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【HIPHPCs独占インタビュー前編】西海岸のDJ Couz:Big BoyにNipsey、B-Real、そしてAK-69×MACCHOのビートの裏側まで

読了時間: 約23分
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「Voice of LA(LAの声)」と聞いた時、ヒップホップ好きは誰を想像するだろうか?LA出身の大御所は何人もいるが、Snoop Doggのあのシズルニズルな声を思い浮かべる人もいれば、Ice Cubeの語尾上がり「ウェッサーイ!」を連想する人が居るかもしれない。はたまた、今やLAといえば、Kendrick LamarのあのNot Like Usな声を想起するかもしれない。だが、LA住民…いや、南カリフォルニア在住民にとっての「LAの声」は、他でもないヒップホップ専門FM局Real92.3のBig Boyというラジオパーソナリティなのだ。今やポッドキャストの時代だが、それでも朝の通学や出勤時、LA住民が車の中で聴く声は、もう90年代からずっとこのBig Boy氏である。彼の声でLAの一日が始まると言っても過言ではない、西海岸では名前(とその姿)を知らない人はいない、超超超有名な大御所ラジオパーソナリティである。

この超有名なBig Boyの番組に度々登場する日本人DJが存在する。それが今回のインタビューを快諾してくれた、DJ Couz(DJカズ)氏なのだ。自身のHPや過去インタビュー数本しか彼の情報が見当たらないが、西海岸のヒップホップシーンのリアルを語れる、数少ない人物なのだ。キャリアは長いものの表舞台にはあまり出てこないこのDJから、彼自身と業界の話を伺う機会があったので、早速紹介する。

西海岸ヒップホップカルチャーを誰よりも熟知している日本人:DJ Couzの正体とは?!

Sei:今回はありがとうございます。まず、簡単な自己紹介をお願いします。

Couz:はい。LA在住のDJ Couz(DJカズ)です。DJとしての作品は、Nipsey Hussleを始めとするU.S.アーティストのオフィシャルミックスを含むミックステープを約200本リリース。それからLA近郊のヒップホップ専門FMラジオ局の毎週金曜日夕方のレギュラーDJを以前やっていたり、アーティストのライブDJとして全米とカナダツアーを2回、全部で約50公演やりました。

Sei:うわ、すごっ!

Couz:それからTorres EmpireっていうローライダーのカーショーがLAコンベンションセンター(LA中心部にある、日本でいう東京国際フォーラムレベルの大きな展示会場)であったんですが、それの2018年のステージでメインDJを勤めました。他にはU.S.アーティストのジャパンツアーのセットアップ。プロデュースだとアメリカでは元Cash Money RecordsのGlasses MaloneとCypress HillのB-Realをフューチャリングした…。

Sei: B-Real?!なんて曲ですか?

Couz:あ、B-RealはCypress Hillに入っている曲じゃなくて、DJ Couz名義なんで。『Floating』 っていう曲です。

Sei:あの声、もうやばいですよね~

Couz:やばいですよね~(笑)。B-Real、元は超悪い人だったんですけど、今は超いい人なんですよ。

Sei:超悪くて超いい人?知りたい!…でもちょっとB-Realの話は後で聞かせてください。

Couz:はい。あと、South Central CartelのL.V.。Coolioの『Gangsta Paradise』の。

Sei:え、L.V.?!あの歌手の?

Couz:そうです。仲良いですよ。最近はしばらく会っていないですけど。L.V.は自分プロデュースの未発表曲が何曲もあって。

Sei:是非聴きたいです。あの声で。渋いですよね。あのままですか?あの『Gangsta Paradise』のMVの汗かいて歌ってる印象なのですけど(笑)

Couz:あはは。あのままちょっと年を取った感じです。L.V.は110フリーウェイのサウスセントラル辺りの出口を出たエリアに住んでて、一緒にご飯食べに行ったり。

Sei:そこら辺にいれば、私も会えるってことですよね?

