日曜日, 10月 5, 2025

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【完全ガイド】Force Festival 2025(横浜アリーナ)明日開催!伝説のアフターパーティー「MAGIC CITY TOKYO」の全貌に迫る

ご存知の通り遂にやってくる明日、2025年10月3日。 日本の音楽史に刻まれる二日間が幕を開ける。FORCE MAGAZINEが主催する「FORCE FESTIVAL 2025」が、横浜アリーナを舞台に開催されるのだ。しかし、このイベントの真価は、本編終了後にこそ明らかになりそう。本記事では、フェスの基本情報から、YZERR氏が仕掛ける伝説必至のアフターパーティー「MAGIC CITY TOKYO」の文化的背景と魅力まで、あらゆる情報を網羅し、徹底的に解説する。 FORCE FESTIVAL 2025とは? FORCE FESTIVAL 2025は、「FORCE MAGAZINE」が主催する大規模音楽フェスティバルです。2025年10月3日(金)と4日(土)の2日間にわたり、横浜アリーナで開催される。国内外のヒップホップシーンを代表するアーティストが集結。 さらに今日DAY 1にはOUS BRAIN、CFN MALIK、DAY 2にはKAMIAといった注目アクトの出演も発表された。 最大の注目株:アフターパーティー「MAGIC CITY TOKYO」の衝撃] https://www.instagram.com/p/DPGxwg-D3by/?igsh=M25jaTFyeGZidXoy このフェスティバルを唯一無二の存在にしているのが、公式アフターパーティー「MAGIC CITY TOKYO」になりそうである。仕掛け人は、もちろん日本のヒップホップシーンを牽引するアーティスト、YZERR氏。彼が自身の公式Instagramで投下した言葉が、この夜の異常さを物語っている 。 「俺自身がAtlantaに行くと必ず立ち寄る場所Magic Cityからダンサー15名が日本に来ます 。この日は本場のストリップを皆んなに体験してもらいたくて企画しました」— YZERR,Instagram とりあえず、これだけは覚えておこう イベント名: FORCE FESTIVAL...

【速報】大物カップル誕生!Lattoが21Savageとの交際を認め「夫」呼び☆彡東京でお忍びデートしていた?

裏切りやら訴訟やら殺人やらの暗鬱としたニュースが多い中、ちょっぴり明るい話題をお届けしよう。先月猛暑の中Summer Sonicで来日したATLのラッパーと、来月待望のForce Festivalで来日公演する、これまたATL出身のあの美しき女性ラッパー。長らく交際の噂が流れていたが、遂にLatto(ラトー)が21Savage(21サヴェージ)との交際を認めたそうだ。実は21のサマソニ公演の数日後の8月21日、ラトーは姉と一緒に東京でお買い物を楽しんでいる写真をUPしていた。21の公演が8月17日だったので、もしかしたらもしかして、あの時日本で21と合流していた節が濃厚だ。 TMZが今週初め、「“夫”と夕食をとるため」にニューヨーク市内のホテルを出るラトーに電撃取材したそうだ。「ちょっと待って下さい。“あの人”について聞かれるのはもううんざりでしょうか?」とあるカメラマンがたずねたが、後に21サヴェージのことを指していたと釈明した。「いいえ」とラトーは笑みを浮かべて断言したそうだ。「私の彼よ、私の彼、私の彼!」 2020年から交際が噂されていた2人は、小さなヒントを通して関係をファンやメディアが垣間見ていたにもかかわらず、長年その恋愛関係を秘密にしてきた。休暇中の写真から、謎めいたソーシャルメディアの投稿まで、インターネット上では2人のラブストーリーが少しずつ解明されてきている。上記の東京出没もその1つだ。 21の日本でのサマソニ公演後、二人は熱帯のリゾート地でも目撃され、現地の作業員もその存在を確認したという。その時は、ラトーも21もこの噂について言及していなかったものの、彼女はインタビューやソーシャルメディアで、この謎の男性を「守護者」や「最大のサポーター」と呼ぶなど、さりげなく交際をほのめかしていた。 メディアを賑わせているラップ界のプリンセス。どうやら日本を好きになってくれたようで、今年8月に加え来月のForce FESTIVALでも来日公演があり、ファンとしては嬉しい限りである。サマソニ来日時、東京での滞在について21がSNSで何も言及していなかったり目撃情報が皆無だったところを見ると、もしかしたら日本ではふたりでホテルでの密会やホテルケーションを楽しんでいたのかもしれない。いずれにせよ、南部の大都市アトランタ(ATL)が生んだ大物カップル。めでたい限りだ。ラトー以外にもMetro Boomin(メトロ・ブーミン)やFuture(フューチャー)ら、豪華アーティスト達が来月集結する。HiphopCsヘッズの皆もForceフェスティバルに足を運んで、ATLのバイブスを生で感じようぜ! https://www.instagram.com/p/DNok8mfxdbi/?utm_source=ig_web_copy_link https://twitter.com/BardisMedia/status/1961559424662732876 https://youtu.be/T8GpG8C0YzA?si=3eMsCqeg0dHxBEnC Via FORCE FESTIVAL 2025が示す日本ヒップホップの新時代:Central Cee×Future来日決定&学生割引5,000円&スポンサー50%OFFー残り7日ー DJアカデミクスとATLジェイコブ、SNS上で大激突 カーディ・B、ATLジェイコブにSNSバトルで反撃 ラトーの“闇”が暴かれる…妊婦襲撃疑惑と21サヴェージとの交際疑惑 Tyler, The Creator来日前に新作『DON’T TAP THE GLASS』が全米1位で快進撃

