土曜日, 7月 5, 2025

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【HIPHOPCs独占インタビュー】ヘッズ必見、USばりのフロウ。BLAISE × D-SETOが描く“ヒューマンジャンクション”

BLAISE(ブレイズ/kiLLa・BSTA)とD-SETO(ディー・セト/EVIL MINDS RECORDS・sutari forest)によるジョイントEP『HUMAN JUNCTION』が、2025年6月16日にリリースされた。 “ヒューマンジャンクション”というタイトルが示す通り、この作品は、東京・渋谷を拠点に活動するBLAISEと、青森出身のD-SETOという異なる背景を持つ二人が出会い、生み出した共鳴の記録です。この二人本当にフロウが半端じゃない。 全曲のプロデュースは、岡山在住のKAY DIEGOが担当。US南部や西海岸のレイドバックな空気感を纏ったビートに、二人のラップが見事に溶け込んでいる。 都市と地方、世代と個性──それぞれが交差する“ジャンクション”として生まれた今作について、お二人にお話を伺った。 https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mNXUB7myDBovm2m_AnEfLnD3gRWO5_coI&si=jNjWjXEI5b1eGGJX https://open.spotify.com/album/2bIieVtbJAHZtDKrn66MGX?si=GB_eovI9TmOWJt_hEDsZ0A 出会いのきっかけと、コラボに至るまで Ito: お願いします、まず今回のジョイントEPの制作に至ったきっかけをぜひ教えて欲しいです。 D-SETO:たしか4年前くらいですね。エイジアで初めて話したときに、僕の「Like a Dirty R.A.Y」という曲をBLAISEくんが気に入ってくれてて。 元ネタがベイエリアのCelly Celっていう90年代のラッパーで、その話や、ビートを作ってくれたKAY DIEGOって子が若いのにBAYとかUS南部のフレイバ入れたトラックをいっぱい送ってくれてる話なんかをしてたら、BLAISEくんが「こういうの一緒にやったら新しいかも」って興味持ってくれて。 「じゃあやろうよ」って自然な流れで始まった感じです。 彼のことはkiLLaで登場してた頃から知ってたので、若いのにすげー子いるなと思ってた。だから逆に自分を知っててくれてたのが驚きでした。 https://youtu.be/47YpbzPuApw?feature=shared Ito:自分も友達に紹介したらみんなハマってて。BLAISEさんとの初対面や第一印象を覚えていますか? D-SETO:歳下なんですけどすごくしっかりしてるなと、初対面の日にラップの話になった時も意見的に合致した部分が多かったのでシンパシーを感じました。 BLAISE:すごく謙虚な方で、音楽や自分自身との対話を沢山してきた方なんだなという印象でした。 Ito:初めて会った日からビジョンが同じだったんですね。『HUMAN JUNCTION』というテーマに対する、お二人それぞれの捉え方を宜しければ教えて頂きたいです D-SETO:自分は地方出身で東京在住ですが郊外に住んでて車で高速乗って東京の西から東に向かうまでに感じた事があって 田舎もんだからこその表現なのかも知れないんですけど首都高の複雑さが都心部が心臓だとすると合流したり出口が色々あったり血管が入り乱れてるんじゃないかと思うくらい都度難易度を感じまして。テンパっちゃうくらい笑 まあ自分が慣れてなくて下手くそなんですけど笑 青森いた頃は三沢から弘前行くにしても高速乗ってただぶっ飛ばせば着くくらいで複雑さは感じなくてこれはやっぱインターチェンジだけの経験とジャンクションがあるかないかの違いなんでしょうけど今回このEPラッパー陣とビートメイカーでそれぞれ住んでる場所も育ちも違うなかそれぞれの価値観や人と人との経験談などを音とリリックに落とし込んで作品にしててそれが各々人間関係の複雑さだったりで。この感覚を例えるのであれば音を通じてエネルギーの中心部東京から地方へと、そして地方から東京っていうまさに音と人の循環を表すテーマとしてもってこいだなと思いました。 BLAISE:東京の街は海外から来た人も地方から来た人もごちゃごちゃになっていて、その様子がぼくにとっては1番イメージ出来ました。 Ito:凄いこだわりを感じました。音楽に対する姿勢が最近出てきているラッパーを圧倒してると感じていまして。ほんとに。東京、青森というルーツの違いが、お二人の音楽的な相性や化学反応に影響などはありましたか? D-SETO:自分が育った根っこにある音楽スタイルって変わらないと思うし無理して変えてもボロが出ると思うしハタから見ても無理矢理かっこつけた感満載でバレバレだから僕は上京してもイナたさ全開でスタイル貫いてたんですけど、今回BLAISEくんがもろこっち側のスタイルに寄り添ってくれたのがかなり新鮮だと思うし彼としても今まで触れた事のないスタイルでのラップだけど彼の持つグルーブをかなり引き出せたと思う。特に4曲目の調子 a Get Upでのラップの乗せ方はマジで気持ち良すぎる、KAY DIEGOのバックトラックもBAYと南部で馴染みはないかもしれないけどルーツは90’sのHIPHOPなのでやっぱBLAISEくんのラップのスタイルに合うんですよ。 彼のJab Stepで魅せたあの渋さを今回別角度、別スタイルで出せて聴けたのは個人的にですがマジでコラボして良かったと思いました。 Ito:なるほど。自分も聞いてて思ったのですがhuman junctionもそうで、海で流したいなぁと思いながら とくにフロウはお二人ともの音楽への愛というか、かけてる時間というか、何故か聞いたら自分が一発でくらっちゃう感覚が大好きで。お互いに「低い声」と独特なフロウが持ち味だと思いますが、お互いのラップスタイルをどのように評価していますか? D-SETO:BLAISEくんはローボイスを活かしつつハンマーでぶっ叩くように言葉をハメるラップがマジでかっこいいと思うオンビートもオフビートも使いこなせてるけど、オフビートのラップが段違いで心地良すぎる。生まれ持ったリズム感が凄いと思う。 BLAISE:SETO君のラップスキルは間違いなく日本トップレベル、世界に通用するラップだと思います。 音感、リリックともに面白さ満点でさらきスタイルを貫き通しながら進化を続けてる姿がとても素敵だと思います。 Ito:ハンマーでぶったたく笑BLAISEさんのフロウの中にたまにガツンとくるワードでそんな感覚あります。私も1リスナーとして、間違いなくトップレベルだと胸を張って紹介できます。あとはやはりフロウ面で特に意識した点や、挑戦したことがあれば是非。 D-SETO:ここ数年他の作品でもそうですけどテクニックに囚われず聴き取りやすさを優先して構築した感はあります。 Ito:なるほど、確かにD-SETOさん持ち味プラスっていう感じが今回のアルバムにあったよう感じます。それぞれが“自分の声”や“言葉のリズム”を最も活かせた曲とかこだわったリリックはいかがでしょうか? D-SETO:1曲目のHUMAN JUNCTIONこれはBLAISEくんパートがカッコ良過ぎて4回書き直してやっと満足のいくリリックになった感じですね。リリックは 結局のところ どん底ん時も 誰が変わらずに居てくれたかだ 損得よりも恩と徳 気持ち梱包 即届く 心奥のポストにそっと置く かつての孤独だと思ってた気持ちも取っておく Ito:4回書き直しですか。やはり、対抗心的なものが生まれてるというか。ほんとにみなさん聞いてみてください。制作中に「これは絶対に入れたい」と思ったワードやテーマはありましたか? D-SETO:やっぱジャンクション言うだけあって車を連想させるワードは各曲に散りばめたと思います。 Ito:なるほど.ジャンクション柱でアルバムの中にあるというか。レコーディングや制作中に印象的だったエピソードなどあれば是非。 D-SETO:MIXは南部とベイ特有のスネアとハットの鳴りを意識してエンジニアさんに注文を出しました。日本では未だに鳴りとして定着してなかったのとスケジュール的に立ち合いも出来なくて曲によっては中々イメージ通りにいかないのもあったので何度も何度も修正依頼した曲もあります。理想通りに形にしていただけたのでエンジニアさんには感謝です。 1曲目のHUMAN JUNCTIONはバージョン1としてのオケが手元に届いたのが2021年で着手してから別のラッパーさんとまさかの上ネタ被りが判明したのでKAY DIEGOに違うバージョンとして弾き直してもらったらバージョン1より格段に良い状態で返ってきたのでそのまま採用しました。 現場としては一緒にスタジオ入った年に自分の子供が産まれたばかりで睡眠不足だったので寝ないようにカフェインのタブレット飲もうと思って容器から出したらBLAISEくんにヤバイクスリ飲んでると思われたこと。あとやっぱ一緒に作ろうぜ!ってなってから自分の生活がガラッと変わってしまって1日の時間割も変わってしまったのでそこに合わせていただけてくれたし思うように動けなかったのにも関わらずBLAISEくん、KAY...