Couz:そこの近くのRoscoes(チキンワッフル屋)あたりに行くと、もしかしたらいるかもしれないけど(笑)。でもそこで3年前にPnb Rockが強盗に撃たれて亡くなっているような場所なので、まあ…行かない方がいいエリアですね(笑)。

あと日本だとAK-69 feat. Maccho(オジロザウルス)「I Don’t Give A Fxxk」のビートのプロデュースとか。AKは彼がまだ若い頃から現場が一緒になることが何度かあって。Big Boyのジャパンツアーをやっていた頃、名古屋でも毎回公演をやってもらっていて、AKも出演していたのでその頃から知っています。ヒップホップ激戦区の名古屋の中でも、彼は当時から別格でしたね。

…と、そんな感じの活動を通して、約25年に渡り日米両方で、DJを中心に音楽の仕事でずっと生活してます。2016年からはアーティストビザを取り、拠点をロサンゼルスに再度移して活動しています。2002年の最初のLA移住から数えると、LAで生活しているのはトータルで半分ちょっとくらいかな?

Sei:ヒップホップにハマったきっかけは?

Couz:元々洋楽好きな少年だったんです。最初はTop40を聴き始めて、その後Bobby BrownとかのNew Jack Swingを経て、ヒップホップに入っていった感じです。刺さる音楽がなぜか常にブラックミュージックで、特にヒップホップだったんですよね。

Sei:なぜDJなんですか?ラッパーでもダンサーでもなく?

Couz:基本的に自分「縁の下」的な立ち位置が好きなんです。今はDJって目立つ人種ですけど、自分がDJを始めた頃は、今みたくクラブの中でDJの方を向いて踊って盛り上がるとかじゃなくて、DJがどこにいるか分からない箱もあるくらい、DJの存在よりもプレイする音がフォーカスされていて、そんなクラブの中で皆各々踊っているみたいな感じが多かったんですよ。

Sei:それは、90年代ですね?

Couz:90年代までだと(笑)。それで、自分は音楽が好きだから音楽に関わりたいけど、目立たない縁の下的なものは?っていったらDJでしょって。なのでDJになるのは一番自然な流れだったのかなと思いますね。

Sei:その当時、これだ!みたいな刺さった曲とかアーティストとかいましたか?

Couz:DJ始めたのはヒップホップを好きになってから少し経ってるんで、その時はDr. Dre、Snoop、Ice Cube、2Pacなど、West Coastのラッパーはすでに出てきていて…。

Sei:90年代半ばですね。

Couz:そうです。DJ始めた時にはすでにWest Coastにがっつりハマっていたんで、好きだったアーティストもそこら辺でしたね。

Sei:では西に来たのも、West Coastの音楽が刺さったからなんですね。

Couz:自分から言わせれば、これ以上カッコイイカルチャーある?って感じです。自分が特にこだわりなくヒップホップ全般を聴いていた10代中盤に、Dr. Dre introducing Snoop Doggy Dogg名義の『Deep Cover(1992)』が出てきたんですよ。そこでSnoopを知って。他と違うDr. Dreのあのビートもそうですけど、Snoopのあの尖ったカッコよさを目の当たりにして、そこから『Chronic』、『Doggystyle』からDeath Row全般、Ice Cube一派、DJ Quik関連と一気にハマっていって。

同時期にIce Cubeの映画『Boyz ‘N The Hood』を観て、そこでローライダーに出会い、『Colors』『Blood In Blood Out』などのギャング映画の影響で、ファッションとかカルチャー全般もウエストコーストカルチャーに傾倒していったというか。10代の多感な時期に、音楽、車、ファッション、全てがかっこいいこのカルチャーに出会い、のめり込んでいった。自分の中では「選んだ」というより「それしかない!」、まさに強烈に惹かれていった、という感じですね。それが、東や南では無く西海岸にハマっていった理由です。

