Let me hear you say ughh ! 一世を風靡したノーリミソルジャーのリーダーが、なんと音楽業界からの引退を表明したのでお知らせしたい。音楽界の巨匠、プロデューサー、ラッパー、No Limit Records(ノーリミット・レコーズ)設立者、実業家、投資家、メンターと様々な顔を持つ本名Percy Miller(パーシー・ミラー)ことマスターP。彼が元バスケットボール選手だったという過去を知っていただろうか?高校時代からバスケットボール選手として活躍していた彼は、怪我で断念するまではスポーツ奨学金を得てヒューストン大学に通ってプレーした上、1998年と1999年のプレシーズンにはシャーロット・ホーネッツとトロント・ラプターズで短期間活躍した経験もあるのだ。
音楽業界からの引退理由
マスターPは、ニューオーリンズ大学のバスケットボール運営部長に就任したことを受け、先週日曜日に開催された、Essense(エッセンス)誌のフェスティバルでのパフォーマンスを最後に、公式に音楽業界から引退し、大学に焦点を移した。「最後のショーはエッセンスとやるしかないね。盛大なもので、祝賀会のようなものでなければならない」とショーの前、彼はPeople誌に語っていた。「自分よりも大きな何かに挑戦できるようになったのは、本当にありがたいことだよ。奉仕することが、自分の一番大切な仕事だ。人生でここまで来れるとは思ってもみなかったけれど、努力の甲斐あってここまで来れたと感じている。神様は俺の命を救い、この旅に出させてくれた。この章は成熟し、成長し、且つそれらを恐れないことで幕を閉じたんだ」彼はこの決断は「難しかった」としながらも、「これは人生の次のステップだと感じている。ヒップホップ界にはネガティブなことがたくさんあって、みんなポジティブなことについて話したがらない。『If you know better, You can do Better(よく知れば、もっとうまくやれる)』って言うだろ。俺は今、まさにその段階にいる。成長していくことに意義がある」と説明した。
マスターPは2月にルイジアナ州ニューオーリンズ大学からのオファーを受けた。当時の就任記者会見で、彼はこの仕事についてこう語っている。「俺たちは長い道のりを歩んできた。ニューオーリンズで育った自分は子供の頃、ニューオーリンズ大学のバスケットボール・プログラムはおそらく全米でもトップクラスだと思っていたよ。子供たちは皆、レイクフロント・アリーナに集まり、このチームの一員になりたいと思っていたんだ。神様が俺にこの機会を与えてくれたことに、心から感謝している。このプログラムを再建するつもりだ。俺たちは変えていく。これは俺たちの文化であり、チームであり、家族だ。この家族愛をこの街にもたらし、人々を本来あるべき場所に戻していきたい」
実業家・投資家としての顔
音楽業界からの引退はしたものの、実業家や投資家としてはまだまだ活躍していくものと予想される。現在進行形の彼のビジネスで有名なのが、『ラップ・スナックス』と呼ばれる、ラッパーがパッケージに載った、彼らを連想させるフレイバーのポテトチップスの会社だ。筆者も日本へのお土産に、Snoop(スヌープ)やRick Ross(リック・ロス)、Nicki Minaj(ニッキ・ミナージュ)のチップスを購入したことがある。2021年には、シリアル食品業界にも参入し、マスターPオリジナルの『マスタークランチシリアル』を発表した。また2023年には、スヌープのBroadus Foods(ブローダス・フーズ)と手を組んで同社のCEOとなり、『スヌープシリアル』を発売した。
音楽業界への進出のきっかけと2Pac
マスターPは生まれ育った南部(ルイジアナ州)で人気を得る前、カリフォルニア州リッチモンドで成功を収めた。そこでレコード店「ノーリミット・レコーズ」をオープンし(自身の音楽に重点を置くため数年後に店は畳む)、音楽活動を始めた。2Pac(2パック)と知己になったのは、当時同じ時期にベイエリアにいたからだという。「俺はSpice 1(スパイス・ワン)と親しかったし、E-A-Ski(イーエースカイ)は俺のプロデューサーだった。彼らはよく俺のレコード店に来て、自分らのレコードを置いていたんだ。ある日、彼らが『なあ、オープニングに来ないか?』って言ってきたんだ」
マスターPは続ける。「(当時は)誰も俺のことを知らなかったんだよ! みんなが2Pacを待っている時、俺を紹介してくれる司会が『ステージの隣にはカントリーシンガーの『ミスターP』がいます』って言ったから、カントリーシンガーだと思ってたんだ。俺は「やあ、『マスターP』だ。俺はヒップホップアーティストだよ」って答えた。みんなニューオーリンズ出身のラッパーがいるとは知らなかったんだ。彼らは当時ラッパーはニューヨークかロサンゼルス出身だけだと思っていた。だが俺はニューオーリンズ出身だったから、「君はどっちだ?ブルースシンガーか?それともカントリーシンガーか?」って感じだった。だが俺はそのハードルを乗り越えた。俺は2パックのライブによく出ていたんだ。(当時)踊ってる観客が一人だけいて、俺は兄貴に「一人だけのファンを、何百万人に増やしてやる」って言ったんだ。そして俺はそれをやってみせた。でも、覚えておいてほしいんだけど、(当時)俺はカリフォルニア州のリッチモンド市にいたんだよ。俺には金歯がある。南部出身で、ただの変わり者。みんな、俺みたいな人間を見たことがない。今、ベイエリアを見ると、みんな金歯とドレッドヘアだ。面白いことに、俺がそこにいた時は誰も俺のことを理解してくれなかったのに、今ではベイエリアの奴らみんながそんな風になっている」