Mary J. Bligeの名曲『Real Love』のサンプル訴訟が棄却される:Nas(ナズ)の『I Can』や、J. Cole(J.コール)の『Wet Dreamz』

ヒップホップの女王、Mary J. Blige(メアリー・J・ブライジ)が1992年にリリースした、不朽の名曲『Real Love』がニュースとなっていて筆者のアンテナに引っかかった。サンプリングが訴訟問題に発展することは度々あるが、今回は是非耳の肥えたHiphopCs民の意見をうかがいたい。 ユニバーサル ミュージック グループ(UMG)は今週、メアリー・J・ブライジの1992年の名曲に関する著作権侵害訴訟を連邦裁判所が棄却したことで、大きな法的勝利を収めた。2024年にUMGを相手取って提起されたこの訴訟には、ブライジ本人の名前は記載されていないものの、Tuff City Recordsは、『Real Love』が、ヒップホップ史上最もサンプリングされた曲の一つであるHoney Drippers(ハニー・ドリッパーズ)のファンク・アンセム、1973年の『Impeach the President』のドラムパートを著作権使用許諾を得ずに使用していると主張していた。 9月23日、米国地方裁判所のDale Ho(デール・ホー)判事は、ブライジのブレイクアウト・ヒット曲は、訴訟の中心となっているハニー・ドリッパーズの1973年の曲と『Real Love』は「実質的に類似していない」との判決を下した。ホー判事は、「両曲は同じに聞こえない。一般のリスナーは『Real Love』が『Impeach the President』から盗用されたとは気づかないだろう」と指摘したのだ。 余談だが、判事というとヒップホップに疎そうな老齢な方を想像するが、このデール・ホー判事はバイデン前大統領から司法官として任命された、1977年生まれでフィリピン系移民の、比較的若く新進気鋭の判事だ。今現在、ニューヨーク南部地区の米国地方判事を務めている。彼は『Real Love』をリアルタイムで聴いていただろう世代だ。 ブルースやジャズから、ファンクやヒップホップまで幅広いジャンルにわたり数万件の著作権を所有していると主張するレーベルTuff City Recordsは、長年にわたりメジャーアーティストやレーベルに対して同様の訴訟を起こしてきた。過去の訴訟には、Beastie Boys(ビースティ・ボーイズ)、Jay-Z(ジェイ・Z)、Kanye West(カニエ・ウェイスト)、などが関与しており、そのほとんどが裁判前に棄却、または和解している。 皮肉なことに、本訴訟の焦点となった『Impeach the President』自体は、ヒップホップの名曲の数々、例えばNas(ナズ)の『I...