でも当時のヒップホップシーンの捉えられ方は、大雑把にいうと「Eastとそれ以外」だったんですよ。音的にもカルチャー的にも見られ方的にも。なので自分はWestが1番好きでしたけど、そんな背景もありSouthやMid Westも、例えばクリーブランドのBone Thugs-n-Harmonyとかも大好きでしたね。

なので、自分は「Westside Ridin’」を自分を表すロゴとして使っているのですけど(といって被っているキャップを見せてくれる)、何で「Westside Ridin’」はWest Coast Ridin’じゃないのかっていうと、東海岸より西側、つまりWest Coastプラス、East Coastから見て「西」の全エリアが自分のテリトリーって意味だったんです。

Sei:へえ~!面白い。Westsideにそういう込められた意味があったんですね。苦労した点はありますか?

Couz:当時、ネットも無いしSNSも無いし、渡米する人も圧倒的に少なかったし、日本国内の全体的なヒップホップ人口の割合自体も少なかったじゃないですか。

Sei:私もそうだったんですけど、ここら辺聴いていた当時って、West Coast聴いてる人は少数でしたよね。

Couz:そうですね。日本に入ってくるウエストの情報自体が少なかったんですよね。仰る通りあの当時は、今より少ないヒップホップ人口の中で、特に東京はEast派の割合が高く、West派はかなり少数派だったんですよ。2001年の『Up In Smoke』のビデオが出て、日本にもウエストブームが来るまでは、ほんとクラブもレコード屋も洋服屋もEast寄りばっかだったんですよね。雑誌もほぼ西海岸に触れることはなかったし、情報が少なかったんで、当時は都内に数軒あった西推しの洋服屋の、LAに直接買い付けに行っていたショップ店員さんが情報源でしたね。

あと、レコードの盤面の「Featuring 〇〇」のアーティストを辿っていくのはもちろんなんですけど、「Produced By 〇〇」も追っかけて行くし、それからレーベルロゴも。例えばDeath Row Recordsの電気椅子のロゴがあるレコードは全部買う!Interscopeもとりあえず全部買う!みたいな。あと自分がよくやっていたのが「Recorded at 〇〇 Studio in Hollywood」とか「 〇〇 Studio in Los Angeles」とかって、スタジオの所在地に西海岸の地名が入ってたら買う!みたいな。でも、ハリウッドにせよロサンゼルスにせよ、有名スタジオって全米からレコーディングに来るから、ハリウッドと書いてあってもWestとは限らないし、ハズレもかなり多かったんですよ。でも、当時はそれくらいしか情報が無かったから、それで買っていくしかなかった。で、ハズレもいっぱい引いたけど、その中から当たりもたまに出てきて、他の人が知らないWestの知識を深めていったっていう感じですかね。

あと当時、店舗用の音楽サービスのUSENってあったじゃないですか?あれにHot97(NYの有名ヒップホップFMラジオ局)とPower106(LAの有名ヒップホップFMラジオ局)が入っていたので、それを自分で契約して毎日聴いていました。

当時の自分は学生だったので予算は限られてて、レコードを1枚でも多く買いたい駆け出しのDJにとってUSENの月額6000円はかなりの痛手でしたが、USENで本場のLAのラジオをリアルタイムで聴ける=タイムラグ無しで新曲をチェックするっていうのと、その空気感を知る、そして一流DJのプレイを聴く。これらがWest Coastのリアルに近づく一番の近道で、自分のDJセンスを磨くために最も大事な事だと考えていました。レコードを集める事もDJとしては基本で大事ですけど、そのPower106を月6000円かけて聴くっていうのが、自分のDJキャリアにとって一番大事なことだと当時から思っていたんです。なのでずっと契約して聴いていましたね。

Sei:そっかぁ…6000円の価値はあったってことなんですね。

Couz:自分的にはありましたね!何しても、当時のDJはみんな情報集めに苦労していたんじゃないかな。

Sei:そこが当時苦労した点なんですね。情報が無い中、USENにたどり着いたっていう…。で、そこで当時Powe106のBig Boy氏と…?