NBAヤングボーイ、星条旗を背負ってスキーマスクで登場 ─「Make America Slime Again」公式カバーが公開

NBAヤングボーイ、星条旗を背負って登場 ─「Make America Slime Again」公式カバーが公開 遂に釈放後、アルバム『Make America Slime Again』、7月4日に登場予定だ。 NBA YoungBoyが、独立記念日に合わせて最新作『Make America Slime Again』をリリースする。発表からリリースまでの時間は約30時間。これは彼にとって昨年12月の『I Just Got A Lot On My Shoulders』以来となる本格的なアルバムである。 スター選手にとっての“本気の一作” https://twitter.com/Kurrco/status/1940474862138806669 NBA YoungBoyは2024年初頭に『More Leaks』を発表していたが、それは未公開曲を集めたコンピレーションに過ぎなかった。本作は、彼のキャリアの中でも明確な区切りとなる1枚と位置づけられている。 星条旗 × グリーンのスキーマスク:カバーアートが話題に アルバムの公式カバーは、数時間前に本人のSNSに投稿された。背後にはアメリカ国旗、そして本人は鮮やかなグリーンのスキーマスクを身につけている。色彩のコントラストと大胆な構図が注目され、「今年最高のカバー」「キャリア史上ベスト」との声も上がっている。 ラップ界における星条旗の表現 ラッパーによる星条旗の使用は過去にも例が多い。Outkastの『Stankonia』、A$AP Rockyの『LIVE.LOVE.A$AP』や『LONG.LIVE.A$AP』、さらにLil...

