もし宇宙人が本当に存在するならば。そして遠い将来彼らと文化交流する機会があるのならば、是非伝えたいことがある。この地球上には、Wu-Tang Clan(ウータン・クラン)というイケてるオッサンの集団が、存在していたという事を。あるいは、宗教の勧誘か自己啓発セミナーか何かで、「生きていて良かったと思える瞬間があったか」という問いがあれば、迷いなく答えるだろう。「ウータン・クランが解散する前に、彼らの『The Final Chamber Tour』を拝めたこと」と。今回は、伝説の9人組(+1)の「さようならツアー」と銘打たれたショーについて、記事を書こうと思う。
ツアーの詳細
2025年6月20日。ちょうど夏至の1日前、ウータン・クランの最後のツアーが南カリフォルニアにやってくると聞いて、迷いなくチケットを購入した筆者はカリフォルニアはIE(インランド・エンパイア)に位置するToyota Arena(トヨタ・アリーナ)に足を運んだ。ツアー自体は、6月6日のボルティモアを皮切りにフロリダやテキサスの南部、アリゾナ、カリフォルニアを巡って北上し、シカゴ、カナダ、ニューイングランドを経由して、ニューヨーク、ニュージャージー、フィラデルフィアを最後に、米国内27都市を一周して帰ってくる。
今年の初めのポッドキャストのインタビューで、クランのリーダーRZA(レザ)がこう告げている。「すべては計画の一部だったんだよ。最初は5ヵ年計画だった。最初の計画、つまりドキュメンタリーからシリーズ化に向けて準備を進め、それがNas(ナズ)との初ツアー『New York State of Mind』へと繋がっていったんだ。そして、そこから(ラスベガスの)レジデンシーへと繋がっていく。最初は試運転のようなもので、それが最終ツアーへと結びついていくんだ」
なるほど。確かにNasともツアーを行っていたし、昨年は突然ラスベガスでのショーを発表して、ファンを喜ばせていた。全てはチェスの駒のように、彼の脳内で緻密に組み込まれていた計画だったのか。
Run the Jewelsが前座
今回、伝説のグループと一緒にツアーの前座としてショーを盛り上げているのは、2013年に結成された元Company Flow(カンパニー・フロウ)のメンバーだったEl-P(エル・P)とアトランタ出身でOutkast(アウトキャスト)らとか関わっていたKiller Mike(キラー・マイク)のベテランMCデュオ、Run the Jewels(ラン・ザ・ジュエルズ)だ。「The best way we could homage them is to burn this place to the motherfucking ground!(彼ら(ウータン)に敬意を示す最良の方法は、この場所を焼き払うことだぜ!)」とショーの初めにキラー・マイクが叫んでいたが、彼らのスキルフルなラップ、ビート、観客の扱い方を知り尽くしているマイクパフォーマンスで、前半の45分間をワームアップ以上に熱くさせていた。現にキラー・マイクは「このツアーが始まってから、14kgも体重が落ちたよ」と閑話で冗談めかして言っていたが、筆者も老体に鞭打ってフロアで立ち見していたので、彼らのショーが終わった後の30分休憩は、ぐったりしていた。
「ラン・ザ・ジュエルズ」とは宝石をもって逃げる「強盗」という意味だが、「宝石」という単語が入るだけで、なんとなくロマンのある響きに聞こえてしまうところが面白い。彼らの有名な左右の手で銃と拳を作るハンドサイン。エル・Pが考案したこのジェスチャーは、力強く、本質的なものであり、逆境を乗り越える感覚を伝えることを目的としているんだそう。これは何か壮大な課題に取り組み、自らの意志と力で挑戦することを象徴しているそうだ。いやあ、意味深い!彼らについては、いつか折を見て別の記事で紹介したい。
Young Dirty Bastardの存在