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【HIPHOPCs独占インタビュー前編】北海道からNYへ:巨匠dj hondaが切り開いたヒップホップ〜Mos Defとの制作秘話〜

少年時代とロックからの出発 北海道留萌市。雪に包まれた地方都市で育った少年が、のちに世界のヒップホップシーンで名を馳せることになる。彼の名は dj honda(本名:本田勝裕)。日本から海を渡り、ニューヨークで数々のラッパーやプロデューサーと肩を並べた数少ない日本人だ。 しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。今回は、この偉大なるヒップホップの巨匠へぶつけた質疑応答を交えつつ、その軌跡を振り返る。 逆境を超え、ロック少年→ターンテーブリストへ 幼いころの honda 氏はヒップホップとは無縁。夢中になったのはギターとロックバンドだった。仲間と音を鳴らしながら「いつか大舞台に立ちたい」と願っていた。しかし東京に出てから、1980年代後半に日本へ届いたアメリカ発の新しいカルチャー――ヒップホップと出会う。クラブに鳴り響くビートとスクラッチの音が、彼の人生を大きく変えた。 Sei:少年時代は、どんな子どもだったのでしょうか? dj honda: 9歳の頃にギターを手にして、12歳には本気で弾き始めた。中学ではバンドを組んでライブにも出て、当時は完全にロック一筋。音楽がすべてだった。 Sei:幼少期、または上京した際の小話エピソードがあれば。 dj honda :11歳で耳を悪くして、左耳の手術を13回受け、鼓膜を除去したこと。17歳で東京に出た時は、金も伝手もなく、ゼロからのスタートだった。 Sei :ロック少年からヒップホップDJになった経緯は? dj honda:音楽をやるために東京に出たけど半年くらいで行き詰まって、住み込みの仕事を見つけた。その行き先がディスコだった。ギターを続ける資金を稼ぐつもりが、そこでDJと出会ったのが転機になった。 Sei:音楽的な世代間の溝(マンブルラップやトラップ)をどう見ますか? dj honda:音楽は音楽でしかない。マンブルだろうがトラップだろうが、オールドもニューも関係ない。結局は良いか悪いか、それだけ。 Sei:10〜20代前半へのアドバイスは? dj honda:遊びでも仕事でも本気でやってみること。中途半端にやったことは残らない。若い時はとにかく、“やらない理由”を探さないこと。結局、経験したことが全部武器になる。 Sei:他に何か若者へメッセージ、アドバイス等があれば。 dj honda:夢は簡単に叶わない。でも諦めず追い続ければ、必ず形になる。若いうちの挑戦も失敗も、全部が力になって未来を作る。 東京でのDJ活動とNYへの挑戦 1980年代後半、17歳で東京に上京。クラブでスクラッチやターンテーブルのスキルを磨き、クラブシーンで名を馳せる。1990年代初頭にはDJバトルで注目を浴び、アンダーグラウンドで確固たる地位を築く。 「日本で認められるだけじゃ本物じゃない。ヒップホップの本場で勝負したい」 1992年、英語もままならないまま活動の場をアメリカへ。ニューヨークでゼロからの挑戦を始める。MCやプロデューサー達とセッションを繰り返す中で、独自のハードなビートメイクで頭角を現し、現地ラッパー達の心を掴んでいった。 Sei:1992年 Battle for World Supremacy のために西海岸に住んだと聞きますが? dj honda:最初に挑戦したのは1990年。1回戦で負けて日本に戻った。本格的に住み始めたのは92年のバトル後。ロサンゼルスに渡って、そこから拠点を移した。 世界を驚かせた『h』 1995年、デビューアルバム 『h』 をリリース。Fat Joe、Redman、Common、The Beatnuts らを迎え、NYヒップホップ黄金期を凝縮。日本人プロデューサーがここまで豪華な布陣でアルバムを作ることなど誰も想像していなかった。批評家も驚き、ファンは honda のビートに熱狂。彼は本場で認められたのだ。 『hV』2曲目に収録されている『Respect...