【速報】シュグ・ナイト、2パックの1996年の死に関する新主張:ディディと2パックの母親の関与について

たまにふと思う。もしまだ2パックが生きていたら、と。素晴らしい演技力でハリウッドからも引っ張りだこだった彼なら、きっとラップをしていなくても、アメリカを代表する大物俳優になっていたかもしれない。もしくは、シュグと同じように若気の至りが祟って、長い間収監されていたかもしれない。あるいはスヌープや他のOGのように、実業家として活躍していたかもしれないし、子供や孫に囲まれていたかもしれない。 People誌が独占インタビューを行った、久々のSuge Knight(シュグ・ナイト)関連記事。その中には既存の事柄もあれば、初めて聞く衝撃的な内容も含まれているので、お届けする。 2パック殺害事件についてのおさらい 一応、2Pac (2パック)殺害事件についてのおさらいをしよう。1996年9月7日の午後11時頃、当時31歳でデス・ロウ・レコードのCEO、且つ、音楽業界で最も恐れられていた大物実業家だったMarion “Suge” Knight(マリオン・”シュグ”・ナイト)は、黒いBMW750セダンでラスベガスのストリップから1ブロック東へ走っていた。その助手席に同乗していた当時25歳のラッパー、Tupak Shakur(トゥパック・シャクール/2パック)は、ラスベガスでのMike Tyson(マイク・タイソン)のボクシング試合のわずか数時間前に、カジノでギャングのClips(クリップス)のメンバーと激しい口論をしていた。これは、Orlando “Baby Lane” Anderson(オーランド・”ベイビーレーン”・アンダーソン)とSouthside Compton Clips(サウスサイド・コンプトン・クリップス)のグループが、デス・ロウの関係者Trevon Lane(トレヴォン・レーン)を強盗しようとしたとされる事件がきっかけである。アンダーソンを見つけると、パックは彼に立ち向かい、乱闘騒ぎとなった。そして、2パックと彼の取り巻きは、アンダーソンを襲撃した。この乱闘の様子はホテルの監視システムにも記録されていた。 そしてその夜。フラミンゴ通りとコヴァル通りの角で、シュグと2パックの黒のBMWの隣に白い最新型キャデラックが並んで停まったという。ラスベガス検察が2024年7月に提出した書類によると、オーランド・”ベイビーレーン”・アンダーソンは適切な角度で撃てなかったそうだ(つまり、狙撃に失敗したということ)。これは、12月に提出された別の裁判所の書類で、彼が容疑者として挙げられていたことを受けてのことである。アンダーソンは、ギャング仲間のDeandre “Big Dre” Smith(デアンドレ・”ビッグ・ドレ”・スミス)に拳銃を手渡したとされ、スミスは車の後部座席から合計13発の銃弾を発射した。4発の銃弾が2パックの胸、腕、太ももに命中したそうだ。ナイトは頭部に破片がかすめたものの、一命を取り留めた。普段は防弾チョッキを着用していたパックだったが、その夜は着用していなかったという。そしてこの出来事はギャングと関係の深いレーベルや権力などの利害関係を生じ、30年近くも「未解決」事件として扱われていた。尚、アンダーソンは1998年にギャング抗争の銃撃戦で命を落とし、狙撃犯のスミスは、2004年に「自然死」している。 キーフ・Dとディディの関与について だが、2023年9月。元クリップスのリーダーであり、あの夜白いキャデラックに乗っていた最後の生存者として知られるデュアン・“キーフD”・デイビスが逮捕され、襲撃を計画した罪で起訴された。検察は、デイビスが何十年にもわたってヒップホップ界を悩ませてきたこの殺人事件の立役者だったと主張している。2024年7月18日付けの衝撃的な法廷文書で、クラーク郡地方検事局は、長らく埋もれていた2009年の警察の尋問を公開した。その中でデイビスは、2年間元秘密情報提供者として話しており、殺人における自身の役割を詳細に語っただけでなく、トゥパック・シャクールの暗殺を命じたとされる人物として、当時Puffy(パフィー)として知られていた音楽界の大物Sean ”Diddy”Combs(ショーン・”ディディ”・コムズ)を繰り返し名指ししていた。DEAと米国司法省はまた、2008年のインタビューに関する報告書も公開した。その中でデイビスは、ディディが「ナイトとシャクールを排除する必要がある」と発言し、「問題に対処する」ためにデイビスに100万ドルを申し出たと主張している。だが、ディディ自身は銃撃事件への関与を強く否定しており、ラスベガス市警察の広報担当官は2024年7月24日、「ショーン・コムズがトゥパック・シャクール殺人事件の捜査において容疑者とみなされたことは一度もありません」と述べているという。 2 パックの最後と母親の決断 2パックの最後だが、シュグはまた、自殺をすると天国へ行けないと強く信じていた、痛みに悶えていたパック本人から「俺を撃ってくれ」と殺害を依頼されたとされる証言や、母親のAfeni(アフェニ)氏に「解放してくれ」と懇願していたとされる証言(シュグによると、アフェニ氏はその後に彼の望みを叶えようと、死を促進させる薬を投与したとされる)など、悲惨な話を提供した。「医師たちが来て、あいつを蘇生させたんだ。すると母親が、『二度とあんなことをしないで。もし合併症を発してるなら、彼に触れてないで頂戴』と言ったんだ」シュグは、息子が命を懸けて闘う姿を十分に見届けた後、アフェニ氏が医師たちに伝えたメッセージについて語った。「彼を蘇生させないで。彼を開放してあげてちょうだい」結果、2Pacは1996年9月13日午後4時過ぎ(太平洋標準時)に亡くなった。2パックの死後、シュグは、パック自身が別の葬儀形態を希望していたにもかかわらず、アフェニ氏が即時火葬を主張したと述べていた。「(2パックは)こう言ったんだ。『俺が死んだら、葬式に来たラッパー全員にマイクを握ってもらいたい。頭からつま先までキスしてほしい。『Life Goes On』みたいにね』と。彼は火葬を望まなかったんだ」とシュグは主張した。結局彼は関係者に100万ドルを現金で支払って2パックの火葬を行ったという。ちなみに、母親のアフェニ・シャクール氏は、2016年5月2日に69歳で亡くなった。 シュグ・ナイトの発言の信憑性 今年に入ってから牢獄内でインタビューを受け、ディディ裁判からRay-J(レイ・J)、Snoop(スヌープ)とデス・ロウ・レコーズに至るまで、様々な発言をしているシュグ・ナイト。時に自分に都合よく曲解し、呆れる虚言も目立つが、2パックに関しては「あいつは世界で一番好きな奴だった。あいつは俺の人生を永遠に変えた、俺の一部だった。あいつが死ぬ必要なんてなかった。奴が死んだ時、俺の一部も死んだんだ」と声を震わせながら語ってもいたので、誇張はあっても虚言はないのかもしれない。もちろん当事者が亡くなり、関係者も存命している者が少なくなってきた今、彼の言動や行動に確証は無い。 ラップ力や演技力は言わずもがな、文化的影響力やカリスマ力、若者に必要な才能全て兼ね備えた彼のような存在は、30年近く経った今でもまだ現れない。アメリカのエンターテイメント業界は、本当に惜しい人材を失ったものだとつくづく思う。キーフ・Dの裁判は、2026年の2月まで延長となってしまったが、2パック関連のニュースは、できる限り追ってお届けしようと思う。 https://hiphopnewscs.jp/2025/03/09/2pac%e6%ae%ba%e5%ae%b3%e5%ae%b9%e7%96%91%e8%80%85%e3%81%8c%e5%88%9d%e3%81%ae%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%93%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%81%a7%e7%84%a1%e7%bd%aa%e3%82%92%e4%b8%bb%e5%bc%b5%ef%bc%9a/ https://hiphopnewscs.jp/2025/02/26/%e7%8d%84%e4%b8%ad%e3%81%ae%e3%82%b7%e3%83%a5%e3%82%b0%e3%83%bb%e3%83%8a%e3%82%a4%e3%83%88%e3%81%8c%e5%86%8d%e5%ba%a6%e7%88%86%e5%bc%be%e7%99%ba%e8%a8%80%ef%bc%81%e4%bb%8a%e5%ba%a6%e3%81%af%e3%82%b9/ https://hiphopnewscs.jp/2025/02/14/%e6%99%a9%e5%b9%b4%e3%81%ae2pac%e3%81%a8%e3%82%b9%e3%83%8c%e3%83%bc%e3%83%97%e3%81%ae%e4%b8%8d%e5%92%8c%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e3%82%b7%e3%83%a5%e3%82%b0%e3%83%8a%e3%82%a4%e3%83%88/ https://hiphopnewscs.jp/2025/01/23/2pac%e6%ae%ba%e5%ae%b3%e5%ae%b9%e7%96%91%e8%80%85%e3%81%aekeefe%e3%83%bbd%e3%80%81%e5%91%8a%e8%a8%b4%e6%a3%84%e5%8d%b4%e3%81%ae%e7%94%b3%e3%81%97%e7%ab%8b%e3%81%a6%e3%81%8c%e5%8d%b4%e4%b8%8b%e3%81%95/ https://hiphopnewscs.jp/2025/01/09/2pac%e6%ae%ba%e5%ae%b3%e5%ae%b9%e7%96%91%e8%80%85%e3%81%aekeefe%e3%83%bbd%e3%80%81%e5%91%8a%e8%a8%b4%e6%a3%84%e5%8d%b4%e3%81%ae%e7%94%b3%e3%81%97%e7%ab%8b%e3%81%a6%e3%82%92%e6%8f%90%e5%87%ba/ Via