Couz:そう!そこでBig Boyを知ったんです。

メンターで超大御所ラジオパーソナリティのBig Boyとの出会い

Sei:おお。では、名前が出たので早速Big Boyとの出会いやお話しできるエピソードを教えていただけますか?

Couz:出会いは2001年、Big Boyがプライベートトリップで日本に来ていたんです。その時、東京のラジオにゲスト出演していたのを、その頃自分が所属していたレーベルの社長が聴いていて、「Couz、Power106のBig Boyが日本に来てるぞ!会いにいくか?」と声をかけてくれて。自分からしたら、毎月6000円払って毎日聴いているPower106の、そしてLAヒップホップシーンの象徴「Voice of LA(LAの声)」のBig Boyじゃないですか?そりゃ即会いに行きます。

Sei:その当時は身体が大きいBig Boyだったんですか?(注:彼は2003年にダイエットを行うが、名前の通りそれ以前はかなりの巨体で有名だった)

Couz:まだBigなBig Boyだった頃ですね。都内の有名ホテルのロビーで待ってたら、Big Boyが降りてきて、第一印象「デカっ!!!」って(笑)。で、当時の日本は、今みたいな外国人向けの情報も英語の案内もほとんど無かったから、会社の人たちとBig Boyを買い物や観光など、都内近郊あちこちに数日間かけて連れていって。で、当時のBig Boyからしたら「日本ってヒップホップ聴くの?ってか知ってる人いるの?」って感覚だったのに、その時の自分は、コーンロウにバンダナ巻いて、全身真っ青な完全LAファッションしていて。自分は当時、英語を喋れなかったんですけど、それでもウエストコーストヒップホップに関しては、何聞かれても答えられるほどの知識がすでにあったし、ローライダーについてもミュージックビデオに出てくる車種も年式も全部言い当ててたし。Big Boyに真相を聞いたことないのでわかんないですが、たぶん「こいつ面白れぇなぁ」って思ってもらえたんじゃないかなと思います。その時Big Boyから「これだけ俺の面倒見てくれたから、今度お前らがLAに来たらがっつり面倒見てやるから、遊びに来いよ」って言ってくれて、その会社の人たちと翌月にLAに行ったら、今度はBig Boyが何日間もあちこち連れてってくれて。その時DJ QuikやB-Realのスタジオにも行ったし、WCとCrazy Toones、Mack 10、Xzibitにも会いましたね。

Sei:え、大御所しかいないじゃないですか!

Couz:Big Boyの交友関係ですから(笑)。クレンショウモールにも連れてってもらったり。そんな所からBig BoyとDJ E-Manのジャパンツアーの話が始まっていって。

Sei:もうその頃からツアーしていたのですね。

Couz:はい。そのLAトリップの翌年2002年からBig Boy & DJ E-Manのジャパンツアーを開始して、自分が関わったのは15回、Big Boyは20回くらい日本に行っていましたね。で、Big Boyと出会った翌年2002年に自分自身もLAに引っ越して。そこからは毎日Big Boyのスタジオに遊びに行って、SnoopやIce Cube含む色々なアーティストに会わせてもらったり。そんな動きをしてたので、タイミングでBig Boyの番組に出る機会がちょこちょこあったんです。

Sei:その当時のラジオの影響って今のSNSレベルで大きかったし、Power106に出演していた日本人はCouzさんくらいだったんじゃないですか?

Couz:常にPower106に出入りしていた日本人は自分と、レーベルが一緒だったDJ Daskさんと社長さんくらいですね。

Sei:Big Boyさんて実際どんな方ですか?