さて。今回の公演の冒頭で、9人組(+1)と記述したのには意味がある。出演者はもちろんRZA(レザ)、GZA(ジザ)、Method Man(メソッドマン)、Raekwon(レイクウォン)、Ghostface Killah(ゴーストフェイス・キラー)、Inspectah Deck(インスペクター・デック)、U-God(ユー・ゴッド)、Masta Killa(マスター・キラー)、Cappadonna(カパドンナ)の9人なのだが、実はOl’ Dirty Bastard(オール・ダーティ・バスタード)の長男で父親そっくり…というか若干父親よりイケメンの、Young Dirty Bastard(ヤング・ダーティ・バスタード)も参加しているのだ。この彼が、『Shimmy Shimmy Ya』や『Got Your Money』などの代表曲で、エネルギッシュでクレイジーなODBのパワー溢れるMCとパフォーマンスをそのまま再現していて(なんと見た目や髪形も一緒!)、出演者平均年齢高めの今回のツアーの、良いスパイスとなっていた。
この彼だが、本名Barsun Unique Jones(バースン・ユニーク・ジョーンズ)といい、1989年生まれの36歳だそうだ。なんと去年のラスベガスのレジデンスショーからこのグループに参加しているそうで、メソッドマンもインタビューで「あいつは素晴らしい若き紳士だよ、あいつのオヤジのようにショーマンだ。服装から立ち居振る舞いまで、あいつはスターだ」と太鼓判を押している。先日Threadsで、今アルバムを制作中とYDB本人が呟いていたので、どんなものを引っ提げてくるのか、非常に楽しみな新星である。
メンバー全員を実際に見る最後の機会
『The Final Chamber』と銘打っている通り、これは彼らの何らかの「最後」を意味している。ただ、ツアー後に本当に「解散」するかどうかはまだRZAも他のメンバーも明言していない。「メンバー全員を実際に見る最後の機会」や「ツアーからの引退」は示唆しているものの、必ずしもそれが彼らの音楽制作やその他のグループ活動から引退するわけでは無いかもしれないのだ。という淡い期待を抱きつつ、今回のツアーに挑んだ。
最年長58歳のGZAを筆頭に、YDB以外は平均年齢55歳の、江戸時代だったら立派に「老人」や村の「長老」扱いされていただろう、クランメンバー達。だが彼らのフロウは不老で、30年の時を経てもカッコイイ。ショーは基本的に、数人のメンバーが曲ごとに出演するセットリストで構成されており、名曲『C.R.E.A.M.』や傑作『Gravel Pit』といった時のみ、グループメンバー全員が登場する。『Wu‐Tang Clan Ain’t Nuthing ta F’ Wit』ではまるでジャムセッションのように、メンバーが一体となって、自然な相互作用を生んでいたし、『Rainy Dayz』ではレイクウォンとゴーストフェイス・キラーが力強く自身のヴァースをスピットして個々の力強さを証明していた。カパドンナの『Run』のようなソロ曲でさえ、他の癖の強いスターたちに埋もれることなく脚光を浴びて輝いていた。さらにさらに。『Ice Cream』や『I’ll Be There for You』のような過小評価されている曲からヒット曲まで、私たちが聴きたかった個人の持ちネタを演奏することで、ウータン・クラン結成初期からずっと続いている、サービス精神溢れた、よりお茶目で、よりふざけた一面を披露していたように思う。
ツアーの関連商品のみならず、RZAの新作映画『One Spoon of Chocolate』やレイクウォンの格闘ゲームなど、ライブショーの合間にCMのような映像が繰り返し流れていて、ファンを洗脳…否、楽しませていた。ファンによってはリリックスを完璧に覚えているのか、彼らのヒットソング以外でも一緒に口ずさみ、あのWを模したハンドサインを掲げ、心を捧げていた。だが、熱も興奮もすっかり冷めた今思うのは、これらの曲や感動的なパフォーマンスは、恐らくこの夜の真の目的、つまりウータン・クランが、我らファンに別れを告げるための手段だったのかもしれない、というやるせない事実である。
The Final Chamber Tour曲目
事前情報では、デビューアルバム『Enter the Wu-Tang (36 Chambers)』とセカンドアルバム『Wu-Tang Forever』からの未発表曲やヒット曲を含む、彼らの膨大なカタログからの曲のパフォーマンスするとのことだったので期待感MAXだったのだが、今回のトラックリストは概ね以下の通りである。