WizとSnoopが地元に5万ドル寄付!ピッツバーグの学校支援がアツい

Wiz KhalifaとSnoop Doggが、ピッツバーグの公立学校に5万ドル(約800万円)を寄付したニュースが話題になってます。元NFL選手でポッドキャストホストのPat McAfeeも参加して、3人で地元教育をサポートしてるんです! この寄付、2012年の映画『Mac & Devin Go to High School』を思い出しませんか?映画では学校が舞台だったけど、今度はリアルで学校を支援してるのが何だかエモいですよね。音楽だけじゃなく、社会貢献でも息の合った2人です。 snoop dogg & wiz khalifa young wild & freeを思い出しました😌 和訳動画↓ https://youtu.be/QStuB6SMOiQ?si=4y_teaYHPNT8Ct31 寄付金の使い道は? 5万ドルはピッツバーグの公立学校全体で使われる予定。生徒のサポートや学区全体の取り組みに充てられて、2万人以上の生徒たちの教育環境が良くなります。 ちなみにピッツバーグ学区は、ペンシルベニア州で2番目に大きくて、生徒の80%以上が経済的に厳しい環境にいるんです。50以上の言語が話されてる多様な地域でもあります。 Wizの地元愛は昔から本物 実はWiz、前から故郷思いなんですよね。2022年にはDepopで限定アパレルを売って、音楽教育プログラムに寄付。2021年にはフードパントリーも支援してます。 2012年に出身校のTaylor Allderdice High Schoolの名前を使ったミックステープを出したのも、地元への愛が深いからこそですよね。 https://twitter.com/PittsburghPG/status/1938715727868923976 https://hiphopnewscs.jp/2024/12/22/time%e8%aa%8c%e3%83%99%e3%82%b9%e3%83%88%e3%82%bd%e3%83%b3%e3%82%b01%e4%bd%8d%e3%80%8ctgif%e3%80%8d%e3%80%81%e3%82%b0%e3%83%ad%e3%83%aa%e3%83%a9%e3%81%8c%e8%a6%8b%e3%81%9b%e3%81%9f%e6%88%90%e5%8a%9f/ 15年続くSnoopとの友情 SnoopとWizの友情って15年くらい前から始まってて、Snoopの息子がWizの音楽を聞いてたのがきっかけ。それから音楽でコラボしたり、2023年にはジョイントツアーもやって、今度はチャリティまで一緒に! 単なる話題作りじゃなくて、本気で街のことを考えてるのが伝わってきます。 こういうアーティストがコミュニティに還元する動きを見てると、ヒップホップって音楽以上の文化なんだなって改めて思います。WizとSnoopの行動が、次の世代のお手本になってくれそうです。 VIA ケンドリック・ラマー、トロントで『Not Like Us』を披露──ドレイクの地元で遠慮は一切なし ヒップホップの伝説、マッドリブがロサンゼルスの山火事で自宅を失う ケンドリック、ドレイクの地元トロントで"ツアー開催"ファンの反応「絶対ヤバい事が起きる」 Time誌ベストソング1位「TGIF」、グロリラが見せた成功と故郷への恩返し

ヒップホップヘッズ必見!LLクールJが司会を務める『Hip Hop Was Born Here』の予告編が公開されたぞ!

温故知新。すなわち、過去の事柄を知り、そこから新しい知識や見解を得ることを意味する、四字熟語。過去を知ることで、それに基づき現実に起きている問題を認識したり解決する知恵を編み出し、そして未来を作り出していく。Hip-Hop(ヒップホップ)の歴史は以前も本サイトの記事で何度か触れたが、Paramount+(パラマウント・プラス)が、近日公開予定のドキュメンタリーシリーズ『Hip Hop Was Born Here(ヒップホップはここから生まれた)』の予告編を正式に公開した。ヒップホップの起源と文化的影響を力強く探求するこの番組のホストは、ラップ界のパイオニアであり、ロックの殿堂入りを果たしたレジェンド、LL COOL J(LLクールJ)である。 2023年に50周年を迎えたヒップホップというジャンルを背景に、ニューヨーク市におけるヒップホップの起源を探る5部構成のこのドキュメンタリーシリーズ。ブロンクスのブロックパーティーから世界的大流行に至るまで、ヒップホップの誕生と発展を視聴者に紹介する。ヒップホップ文化の初期の商業的躍進を支えたスーパースター、且つ、業界の大御所中の大御所、LLクールJが、ジャンルのルーツ、勃興と隆盛、そして現代社会での意義を、没入感たっぷり描き出すこの番組のガイド役を務める。LLの本プロジェクトへの参加が、作品の真髄を捉えているのは確かだが、彼と一緒に盛り上げている元フットボール選手のPayton Manning(ペイトン・マニング)のアウトサイダー的な好奇心が、新鮮で敬意に満ちた視点とフレイバーを加えているそうだ。ちなみに二人は同番組の共同クリエーターでもある。 同番組だが、表面的なノスタルジアにとどまらず、この文化の誕生と永続的な影響の層を掘り下げているのが特徴だそうだ。LLはヒップホップのOGら、新進気鋭のスター軍、プロデューサー陣、そしてトレンドセッターたちとタッグを組み、それぞれのストーリーや貴重な洞察を披露する。象徴的なエリアや伝説的なスタジオへの訪問から、ヒップホップの歴史を変えたトラックについての議論まで、このシリーズは今日のヒップホップを形作った音楽、ムーブメント、そして人々に光を当るという。また、このシリーズでは、ヒップホップが単なるサウンドにとどまらず、言語、ファッション、政治的勢力、そして生き方へとどのように成長してきたのかを探るそうだ。Big Daddy Kane(ビッグ・ダディ・ケイン)、Doug E. Fresh(ダグ・E・フレッシュ)、Rev Run(レヴ・ラン)、Method Man(メソッド・マン)、Roxanne Shante(ロクサーヌ・シャンテ)といった先駆者たちへのインタビューが、この物語に命を吹き込んでいる。彼らは、自身のキャリアを決定づけ、このジャンルの遺産を形作ったトラックを振り返りながら、その伝統を受け継ぐ新しい声にスポットライトを当る。 故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る、温故知新とは、中国の思想家、孔子が「論語」で述べた言葉である。音であれ言葉であれ美術であれ、はたまた何かの企画であれ、今までに誰も見たことも聞いたこともない新鮮な何かを作るには、皆、古いモノを捨てて、新しい何かをしなければならないと思っているだろう。だが、無理に新しいことを創出するよりも、過去や昔の物の中に、何らかのヒントが隠れていることも、あったりする。ヒップホップのサンプリング文化などは、その最たる例なのかもしれない。 7月22日にアメリカ、カナダ、ラテン アメリカ、ブラジルでのパラマウント・プラスで初公開され、翌日23日には世界各国で公開するそうだ。日本でもパラマウント・プラスは視聴できるそうなので、ヒップホップヘッズは必見だ!今からカレンダーにリマインダー設定をしておこう。 https://youtu.be/lrK_ksLpbCg https://hiphopnewscs.jp/2025/06/19/%e4%bb%8a%e3%81%95%e3%82%89%e8%81%9e%e3%81%91%e3%81%aa%e3%81%84%e3%83%92%e3%83%83%e3%83%97%e3%83%9b%e3%83%83%e3%83%97%ef%bc%81%e3%83%92%e3%83%83%e3%83%97%e3%83%9b%e3%83%83%e3%83%97%e3%81%ae%e9%87%8d/ https://hiphopnewscs.jp/2025/02/06/%e4%bb%8a%e3%81%95%e3%82%89%e8%81%9e%e3%81%91%e3%81%aa%e3%81%84%e3%83%92%e3%83%83%e3%83%97%e3%83%9b%e3%83%83%e3%83%97%ef%bc%81%e3%82%aa%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%89%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%bc%e3%83%ab/ https://hiphopnewscs.jp/2025/01/19/kendrick-lamar%e3%81%a8quincy-jones%e3%81%ae%e5%af%be%e8%ab%87%e3%81%8b%e3%82%89%ef%bc%9a%e3%83%a9%e3%83%83%e3%83%97%e3%81%ae%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%83%84%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e6%94%b9/ Via