【HIPHOPCs独占インタビュー】ヘッズ必見、USばりのフロウ。BLAISE × D-SETOが描く“ヒューマンジャンクション”

BLAISE(ブレイズ/kiLLa・BSTA)とD-SETO(ディー・セト/EVIL MINDS RECORDS・sutari forest)によるジョイントEP『HUMAN JUNCTION』が、2025年6月16日にリリースされた。 “ヒューマンジャンクション”というタイトルが示す通り、この作品は、東京・渋谷を拠点に活動するBLAISEと、青森出身のD-SETOという異なる背景を持つ二人が出会い、生み出した共鳴の記録です。この二人本当にフロウが半端じゃない。 全曲のプロデュースは、岡山在住のKAY DIEGOが担当。US南部や西海岸のレイドバックな空気感を纏ったビートに、二人のラップが見事に溶け込んでいる。 都市と地方、世代と個性──それぞれが交差する“ジャンクション”として生まれた今作について、お二人にお話を伺った。 https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mNXUB7myDBovm2m_AnEfLnD3gRWO5_coI&si=jNjWjXEI5b1eGGJX https://open.spotify.com/album/2bIieVtbJAHZtDKrn66MGX?si=GB_eovI9TmOWJt_hEDsZ0A 出会いのきっかけと、コラボに至るまで Ito: お願いします、まず今回のジョイントEPの制作に至ったきっかけをぜひ教えて欲しいです。 D-SETO:たしか4年前くらいですね。エイジアで初めて話したときに、僕の「Like a Dirty R.A.Y」という曲をBLAISEくんが気に入ってくれてて。 元ネタがベイエリアのCelly Celっていう90年代のラッパーで、その話や、ビートを作ってくれたKAY DIEGOって子が若いのにBAYとかUS南部のフレイバ入れたトラックをいっぱい送ってくれてる話なんかをしてたら、BLAISEくんが「こういうの一緒にやったら新しいかも」って興味持ってくれて。 「じゃあやろうよ」って自然な流れで始まった感じです。 彼のことはkiLLaで登場してた頃から知ってたので、若いのにすげー子いるなと思ってた。だから逆に自分を知っててくれてたのが驚きでした。 https://youtu.be/47YpbzPuApw?feature=shared Ito:自分も友達に紹介したらみんなハマってて。BLAISEさんとの初対面や第一印象を覚えていますか? D-SETO:歳下なんですけどすごくしっかりしてるなと、初対面の日にラップの話になった時も意見的に合致した部分が多かったのでシンパシーを感じました。 BLAISE:すごく謙虚な方で、音楽や自分自身との対話を沢山してきた方なんだなという印象でした。 Ito:初めて会った日からビジョンが同じだったんですね。『HUMAN JUNCTION』というテーマに対する、お二人それぞれの捉え方を宜しければ教えて頂きたいです D-SETO:自分は地方出身で東京在住ですが郊外に住んでて車で高速乗って東京の西から東に向かうまでに感じた事があって 田舎もんだからこその表現なのかも知れないんですけど首都高の複雑さが都心部が心臓だとすると合流したり出口が色々あったり血管が入り乱れてるんじゃないかと思うくらい都度難易度を感じまして。テンパっちゃうくらい笑 まあ自分が慣れてなくて下手くそなんですけど笑 青森いた頃は三沢から弘前行くにしても高速乗ってただぶっ飛ばせば着くくらいで複雑さは感じなくてこれはやっぱインターチェンジだけの経験とジャンクションがあるかないかの違いなんでしょうけど今回このEPラッパー陣とビートメイカーでそれぞれ住んでる場所も育ちも違うなかそれぞれの価値観や人と人との経験談などを音とリリックに落とし込んで作品にしててそれが各々人間関係の複雑さだったりで。この感覚を例えるのであれば音を通じてエネルギーの中心部東京から地方へと、そして地方から東京っていうまさに音と人の循環を表すテーマとしてもってこいだなと思いました。 BLAISE:東京の街は海外から来た人も地方から来た人もごちゃごちゃになっていて、その様子がぼくにとっては1番イメージ出来ました。 Ito:凄いこだわりを感じました。音楽に対する姿勢が最近出てきているラッパーを圧倒してると感じていまして。ほんとに。