズやバレエの訓練を融合させた独自の「ポリグロット(多言語)ダンス語彙」を構築している。
NY Timesは彼女を「ダンサーのダンサーであり、帝国を築く者(Empire Builder)」と評した。つまり、Charm La’Donnaは単なる振付師ではなく、ダンスを通して文化と社会を再構築する実践者である。
https://youtu.be/Zts7AxR36lA?si=viTST5Po7FPDH_rE
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「エネルギー・シフター」とは何か
Charm La’Donnaは、ダンスの本質を次のように語っている。
「私たちダンサーが行うことは、エネルギーをシフトさせることです。誰かが悲しんでいても、ダンスを見れば笑い出す。観る者のエネルギー全体を変えてしまう。それは信じられないほどの力なのです。」
この言葉は、ダンスを「身体の動き」ではなく、「感情・空間・社会を変容させるエネルギー装置」として定義するものである。彼女にとってヒップホップダンスとは、自己表現ではなく共鳴の技術であり、観客の心理・場の空気・社会的ムードに干渉する「変革行為」である。
https://hiphopnewscs.jp/2025/02/12/%e5%85%83%e3%82%ab%e3%83%8e%e3%81%ae%e3%82%bb%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%8a%e3%83%bb%e3%82%a6%e3%82%a3%e3%83%aa%e3%82%a2%e3%83%a0%e3%82%ba%e3%80%81%e3%82%b9%e3%83%bc%e3%83%91%e3%83%bc%e3%83%9c%e3%82%a6/
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ストリートと政治性の融合
Charm La’Donnaの振付の核心には、ロサンゼルスのストリートダンス文化がある。クランピングやクラウニングといった動きは、黒人コミュニティの怒りや喜びを象徴する「社会的身体言語」である。彼女はKendrick Lamarのスーパーボウル・ハーフタイムショーや「Not Like Us」の振付で、街のリアリティと政治的メッセージを融合させた。ステージ上での肉体の動きが、制度的抑圧への対抗や、黒人文化の肯定という文脈を帯びる点に、Charm La’Donnaの批評性がある。
ヒップホップダンスを、社会の不均衡を可視化する手段として再定義したことこそ、彼女の革新性である。
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多言語的ダンス語彙としての革新
Charm La’Donnaは「ポリグロット(多言語)ダンス語彙」という概念で、ストリートとスタジオの垣根を越える。クランプの爆発的動作、バレエの線の美学、ジャズのリズム感――これら異なる文法を一つの“身体言語”に翻訳することで、世界中の観客が理解できる普遍的な表現を実現している。この多層的アプローチは、ヒップホップを単なる“黒人文化”としてではなく、多文化的翻訳装置として機能させる点において極めて現代的である。
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教育・メンターシップ・人間性
Charm La’Donnaは技術よりも「親切な人(kind...
Intelligence Unit
【2025年12月1日最新版】2025年11月第4週 日本語ラップ動向完全レポート ─ Spotify・Apple Music・TikTokのヒット相関をデータ解析
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【週間アクティビティ指数】いま最も“動いている”ラッパーは誰だ?国内外15組を実データで可視化(2025年11月第3週)
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Spotify×TikTok拡散ヒートマップ:2025年11月16日 日本ヒップホップTop20
今週の対象と集計方法
本レポートは、2025年11月16日時点における日本国内のヒップホップ楽曲の「熱量」を可視化することを目的としています。対象期間は2025年11月9日から11月15日までの7日間です。
データソースとして、主に以下の2つのプラットフォームの公開情報を利用しています。
Spotify: 国内デイリーチャートの再生数データを基に、週間再生数を算出
TikTok: アプリ内の検索結果、トレンド、ハッシュタグの使用数から音源使用数を推定
本レポートでは、これら2つの指標を合算した独自の「ヒートスコア」を導入しています。このスコアは、本レポートでは、これら2つの指標を0〜100に正規化したうえで、ヒートスコア = Spotifyスコア × 0.6 + TikTokスコア × 0.4という加重平均で算出しています。
Spotifyは「定着度」、TikTokは「拡散速度」を表す指標と捉え、今回は「定着6:拡散4」の比率で重み付けしています。 という計算式で算出され、楽曲が現在どれだけ広く、そして熱心に消費されているかを示す指標となります。ただし、TikTokの音源使用数は公式APIからの取得ではないため、あくまで推定値である点にご留意ください。また、本チャートは全てのヒップホップ楽曲を網羅しているわけではありません。
総合ヒートマップTop 20
今週の総合ヒートマップTop 20は以下の通りです。Creepy Nutsが圧倒的な強さを見せ、Top3のうち2曲を占める結果となりました。
順位曲名 / アーティストSpotify再生 (7日間)TikTok音源使用数ヒートスコアミニ解説1Bling-Bang-Bang-Born / Creepy Nuts2,646,690850,0003,496,690アニメ「マッシュル」OP。#BBBBダンス が国境を越えて大流行し、リリースから時間が経ってもなお圧倒的な熱量を維持。2Not...