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【HIPHOPCs独占インタビュー】サウスにコネクションを築いた唯一の日本人ラッパー──Cz TIGERとレジェンドBun B(UGK)“Let’s Get To It”制作秘話

アメリカ南部、いわゆる“サウス”に足を踏み入れること。普通の感覚じゃ「行きたくない」と思う空気があると思う。そんな空気に、“HIPHOPファン”としてではなく“同じ目線で”飛び込みコネクションを築いた日本人が何人いるのか。 https://youtu.be/EydIfdtHODA?feature=shared 英語が通じると思ってる人は多いが実際、サウスでは「英語」ではなく「訛り(スラング)」が支配しているし、そもそも英語が通じないところもある。 他の地域なら、すでに多くのアジア系が暮らしていて、音楽カルチャーに参加する入り口は多いのも事実だろう。 https://youtu.be/NqtVgabWVkc?feature=shared King Von がATLのクラブ外で、Quando Rondo関係者との口論から銃撃戦になり、亡くなった抗争も如実に土地柄を表していると感じる。 Bun Bは、Pimp Cと共にUGKとして全米チャート1位を獲得 彼はUGK(Underground Kingz)という伝説的デュオの一人として、1980〜90年代からテキサス州ポートアーサーを拠点に、南部(サウス)のリアルを叩きつけるラップで地位を築いた。つまり、南部ヒップホップの土台を作り、Jay-Zすらもリスペクトを表明するリアルと知性を兼ね備えた南部の王者である https://youtu.be/Cgoqrgc_0cM?feature=shared https://youtu.be/CQL-IFEk6hw?feature=shared Bun B、まさにアンダーグラウンドのキング その意味の重みは関わった人間にしかわからないからこそ、Cz TIGERがBun Bやその他のラッパーと築いたとコネクションや信頼は、日本のヒップホップ史上でも極めて特殊で異質だと言える。多くのリスナーは気づいているのだろうか そしてそんなCz TIGERさんに今回は貴重なインタビューをさせていただいた。 インタビュー・Bun B(UGK)との出会いについて Cook:Bun B(UGK)といえば真のレジェンドですよね。出会いについて是非教えて頂きたいです!どんなエネルギーを感じましたか? Cz TIGER : 今までコラボした海外アーティストの人とは制作する曲の意見交換とかVibesを会うなり、どうしても会えないならビデオ通話で制作を進めてきました。 Bun B ( UGK ) に限っては当時中学の頃から聴いていてかなりのファンだったので例外で、僕のことをデビューする前から応援してくれてた DJ 3cho から電話が来て...