その後、彼はベイエリアでT.R.U.(The Real Untouchablesの略)を9人のラッパーと結成するが、うだつが上がらないままメンバーが離れていき、また彼自身もニューオリンズに戻り、再起を図った。
南部へ帰郷とNo Limitの結成
南部のサウンドがどうしても必要だと感じたマスターPは、当初E-A-Skiのような西海岸のプロデューサーの音楽を聴いていたが、南部のアーティストと契約して音を収録すると、違うサウンドが聴こえるようになったという。「俺のキャリアで一番奇妙だと思うことは、ベイエリアには才能豊かなアーティストがたくさんいるのに、どういうわけかほとんどが似たようなサウンドだったことだ。よく『どうしてあんなに成功したんだ?』って言われるよ。でも、それは俺が全く違う人間だったからだと思う。俺はみんなにこう言っている。『時には人と違うことをしなきゃいけない』ってね。少し時間はかかるかもしれないけど、自分が人と違ってユニークであれば、きっと大成功するんだ。素晴らしい曲を作る人でも、今まで色んなものを見聞きしてきたからこそ、バズることがある。俺は田舎者で、だがありのままの自分でいることで、周りの人たちよりも、俺よりもずっと才能があると思っていた人たちよりも、キャリアを大きく伸ばせたんだ」
ノーリミットのロゴの由来は、彼の退役軍人だった祖父から来ているという。「俺の祖父はベトナム戦争に従軍していた。帰国後、家を買うために1万ドルもらえるはずだったのに結局もらえなくて、いつも腹を立てていた。祖父はよく俺に『成功したら、自分の軍隊と自分のビジネスを始めるんだ』と言っていた。それでその祖父が亡くなった時、俺は自分のビジネスを戦車にちなんでブランド化することにしんだ。というのも、祖父の家には小さなおもちゃの戦車や模型がたくさんあったから。『これが俺のロゴ、戦車だ!』ってね」
1990年代後期。ノーリミット・レコーズは一世を風靡した。数多くのレコードを作成し、アーティスト達と契約した彼は、一日中スタジオにこもっていたという。Death Row Records(デス・ロウ・レコーズ)との契約で身動きが取れなかったスヌープを救出して自身のレーベルに移籍させたのも、マスターPの功績のひとつである。「スヌープをレーベルと契約させた後は、彼が南部で売れるプロジェクトを作り、西海岸でも通用するようにしなければならなかった。Dr. Dre(ドクター・ドレ)をはじめとするアーティストたちにBeats by the Pound(ビーツ・バイ・ザ・パウンド)プロジェクトのレコードに参加してもらうことができたのは、まさに魔法だった。レコードが全く売れなかった状態から、1億枚以上売れるようになったんだ。ある時、俺は年間1枚しかレコードを出せないと言われたこともあった。だが、ビルボードのチャートに20枚以上ランクインした時もあったんだ」
マスターPから私たちが学べることとは?
彼のインタビュー記事や話は、読んでいてとても面白い。それは彼の言動の端々に、ポジティブさと英知が垣間見えるからだ。この御仁は、身内への甘さや自身のラップの才能はさておき(失礼!)恐らく人を導く立場になる為に生まれてきた、天性の才を持っていると筆者も思う。もちろん実業家や投資家の顔もあるから、打算的な一面も持っているのだろう。だが、彼は惜しみなくその知識と経験を周りに共有している。スヌープのメンターとして有名ではあるが、彼はKodak Black(コダック・ブラック)のメンターでもあった。彼に、金融リテラシーや自分のプロジェクトをコントロールすることなどを教えていたそうだ。そんな彼は言う。「何も所有していなければ、お金を稼ぐことはできない。これは単純明快だ。だから、自分の製品を所有できれば、君は大きく前進し、より多くのお金を稼ぐことができるようになる。俺のキャリアが長続きしたのは、所有権があるからだ。所有権がなければ、何もできなかっただろうな」
最後に。彼の「Let me hear you say ughh !」の「Ughh!(アー!)」は「Battle Cry(バトルクライ)・鬨(とき)の声」だそうだ。彼の闘いの叫び・咆哮であり、彼が経験した全ての痛みを表しているという。……知らなかった。そして、「If you know better, You can do Better(よく知れば、もっとうまくやれる)」と、当たり前のことながら、常に探求心を持ってチャレンジしていく姿勢。彼の言葉通り、人は成長していくことに意義がある。彼の新たな挑戦を応援しつつ、私たちもその姿勢を見習おうではないか。