- Bring da Ruckus
- Clan in da Front
- Da Mystery of Chessboxin’
- Sunlight
- Wu-Tang Clan Ain’t Nuthing ta F’ Wit
- Method Man
- Shame on a Nigga
- Protect Ya Neck
- The Way We Were
- Can It Be All So Simple
- Rainy Dayz
- Hollow Bones
- Daytona 500
- ’97 Mentality
- Above the Clouds
- Incarcerated Scarfaces
- Ice Cream
- Bring the Pain
- I’ll Be There for You/You’re All I Need to Get By
- Da Rockwilder(オンタリオ公演では無し)
- Da Goodness
- How High
- Liquid Swords
- Duel of the Iron Mic
- Severe Punishment
- Assassination Derby
- 4th Chamber
- No Said Date
- Gravel Pit
- Run
- Tearz
- Reunited
- For Heavens Sake
- Fantasy
- Shimmy Shimmy Ya
- Got Your Money
- C.R.E.A.M.
- Triumph
Wu-Tangファンはお洒落
今回のツアー。BBAひとりで参戦したのだが、観客もなかなかOGさん率高めで全然違和感がなかった。2割以上が入手困難とされていたWuダンクシューズを履いていて、あの黄色と黒のロゴのTシャツやキャップと組み合わせていて、お洒落な人が多かった。メンバーもお色直し、もどき衣装を1回変えていて、なんとレイクウォンは、昨今のファッショニスタ達がSNS上で眉を顰め禁忌と謳っている、東西のチームブランドを混ぜた、「ドジャース」のカタカナ書きキャップに、アトランタブレーブスの28番ジャージをさらっと着こなしていた。そう。カッコ良ければミックスだって全然OKなのだ!また、唯一無二の声を持つメソッドマンは、あの有名な股間をつかみながらMCというスタイルを披露し、そして筋トレに余念がないのか、はたまたファンサービスなのか、自曲の終わりにはバキバキの腹筋を披露していた。
最後に
「ファイナル」という言葉には、何とも言えない寂寥感や虚無感を含んでいる。だがせめてもの救いは、発表された日程のツアーは「始まり」に過ぎず、いつまで続くかは不明だということだ。ツアー開始時RZAは「ウータン・クランはこれまでキャリアを通じて世界に多くのチャンバーを見せてきた。今回のツアーは『The Final Chamber』と呼ばれている。これは俺とウータンのブラザー全員にとって、もう一度一緒に世界中を駆け巡り、ウータンのスワッグ、音楽、文化を広める特別な瞬間だ。何よりも重要なのは、ファンや長年俺たちを支えてくれた人たちに感動を届けることだ」と述べていた。もしかしたらRZAの緻密な将来計画の中には、全米ツアーの後メンバー全員で欧米や日本にやって来る可能性が、含まれているしれない。
ニューヨークのスタッテン・アイランドから出てきた若者たちは、時を経て、文化や国境すらも越え、地平線すらも駆け抜け、現存する地球上で最も巨大で有名なラップグループとなった。世界中のどこに行っても彼らのコーラスの1つや2つは歌える人が存在し、彼らの名前を知っている。形あるものは壊れるが定めではあるが、彼らが残したのは名曲の数々だけでなく、それらと共に私たちが経験した、個々や仲間たちとの思い出なのだ。ウータンと歩んだかけがえのない時間こそが、彼らが私たちに授けた遺産(レガシー)なのである。もしこれが本当の「最後」であったとしても、彼らは永遠に存在する。彼らの最後のツアーが観れて、生きていて良かった。そんな風に思えた、筆舌に尽くしがたい内容であった。Wu-Tang Forever!