【HIPHOPCs独占インタビュー】DJ2high、Snoopに一番近い日本人DJが、盟友の死、キャリアについて語る!【後編】

前編に続いてDJhighさんのインタビュー後編もお届けする。 https://hiphopnewscs.jp/2025/05/31/【hiphopcs独占インタビュー】dj2high、西海岸のレジェンド/ https://www.youtube.com/watch?v=2FStXxZMV9w 兄弟と呼ぶ、イラストレーターのJoe Coolについて SEI:昨年7月に亡くなられたSnoop(スヌープ)の『Doggystyle』アルバムデザインで有名なHip-hopイラストレーターのJoe Cool(ジョー・クール)さんとも仲が良かったと聞きました。彼との逸話などシェアできるものがあればお願いします。 2high:ジョーは、ねぇ…(ちょっと涙目になる)。兄弟だからね、俺の。いっぱい稼がしてもらったし。出会いは前編にも話した1996年の絵を描いてやる、ってあの時なので合計29年のお付き合い。いきなり電話きてすごい勢いで「てめ〜あの時のお金まだ払ってね〜だろ」ってありもしない文句を言ったと思うと、直後に「嘘だよ、愛してるぜ」ってイタズラ電話がかかってこないのが寂しいね……あれは定番のお箱ギャグだけど、初めは何のこと言ってるか理解できないし逆にお金前払いしたのに貰ってない作品ありますけど、ってなった。 SEI:アメリカに来た時も、ポケモンとかあの時代にも会っていたんですか? 2high:いいえ、あの時彼は刑務所にいたので。濃ゆい付き合いは、彼が刑務所出たばかりの頃でね。2005年のDPG JAPAN設立したときに、ロゴ描いてもらってから俺が俗に言うパトロンだったよね。この20年で相当ジョーにはお金落としたと思うよ。 SEI:壁の絵はジョーさんのですか? 2high:他の絵も見る?(とアルバムを取り出してきてくれる) 2high:この絵は、左がスヌープで真ん中は俺で、右がBo Roc(ボーロック)で、下のロゴを未だによく使ってる元の原画。 SEI:めちゃくちゃカッコいい! 2high:これは、スヌープの『Doggystyle』のジャケットに出てきてるキャラクターが20数年後の現在、何をしてるかって絵を注文して描いてもらった。壁の上に居た3匹の犬のキャラと、お巡りさんと、犬小屋からお尻出てた女の子も登場して、みんなで仲良くやってるの図。 SEI:出てきてるキャラで描いて下さったんだ。すごいおいしいなぁ。日本で個展やったら結構人気でそうですよね。彼の話に戻りますが、やはり寂しいですか?それだけ日常的に話をしていた友人だったんですよね? 2high:親友の中の親友だったのでね、最近僕が参列したお葬式の中で一番精神的に応えました。彼のお葬式で配られたパンフレットに僕が撮影した写真が1枚2枚じゃなく沢山使われてた事や、彼の元嫁さんにジョーは沢山友達がいたけど親友って言える親友は指で数えれるしかいなかった中、確実に2highがそのうちの一人だって言われてとても光栄です。 SEI:辛いお話、ありがとうござます。なんかしんみりしてしまいましたね。 2high:最近出したスヌープのこの新曲でジョークールの話出てきて泣いてしまったよ。 https://youtu.be/e54wRZNxjec?si=6rxPgWgbeUD2F7BE CoolioのバックDJだった時のエピソード SEI:あの、Coolio(クーリオ)さんのバックDJもされていたじゃないですか?そこの繋がりも教えて欲しいって質問があったんですが。 2high:最近亡くなってしまったDJ Fatbox(DJファットボックス)ってDJがいたの。彼が元々ずっとクーリオのDJだったんだけど、クーリオとファットボックスが日本に来るたびに、俺は彼らにコンタクト取って、ホテルでビート作ったりとかやってて。なのでアメリカ行く前から日本で接触はしていたの。それで僕がアメリカ来てからすぐのタイミングで、ファットボックスがクーリオのDJを解雇されて、その後釜で僕が後任された流れです。今よく思い出すとアメリカに来てはじめてお給料くれて雇ってくれたのが、クーリオだったね。感謝です。 DJ2highの名前の由来 SEI:DJ2highさんのお名前の由来は? 2high:俺17歳の時KSRってレコード会社を設立したんだけど、その時Def Jam(デフ・ジャム)ジャパンが立ち上がったタイミングでもあって、現地からスタッフが自分のオフィスに遊びに来てくれた時に、俺が事務所の中でバンバン吸ってるから「Damn You too high, huh?(すげーハイだな)」って言われて、それからかな。でも後々に…てか、最近スヌープから「YOSHIって名付けたのに。なんで俺がつけた名前を変えるんだ!」って怒られた(笑) Damian Marleyとの縁 SEI:確かに…でもYOSHIじゃなくて良かったと思います。ありがとうございます。あの、Damian Marley(ダミアン・マーレ―)のツアーのアフターパーティーに行っている写真を見たんですけど、その繋がりを教えてください。 2high:ジャマイカを拠点に活動してる岡本まい…通称おかまいさんの繋がりです。彼女Bob Marley(ボブ・マーレ―)のミュージアムの隣に住んでて。ダミアンと超仲良いのでその流れです。Dubplate(ダブプレート)って知ってますか? SEI:存じ上げません。 2high:ヒップホップのDJがバトルをする時って、スクラッチをしたりとか、レコード2枚使って技の競い合いで、レゲエではサウンドクラッシュって言うのですが、あれが俗に言うレゲエの世界でのバトルなんですね。そしてサウンドクラッシュの鍵となるのが、ダブプレートなんですが、ダブプレートっていうのは、要するに有名なヒット曲をその本人を捕まえてDJスペシャル…例えば2highスペシャルを作ってもらうんですよ。その有名な曲を、そのDJのための特別にリミックスをしてもらう、っていう文化。それを、どういうタイミングでどういう風に流すかによって、すごい盛り上がったりとか下手なプレーしたらブーイング喰らう世界。そこで登場するのが特別なKilltune(キルチューン/殺しネタ)っていうのがあって。バトルで相手を馬鹿にして音楽で殺すわけですよ。なのでキルチューンと言います。(ここでオリジナル曲と、バトル用のカスタムキルチューンを流して違いを教えてくれる) https://soundcloud.com/dj2high/nice-to-kill-you-j-boog-dub https://soundcloud.com/dj2high/summer-time-in-the-lbc-dj2high で、ダミアン・マーレ―の話に戻るけど、ジャマイカはダブの文化が浸透してるので、比較的色々なアーティストを録音することは難しくないんだけど、彼のダブプレート撮ることって、お金だけでは全然動かなくって、ダミアンのダブセッションって年1あるかないかのすっごいレアな機会なんだけど、そこの枠を持ってるのが『おかまいさん』なんです。彼女がLAに来た時に、ダミアンもたまたまタイミングよく居て…その時の写真かと思います。 SEI:これは読者さんの質問なんですが。DPGアルバム版、日本で買いやすい方法を教えてください。あと、日本で公演してくれないんですか? 2high:昔はシスコさんとお付き合い合ったのでシスコが流通してくれてたんだけど、潰れちゃったから、マンハッタンさんご連絡お待ちします。公演はバーチャルで良ければ、ブッキングしてください! Twinz、The Dove ShackとSnoopの『We'll Miss You』 SEI:1997年のTHC『Let me shine』を皮切りに、28年間様々なアーティストのプロジェクトに参加されております。印象深かった作品や影響を受けたアーティストはいらっしゃいますか? 2high:影響を受けたのはTwinz(ツインズ)とThe Dove Shack(ダブシャック)だよね。曲作りで一番影響受けたのがBattlecat(バトルキャット)先生。作った中の作品で感深いのはねぇ、スヌープの『We’ll miss you』。 あれ、Uncle...