東京、青森というルーツの違いが、お二人の音楽的な相性や化学反応に影響などはありましたか? D-SETO:自分が育った根っこにある音楽スタイルって変わらないと思うし無理して変えてもボロが出ると思うしハタから見ても無理矢理かっこつけた感満載でバレバレだから僕は上京してもイナたさ全開でスタイル貫いてたんですけど、今回BLAISEくんがもろこっち側のスタイルに寄り添ってくれたのがかなり新鮮だと思うし彼としても今まで触れた事のないスタイルでのラップだけど彼の持つグルーブをかなり引き出せたと思う。特に4曲目の調子 a Get Upでのラップの乗せ方はマジで気持ち良すぎる、KAY DIEGOのバックトラックもBAYと南部で馴染みはないかもしれないけどルーツは90’sのHIPHOPなのでやっぱBLAISEくんのラップのスタイルに合うんですよ。 彼のJab Stepで魅せたあの渋さを今回別角度、別スタイルで出せて聴けたのは個人的にですがマジでコラボして良かったと思いました。 Ito:なるほど。自分も聞いてて思ったのですがhuman junctionもそうで、海で流したいなぁと思いながら とくにフロウはお二人ともの音楽への愛というか、かけてる時間というか、何故か聞いたら自分が一発でくらっちゃう感覚が大好きで。お互いに「低い声」と独特なフロウが持ち味だと思いますが、お互いのラップスタイルをどのように評価していますか? D-SETO:BLAISEくんはローボイスを活かしつつハンマーでぶっ叩くように言葉をハメるラップがマジでかっこいいと思うオンビートもオフビートも使いこなせてるけど、オフビートのラップが段違いで心地良すぎる。生まれ持ったリズム感が凄いと思う。 BLAISE:SETO君のラップスキルは間違いなく日本トップレベル、世界に通用するラップだと思います。 音感、リリックともに面白さ満点でさらきスタイルを貫き通しながら進化を続けてる姿がとても素敵だと思います。 Ito:ハンマーでぶったたく笑BLAISEさんのフロウの中にたまにガツンとくるワードでそんな感覚あります。私も1リスナーとして、間違いなくトップレベルだと胸を張って紹介できます。あとはやはりフロウ面で特に意識した点や、挑戦したことがあれば是非。 D-SETO:ここ数年他の作品でもそうですけどテクニックに囚われず聴き取りやすさを優先して構築した感はあります。 Ito:なるほど、確かにD-SETOさん持ち味プラスっていう感じが今回のアルバムにあったよう感じます。それぞれが“自分の声”や“言葉のリズム”を最も活かせた曲とかこだわったリリックはいかがでしょうか? D-SETO:1曲目のHUMAN JUNCTIONこれはBLAISEくんパートがカッコ良過ぎて4回書き直してやっと満足のいくリリックになった感じですね。リリックは 結局のところ どん底ん時も 誰が変わらずに居てくれたかだ 損得よりも恩と徳 気持ち梱包 即届く 心奥のポストにそっと置く かつての孤独だと思ってた気持ちも取っておく Ito:4回書き直しですか。やはり、対抗心的なものが生まれてるというか。ほんとにみなさん聞いてみてください。制作中に「これは絶対に入れたい」と思ったワードやテーマはありましたか? D-SETO:やっぱジャンクション言うだけあって車を連想させるワードは各曲に散りばめたと思います。 Ito:なるほど.ジャンクション柱でアルバムの中にあるというか。レコーディングや制作中に印象的だったエピソードなどあれば是非。 D-SETO:MIXは南部とベイ特有のスネアとハットの鳴りを意識してエンジニアさんに注文を出しました。日本では未だに鳴りとして定着してなかったのとスケジュール的に立ち合いも出来なくて曲によっては中々イメージ通りにいかないのもあったので何度も何度も修正依頼した曲もあります。理想通りに形にしていただけたのでエンジニアさんには感謝です。 1曲目のHUMAN JUNCTIONはバージョン1としてのオケが手元に届いたのが2021年で着手してから別のラッパーさんとまさかの上ネタ被りが判明したのでKAY DIEGOに違うバージョンとして弾き直してもらったらバージョン1より格段に良い状態で返ってきたのでそのまま採用しました。 現場としては一緒にスタジオ入った年に自分の子供が産まれたばかりで睡眠不足だったので寝ないようにカフェインのタブレット飲もうと思って容器から出したらBLAISEくんにヤバイクスリ飲んでると思われたこと。あとやっぱ一緒に作ろうぜ!ってなってから自分の生活がガラッと変わってしまって1日の時間割も変わってしまったのでそこに合わせていただけてくれたし思うように動けなかったのにも関わらずBLAISEくん、KAY...