Couz:LAのフリーウェイって6車線とかあるじゃないですか。で、朝渋滞で車びっちりじゃないですか?で、そのラジオの全盛期、自分は毎朝車に乗っていて、もちろんBig Boyを聴いてるから、運転しながら「あはは!」って笑うじゃないですか。で、ふと横見ると同じタイミングで、隣の車の人も笑ってるんですよ。で、逆側の車見ても、同じタイミングで笑ってる。全車線、前も後ろも全部同じタイミングで笑ってる。なんでかって言うと、みんなBig Boy聴いていたから。これがBig Boyの「Voice of LA(LAの声)」たる所以なんですね。

Sei:いや、本当に当時そうでしたよね。LA中Big Boyを知らない人は居ないっていう。

Couz:リスナーの中には、「学校は嫌いだったけど、通学中にBig Boyの番組で面白い話を聴けたから、毎朝学校にも楽しく行けたし、おかげでまともな人間になれた」とか「勇気をもらった。Big Boyには本当に感謝してる」とかそういう話をリスナー本人たちがしていて。ただ面白いだけじゃなくて、Big Boyの言葉の中に頑張ろうって気持ちを起こせるような、そういう力があるのかなって思います。LAの人たち皆に力を与えてるから「Voice of LA」なんだと思います。どこに行っても「Big Boy!写真撮ろうぜ!」「俺の娘が誕生日だからFaceTimeしてやってくれよ」とかファンに声かけられてて、そういうこともファンのためにやってくれるんですよね。ある時、Big BoyとBETのステープルズ・センターのイベント会場に行く時、普通なら10分もかからない距離を歩いてたんだけど、話しかけてきた全ての人に対応してて、着くのに2時間半もかかったなんて時もありました。その時声かけてきたグループの数を途中から数えたんですが、途中からで258組!ひとグループ2〜3人、グループによってはもっといるから、たぶん700〜800人対応してる(汗)。

Sei:流石だぁ~(笑)もうLA歩けないですね。

Couz:歩けない歩けない!歩くけど(笑)。通り過ぎる人みんなが話しかけてきて、それにBig Boyは嫌な顔一つせず、全員に必ず対応してます。

Sei:うわぁ、アーティストの鏡ですね。すごいCouzさんからBig Boy氏へのリスペクトを感じます。

Couz:自分の中でBig Boyはメンターですね。Big Boyからは、自分はホームボーイみたいなファミリーみたいな感じで扱ってくれてますが。

故Nipsey Hussle、YGとのエピソード

Sei:そんなに近いんですね。素晴らしいメンターに出会えましたね。あの、Nipsey Hussleともお仕事されたんですよね?もう今じゃレジェンドですけど、彼とのエピソードもお願いいたします。

Couz:Nipseyが今レジェンドと言われるのは、若くして亡くなったからっていうのも少なからず後押ししているとは思いますが、それ以前に彼の場合は2019年グラミー賞にノミネートされてCardi BやTravis Scottとベストラップアルバム争ってますし、地元への貢献や多くの人々へのサポートなども含めて、元々そう言われるだけの器がある人だったんですよね。

Sei:どこで出会ったんですか?

Couz:2011年で、まだNipseyも全然若い頃。『The Marathon Continues』のミックステープが出る前でした。初めて会った時はレストランで食事しながら自己紹介してたんだけど。実はそれより少し前の2005年~2008年位にPower106で流れていた、自分とOnodubっていうビートメーカーで作ったビートの上でBig Boyが歌っているCMソングがあったんです。それがPower106で最もかかるCM二つのうちの一つで、その時のヘビープレイされている曲よりも全然沢山かかるみたいな。LAでヒップホップ好きなら必ずその曲を知っているっていうほどの知名度で。Nipseyにもこの曲知ってる?って口ずさんだら、Nipseyが「知ってるよ!その曲お前のか?!毎日耳にしてたぞ!」ってなって。そこから話が盛り上がって、オフィシャルミックステープやろう、曲も作ろう、東京でライブもやろう、って感じで話が進んでいって『DJ Couz & Nipsey Hussle – Rich Rollin` 』プロジェクトに繋がっていったんです。

そしてNipseyとのそのプロジェクトの後に、YGと知り合ったんです。NipseyもYGもミックステープでガンガン名前を売ってるLA出身の青と赤のイケイケアーティストっていう、自分からしたら超大プッシュな二人。そのYGを紹介してくれたのが、実はNipseyだったんですよ!