【HIPHOPCs独占インタビュー】DJ2high、西海岸のレジェンド日本人プロデューサーがぶっ飛び半生を語る【前編】

『Cali Jap』を爆音でかけながら車を運転し高速道路の110を北上すると、蜃気楼のようにロサンゼルスダウンタウンのビル群が浮かび上がって見えてきた。生憎の曇り空だったが、気温を見ると23度と思いのほか心地よい。世間はメモリアルデーの連休だが、その最終日の昼下がり。日本を代表する西海岸のレジェンドプロデューサー、且つ日本人唯一のDogg Pound(ドッグ・パウンド)メンバーのDJ 2highさんが指定したスタジオ兼自宅に向かった。もちろん目的は独占インタビューだ。 DJ 2highという漢(おとこ)のサバイバル半生 ウィキペディアにも彼の情報が断片的に載ってはいるが、かのSnoop Dogg(スヌープ・ドッグ)に見いだされ、Dogg Pound(ドッグ・パウンド)の唯一の日本人メンバーであり、そして西海岸のヒップホップ業界に誰よりも精通している御仁だが、そのベールは謎に包まれている。約束の時間に到着すると、スキンヘッド、且つタトゥーだらけで一見強面の2high氏が満面の笑みで迎え入れてくれた。彼のスタジオの壁には、ラッパーやスターウォーズのフィギュア、サイン入りのTシャツ、そして何よりも後述するJoe Cool(ジョー・クール)のイラストがところ狭しと飾られていた。部屋の奥に、パソコンやらキーボードやらの曲作りの機材が置いてある。差し入れたタコ焼きをつつきながら、インタビューは始まった。 SEI:HiphopCsのインタビューをご快諾頂き、ありがとうございます。業界では有名でいらっしゃいますが、一応HipHop若葉マークの読者のために、簡単な自己紹介をお願いいたします。 2high:DJ2high(DJ・トゥーハイ)です。簡単に紹介すると、日本人で唯一のDPGメンバーですね。というか、黒人以外で誰もいないんですよ。スタッフとかカメラマンだったりとかではいるけど、DPGだっていうスタンプは押されていないから。 SEI:18歳からコンプトン、ロングビーチなど旅行者は近づかないような場所を拠点としてWestsideのカルチャーに溶け込んでいくにあたって苦労した点や、危険な目に遭った話などを教えてください。 2high: 僕は元々、音楽もそうなんですけど靴屋をやっていたタイミングがあって、それの買い付けでしょっちゅうLAに来ていたんだよね。買い付けをしながら、レコードもDigしてたんだ。靴屋さんの時僕16だったんだけど、当時はNIKEのAirMAX95の黄色が何故か流行ってて、それを履いているとカツアゲされて俗にいうMAX狩りがあったあの頃です。僕らのお店で当時の販売価格が黄色が25万、パープルが38万!そういう事やってた時にLAに来まくっていてコンプトンだったりとか…。その靴屋のパートナー(社長)箱崎さんが『Indoor』って洋服屋さんやっていて、今も横浜にある老舗なんだけど。ウェストコーストのカルチャーの洋服を売っている所だったから、コンプトンとかに行って調達するわけです。そこについて行っていたから、入りはそこです。 こっちに来たばっかりの時に、よくコンプトンのブロックパーティーとかハウスパーティーみたいなのやってて、そういうとこでよくDJとかやっていたんだけど。そういう時とかは、色んな事あったかなぁ…パンッパンッパン!みたいなのとか。それがしょっちゅうだったし。やれば喧嘩になってビールの瓶を投げあったりとか。 SEI:その当時、赤とか青とか抗争が激しかったと思うんですけど、その関係とかですか? 2high:あ、僕ね一緒にいた連中DMKってグループのTagger(タガー)の集まりだったの。その時はキキ・スムースの家に滞在させてもらってた。わかりやすく言うとストリートのグラフィティ描く集団、やってることはギャングの連中と変わらないね。だからやっぱりギャングバイオレンス多かったな…。98年に僕がこっちにきて仲良くしてたイメルダって子が〇ろされちゃったんだ。その子もイケイケだったから、パーティーで彼女から拳銃出したんだけど。そしたら返り討ちで〇られちゃて。それからね、そこが引き金になってもう弔い合戦じゃないけど色々ハードな状況が続いて、その時に自分が住んでいた家に5匹犬がいたんだけど、5匹とも〇ろされちゃった。ガードドックだったから、これヤバいなって思って僕コンプトンからロングビーチに引っ越したの。 SEI:すごいハードコアだ!(笑) 2high:そのイメルダを〇したのは、イメルダのBaby Daddy(ベイビーダディ…子どもお父さん)の兄弟なんだけど、そのベイビーダディが滅茶苦茶不良で刑務所出たり入ったり出たり入ったりしてる奴で、最後に捕まったタイミングで国選弁護士がついたんだけど、そいつはF〇ck the Worldみたいな世界観の人だったから弁護士にも態度悪くて、弁護士も良い仕事しなかったんだよね。そしたら彼は何をしたかというと、刑務所から剃刀の刃を瞼の中に隠してそれで刑務所から裁判所までずっと隠したまま行って、裁判始まった瞬間にその剃刀で自分の弁護士を#O@&$して(爆笑)。ニュースにもなってるんだけどね。このベイビーダディだけど、2年くらい前に(監獄の)中の暴動で〇されたって。その息子はイメルダの妹に育てられたんだけど、その子からこの間電話あって父親は〇んだよ、って聞かされたよ。 SEI:やはりKarma is a b!tch(カルマはビ〇チ)ですねぇ。あの、2highさん自身は大丈夫だったんですか?傷付けられたこととかあるんですか? 2high:あのね、最近だったら友達のThe Dove Shack(ザ・ダブ・シャック…LBを拠点にしているG-Funkグループ)のリーダーのC-Knight(C-ナイト)が亡くなってCandlelight Memorial(キャンドルライト・メモリアル…故人を偲び、追悼するための行事)に行ってたの。VIPのコーナーに居て。結構いい感じにみんな集まって最後に一緒に歌を歌っていたんだけど、そこでパパパパーン、パパパパーン!って。は?何の音?って思ったら隣にいたおばちゃんが「アウッ!」って(大爆笑)。アレ?って思って身を伏せて。あれは怖かったなぁ。Youtubeにも出てるけどね。ヒュンヒュンッって弾が飛ぶ音聞こえる。それが最近だね。いっぱいあるけど。 https://www.youtube.com/watch?v=iiwTsoD2qkU SEI:貴重なお話ありがとうございます。あの、90年代って東海岸も熱かったですがなぜ西海岸を選んだのですか? 2high:ああ、それも今さっき名前出したDove Shackだね。95年とから96年とかに彼らが日本に来てライブをやった時に、僕はそれまで西も東も分からずにヒップホップ一緒くたで付き合ってたんだけど、これだ!ってなったのがDove ShackとTWINZ(ツインズ)の来日ライブだった。その後2Pac(2パック)が殺されてそれでイーストコーストが嫌いになったの。Biggie(ビギー)のインスト流して2パックの『Hit Em' Up』の「Fuck Biggie!」って部分をひたすらスクラッチしてた。パーティーで。で、ビギーのアルバムを割るっていうパフォーマンスをやっていたから。今Puffy(パフィ)が捕まって、俺からすると「ほら言ったじゃん!30年前から言ってたじゃん!」って。96年から俺言ってるから、ずっと。あの当時から彼バイセクシャルて噂はあったけど、噂だったから、ジャニーさん伝説みたいな類だったわけなんだけどさ。火のない所に煙は立たないし。 父親からの教訓と音作りを始めるきっかけ SEI:すごいなぁ。ちょっと家族について聞いても良いでしょうか?業界でも有名なお父様(松山猛さん)との関係や影響等があれば教えてください。お父様は2highさんのキャリアを応援されているんですか? 2high:そりゃあ、応援して「やりたいことやれ!」って。でも、別にだからと言って父ちゃんのコネクション使ったことは……1回か、2回しかない(大爆笑) SEI:大爆笑。無いのかと思いきや!素直過ぎます。 2high:パパには以前ビジネスで繋いでもらったことはあるけど音楽は別ね、今俺は俺でやっているから。パパの成した2.8ミリオンをレコードで売ったっていうデビュー作。その次のイムジン河は発売禁止になっちゃったんだよね。あ、2000年にそれを解除したのに俺が少し一役買った感じなんだけど。その流れで映画『パッチギ』が生まれたわけで。唯一親孝行出来た案件かな。とにかくパパはとんでもない記録を持っている人だから、俺はその記録を塗り替えるんだ!みたいな野心と気持ちで昔から戦ってたんだけど……無理ね(大爆笑)。でも一発で超えることは無理かもしんないけど、280万にたどり着くにはじゃあ2.8万を100発出せばいいのかな、っていう気持ちに切り替えてコツコツやってる。あの人は超えたくても超えられない壁で、尊敬する父です。 SEI:お父様は作詞家、ライターさんですが恐らく天才的クリエイティビティは最強遺伝子を引き継いでいらっしゃると思います。もちろんご自身の努力でアメリカではここまでいらしたと思うのですが、2highさん自身はなぜダンスやラップでは無く、DJやビートメイキングに興味をお持ちになったのでしょうか?物書きでもないんですね。 2high:中学生の頃アメリカに毎年夏休みの時行って、その時テレビで流れていたのがPublic Enemy(パブリック・エネミー)だとかTLCのファーストだったりとか、Kris...