【HIPHOPCs独占インタビュー】サウスにコネクションを築いた唯一の日本人ラッパー──Cz TIGERとレジェンドBun B(UGK)“Let’s Get To It”制作秘話

アメリカ南部、いわゆる“サウス”に足を踏み入れること。普通の感覚じゃ「行きたくない」と思う空気があると思う。そんな空気に、“HIPHOPファン”としてではなく“同じ目線で”飛び込みコネクションを築いた日本人が何人いるのか。 https://youtu.be/EydIfdtHODA?feature=shared 英語が通じると思ってる人は多いが実際、サウスでは「英語」ではなく「訛り(スラング)」が支配しているし、そもそも英語が通じないところもある。 他の地域なら、すでに多くのアジア系が暮らしていて、音楽カルチャーに参加する入り口は多いのも事実だろう。 https://youtu.be/NqtVgabWVkc?feature=shared King Von がATLのクラブ外で、Quando Rondo関係者との口論から銃撃戦になり、亡くなった抗争も如実に土地柄を表していると感じる。 Bun Bは、Pimp Cと共にUGKとして全米チャート1位を獲得 彼はUGK(Underground Kingz)という伝説的デュオの一人として、1980〜90年代からテキサス州ポートアーサーを拠点に、南部(サウス)のリアルを叩きつけるラップで地位を築いた。つまり、南部ヒップホップの土台を作り、Jay-Zすらもリスペクトを表明するリアルと知性を兼ね備えた南部の王者である https://youtu.be/Cgoqrgc_0cM?feature=shared https://youtu.be/CQL-IFEk6hw?feature=shared Bun B、まさにアンダーグラウンドのキング その意味の重みは関わった人間にしかわからないからこそ、Cz TIGERがBun Bやその他のラッパーと築いたとコネクションや信頼は、日本のヒップホップ史上でも極めて特殊で異質だと言える。多くのリスナーは気づいているのだろうか そしてそんなCz TIGERさんに今回は貴重なインタビューをさせていただいた。 インタビュー・Bun B(UGK)との出会いについて Cook:Bun B(UGK)といえば真のレジェンドですよね。出会いについて是非教えて頂きたいです!どんなエネルギーを感じましたか? Cz TIGER : 今までコラボした海外アーティストの人とは制作する曲の意見交換とかVibesを会うなり、どうしても会えないならビデオ通話で制作を進めてきました。 Bun B ( UGK ) に限っては当時中学の頃から聴いていてかなりのファンだったので例外で、僕のことをデビューする前から応援してくれてた DJ 3cho から電話が来て...

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