Sei:え、YGを紹介したのがNipseyだったんですか!?

Couz:あの二人めちゃめちゃ仲良かったんですよ。で、Nipseyとの『Rich Rollin’』プロジェクトが終わった後に、Nipseyの店の前でJ Stoneとかも一緒にハングアウトしてた時、Nipseyに「YG紹介してくんない?」って聞いたんですよね。

Sei:Couzさんもすごいなぁ~。行きますね~。

Couz:そしたらNipseyが一瞬止まって、ジッと自分の事見てきて、すぐ「いいぜ」ってYGにその場で電話してくれたんですよ。

Sei:ジッと見つめたのは、怒っていたからじゃなくて?

Couz:じゃなくて、要はNipseyからしたら変な奴紹介できないじゃないですか?自分の名のもとに人を紹介するわけですから。多分Nipseyくらいの人だったら、自分が紹介する人には責任を持つタイプだと思うんで。だから「本気なのか?」って意味で自分の目を見て。自分も「本気だ」っていうのが通じたようで、その場で電話してYGに自分を紹介してくれて。YGもNipseyの紹介なので快諾してくれて、Nipseyが直接YGの番号を自分に教えてくれて、自分もその場ですぐにYGにメッセージ打って。

Sei:それは何年位の時ですか?

Couz:それは2012年かな。あの時は一緒にやったプロジェクトに満足してくれたNipseyが、DJ Couzを認めてくれた瞬間だったのかなって思います。あのプロジェクトは自分のキャリアの転機になりましたし、自信に繋がりましたね。

Sei:Nipseyが亡くなった時は、Couzさんどこにいらっしゃったんですか?

Couz:LAにいました。車運転していて、Real92.3(現在Big Boyがいるラジオ局)を聴いていたら普段その時間には出てこないMCが出てきて、ニュース速報みたいになって「NipseyがMarathon Store(Nipsey本人の店)の前で撃たれたらしい。詳細は分からないが、皆Nipseyの為に祈ってくれ」って言ってて。自分はそれを聞いて「マジかよ…」ってなって、すぐに車止めてBig Boyに「撃たれたのはホントですか?」ってメッセージしたら、「ホントだ。彼らが言うには、状況はかなり悪いらしい」って返事が来て。目の前真っ暗になって、運転もままならなくなってしまって、その日自分は大事な用があったんだけど、そのまますぐ家に帰って。

仕事をした仲間だし、ある意味自分は彼のファンでもあるし、自分が好きなWest Coastのアーティストの中でも特別な一人だったから、やっぱりちょっと…(しんみりする)。

Dr.Dreの家に行った話

Sei:悲しかったですよね…辛いお話しありがとうございます。私もちょっと泣きそうになりました。次の質問に行きますね。差し支えなければDr. Dreさん、Snoopさん、DJ QuikさんとかBaby BashさんらOGのお話しもあったらお聞かせください。

Couz:Dr. Dreの家に行った経緯は、とある年のBig BoyのバースデイパーティーにDr. Dreも呼ばれてたんですが、その時は急遽都合が悪くなって来れなくて。その来れなかった代わりに、Dr. Dre自身が主催して、Dreの自宅で、Big Boyのバースデイパーティーをもう1度してくれるとなって。Big Boyが連れて行った10人くらいの中に自分も入ってたっていう感じです。Dreに会ったのは、その時が2回目でしたね。

Sei:え、というかあのDreが来れなかったお詫びに自宅でパーティ開催って、話がレベチでBig Boyさんの凄さというか影響力を物語っていますよね。

Couz:あと…2Pacの…。

Sei:え、2Pac??(2Pacファンなので前のめりになる)

【後編に続く】

資料提供:DJ Couzさん

DJ CouzさんInstagram:https://www.instagram.com/djcouz

DJ CouzさんWebsite:https://dj-couz.com

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