【HIPHOPCs独占インタビュー】BLAISE × $AINT STØNE──”偶然から生まれた東京の夜”、『Codein Dreaming』

HIPHOPCsでは今回、東京・渋谷を拠点に活動するラッパー、KillaクルーのBLAISEが新たに放つアルバム『Codein Dreaming』BLAISE本人に独占インタビューを実施。都市の空気を掴み取り、言葉と音でパッケージした、“リアル”の記録である。プロデュースはBSTAの$AINT STØNE。現場でともに過ごす時間の中から生まれた本作には、作り物ではない感情とストーリーテリングが息づいている。 作品に込めた想いや、音へのこだわり。日常の中から生まれる感情と、都市が放つリアルを鋭くすくい取るそのスタイルには、確かな存在感があった。 そんな彼が今、$AINT STØNEと共に放つ新作『Codein Dreaming』とはどのような作品なのか。 まずはその背景にある想いを聞いた。 Q1. アルバム『Codein Dreaming』にはどのような想いが込められていますか? BLAISE: 今回の作品で何よりも伝えたいのは、BSTAのメンバーである$AINT STØNEとの共作であることです。彼とは普段からよく遊んでいて、その中で自然と生まれた感情や出来事――今年、渋谷という街で実際に体験したことを、リアルなまま音に落とし込みました。 Ito記者 : なるほど、非常にリアルなその時その時の感情が乗った楽曲ということですね。トラック数からもなり長い計画をされてのリリースに至ったのですか? BLAISE: この作品には作ろうとして作ったものではなく、「生まれてしまったもの」としての力があります。聴いた人が、俺たちと同じ目線で渋谷の今を感じ取ってくれたら嬉しいです。 Ito記者 : “計算”ではなく“必然”として生まれた作品なのですね。渋谷の空気感がそのまま音として息づいている理由のように感じますね。 そうした“偶発的なリアル”を音楽として形にするうえで、やはりサウンド面にも強いこだわりがあったのではないだろうか。 次に、音の質感や制作時の感覚について聞いてみた。                           ⸻ Q2. 音の質感やサウンド面ではどのようなこだわりがありましたか? BLAISE: 音の質感には特にこだわりました。ただ美しく整えるのではなく、あえて少し“荒さ”を残すことで、渋谷の雑踏や生々しい空気感をそのままパッケージしています。完璧ではないからこそ伝わるリアルがこの作品の大きな魅力です。 Ito記者 : あえて荒さを残す、共作していく中で作り込んでいったということですね。リリックもパンチラインが多かったと感じました。 BLAISE: $AINT STØNEとのやり取りや、それぞれの視点が交差することで、自然体でありながらも深みのある内容になりました。作り込むというより、“今”をそのまま切り取った作品として、是非聴いてもらいたいです。 Ito記者 : まさに即興に近い感覚でしょうか。インタビューさせて頂きありがとうございました。 インタビューを経て アルバムを通して聴いてみたところどの曲もやはりフロウが素晴らしいと感じる。そして怒りの中にある哀愁を彼にしか出せない低く荒々しい声で表現している雰囲気が最高であると感じた。 楽曲東京人のリリックにはキャッチーかつ耳に残るフックのライン「黒人日本人、俺混ざった東京人」には、BLAISEという存在の本質が凝縮されているのだろう。単なるアイデンティティの列挙ではなく、“混ざった”という言葉に込められた葛藤、誇り、そして受容。人種や文化の境界線を越え、東京という都市で形成されたハイブリッドな自我が、わずか10文字の中で鋭く提示されている。 渋谷の雑踏の中で育まれたリアルが、彼の言葉となり、ビートの上に刻まれている。このリリックは、まさに“今の渋谷”を象徴するものだ。 更にNAMAKAではまさにフローとリリックがパーフェクトにガチっとハマったよう感じるような楽曲であった。アルバム全てを通して聴くことで更にリピートしてしまうだろう。 感想はここまでにして是非楽曲は下記からチェックして聴いて感じて頂きたいと思う。 ⸻ 作品概要• タイトル:Codein Dreaming• アーティスト:BLAISE• リリース日:2025年5月15日• 配信形式:Spotify / Apple Music / 他主要ストリーミングサービス•...

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